様子 続き
受付を済ませ、祀の名前を伝える。
しばらく待った後、一人の医師が現れた。
「荒木孝太郎さんですか?」
「はい」
「千堂さんとは、どういうご関係で?」
孝太郎は少しだけ黙った。
「……玄武組の組員です」
「ご家族では?」
「家族みたいなもんです」
医師は静かに頷いた。
「それで、今日は?」
孝太郎は椅子に座った。
そして、祀に起きていることを一つずつ話した。
最近、同じことを何度も聞くこと。
物を置いた場所を忘れること。
直前に食べたものを覚えていないこと。
そして――
「最近、明らかに増えてるんです」
最後にそう言った。
医師はしばらく黙っていた。
「……一度、検査を受けてもらったほうがいいでしょう」
「やっぱり、何かあるんですか?」
「可能性の話になりますが……」
医師が言葉を選ぶ。
「龍蝕症という疾患があります」
「……龍蝕症?」
聞いたことのない名前だった。
「龍魄の影響によって、認知機能に異常が起こる病気です」
孝太郎は黙って聞いていた。
「初期には、物忘れや記憶の混乱といった症状が現れることがあります」
「……治るんですか?」
医師はすぐには答えなかった。
「症状の進行を抑えるための治療はあります。ただ――」
「ただ?」
「放っておけば、少しずつ進行していく可能性があります」
孝太郎の拳が、膝の上で強く握られた。
頭の中に、祀の顔が浮かぶ。
酒を飲んで笑っている顔。
自分たちを叱る顔。
くだらないことで怒る顔。
そして――
今日、鍵を握ったまま、
「この鍵……どこのだ?」
と言った顔。
「……親父」
小さく呟く。
医師が孝太郎を見る。
「何か?」
「……いや」
孝太郎は立ち上がった。
「治療について、もう少し詳しく聞かせてください」
その声には、もう迷いがなかった。
親父には言わない。
まだ、言えない。
だけど――
知らないままにしておくことだけは、できなかった。
医師は机の上に置かれた資料を一枚めくった。
「龍蝕症は、龍魄を体内に取り込んだ人間に起こることがある疾患です」
「龍術を使う人間なら……誰でも?」
「可能性としてはあります。ただ、発症率は決して高くありません」
孝太郎は黙って聞いていた。
「問題なのは、症状が非常にゆっくり進むことです」
「ゆっくり……」
「最初は、物忘れ程度にしか見えません。本人も周囲も、年齢のせいだと思ってしまう」
医師は資料を指でなぞった。
「ですが進行すると、記憶そのものが曖昧になっていく。場合によっては、身近な人間の名前や、自分が何をしていたのかすら分からなくなることもあります」
孝太郎の表情が固まった。
「……親父が、そうなる可能性も?」
「検査をしてみなければ分かりません」
「検査っていうのは?」
「血中の龍魄濃度、龍術の循環状態。それから認知機能の検査です。必要であれば、龍魄が脳に与えている影響も調べます」
「すぐできますか?」
「本人が受けてくれれば」
その言葉に、孝太郎は黙り込んだ。
祀が素直に病院へ来る姿が想像できなかった。
『俺はどこも悪くねぇ』
きっとそう言う。
無理やり連れて来れば、
『孝太郎、お前が俺を病人扱いしてどうすんだ』
そう笑うだろう。
「……親父は、たぶん受けません」
「そうですか」
医師はそれ以上、何も言わなかった。
「ただ、一つだけ覚えておいてください」
孝太郎が顔を上げる。
「本人に自覚がない状態でも、周囲が異変に気づいた段階で検査を受ける意味はあります」
「……」
「早ければ早いほど、できることは増えます」
その言葉が、孝太郎の胸に重く残った。
「分かりました」
孝太郎は深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
病院を出る。
外は、いつもと変わらない街だった。
人が歩いている。
車が走っている。
店からは飯の匂いがする。
なのに、孝太郎には全部が遠く感じられた。
ポケットからスマホを取り出す。
祀の名前を探す。
――電話をかける。
だが、指が止まった。
今、何を言えばいい。
『親父、病院行け』
そんなことを言えば、絶対に怪しまれる。
孝太郎はスマホをポケットに戻した。
「……まだだ」
まだ言えない。
検査もしていない。
医師も可能性の話しかしていない。
だから今は――
自分だけが知っていればいい。
そう思った。
その時だった。
スマホが震える。
画面を見る。
祀からだった。
「……親父?」
慌てて電話に出る。
『孝太郎か?』
「はい」
『今どこにいる?』
「ちょっと用事で……」
『そうか』
少し間があった。
『……なぁ、孝太郎』
「はい?」
『オメェ病院に行ってるんじゃねぇだろうな例の』
孝太郎の足が止まった。
「……」
電話の向こうで、祀が笑う。
『いや、なんでもねぇ。忘れてくれ』
「親父」
『ん?』
「……今から帰ります」
『じゃあ、待ってる』
通話が切れる。
孝太郎はスマホを握りしめた。
胸の奥が、痛かった。
さっきまでなら、ただの物忘れだと思えた。
年齢のせいだと笑えた。
だが今は違う。
――龍蝕症。
その言葉が、頭から離れない。
孝太郎は顔を上げた。
「……絶対に、俺が何とかする」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
祀にはまだ言わない。
玄武組の誰にも言わない。
だが、黙って見ているつもりもなかった。
まずは――
祀が検査を受ける理由を作る。
それが、孝太郎にできる最初の一歩だった。




