修行
第九話
山道を抜けた先。
仁は足を止めた。
蓮も立ち止まり、汗を拭う。
「……ここで修行すんのか?」
「その前に確認だ」
仁は蓮へ向き直った。
「黒龍と戦った時のこと、覚えてるか?」
「忘れるわけないだろ」
蓮の表情が少し曇る。
あの圧倒的な巨体。
何度攻撃しても届かず、避けるだけで精一杯だった。
「俺はあの戦いを見てた」
仁は続ける。
「お前、龍魄を使ってただろ」
「……ああ」
「でも、使えてなかった」
「え?」
蓮が顔を上げる。
「龍魄を身体に流すことと、龍魄を操ることは違う」
仁は自分の胸に手を当てる。
「お前は龍魄に身体を押し上げてもらってただけだ」
「だから動きが全部バラバラだった」
蓮は黙った。
黒龍との戦いを思い返す。
力を込めた。
速く動こうとした。
何度も拳を振った。
それでも――思うように身体が動かなかった。
「……じゃあ、どうすればいい?」
「操れ」
「それだけ?」
「それが一番難しい」
仁が笑う。
「龍魄はお前の身体の中にある。なら、まず自分の意思で動かせるようになれ」
⸻
修行は、地味なものだった。
右手に龍魄を集める。
左手に集める。
足へ移す。
全身に巡らせる。
ただ、それだけ。
だが――
「……くそっ!」
何度やっても上手くいかない。
右手に集めたと思えば、肩へ流れる。
足に集めようとすれば、全身に広がる。
「なんでだよ!」
「力むからだ」
「力を使うんじゃないのか?」
「違う」
仁は首を振る。
「龍魄を押し込むんじゃねぇ」
「流れを作るんだ」
蓮は目を閉じる。
身体の中へ意識を向ける。
静かに。
ゆっくりと。
すると――
「……あ」
右腕に、僅かな熱を感じた。
「今だ」
仁の声。
蓮は集中する。
熱が腕を伝っていく。
そして――
右拳に龍魄が集まった。
「……できた」
仁が頷く。
「それが最初の一歩だ」
⸻
それから何日も、修行は続いた。
龍魄を足へ。
一瞬だけ全身へ。
再び拳へ。
蓮は少しずつ、龍魄の流れを理解していった。
そして仁は、三つの使い方を教えた。
「身体全体の能力を引き上げる――体」
蓮の身体が一気に前へ跳ぶ。
「攻撃へ集中させる――攻」
拳が岩を砕く。
「身体を守るように巡らせる――守」
仁の拳を受けても、蓮の身体は大きく揺れなかった。
「この三つをまとめて――」
仁が言う。
「竜包囲だ」
蓮は自分の拳を見つめた。
「竜包囲……」
初めて、自分の中にある力を自分の意思で動かせた気がした。
だが――
仁は言った。
「覚えたからって、強くなったと思うなよ」
「え?」
「使えるようになっただけだ」
仁は山の向こうを見る。
「実戦じゃ、考えてる暇なんかねぇ」
⸻
数日後。
「龍化獣が出た」
仁から告げられた言葉に、蓮の目が変わった。
「俺が行く」
「修行の成果を試したいか?」
「ああ」
仁は少し考えた。
「分かった。ただし、無理だと思ったら退け」
「分かってる」
蓮は拳を握った。
⸻
森の奥。
木々をなぎ倒しながら、一体の龍化獣が姿を現した。
巨大な四足の獣。
その身体には龍の鱗が浮かび、口から鋭い牙が覗いている。
「……来い!」
龍化獣が咆哮する。
次の瞬間――
地面を蹴った。
「体!」
龍魄が脚へ集まる。
蓮の身体が弾けるように横へ飛ぶ。
爪が空を切った。
「いける!」
蓮は踏み込む。
「攻!」
龍魄が拳へ集中する。
「おらぁっ!」
ドン!!
龍化獣の身体が揺れた。
「効いてる!」
蓮は続けて踏み込む。
攻撃。
回避。
攻撃。
確かに、以前とは違う。
自分の意思で龍魄を動かせている。
だが――
「体!」
避ける。
「攻!」
殴る。
「……守!」
切り替えが遅れた。
龍化獣の爪が迫る。
「しまっ――」
ドンッ!!
蓮の身体が吹き飛んだ。
「ぐっ……!」
地面を転がる。
立ち上がろうとする。
しかし、龍化獣はすでに目の前まで迫っていた。
「まだ……!」
蓮は拳を握る。
「体!」
身体を加速させる。
「攻!」
拳へ龍魄を集める。
一撃を叩き込む。
だが――
龍化獣は倒れない。
「……嘘だろ」
蓮の息が上がる。
焦りが生まれる。
「もう一度!」
攻撃。
そしてまた攻撃。
だが、今度は守りが遅れた。
龍化獣の一撃が蓮を捉える。
「ぐあっ!」
蓮は地面へ叩きつけられた。
視界が揺れる。
龍化獣が迫ってくる。
「……くそ……」
蓮は立ち上がろうとした。
だが、足に力が入らない。
その瞬間――
龍化獣の前に仁が立った。
一撃。
龍化獣が吹き飛ぶ。
仁は振り返らない。
「今日はここまでだ」
「……俺は……」
「負けたな」
蓮は唇を噛んだ。
「……竜包囲を覚えたのに」
「だからだ」
仁が蓮を見る。
「お前は今、竜包囲を使える」
「でも――」
「使いこなせてねぇ」
蓮は黙った。
「黒龍の時、お前は龍魄を操れなかった」
仁は指を一本立てる。
「今日は操れた」
もう一本。
「だが、今度は切り替えが遅かった」
仁は蓮の肩を叩く。
「一個進んだんだよ」
「だから次の壁が見えただけだ」
蓮はしばらく俯いていた。
そして――
ゆっくりと拳を握った。
「……じゃあ」
顔を上げる。
「次は、切り替えを速くする」
仁が笑う。
「そういうことだ」
蓮は龍化獣が去っていった森を見る。
悔しい。
けれど――
黒龍と戦った時には見えなかったものが、今は見えている。
自分に何が足りないのか。
それが分かっただけでも、確かに前へ進んでいた。
「仁」
「ん?」
「もう一回、修行してくれ」
仁は少しだけ笑った。
「もちろんだ」
山の中に、再び拳を打ち込む音が響き始めた。




