第二話 (2)
優雅な朝食の余韻を背に。私達は語らいの場を移すべく。設えの整った奥の自室へ、足を踏み入れていた。
陽光差し込む窓際のテーブルセットには。立ち上る湯気と共に芳醇な香りを放つ紅茶と。昨夜の収穫を整理する為の真新しいノートが。無造作ながらも広げられている。
顎の下までを厳格に覆うハイネックのドレスは、常に肌を締め付ける違和感を伴ってはいるけれど。それが二人だけの秘密を守る鎧のようにも感じられて、私の背筋に凛とした強さを与えてくれていた。
「……さて。それじゃあ早速、昨夜の収穫と今後の動きについて、整理していきましょうか」
「そうですね。昨晩の夜会でお嬢様が持ち帰られた戦果は、私の予想を遥かに上回るものでした」
ソーサーの上にカップを預け、緩んでいた表情を引き締める。衣擦れの音と共に姿勢を正した私の正面には、いつも通りの無表情で佇む完璧な執事の姿が在る。
けれどその瞳の奥には。私への絶対的な忠誠と、共犯者としての頼もしい冷徹な光が宿っていた。
「まずはカッセル伯爵夫人の件を。社交界を総べるあの『女傑』を此方の駒へ加えた一手、実に見事でございました。……お嬢様の鮮やかな手腕には、このジェームズ、ただただ感服するばかりです」
「いいえ。むしろ今回の件は、お互いの利益が合致した結果の、『同盟』と云った方が正しいわ。私に夫人の『権威』が必要なように、夫人もまた私の『力』を求めた。明確な取引だもの」
昨夜交わされた言葉の断片を。私は一言一句違わぬよう、丁寧にジェームズへと説いていく。
元王族にして社交界の重鎮たる夫人が、この国の澱みに憤り、マルケス侯爵家という『雑草』を根元から掘り返す為に、私という『鋤』を求めた。紛れも無い事実を。
「……『庭の剪定』、ですか。いかにもあの御方らしい婉曲的な表現ですね」
「夫人は私を利用して、マルケス侯爵家の地盤を崩したい。私は夫人の力を借りて、セシリアの悪意を払いたい。理想的なギブアンドテイクよ」
思案に耽るように。ジェームズは己の顎に、そっと指先を添えている。深謀遠慮を愉しむ策士の貌で、冷然かつ優雅な微笑を浮かべているその姿は。夫人の持つ絶大な影響力を実感させるには充分だった。
「カッセル伯爵夫人は、王妃陛下とも太いパイプをお持ちです。あの御方が動くのであれば、マルケス侯爵家が築き上げた包囲網など、脆くも崩れ去る事でしょう。
直ちに夫人の権威を行使し、セシリア様の流す噂を鎮火されますか?」
ジェームズの問い掛けを遮るように、私は緩やかに首を横に振る。
確かに夫人の力を使えば。公爵家に対する不愉快な悪評を消し去る事など、枯葉を靴底で踏み砕くよりもずっと容易い筈。けれどそんな小手先の幕引きでは、根本的な解決には至れない。
「夫人の後ろ盾は、私達が持つ最強の切り札よ。それをたかが噂の鎮火如きで消費してしまうのは勿体無いわ」
紙面に刻んだ夫人の名を、盤上へ固定するように太線で囲ってみせる。彼女は膝を付いて雑草を引き抜く、慈悲深い庭師などではない。不都合な緑を土ごと抉り取り。庭の全てを更地へ塗り潰す。冷酷な剪定者なのだ。
その権威を解き放つのは。敵を『根絶やし』にする瞬間こそが、最も相応しいと云える。
「私の目的は、セシリアの完全な失脚。そして彼女を増長させている、背景そのものを叩き潰す事。その為には彼女自身に舞台の主役として、踊り狂って貰う必要がある。
夫人のカードを切るのは、その時よ」
セシリアを舞台装置ごと奈落へ突き落とし。その絶望を極限まで高める為には、演出家が必要なのだ。
それも観客の誰一人として野次を飛ばす事すら許されない。圧倒的な権威という名のタクトを振るう。最高の演出家が。
「……なるほど。希望という名の餌で獲物を泳がせ、絶頂の瞬間にその首を刈り取る。実にお嬢様らしい、悪辣で気高い戦術ですね。震える程に誇らしく思いますよ」
「ふふっ、ありがとう。褒め言葉として受け取っておくわ」
怜悧な計算を愉しむように。ジェームズは満足気に瞼を細め、口元へ不敵な笑みを描いている。例え多くを語らずとも。この人だけは私の渇望を、寸分違わず理解してくれる。その心強さが私にとって、これ以上無い程の力になっていた。
「問題は、その舞台を整えるまでの過程ね。噂の発生源が『聖女様の定例茶会』である事は、ほぼほぼ間違い無いと思うの。だからこそ出来るだけ早急に、お茶会の実態を掴みたい所ではあるんだけど…」
テーブルの上で頬杖を付き、ペン先でトントンと紙面の余白を叩く。かつての取り巻き令嬢であるロッテとミナの証言が正しければ。定例茶会は諸悪の根源であると同時に、セシリアによる情報操作の拠点として、機能している場所でもある。
聖女エレンディラの周囲で、何が起きているのか。
セシリアがどのようにして、聖女の名を騙っているのか。
それを確認する為にも。やはり敵の本拠地へ、潜り込む必要がある。
「でも招待状も無しに聖女様のお茶会へ突撃する程の無謀さなんて、流石の私も持ち合わせていないわ。そもそも『大罪人』である私が招かれる可能性だって、万に一つも無いでしょうし」
あの小説のファンとして。エレンディラを愛する読者として。一度くらいはこの目で主人公の姿を拝みたいという好奇心は、勿論私にだってちゃんとある。あるけども。
いくら記憶喪失を盾にした所で、物理的な壁までは突破出来ない。王宮やカッセル伯爵家のような開かれた場とは違い、個人の権限で開催されるサロンやお茶会は、招待客が厳選される閉鎖的な空間である事がほとんどなのだ。
しかも今回の目的地は、国の宝とも呼べる『聖女』が開催する神聖な定例茶会。その厳格な査定基準は、察して余りある程である。
「ここからは、貴方の意見も聞かせて欲しいわ。私は今回、『協力者』を募りたいと考えているの。私をそのお茶会へ連れて行ってくれる、或いはお茶会の内部事情を詳細に教えてくれる、信頼出来る協力者を」
そっと顔を持ち上げて、傍らに控えるジェームズを仰ぎ見る。過保護とも云える忠実さを持つ彼は、私が危うい橋を渡る事を、理屈抜きで激しく拒絶する傾向にあるから。
でも意外な事に。彼は私の覚悟を真っ向から受け止めて。肯定の意を示すように、緩やかに首を縦に振ってくれた。
「異論はございません。無策での突撃であればお止めしましたが、協力者を駒として使い、安全圏から糸を引く潜入であれば、リスクは大幅に軽減されます」
「……意外だわ、もっと渋られると思ってたのに」
「お嬢様の御身が揺るぎない平穏の中に在るならば、手段の清濁など些末な問題です。貴女の仰る『協力者』について、私にも心当たりがございます」
白手袋に包まれた指先で。ジェームズは一通の封書を、懐から静かに引き抜いてみせる。そして上質な紙の質感を損なわぬよう。可憐な花の封蝋が施されたそれを銀盆に載せ、恭しく私へと捧げ持った。
「聖女様主催の定例茶会。それは選ばれた者のみが立ち入りを許される、極めて閉鎖的な聖域を装っております。ですが招待客の顔触れには、実に分かりやすい『法則』が適用されているに過ぎないのです」
「あら、そうなの? てっきりセシリアの気紛れで、選別しているのかと思ってたのに」
「招待の基準は信仰心ではなく、その血筋が『伯爵家以上』であるかどうかの一点に尽きます。実に俗世的で、ある意味では清々しいまでの差別化ではございますね」
血筋が伯爵家以上であれば名誉を。それに満たぬ者であれば相応の対価を。
恐らくセシリアは、高位貴族の令嬢達を自らの権威を飾る背景として利用する一方で。そこへ加わりたいと切望する下位貴族の令嬢達から、法外な参加費を毟り取っているのだろう。
(……ロッテとミナから聞いていた、『聖女様への捧げ物』の正体は、きっとこの参加費の事ね。随分とまぁ、小賢しい真似を)
聖女を自称する女が作り上げた。虚飾と強欲の縮図が、そこには存在していた。寄付という名目で捧げられた金品である以上、返却を申し出た所で取り合っては貰えない。完全な詰みだ。
「真の狙いは権威の箔付けと、自身の派閥拡大。といったところかしらね。
聖女様という慈悲深い看板を掲げておきながらも、その実態は周囲を盲目的な信奉者で固めて悦に浸っているだけだなんて。とんだ道化だわ。こんなの興醒めよ」
拭い難い疲労感に突き動かされて。私は一度、大きく肩を竦めてみせる。そのまま重力に身を任せるように、両手を開いて天井を仰いだ。
あの女の選民思想にしては、随分と緩い基準に思えたけれど。聖女の評判を最大限に活用するのなら、確かに数は力になる。
そんな歪な閉鎖空間で執り行われるのなら。公爵家に対する悪評という、倫理を根底から踏み躙るような脚本であろうとも。誰もが『最高のご馳走』として喜んで貪り、広めた所で何ら不思議には思わない。
(思考停止した令嬢達を拡声器として利用するだなんて。セシリアは本当に……、良い性格をしているわ)
頭が痛い。こんなのは物語のヒロインを虐める、悪役令嬢の典型的なやり口だ。今回の場合はその矛先が、ヒロインのエレンディラでは無く、元悪役令嬢の私に向かっているというのが、あまりにも皮肉過ぎる。
本当に、何をやってくれているのだあの女は。昨日の夜会の時もそうだったけど、なんで私だけを執拗に狙うのだ。理由の分からない執着程、不気味なモノなど無い。寒気がする。
「……つまり、この手紙は」
「はい。お嬢様が先日招待状を送られた相手。フルール伯爵令嬢、レーニエ様からのお返事にございます」
ジェームズが恭しく差し出した封筒には。見覚えのあるフルール家の紋章と、スミレの花を模したシーリングスタンプが押されている。
伯爵家以上令嬢であり、私達が信頼出来る人物。その条件に当て嵌る人なんて、この娘しか考えられなかった。
(そう云えば、フルール伯爵家は中立の家門だったわね。聖女様からの招待状が届いた所で、参加するかどうかは個人の自由だけど…)
もしレーニエが聖女の開く定例茶会に一度でも参加した事があるのなら。その時の話を聞けるだけでも、私にとっては充分過ぎる程の価値がある。
逸る気持ちを抑えながらも。私は丁寧にペーパーナイフで封を切る。中から出て来たのは仄かに香水の匂いがする、上質な便箋が数枚。
『親愛なるイザベラ様へ
お手紙、とても嬉しく拝読いたしました!
わたくしも、イザベラ様とまたお会い出来る日を、心待ちにしておりましたの。
つきましては、明後日の午後、是非わたくしの屋敷へいらして下さいませ。
もちろん、ジェームズさんもご一緒に!
実はその日、わたくしの婚約者も、屋敷に来る予定なのです。
イザベラ様には是非、彼をご紹介したいと思っておりまして……!
少し気恥ずかしいのですが、お二人に彼を見て頂けるのなら、これほど心強い事はありません。
美味しいお菓子を用意して、お待ちしております!
レーニエ・フルール』
紙面の上で小さく躍る。丸みを帯びた愛らしい筆跡。それを一文字ずつ視線でなぞる内に、いつの間にか強張っていた頬の筋肉が和らいでいくのを自覚した。
文面から溢れ出る彼女の喜びと、婚約者を紹介したいという初々しい乙女心。文字の形を超えて伝わる瑞々しい熱量に。私の胸の奥には、陽だまりのような温かさが広がっていた。
「ふふっ、本当に可愛らしい方ね。明後日、フルール伯爵邸でお茶会を開いて下さるそうよ。しかも婚約者様を紹介してくれるみたい。きっとお相手は、この前教えてくれた子爵家の幼馴染だわ」
「それは喜ばしい事ですね。……ですがお嬢様」
不意に。ジェームズの声色が、密やかな重みを帯びて沈み込む。顔を上げた私の視界に映ったのは、感情を削ぎ落とした策士の横顔だった。
「彼女の純粋さは、一種の武器にございます。此方側の意図など微塵も感じさせないその振る舞いは、疑り深い聖女派の令嬢達さえも欺く事でしょう。
お嬢様が彼女を盤上の『駒』として使う事に躊躇いを覚えるのであれば。どうぞその罪悪感ごと、このジェームズにお預け下さい。彼女以上にこの脚本を、完璧に演じ切れる者はおりませんので」
盤上の駒。ジェームズの指摘は氷の如く冷たく響いたが、それ故に反論の余地は無かった。レーニエを策謀の渦中へと引き込んで、自身の目的の為に消費する。その未来に変わりは無い。
けれど。
「……ええ、勿論分かっているわ。でもこの『罪悪感』は、私が一人で背負うべきよ」
無垢な少女を利用するという断罪を、私は静かに受け入れる。送られた手紙を胸に抱き。確かな意志を宿した瞳で、そっと彼を見詰め返す。
あの日。王妃主催のお茶会で、勇気を振り絞り私に声を掛けてくれた。伯爵家のご令嬢。家格や世評に惑わされず。自らの意志で歩み抜こうとしている彼女の姿はあまりにも眩しくて。そしてこれ以上無い程に、頼もしく感じられた。
「レーニエ様はこの世界で出来た、私にとって初めての『親友』よ。そんな彼女を単なる駒として使い潰す道なんて、私は絶対に選ばない。一緒に守り、支え合って、共に勝利を掴み取る。……それが私の、やり方だから」
あんなにも無垢な少女を。セシリア達が毒を撒き散らす悪意の渦中へ投じる事に、胸が締め付けられない筈が無い。でも、だからこそ。私は立ち止まれないのだ。
彼女のような純粋な人がこれ以上被害に遭わない為にも。私がこの腐った現状を、変えなければいけないから。
「承知致しました。お嬢様がそのように気高い道を選ばれるのであれば、このジェームズ、持てる限りの知略を尽くして貴女の影となりましょう。
フルール伯爵家への訪問、および滞りないスケジュールへの組み込みは、全て私にお任せ下さい。お嬢様が『友』と手を取り合う為の舞台を、完璧に整えてお目に掛けます」
ジェームズは私の意志を過不足無く汲み取り、敬意を込めた一礼を捧げてくれる。一切の迷いを排した所作を目の当たりにして、私は改めて深い安堵を感じていた。
「ありがとうジェームズ。ちなみにレーニエ様のお茶会には、貴方も招待されているみたいよ? たまには執事としての仮面を外して、私服で現れてみるのはどうかしら?」
悪戯に目を細めた私は。テーブルに体重を預けて、愛しい彼を上目遣いに捉えてみせる。レーニエは私達の関係を好意的に見守ってくれている、数少ない理解者だから。そんな彼女の屋敷で開かれるお茶会であれば。私達も公爵令嬢と執事という呪縛から解き放たれて、普通の恋人同士として過ごせるかもしれないのだ。
漆黒の燕尾服を脱ぎ捨てた、ラフな格好のジェームズ。そんなの絶対、見たいに決まっている!
だが、しかし。
「…………は?」
私の突飛な提案が耳に届いた途端。ジェームズの完璧なポーカーフェイスに、僅かな亀裂が走る。彼は深い、あまりに深い溜息を隠そうともせずに吐き出すと。呆れ果てたと云わんばかりの視線を、此方へ投げて寄越して来た。
おやおや。顔が怖いですよ、ジェームズくん。
「お断り致します」
「えぇ~、なんでよぉ〜。良いじゃん別にちょっとくらい〜。ジェームズのケチ〜」
「ケチと謗られようと一向に構いません。私はあくまでリリエンタール公爵家に忠誠を誓った影、一介の使用人に過ぎないのです。私邸での集いとは云え、他家の屋敷において、あまつさえ貴女の隣に『対等な客』として列するなど、分を弁えぬにも程があります」
無鉄砲な私を諌めるように。彼は確かな威圧感を以て、一歩前へと踏み出していた。その鋭い眼差しには、私の我儘を撥ね退ける揺るぎない拒絶と。危うい道を選ぼうとする主人を案じるが故の、苛烈なまでの厳格さが宿っていた。
「お嬢様のお供が出来るのであれば、例え奈落の底であろうとも厭いは致しません。ですが貴女の立場を危うくし、その気高き名に泥を塗るような真似だけは。貴女のご命令であっても、承服しかねます」
「………………」
何も言えなかった。そもそも『偽物』の私に反論なんて、出来るわけが無かった。いつだって私の立場を、ジェームズは一番に考えている。個人的な欲求を全て排し。『イザベラ・フォン・リリエンタール』としての社会的価値と尊厳を。いっそ執念にも似た献身で、守り続けている。
私がどれだけジェームズを大切に想っていても。世間の目に映る私達は、『公爵令嬢』と『執事』でしか無い。ただでさえ悪評の渦中にある私が。使用人を伴い対等に振る舞えば。社交界に新たな醜聞という名の火種を撒き散らしてしまうだけ。
その先に待ち受けているのは。抗い様も無く約束された、破滅の終焉に他ならない。
(……やっぱりジェームズは、規律を重んじる『理想の紳士』なのね……)
親友から受け取った手紙に、私はそっと視線を落とす。瞼に昏い影が差し込んで、自然と顔が俯いてしまう。
そもそも私達の関係が世間の嘲笑や蔑みの視線を受ける事など、端から覚悟していた筈である。日向を歩む権利を棄てた私は、日陰の底で密やかに過ごして行くしか無い。
それは確定した未来でありながらも、救いの無い袋小路だった。
でも。
「……ごめんねジェームズ、私が浅はかだったわ。貴方の言う通り、貴方は私の誇り高い『執事』として、堂々と胸を張って付いて来てちょうだい」
それでも私は。私の空虚な心を満たし。形を作ってくれている。ジェームズだけを選びたいから。
降伏を告げる穏やかな笑みを口元へ浮かべながら。私は窺うように、そっとジェームズを見上げてみる。すると彼はそれまでの峻厳な表情を、静かに緩めてくれた。
それは氷が解け出すような。極めて微かな変化だったけれど。それが彼の表現する最大限の安堵である事は。私が一番良く、知っている。
「ご理解頂けて何よりです。……ですが、貴女が見たいと仰るのであれば」
引き結ばれていた彼の唇が、作為的な弧を描く。秘密を分かち合う子供のように。危うい光を瞳に灯し。吐息さえも共有する程の至近距離まで詰め寄った彼は。私の耳元へ、甘い言葉を落としていく。
「人目を忍ぶ場所であれば、貴女が選ばれた服を纏い、貴女が望むがままの私を、その瞳に刻んで差し上げますよ? 主従の枷を外し、貴女だけの『ジェームズ』としてお側に侍る。その特権を、今さら拒む理由などございませんので」
不意打ち過ぎる突然の『ご褒美』発言に。私の心臓が警鐘を鳴らすように、激しい轟音を刻み出す。
「~~~~~ッ!?」
握り締めた拳は震えていた。公爵令嬢としての尊厳は守る癖に。オタクとしての尊厳をいとも容易く打ち砕く無自覚な挑発と。耳奥に残る熱い余韻が。執事らしからぬ不遜な色気が。私の魂を根底から掻き乱していたから。
ダンッ──!!!
「だからなんでそんなに自分を安売りするのよ!? 自分の魅力を自覚してって、私ついさっき注意したばっかりだよねぇッ!!?」
思わず机を叩き付けてしまった。きっと私は悪く無い。だって私の抱える欲望は。ジェームズが想い描いているような。清らかで美しいモノばかりでは無いのだから。
(私好みのジェームズなんて、そんなの確実に虹枠のSSRじゃん! ムリ! 絶対にムリ!! そんなの見せられたら私絶対に、正気なんて保てないよッ!!!)
公私の使い分けが完璧過ぎる。飴と鞭の使い分けも完璧過ぎる。でも私の理性の限界を試す様な恐ろしい発言は、出来る事なら控えて欲しいと思うのだ。
「……………」
叩き付けられた机の音に。ジェームズは一瞬だけ、肩を僅かに揺らしていた。焦点の合わない瞳で虚空を見詰め、理解不能な古文書を提示された学者のように。呆然と嘆息を漏らしていた。
……理不尽な怒りをぶつけている自覚はちゃんとあるし。正直言ってジェームズは何も悪く無い。だから申し訳無いという気持ちは勿論ある。あるけども。
(……どこまでなら引かれ……いや、許されるのかしら。推しの着せ替え……。うぅ、ヤバい、ムリ、そんなのは、流石のジェームズもきっと……いや、でも、意外と受け入れて貰えたりするかもしれな──)
私の中で確かに渦巻く『オタク』としての底知れぬ業。これは推しであるジェームズにだけは、知られるわけにはいかないのである──。




