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麒麟の森  作者: 冨永 真一
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蓮見先輩、去る

 蓮見健太郎が休暇を取り始めてから二週間が過ぎた。大介からの連絡にも応答がなく、心配を募らせていた金曜日の夕方、健太郎から飲みに誘われて、何度か二人で行った居酒屋のカウンターで大介は蓮見の話を聞いていた。

「大介さ、辞めるわ・・・・・・」

大介は最初その健太郎の言葉の意味がつかめなかった。それは単刀直入に辞意を告げた言葉だった。

「え? え? ど、どういうことっすか?」

 そう言って大介は、ジョッキに入ったレモンサワーを飲み干した。

「蓮見さん? え? 」

 大介は、翻意を促すべきなのか、ここは一度寄り添って話を聞いてみるべきなのか、迷った。しかし、それと同時に自分が貿易商社を辞めたときのことが頭を掠めた。結婚をした柚絵が長期で自宅を空けることが多い大介の仕事に難色を示し、その意向に沿う形で商社を後にしたのだった。その時に、同期入社した友人に辞意を告げたとき、盛んにあの手この手で自分を引きとめたが、けんもほろろに大介はその職場を辞した。他人が一度決めたことなど、外野がいくら言っても変わらないのだ。


 しかし、今の大介にとって、蓮見は掛け替えのない後ろ盾だった。同年代で話の分かる先輩。そして憧れでもあった。見せてもらった授業で、緩急をつけながら子ども達を一つに束ね、進めていく様は大介にはすぐには追いつけそうにない実力の差を見せ付けられ、圧巻だった。目の前に目指すべき目標として背中を見せてくれる何よりの希望でもあった。そんな蓮見を自分は失うことになるのだろうか。告ぐ言葉の見つからない大介をよそに、健太郎は続けた。

「高学年の女子はどう扱っていいかさっぱりわからん。手に負えねえよ」

 健太郎の話ではキャンプの宿泊のグループ決めで、仲の良かった女子グループ三人組を健太郎の判断で、別々の活動班に配置したのだそうだ。それ以降、その三人の女子児童達は、ことある毎に健太郎に反発し、両親に健太郎の悪口を吹聴し、保護者達は校長の宇津木にクレームの電話を入れたそうだった。それを真に受けた宇津木が、健太郎の言い分を聞かずに保護者に謝罪をしたという。

「俺さ、別に教員だけが人生じゃねえって思ってるからさ。こんだけ、一生懸命やってんのに、気に入らねえ教師は目の前から消さねえと気が済まねえんだ。子供も、親もよ。おまけに管理職は、そんな教師を守るどころか、保護者にすり寄るやつらばかりじゃねえか!」


「それはないっすよ、蓮見さん! 一緒に授業研究しましょうよ」

大介は、カウンターの横に座る健太郎の背中を叩いた。健太郎がむせる。

「髙橋さんだって、いるじゃないですか!」

「あの人は雲の上の存在だよ。言ったろ、天才なんだよ。ちょっとやそっとがんばったってまねできやしねーし」

「…まあまあ、蓮見さん、たまにはうまくいかないこともありますよ。俺なんか、そんなことばっかりですし…」

健太郎は、大介の言葉には応えず、視線をまっすぐに向けて、黙っている。

「蓮見さんが辞めちゃったら、俺はどうなんですか? 蓮見さんのこと頼りにしてんすから・・・」

 大介のスマホのバイブレーションが柚絵からの電話を知らせている。

「ほら、お前も俺の話を聞いてる場合じゃねえだろ? 家に帰ってやんないとかわいい嫁さんが泣くだろ」


 健太郎の決意は固く、そして速かった。翌週には辞表を区の教育委員会に提出し、次の土日に職員室にあった自分の荷物をまとめて退職の正式な挨拶もせずに中央小を去っていった。


                  つづく


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