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麒麟の森  作者: 冨永 真一
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恭一のまなざし

 茶畑恭一は、土日は全国から観光や神社仏閣に訪れる人々で街が込み合う土地で、自宅の庭から海が臨める立地にあり比較的裕福な家庭で育った。幼い頃から体格に恵まれていたし、恐れや緊張という類の心理状態とはあまり縁のない気質だった。小学生の時にはよく同級生や年上の男児に絡まれたが、彼らとの喧嘩で負けたことはなかった。


 中高一貫校に進学し、その中でも学業は優秀な方で、父親の勧めもあり剣道部に入った。そこでは文武両道を旨として励んだ。国立の教育大に進み教師を目指した。卒業と同時に教職に就くことを志望したが、その頃はまだ団塊の世代が教職に多く居る頃で正規採用は叶わなかった。それでも、女性教師が妊娠した際に臨時に採用される枠や心身の不調を理由に一時療養の為に休暇を取る教師のかわりに教壇に立つ機会を待って、二十代前半は小学校教師としての経験を積んだ。


 25歳で正規の採用試験に合格すると、学校内での授業研究に熱心に取り組んだ。30代前半で授業研究の主任を任された。その主任を5年ほど務めると、次は3年間の特別支援学校へ人事交換で特別支援学校での指導の経験も積んだ。その期間に、当時はまだ全国的にも希であった特別支援教育士という発達障害や学習障害の児童の分析をし、指導方針を立てることの出来る資格も取得していた。


通常級の小学校に戻ってくると、特別支援コーディネーターを任され、学校内の様々な課題の解決のために教師の支援をする仕事が待っていた。通常、茶畑は担任する学級を持たず、図工や書写という時間数の少ない教科を担当しながら、校長や教頭、養護教諭と連携しながら学校全体のサポートに回るのだった。

 

 そんな恭一も今年で51歳になる。度重なる教頭への昇進の打診も頑なに断り続けてきたのには、訳がある。管理職になると関われなくなる現場の教師や児童との関わりが減ることを固辞してきたのだった。


今日もこうして津村という若い教師と共に医療機関を訪れて医師と子供について意見を交わした。津村は経験はないが子供に対する熱意と最近世間では聞かれなくなりつつある「根性」で、局面を前進させつつある。こういう仕事が茶畑恭一の教師としての情熱を掻き立ててくれるのだった。


「茶畑先生は、雄二のような子どもは受け持ったことはありますか?」


 動き出したバスのつり革につかまった津村は恭一に問いかける。


「いや津村くん、彼のような子は私も初めてだよ。それと、ここでは、個人名は使うのは避けようね」


 暗くなり始めた商店街の道をバスは抜けてゆく。ちょうど帰宅の時間か通りには帰りがけに買い物をして帰る人が目立つ。車道も交通量が多く、進んだかと思うとすぐにスピードダウンする。それからしばらく恭一は津村の質問に答えていた。


「正直言って津村くんが来てくれて非常に助かっているよ。どんな事情か知らないけど、よくうちの学校に来てくれたね」


 今年度は、四月から産休に入る教員がいて、恭一は四月から七月まで彼女が受け持っていた六年生と五年生の理科を教えていた。その為にコーディネーターの職務を果たせていたかというと自信がない。彼女の代わりに理科をもてる一旦退職した再任用の教師が九月から入ってきてくれた。


「ここまでよく持ちこたえてくれて感謝してるよ」


そう言う恭一を津村は、じっと見つめている。


恭一は津村が相当にタフな教師生活をスタートさせていることを知った上で、自分がこの立場だったらきっと投げ出しているだろうとさえ感じながら、自分よりも一回り身体の小さな青年の湧き出る力にかけてみようと改めて思った。


                 つづく


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