先輩蓮見健太郎
「適当でいんだよ」
「え? でも、後で見落としが見つか」
「なことあるわけねぇ」
蓮見健太郎は大介の言葉を遮った。大介が救いを求めたのは、六年生担任の二十代後半の同世代の先輩だった。動きが素早く早口だが、仕事が出来るのは一見してわかる。クラスも落ち着いていているし、そのクラスの子達はいつも笑顔で廊下を早足で歩いている。
「いちいちチマチマしたことに時間かけてるから肝心な仕事に時間がまわんねぇ」
蓮見は早口だが滑らか。淀みなく流れるように話す。要領を得た話し方はいかにも切れ者を思わせた。蓮見健太郎は職員の中で浮いていて一匹狼のような近寄りづらさを放っていた。
そんな蓮見と大介は、社会の教科部会で一緒だった。今日は総括教諭が出張でおらず、二人だけで社会科教具の整理とチェックをしていた。
「子どもと向き合う時間を作るために少々の手抜きは許されるんだよ」
「そんなもんすか」
呑めない理屈のような気がしたが、一理あると大介は思う。多くの事務作業や報告書や計画書の作成に忙殺されているのが教員の現状だ。
「海外の教員はこんな学校の備品管理なんかやらねぇよ。教えるだけに専念してる」
「そんなもんすか」
「日本の教員が一番労働時間が長いのは知られた話な。それくらい知ってたろ?」
「いえ、はじめて聞きました。そもそも海外の教員のことなんて考えてみたこともないっすね」
「新聞読め。教員は悪人ではないが視野が狭い」
「そうですか、確かに」
「悪意はないが、教師は鈍感で視野が狭くて、判断力が低い。どうしてそうなると思う?」
「はぁ・・・・・・」
「こんなこと話していても時間がもったいねぇだけだ。ここにある備品なんて、みんなたっぷり埃かぶってるんだから、全部使われてないはず。ノートにチェックしたことにして、今日の日付を書いておけばいい」
「はい」
翌週の日曜日、大介は蓮見に誘われて東京に来ていた。面倒なクラスを任されて気の毒だからいくつか教師としてのポイントを教えてくれるという蓮見の言葉に飛びついた。面倒という形容でこと足りているのだろうか。ひどいクラスの状態だった。
授業中に私語は止まない。
紙飛行機が飛べばまだましで、消しゴムや鉛筆など飛ばす目的ではないものまで飛んでいる。数名の子どもだけが大介の話を懸命に聞こうとしているのが逆に痛かった。教卓の前に立つのが怖くなりかけている自分に気づいたのは一ヶ月ほど経った先週の水曜日。翌日の金曜日朝には職員室で準備中に吐き気をもよおし便所で吐いた。
東京駅の八重洲口の九階建ビルの前には、朝八時前から五十人以上の列が出来ていた。最後尾に案内人がいて、“第八回教え方セミナー”と書かれたプラカードを掲げている。
「一時間も前からこんなに並んでるんですね」
「全国から泊り込みで来てるからな」
「マジっすか!」
列の前方に視線を向けると、いくつものキャリーバックが目に入ってきた。
「そういうのもさ、俺から言われる前に気づかなきゃ」
「瞬時に、状況を捉えられる能力。教師に欠けていちゃ困る。どれくらいの人が何時間前から並んでいて、どのくらい遠くから来ているのか。それでこの集まりの価値が想像できるだろ」
「そうっすねぇ」
大介は顎鬚に手をやりながら、蓮見の言葉に感嘆する。
「できれば、ここに並んでいる人たちの教師としての腕まで見切れるくらいになるといいけどな」
「そっそんなことできるもんすか!」
「まず、待ち時間に読んでいる本で分かる。初心者レベルが読む本を読んでるやつが力のある教師のはずがない」
「うん」
「白髪が混じりかけてきた年齢でセミナーに来ている人は、よっぽど貪欲な教師か、転職したてのど素人教師か、暇人かのどれかだ」
「うん」
「先輩に対する相槌に『うん』はまずい。『ええ』とか『はい』とは『はあ』だ。
「はい」
「若くてスマホいじりに興じているやつは学生に毛が生えた程度のお気楽な新米教師。若くても苦労しているやつは、このセミナー前の時間にでも何かを吸収しようとしてるはずだ」
大介は蓮見の立て板に水の口上とも思える話を聞きながら列を眺めていた。確かにそれぞれに思い思いのやり方で待ち時間を過ごしている。そんなところからもその人達の生活や背景が透けて見えるという蓮見の教えに感じ入った。
「で、どうして蓮見さんはそんな人を品定めみたいなことしてるんですか?」
「理由は二つ。なんだと思う」
「・・・・・・」
「沈黙はできないやつの持ち物だ」
「いや、急にそんなこと聞かれても、なんも言えないっす」
「考えるんだ。しかも瞬時に考えて、それなりの考えを持つトレーニングを積んでおく。授業中に、想定しなかった子どもの発言をいかにうまく拾って授業に活かしていくか、それで授業は生きもするし死にもする。死んだ授業ばかりしている担任のクラスは荒れる。そうやって即時的に対応する力はどうやって養う? 会話でも相手が想定しない言葉を吐いてきた時なんか最良のチャンスだ。覚えておきな」
「はあ」
「できそうな人が見つかれば、その人の隣でセミナーを受ける」
「なるほど!」
「『なるほど』で終らずに、何か一言付け加えろ」
「・・・・・・何か学べるというわけですね」
「その調子だ。その一言があるだけで相手との会話は厚みをもっていく。講座の感想でも、意見でもなんでもいい。交換するだけでも得るものはあるし、つっこんでいろいろ訊ける機会もあるだろう。自分の意見を提示してみて議論できればなおのこといい。お互いの地域の事情を交換するだけでも視野が広がる」
「二つ目は?」
「人を見抜く目を養う。考えているだけだから、正解はわからんよ。もしかしたらさっき俺が言ったも単なる思い込みも含まれてるだろう。でもな、見ようと思わないものは永遠に見えてこない。見ようと目を凝らせば、自然とついてくる力はある。それを日常的に心がけるんだ。教師の力は人を見る目で決まると俺は思っている。人を見る目にさまざまな能力が掛け合わされて教師力が決まる。見る目がゼロなら、他をいくら高めても教師力はゼロだ。教師を辞めて新しく職を見つける方が社会のためだ。見る目が高まれば、自然と教師力は高まる。子どもの健康状態しかり、心理状態しかり、家庭環境しかり、親の子どもへの関わり方しかり、全て直接見えていないものを、見えているところから想像していくしかない。その力は日ごろから養っておく。もともとの資質もあるが、まぁ五年もすれば人並みの教師は超えられるだろ」
つづく




