髙橋の矜持
「もう、大人が待ってやれなくなってるのが一番大きな問題なんです」
「待つ?」
「僕が子供の頃は、安心して子供でいられましたね。『子供でいる』ということは失敗ができるとか、悪さができるということです。今の子は、叱られないとか、厳しくしつけられていないなんていうけど、ぼくは違うと思うね」
「そうですかねぇ。厳しく躾けられていないからだめなんじゃないんですか」
「ぼくは野球少年でした」
髙橋は、メガネを指で直しながら、続ける。目に光が満ちる。髙橋が語り始めるスイッチが入ったサインだ。
「だから道に石なんか見つけると、もう投げることしか考えない。当時この辺りにもたくさん畑がありました。茄子なんかがなっていると、野球少年達からすると、もう格好の標的なわけです。友達と二、三人で勝負する。誰が最初に茄子に当てるか。騒いでいるうちに大人に見つかって叱られる。そしてもうしないと誓うんですね。でも数日するとまた同じことがやりたくなる。今度は用心して見つからないように始めるんだけど、そのうち興奮してきて大騒ぎになる。するとまた大人に見つかって叱られる。二度目だからそうとうこっぴどくやられる。殴られることだってある。でも文句は言えないわけです」
少年時代を思い出しているのか、髙橋は教室の真ん中の何もない空間に、視線を投げるように向けている。
大介は髙橋少年が帽子を被って、畑の茄子目掛けて意志を投げ込んでいる姿を思い浮かべる。
「もう絶対しないと誓うんです。今度は本当に自分の心にも嘘はつかないぞと。でも一週間くらいすると、友達が誘ってくるんですね。最初は断っていた僕も、再三再四友達からあの手この手で誘われると弱い。結局やらされるはめになる。それを見つけた農家のおやじに首根っこ掴まれた時の心境ったらないね。全身の毛穴から汗が吹き上げる。下腹部からしたの力が抜けるね。もうこれ以上ないっていうくらいの本当の怒りに触れる。大人の本当の怒りにね。それ以来その畑では石投げは絶対にしなくなる」
「洋一少年も、なかなかしぶといですね」
「そうですよ。子供は本来しぶとい。っていうか物分りが悪いんです。でもそれは子供の特権だと思う。そうして、善悪を理屈の理解から、本当の腹の底での理解に落としてくんです。善悪ってのは、単なるお題目ではなくて、損得勘定や実利に適っている部分もある。人に迷惑をかけてはいけないっていうこともそう、そして人を怒らせたり、攻撃的にしたり、そして悪さをしていると最後に困るのは自分だということ。痛い目をみたくなかったら、大人の言うこと、つまり社会のルールを信じてみることも必要だなって」
「なるほど」
「少年のぼくは、結果的に目イッパイ石投げができた」
「子供なりの充足感を得ているわけですね」大介は頷きながら言う。
「そう、それが大切なんだ。満ち足りた感。それを一方で抱きながら、教えられると理解がより深まるんです。子供だけではない、大人も含めてね。人間ってみんなそうだ」
「確かにそうですね。大人でも同じかも」
「でも、今うちの学校の子供たちが僕と同じことをしてごらん。どうなる?」
「まず、即刻職員室に電話がかかってきますね。何年何組のだれそれが、こんな悪事を働いていた。学校の方でしかるべき対応をとれと。早朝から苦情の電話ばっかですよ。我々朝は落ち着いて仕事なんかできやしない」
「そうですね。すると学年の主任に報告が行き、学年全体に指導が入り、重罪を犯した当人たちは担任から厳しい叱責を受け、家に帰ると親からも叱られる。複数の大人から、ガンガンやられる。悪さをしたら、大人が、正義が許してはおかないぞと」
大介は思わず唸る。
「たしかに、悪いことは悪い。よいことはよいと、教えることは大切です。それが教育の根幹をなしていることを否定するつもりはない。ただ、それを分からしめることは、そう簡単ではない。それが証拠に犯罪者のほとんどが大人だ。大人はそんなこと理屈ではとっくに分かっている。薬物はいかんと分かっていても手を出してしまう。単純なことを分からせることは、その分難しいんです。だから子供には、何度も何度も失敗させて、分からせるチャンスを与える。それも人を育てる上で忘れてはならないことだと思うんです」
「たしかに今と昔ではだいぶ違う」
「そうでしょう。今の子は一度の過ちで、大人たちに。こっぴどく分からされた子供たちに、二度目のチャンスはない」
「昔の子ってぜいたくですね」
「そうなんです。実に贅沢な子供たちでした。子供として与えられた時間が今よりずっと長かった。調理法に喩えるならば、子供時代という鍋の中で弱火でじっくりことこといろいろなことを煮込まれて、成長していったんです」
「今の子は、強火で一気に焼かれる」大介は笑いながら泣きたくなった。
「だから中は生煮えです。火の通らないまま、レアの状態で大人にさせられちゃうんですね」
「大人は勝手になりましたね」
「でも、今の大人にも言い分はある」
「どんな?」
「それどころじゃないってね。仕事は忙しいし、なんといっても時間に追われている。そのストレスや疲れは半端なものじゃない。だから子供には一度言ったことは守ってもらわないと都合が悪い。子供を育てるためのお金を稼ぐためにも働いているんだって」
「教師はもっと余裕を持ちたいですけどね」
「そういう気持ちを持とうとするだけでも素晴らしい教師だ。だって、今じゃどこで起きたいじめも教師に責任が問われる時代になった。放課後だろうか、ネットの掲示板やラインだろうがね」
「え!? そうなんすか?」
「そうでしたか、知りませんか。いじめ防止基本法って法律聞いたことありませんか?」
「なんか、聞いたことはあります」
「児童や生徒が起こしたいじめと認められる行為は、それが学校の外であろうが、休日であろうが、教師が把握ししかるべき対応を講じて防がねばなりません」
「・・・・・・」
「だから、教師も疑心暗鬼になって当然です。保護者からのクレームに怯え、地域からの通報に戦々恐々とし、いじめの兆候には常に敏感でなければならない。そんな状態で、子供の悪事や失敗を大らかな気持ちで見てやれというほうができない相談だ」
「ん・・・・・・」
「そんな大人たちの事情が全部折り重なって子供に圧し掛かってくる。いつの時代も、大人の事情によって 弾力性が失われているのは確かですね。転んで手を突いたときに、軟らかく弾力性のあるマットの上なら怪我はしません。それが硬いコンクリートだったら結果は変わってきますね」
「子供も大変なんですね」
「そういう時代です」
「どうすればいいんです?」
「教師が変わらなければなりません、時代の矛盾を受け止めてなお、子供や保護者に希望を示せるだけの実力をつけるのです」
つづく




