第十七話 時と愛と貴方と その七
エンドスは今まさに、ラフレアが人間に剣を振るおうとしたその瞬間に、その剣を弾いて、人間を守った。
彼の背に傷が出来た。
彼は振り返った。
ラフレアの血みなぎる表情と、エンドスの酷く冷静な表情がその時、その瞬間の『争い』のターニングポイントになった。
幾重にも重なったループの先で、ハーナンが気づいた。
エンドスの顔は、アイゼと同じように冷静そのもの。
視線の先には。
女神ヒルワンが未来へ辿り着いた。
目の前で待ち構えていたのは、大勢の黒い服を身に纏った人々と、ただ一人、大剣を構える少年。
顔が黒焦げのその女神は、美しさなど微塵もなく、己が起こした多くの過ちを忘れ、その下卑た表情に、アイゼの心は、ハーナンを取り戻すため、その握る手に力を込めた。
「あああぁぁぁぁあああっっ!!!!」
しなる剣は、女神の首を、鋭く狙った。
「『ダーケンスト。闇の中で舞え。』」
声がおどろおどろしく、音が壊滅的なヒルワンの声が、魔法を唱えた。
アイゼの剣が、唐突に重くなる。
闇魔法は剣をアイゼから離した。
アイゼは、離れた。その剣が、語りかけてくれる。父親が、彼女を守る方法を。
「あひゃひゃひゃひゃ! これがお前の剣か。」
落ちた剣を握り拾った。剣を持たない剣士は、何も持たないただの人間。
「こんなもの! 塵にしてやる!」
ヒルワンが炎魔法を唱えた。
「『ファイヤルーン。』」
剣は燃え、なかった。炎を吸収し、剣そのものを、熱く煮えたぎらせ、それはヒルワンの手を燃えさせた。
「あああああぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」
剣を捨て、腕を押さえた。
「はぁはぁ……。お父様の、剣?!」
ヒルワンは絶望した顔をする。
エンドスの剣は、焔の剣と呼ばれ。
熱を吸収し、その力を相手に与えるという。
――そんな。お父様も人間の味方を?!
ヒルワンは、自分を愛してくれない両親に嫌悪を抱いて人の世界へと降りた。
己が間違いだと認めたくない。
矮小な存在だと思われたくない。
神々が残したどの存在よりも哀れだと、思われたくない。
ヒルワンが望んだことは、両親に愛されること、ただ一つ。
「っっ、は、ハハハハハ……。お父様は人間になられたの? わたくしよりも下等な。は、ハハハ、ハハハハハ……。」
乾いた笑いは、壊れていくヒルワンから奏でられる。
「……。エンドス師匠は、誰よりもお前のことを愛しているよ。」
ヒルワンにアイゼが小さく呟いた。
アイゼは、剣がそうなると教えてくれていた。
彼の想いに気づけば、彼女は燃えさかることもなかった。傷つくこともなかった。
「ハハハハ……。何が分かるの?」
ヒルワンは、恐ろしい顔で見つめる。
「師匠は、お前のことを、俺に任せると言った。俺にその剣を渡して。娘は、愛を探していると。」
ヒルワンは焼けた瞼の奥にキラキラと輝く瞳で、アイゼの言葉と、父親の面影が残る剣を見て、小さく言った。
「……。愛されたい。愛してくれる? 愛してくれていた。」
ヒルワンは、もう、勝ち目のない戦いを、出来ないと理解した。
「お父様は、どこ?」
ぼろぼろの彼女は、涙で見えない父親を探した。
彼女の傷は、そう簡単に治らない。治せない。
愛を知ったから。
愛が、彼女の傷を広げ、心にしまったたくさんの想いを吐き出している。
失った心に、最愛を探し、手を伸ばした。
父親は、傷にガーゼを巻いていて、そっと娘の腕をとった。
「師匠。」
アイゼは少しだけ嬉しさを感じた。エンドスは、ヒルワンのもとに来ないと思っていたから。
「探したよ、ヒルワン。」
エンドスの父親としての声は、とても安心させる声で。
愛する娘の身体を気遣い、優しく抱き上げると。揃っていた国の長とその関係者に、深々と頭を下げた。
ヒルワンが女神という存在から、人間に堕ちたのは、焔の剣によって。
焔の剣は、神という姿を燃やし、人間という新たな姿にヒルワンを変えた。
――師匠は、こうなると思った。こうしたかった。だから。
アイゼは国の長と視線を交わし、走り出した。
アイゼの愛する人が、戻ってくる場所に。
愛は、必ず。
その剣も。
その銃も。
その槍も。
どんな防具すら。
必要ない。
ただ、求めた者が知る。
人は愛を知り、愛のために戦い、愛のために勝つ。
拳はいらない。
持っているその心さえあれば、誰もが愛を持ち得る。
詩が歌われ、叫ぶ気持ちは世界の果てよりも、海の向こうよりも、空の向こうよりも、ずっとそばにいる。
貴方が欲しい。貴方の為に生きたい。
愛の賛歌が歌われ、己の心に愛を注げ。
物語は、貴方と共にあり、貴方の心のそばにある。
愛のために、己を捨てる覚悟はあるか?
エンドスは、己を盾にして、人間を庇い、その視線は、空の向こうだった。
「お前……。」
ラフレアは血が上り、その剣を振りかざそうとした。
歌が聞こえた。穏やかな春の歌。
ラフレアは見上げた。天界は遙か遠い空の向こう。
「堕ち……た?」
ようやく、ラフレアは気がついた。
「あ、ああああぁぁぁあぁああ!!!」
空が割れ、ラフレアは理解した。
――おやめなさい、ラフレア。
女神フローリアが穏やかに言った。
堕ちた神々は、いや、人間になったその人々は、この争いの意味を理解する。
誰もが平等に生きるべき人間になった彼らは、同じ人間と争うべきではない。
天界は遙か向こうで閉ざされ、人々はもう戻れぬ場所。
静かで、ずっと穏やかだったその場所に、戻れることはない。
――愛を知りなさい。生きるということをよく知るのです。
女神フローリアは、愛を知っている。人間が罪を犯しても、愛だけは失わない。
恵まれたその力を、フローリアだけが知っていた。
争いは終わった。
いくつもの物語の中で、このループだけが違った。
――愛の女神、フローリア。貴方は、そこに留まった。そこに留まった……?
ハーナンは、ようやく、気がついた。
――終わった。全てが、終わった。争いはいつも神々の勝利だった。生きる者を焼き尽くしたエンドスが、戦を、止めた。
ハーナンは、泣き続けるエルディラと、時が止まったジルドを見た。
――今なら。今ならきっと……。
ハーナンは、エルディラとジルドのもとに駆け寄った。
ひまわりが、守っていた二人を、ハーナンが触れた。
「『息吹よ、命の息吹よ。ハーレアン。』」
命を吹き込む。
エルディラもジルドも変わらない。
「お願い、時の中にいる私たち。力を貸して。彼らは生きるべきよ!」
ひまわりの中に眠る、いくつものハーナンが輝いた。
ひまわりが明るい太陽のように、輝きを放つ。
時を越え、次元を越え、世界を越え、風が吹いた。
吹き荒れる風がエルディラとジルドに吹き込む。
――命の息吹よ、愛の賛歌を!
女神フローリアが荘厳な歌と共に、天界からも力を貸した。
「我も貸そう。」
ダハネスが大きな声で、聖なる歌の魔法を唱える。
「……。歌おう。」
エンドスが魔力を伴う歌を、重ねる。
もと神々たちも、同じように魔力を伴う歌を歌った。
力が命を灯すために輝く。
ひまわりの力は徐々に上がっていく。
――私は、愛を知っている。けれど、愛よりも深い感情が今ここにある。
ラフレアは、己の命の代わりに、二人に命を与えると決断した。
――魔力の溜まった今、私は。
ラフレアは、己の魂を二つに別け、新たな命のために死を選んだ。
そのとき。
ダハネスが彼女にそっと触れた。共に逝くと。
――あぁ……。愚かだったのに。
――愛はどこにでも咲く。死の先にも。
二人は、愛を託し、消えた。
宿った命のその先を知らなくても、彼らは、死の先で、愛のためにいきるから。
『愛の賛歌』
歌が、響くその先まで。




