第十五話 時と愛と貴方と その五
神ダハネス。
筋骨隆々の肉体と、三対の腕。
かつて化け物と呼ばれた音の神は、ハーナンの横に現れた。
ダハネスは笑った。
「詩って貰おうか、神々よ!」
太鼓と胡弓と尺八が音を出す。
音色は穏やかで荘厳。そして、神々へ郷愁を誘った。
「止めるのだ! ダハネス!」
女神ラフレアが叫んだ。彼女が耳を塞いだ。己の心に纏わり付く、深い傷。
命の女神が神ダハネスを愛した一生が蘇る。
神々の愛は、一瞬で過ぎ去る。
ラフレアは違った。ダハネスを愛した心が消え去ることが無かった。
失いたくない。彼が消え去ることも、いなくなることも。
命の女神は、ダハネスを取り逃がしたくなくて、彼を地上に降ろした。地上で神は、自由になれないから。いずれ、ラフレアを求める。
心から離れないダハネスの想いを払拭しようとして、別の神と愛を語らおうとした。
その心に残るダハネスの想いを消せないラフレアは、やがて、命を生み出すだけの心を閉ざした女神となった。
――愛とは人間という愚かなものが抱えるもの。わたくしはそのようなものを持ち合わせない。愛が本物かどうかすら分からない。人間は迷うときに嘘をつき、恋という夢を見る。わたくしは……。愛を知らない。
蘇るその想いが、ダハネスへの愛だと気づきたくない。
知っているから、愛の女神はラフレアに言った。
『愛なんてどこにでもある。貴方はご自分の胸の中をよくよく、みるといいのよ。』
神らしからぬ感情を捨てたと、ラフレアは思っていた。
目の前のダハネスを見て、愛とは何かで覆い隠せるものではないと、はっきりと自覚した。
「止めて! ダハネス!」
ラフレアは地上に堕ちた彼のことを忘れたふりをして、けれど、愛が残った心は求めていた。求め続けていた。
『愛はどこにでも、咲くのよ。』
フローリアの言葉が耳に残った。
「あああぁぁあぁああああああ!!!!!」
ラフレアの叫び声が、ダハネスの音と共鳴し、嵐を呼ぶ。
吹き荒れる雨の中、ひまわりの園を守るために、ハーナンは唱えた。
「『ウオールオン・シールド! 撒かれた楔に鉄槌を!』」
鋼の巨大な杭が四方に広がり、巨大な傘となる。杭のあいだにひかれた魔法が、嵐から花々を守り、人々の心に問いかけた。
「私は、この世界を守る!」
ハーナンの言葉がその場にいる人間と魔法使いへの隔たりを消した。
「生きて良いよね? 生きるのに性別も種族も、そして、時代も関係ない!」
「一緒に! 一緒に戦いましょう!」
アルシャナ王妃がハーナンに応えた。
彼女も老体であった。けれど、愛した夫が争いの中にいて、何故逃げる? と問い、こうして参戦した。
その手には己を守るため、夫を守るために手にした剣があった。
「わたくしは、生涯夫のために、この手で民を守る。そこには貴方も含まれる。」
彼女は戦士だった。愛を知ったのは、ディザーという風変わりな魔法使いにたいして。一目見て、一生涯尽くして行こうと思えた。
今も、愛している。そこに微塵の迷いもない。
「剣を持つものたちよ、続きなさい! 神は我ら人間に喧嘩しに来た! 恐れる理由はありません! この世界の魔法使いは我々と手を取り合ってくれる!」
アルシャナは剣を掲げた。
どどぉぉぉぉん……
稲光がその剣に力を与えた。
堕ちた光は未来へと引き継がれる。
エンドスは、アイゼの稽古、いや。アイゼに全ての剣を教えるため、己を最大限研ぎ澄まし、アイゼを叩きのめそうとした。
アイゼは、それに応えた。エンドスの一手、その一手先を読みながら、剣先を変えた。
鋭い打ち合い。
鳴り響く剣と剣の弾かれる音。
――私は。
エンドスは、目の前に立つ勇気ある少年に、己が招いた種を背負わせ、その十字架を己が背負わせたことを、酷く、後悔し、酷く、喜びに満ちていた。
流れるように切っ先が、エンドスの首をかすめる。
――私は、待っていた。
エンドスが彼の背後に移動する。速さが徐々にあがる。
アイゼもまた、その動きにあわせて移動した。流れるような、風が吹き、汗が目の前を過ぎていく。
――俺は。
アイゼは、目の前で交わす剣を、踊るように走らせた。
――俺は、師匠の背中を見ていた。
傷が残るその背中を。誰よりも優しいその背中を。
剣が、走り、アイゼの顔を切る。滑るようにその剣が弾かれ、エンドスの手を抉った。
おおきな音と共に静けさだけが、道場内の張り詰めた空気を鎮めていく。
「行きなさい、アイゼ。お前のその力以上に教えることはない。」
エンドスの右肘から下には、大量の血が流れて出ている。深い傷口を押さえようともせず、エンドスは満足そうに笑った。
負けたから笑った。勝とうとして、負けた。
心に残った全てを吐き出した笑顔は、眩しいくらいに、人間と同じだった。
「師匠、ありがとうございました!!」
アイゼはしっかりと頭下げた。彼の流れた血の分だけ、アイゼは命の尊さを理解した。
「過去も未来も救う。約束のために。」
アイゼは、エンドスから貰った大きな剣を抱えて、急いだ。
――ハーナン。君はあの時から知っていた。君が過去へ行ってしまうこと。ひまわりの園が、はじまりだった――。
アイゼは、遠い日の宝物である思い出を滲む目の向こう側に映した。
二人が幼い頃から遊んだ、その場所は。
ハーナンの運命と、歯車を狂わせていく。
ハーナンとは隣人の幼なじみ。
アイゼは幼少期の彼女に好意を抱いていた。
魔法使いの彼女が使う魔法は、そこまで強くなく、だからアイゼはいつも言った。
『俺が、ハーナンを守るために剣を磨くよ!』
アイゼは剣を習い始めた。きっかけは、愛する人がいたから。
アイゼは強くなるために、ハーナンの家へと遊びに行った。
ハーナンはいつも微笑んで家の中でお礼を言ってくれた。
やがて、玄関で会うことしかできなくなり、徐々に彼女は玄関にもいれてくれなくなった。
アイゼの大好きなハーナンは学校に入学してからも同じだった。
声をかけようとしても、ハーナンは別の人と会話し、遠巻きに見てくるだけ。
――俺が何かをしたのか?
アイゼの後悔と、心に残るいくつもの記憶に埋もれた過去を思い返した。
二人が離れたきっかけを知ったのは、ハーナンが魔法使いの学校へ行く直前。
ハーナンの運命の日。
アイゼは声をかけたくて、すぐそばで待っていた。
国の長の漆黒に塗り潰された車が、ハーナンの家の前で止まり、ハーナンに仰々しくお辞儀していた。
アイゼは耳をすまして聞いた。
「ハーナン様。この国の為に、散っていただけるでしょうか?」
冷たい言葉。けれどその願いは、この世界のため。
――ハーナンが、死ぬ?
アイゼは飛び出した。




