第十二話 時と愛と貴方と その二
別れの日。
アイゼは何度も止めようとした。両親も国の長も、何も言えなかった。何も出来なかった。
彼が好きだ。それを言ったらどうなってしまう?
心の底で天秤にかけた。
己が意地でも別れを告げることで彼はきっと諦めてくれる。
――愛がそこにあっても。
「私が、行かないと。」
アイゼの顔が歪んだ。泣きそうになるといつもそうだった。
――先に泣かないで。私は貴方の乙女だよ。
アイゼが言う。
「行くなよ、ハーナン。お前、死んじまうんだぞ!」
アイゼは、止めようと必死だった。
愛はここにあった。ハーナンがそこにいたのに。自分は彼女に置いて行かれるのか。
「そうだね。」
「そうだね、じゃ、ねーよ!」
アイゼは、ハーナンの肩を揺すった。近づけば分かる。見えないように、見ないように。彼女は唇を噛み締めている。
――あぁ、なんで? とても優しい香りがするの。
至近距離の彼を最後まで見ていられなかった。
「俺は、お前と離れるなんて、やだかんな!」
振りほどいだ肩も、今度は腕にしがみつかれた。
熱を持った彼の温かな手が、心の底に眠った『行きたくない』が戻ってくる。
「・・・・・・!」
目を開いて、アイゼの顔を見た。
愛はここにある。
アイゼが言おうとしている。言ってはいけない言葉を。
「俺は、俺は・・・・・・。」
アイゼの言葉を切り裂いた。
「もう、子供じゃないんだから。私は、決めたのよ。」
ハーナンは、彼の後ろに立っている、細身でいつもは硬い表情の父が、みたことないほど泣きはらした目で、じっと見つめている。
別れを惜しんでいる。黙ったまま。
「お父さん。お母さんを大切にね。」
ハーナンは、親に別れを言わないといけない。
「父さんはあんたを心配して、あたしも・・・・・・。」
泣き出す母親。愛し合った二人見て育った私は、別れるアイゼに目を移した。
笑顔で。笑って。笑えていたかな?
「アイゼ。私、私ね。あんたのことが好きだったよ。」
アイゼは固まった。死にそうな顔で、首を振る。
「嘘だ・・・・・・。」
徐々に彼は、その手をもう一度ハーナンの腕を掴んだ。
「嘘じゃないよ。最後に言わせて。す・・・・・・」
ハーナンは笑った。涙で溢れた顔で。言おうとした。
「俺の方がもっと好きだったんだぞ!」
真っ赤になったアイゼの顔がぐしゃぐしゃで、でも分かる。彼は怒っていた。
「なんでだよ! なんで最後になって言うんだよ! 俺は諦めないからな! 俺は、絶対に、諦めないからな!」
アイゼの顔が迫って、ぶつかるようなキスをした。
痛いのに、優しいと感じるのは何故だろう?
「なぁ! だから、絶対に忘れるなよ! 俺は諦めないからな!」
腕に抱かれ、これまでにないほど幸せを感じた。
優しく、泣きながら、彼は抱きしめてくれた。
愛はここにあるのに。
世界は何で、こんなにも暗いの。
別れが、もうすぐそこにある。
行きたくない。
彼は己の剣を携えて、共に最後までいてくれる。
「アイゼ・・・・・・。」
別れの時、アイゼはずっと己の剣を握りしめていた。
彼は約束した。
彼が未来を守ると。
だから、戻ってこい、と。
「・・・・・・ハーナン様。よろしく、お願いいたします。」
国の長が、頭を下げる。
たった一人の少女が命をかける。
その重みに、長はそれだけしかできない己と、少女の想い人の想いに対して、その言葉でしか伝えられなかった。
愛はここにある。
長は、アイゼに秘密を打ち明けることを約束した。
ひまわりの園で、その儀式が終わる。
晴れた空と、曇り空の顔をしたアイゼが、ハーナンだけをみていた。
「『サファルーン、愛の種を』」
それが、合図になった。
巨大な時を巻き戻す力が、ハーナンの身体に埋もれた『女神』の力を発動させた。
魔法が、ハーナンを解き放った。背後で叫び声が聞こえて、小さく笑った。
『愛は人に生まれ・・・・・・。』
愛の賛歌が流れる。ハーナンが好きな歌。
「最後だったから、言えたんだよ、アイゼ。」
愛する者と別れたハーナンが、溢した愚痴。
愛はあるのに、残酷な世界は二人を引き裂いて。
――探しましょう。ターニングポイントを。未来のため。そして、アイゼのために。
ハーナンは過去の偉人達の様子を見つめる。
彼女は、自分が出来る今を、未来の為、そして、今現在生きるこの時間の人々の為に、命を捧げる。
ディザーは他人の視線に興味を持たないようにしている。彼は己が好かれやすいことに気づいていたし、だからといって国の政で出会う為政者たちと語らうことは必要だった。
特に、ローリエンド帝国の皇帝とはよく語り合った。彼は人を見る目があったし、己と同じ魔法使いだった。
――想像以上に長話が過ぎたか。
二人は国と国のあいだのひまわりの園でよく語り合い、空が白けるまで一緒にいた。妻に出会うまでとお互い決めたその密会場所に美しい女性が舞い降りた。
唾を飲み込み、食い入るように見つめ、そして青ざめる。
――女神・・・・・・!
魔法使いは、神々に嫌われた。
魔法は神が使うもの。
人間の紛い物。なじられた単語は数知れず。
女神は、二人を見つけると微笑んだ。
「わたくしの伴侶になってくださりますか?」
うららかな声。鳥が集まり、女神に囀る。
「・・・・・・。お帰りくださいませ。ここは地上。貴方のような存在が来てはいけない。」
皇帝カガーリィは震える声で言った。
「あら?わたくしの子供を作れるのよ?歓迎しなさいな。」
女神は艶めかしい姿を顕わにし、迫る。
――ここね。
瞬間。ハーナンが、次元の狭間から現れ、女神ヒルワンの首を掴んだ。
「きゃあああ!」
突然現れた少女。驚くカガーリィに反して、ディザーの瞳に正気が戻った。
「捕まえたわ、お化けお姉さん!」
ハーナンは笑った。
「き、貴様! 美しきわたくしに!」
天女のような声は消え、荒い声でハーナンの腕を掴んだ。
「アハハハ! 愚かね、馬鹿なヒルワン!」
ハーナンは唱える。
「『ファイアガン!』」
炎が女神の頭を燃やす。
「あぁぁぁぁあああああ!!!!」
女神のつんざくような悲鳴が、ひまわりの園に轟く。
黒焦げの頭から、言葉が紡がれる。
「ひゃひゃひゃひゃ・・・・・・。あたくしの顔を、よくもよくもよくも!!!!」
女神は、ハーナンの腕を捻じ曲げようとした。
「『アイスダイス!』」
それよりも先にディザーが魔法を放った。女神の腕が凍り付く。
「魔法使い・・・…?」
ヒルワンの睨む顔。ターゲットがディザーに変更される。
「そうよ! 私たちは魔法使い。ずっとずっと。貴方のせいで未来が大変になるわ。だから、先に、死んで!」
無詠唱による重力魔法。魔法使いでもかなり鍛練を積んだ者のみが扱える。
ヒルワンの身体は、重力によってかけられた負荷で潰れていく。
ヒルワンは、ゾッとするような顔で、ハーナンを見た。
「ひゃひゃひゃひゃ。未来? 未来から来たの? 未来に行ってやるわ!でも、あたくしは……。」
ハーナンは満面の笑みを湛えた。
「えぇ、行きなさい? お前という悪神が消えれば、この世界は全うになるんだから!」
高らかに宣言した。
――アイゼ。お願いね――。
心で祈った。
「ひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」
ヒルワンのゾッとする声が、消えた。
ひまわりの園は燃えなかった。あの日、彼女がここで燃やしたひまわりが、並んでいる。
全ての、はじまり。
いくつもの平行世界といくつものループ。
そして、終りになるために。
――黒の塔がここで造られた。けれど、もう二度と。ここには何も――。
祈りではなく、ハーナンがその地に立ち、彼女の想いが築きあげる。
そのために、ここへ来た。
そのための――。




