《ゆづ、異界に立つ》14/20 ゆづ、熊に出くわす
私はね、人を殺すのが大好きで、恋していて愛しているの。あっ!? 拷問も大好きだよ─────『オーバーロード』
「標的補足!」「発砲!」
〝パンパンッ〟
「!?」「お、おぉ………」
「…………」「…………」「…………」
「完了!」「残弾二!」
「…………」「よく当たるな、相変わらず」「あんな遠いとこ………」
「…………」「………はいこれ、」
と言ってどすえちゃん先輩が替えのマガジンを手渡してくれた。
「あ、ありがとう、どすえちゃん」
「うん」「まだあるから、全然替えたらええよ」
「はい!」「装填!」
「…………」「それ何なの?さっきから」
「…………」「完了!」「………えっ?」
「…………」「…………」「…………」
「その、声に出して言うやつ」
「…………」「…………」「…………」
「………?」「え、だって」「危ないじゃないですか。装填中、敵に狙われたら………」
「いやまあ、そうなんだろうけどさ………」
「まあええやんか、分かり易うて」
「…………」「…………」「…………」「…………」
さっきから何発か撃ってみた感じ、やっぱりこの銃はあまりいい銃ではないようだった。
銃自体の性能はさておきコンディションが最悪で、下ろしたきりろくに使用もされていなければ手入れ・調整もされていないのが手に取るように分かった。
特に、発砲時に弾が引っ掛かる感じがするのがすごく不安。
…………〝弾を吐き慣れていない〟。
一言で言えばそんな印象の銃だった。
「………いやしかし、びっくりやわ、ゆづちゃん」
「………え?」
「こんな出来る子やと思わへんかった」
「…………」「?」
どすえちゃん先輩は15mぐらい先の石畳の上に倒れている、今私が倒した兵士と私が手に持っている銃を交互に見比べながら言った。
「だろ?凄いんだ、うちのゆづは」
「…………」「えぇ?」
「………いや、」「あれ当てんのはマジで凄い………」「横に走っとったもんね?今」
「うん………走ってたな」
「あの距離でのそれをそんなゴミみたいな銃で………」
「うん。」「………っおい!」
「…………」「…………」「…………」「…………」
この銃は、アニカさんが研究所の奥から引っ張り出してきて持たせてくれた銃だった。
さっき見た〝赤い煙〟や〝黒い槍〟みたいなとんでもない武器を持っているならこの銃が箪笥の肥やしになってしまうのも、その結果こんなコンディション不良になってしまうのも仕方のないことなのかも知れない。
ちなみに、どすえちゃん先輩はアニカさんがこの銃を私に持たせようとした時〝いやこんな状態の子に、〟ということで結構強めに反対していた。
「治安維持部隊にもそうはおらんで、これだけの腕」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「………いや、ていうか」「軍にもそうはおらん筈、多分………」「着けてへんやろ?今」
と言ってご自身の目を指差す。
「…………」「…………」「…………」「………?」
「着けてねーよ」
「はぁ、、、」「いや大したもんやわ………」
「お前よりもな?」
「うん………」「…………んっ?」
「お前より絶対ゆづの方が上手いよな?」
「…………」「………あっ?」
「銃の腕だけとってみれば、絶対そう」「だろ?」
「…………」「…………」「………アホぬかせ笑」「…………」
「…………」「…………」「…………」「いやでも、」
随分持ち上げてもらっている中恐縮ながら、私は本当のところを話した。
「本当にわたくし」「使ったことないんです、こういうの」
「…………」「………んっ?」
「持ったこともない………」「苦手だし、そもそも」「銃撃つとか、戦うとか、そういうの………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「んなアホな笑」
「い、いやいや」「でも本当に」
「六人殺したで?今」「兵士」
「…………」「…………」「…………」「…………」
怖い、改めて言われると…………
「七人か、今の奴も含めて」「全部急所に当ててさ」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「残二やから、十五発か」「一人二発ずつで、何人目かに止めの一発」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「いや凄い………」「なかなかおらんで、ここまでの腕前」
「…………」「………いや、」「銃身の先っちょの、ここんとこの銃口から弾が出るのは、知ってます、わたくしだって………」
「…………」「うん………?」
「…………」「…………」「…………」「はい。」
「…………」「………ん?」「え?」「だから?」
「………え?」「………だ、だから」「ここを敵に向けて撃てばいいんです」
「…………」「………?」
「そしたら、当たるわけじゃないですか、弾は」「当たり前に………」
「…………」「…………」「………はぁ、またなんか玄人臭いことを………」
「…………」「え、いや」「そうじゃなくて………」
私は本当に銃という物を持つのが、今日が初めてだった。
アニカさんにまあやってみろと言われたから初めてなりにベストを尽くしただけのことで…………
「(ほんとにやってないんだもんそれ以外、何も………)」
「お前じゃ無理だもんな?」
「…………」「…………」「んっ?」
「絶対当たんないよね、お前じゃ」「見たことないもん、お前があんな距離当ててるの」
「…………」「………かぁっ、ほんまに」「アホぬかせ………笑」「…………」
「………いやでも、わたくしは本当に」
「片手で薬室チェックしてたで?今」
「…………」「え………?」
「…………」「………何?チャンバー………」「何それ」
「片手で、こう………」
と言いながらM.E.K.A.舞子先輩はご自分の銃で、右手だけを使って実演した。
「やるやつよ」
「………あー、なんか」「かっこいいやつだ」
「そう………」「これやっといて使たことない、っていうのは」
「…………」「…………」「…………」「いやでも………」
薬室に弾がちゃんと装填されてるか確認しとかないといざという時困るのは、当たり前の話…………
「もうさ、ゆづちゃん、うち来たらええやん」
「…………」「えっ?」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「治安維持部隊によ」「来て一緒に働いたらええやん」
「…………」「………え、」
「強いし可愛いし、言うこと無しやわ」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「なっ?」
…………よく分からないけど、どすえちゃん先輩と一緒なら
「はい、是非………////」
「いやいや、」
「ほんまに?」
「ほんまに、じゃない」
「…………」「何やねん」
「何やねんじゃない」「引き抜こうとするな、上役の目の前で」
…………上役?
「(………誰が、何の………?)」
「お前………」「あれやで?」
「?」「うん………?」
「この子完全に、あたしの方が好きやで?」「お前より」
「…………」「はあ?」
「なあゆづちゃん」
「…………」「………うん////」
「ほら笑」
「ゆづ頼むわ………」
「好き、どすえちゃん………////」「可愛い………」
「うん………ありがと」「ゆづちゃんも可愛いで………?」
「いい加減にしろお前」
「何がやねん」
先頭を歩いていたアニカさんは足を止めて振り返った。
「お前のせいで昨日ぶっ壊れかけたんだぞ、第三皇室が」
「…………」「………はあ?」
「なんか変なちょっかいかけただろ、ゆづに」「昨日創国祭のトイレで」
「…………」「………んっ?」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「大変だったんだぞ、お前」「大人の色香がどうとか隠れ美巨乳がどうとか、」
「(!?おい)」
「媚び媚びキッスがどうとか………」
「(おい!)」「(おいおいおい………!)」
「…………」「………ん?」「いや、」
「………?」「うん、」
「〝媚び媚びキッス〟してきたのは、この子の方やけど?」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「いや、だからぁ、〝もう一回誘われたらあり〟って意味を込めての〝媚び媚びキッス〟だったんだよなぁ?ゆづ」
「(黙れ!)」「(黙れ黙れ黙れ黙れ………)」「(黙れ………!)」
「…………」「………あらぁ////」
「なんか要は、あれだろ?職質して連行しようとしたんだろ?」
「うん」
「それを要は」
「(黙れ黙れ黙れ黙れ、)」「(黙れ)」「(黙れこの、クソ赤毛)」
「ゆづはそういう意味の誘いと勘違いしたんだよ」
「はいはい………」
「で、欲情して〝また誘ってね〟っていう意味のキスを………」
「へぇー………」
「(…………)」「(…………)」「(…………)」「(…………)」
信ッじられない無神経さだった。
もうまるっきり、お父さんだった。
こっちも一人の女性で恥じらいもあればばつの悪さも感じれば事情も都合もあるんだよという理屈を全く介さない、実父のごときご乱行だった。
「…………」「ふゥーん、」
と言いながらどすえちゃん先輩がどさり、と肩に覆いかぶさってきた。
「!?」「………あぁっ、」
ぶわっと後ろから、いい女の匂いがする風が吹いた。
「…………」「………そんな、隠れ美巨乳やった?うち」
「…………」「…………」「………いや、いやいや」
「…………」「………うん?」
「それ、多分アニカさんが思ってること………」「わた、わたくしそんなこと、言ってない………」
「…………」「ふぅん、」
「…………」「え、言ってないけど、あたしはそんなこと」
「(だ、黙れ!)」「(黙れ黙れ黙れ黙れ)」「(黙れ!)」「(頼むから)」「(黙ってくれ………!!)」
「…………」「…………」「色気、ある?」
「…………」「…………」「………えっ?」
「大人の色気」「………あるかなぁ?あたし」
「…………」「…………」「………さ、さぁ、」「あるんっ、じゃない、ですか………」
「…………」「…………」「………うん?」
「………ア、」「アニカさんに聞いて、みては………?」
「ないと思う」
「お前は黙っとけ」
私の左のもみ上げ部分に鼻を押し付けすう、と息を吸ってから、どすえちゃん先輩は耳元でボソボソと囁いた。
「昨日、忘れて行ったやろ?鞄」
「…………」「…………」「…………」「………あ、」
ホテルのカードキーとか家の鍵とか、何もかもが入ったやつ…………
「………うん」「トイレで置きっぱやったから」
「あ、」「はい………」
「預かって、今あたしの家にあるから」
「あ、」「………そうだったんだ」
「うん………だから」「取りにおいで?」
「…………」「…………」「………はい、」「………?」
「今晩」「誰にも言わんと………」
「…………」「…………」「…………!」「…………!!!」
自分の心臓の鼓動でゆさ、ゆさ、と体が揺り動いているのが分かった。
「………ほら、」「誘たで?二回目………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「どうすんの………?」
「…………」「………わ、」「わか、わかんない………」「何の、話か………」
「…………」「んー………?」「真っ赤やん?顔………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
知ってる。顔が真っ赤なのも、早過ぎる心臓の鼓動が振動できっと伝わってしまっていることも、
内心喜んでしまっているのがバレていることも、おもちゃのように弄ばれてしまっていることも………
「…………」「………そう言えば、」
「…………」「…………」「はい………」
「忘れてたな?お返し………」
「…………」「………?」「お返し………?」
「…………」「………うん、これ」
とどすえちゃん先輩が言うと同時に、左頬にひやりとした柔らかいものがぺちゃり、と押し付けられるのを感じた。
「…………」「…………え、」「あ、ちょっと………!」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「ちょ、ちょっと、どすえちゃん、」「先輩………!」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「ああ………」「そんな………」
どすえちゃん先輩が私の左頬に口を付けていた。
小振りなくせに厚みのある、ぷりんとした唇の肉感を感じる。
「あぁ………」「あぁ………」「そんな………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「どすえちゃん、だめ………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「………ふぅ、うぅ」「うぅぅぅ、」「ぅぅぅ………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「ぅぅぅう、」「ぅぅぅ~………」
ぶるぶると震える膝に、倒れないように手を突いて立っているのがやっとだった。
これ以上醜態を晒したくなくて即離れて欲しい気持ちと、永遠にこうしていて欲しい気持ちがゆらり、ゆらり、と私の中で拮抗していた。
「…………」「…………」「…………」「…………」
「ぅぅぅぅ、」「うぅぅ~………」「…………あぁ、だめ、どすえちゃん、」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「うぐゅ、っう」「………あ、」「き、きちゃう………」
「…………」「今戦火の中だぞ、お前ら」
長過ぎるキッスからぷは、と口を離してどすえちゃん先輩は
「はい、〝媚び媚びキッス〟のお返し」
と言って笑った。
「…………」「ふぅ、ふぅ、」「………はぁ、」「………ふぅ、」
「…………」「………どうする?」「来る?今日、家」
「…………」「………はぁ、」「…………」「………はぁ、」
まだぶるぶると震えている膝に手を突いて息を整えているうちに、私は結構重大な事実を思い出した。
「…………」「…………」「どすえちゃん、」
「………?」「うん、どしたん?」
「あの、わたくし昨日、多分お風呂とか、入ってなくて………」
「………うん?」
「く………」「臭く、ないですか………?」
「…………」「…………」「…………」「…………」
どすえちゃん先輩は一呼吸置いてから
「………うん、」「さっきからずっとしてる、可愛い匂いが笑」
と言った。
「………も、もう」「離れてください………!」
「何でなんいいやん」「もうちょっとだけ………」
「嫌だ、もう」「もう離れて………」
「癒し効果あんねん、ゆづちゃん」「なんか」
「知りません、嫌だ」「放して………」
「来る?じゃあ」
「…………」「………えっ?」
「家。来る?」
「…………」「…………」「…………」「…………」
こんな綺麗な女性(しかも絶対に入浴済み)に風呂に入っていない頭や首の臭いを嗅がれるぐらいだったら、どこへだって行く覚悟だった。
「行きます」
「………ほんま?」
「はい、もうお邪魔します」「敵襲が落ち着いたらすぐ」
「やった!」「風呂入らんと来てな?」
「はい」「………はっ?」
「風呂入らんと、服もそのままの服で来てな?」
「…………」「………何ですかそれ意味分かんない、」
という返事が不服だったのか、どすえちゃん先輩は私の頭頂部に鼻を押し付けてすぅぅ、と息を吸った。
「ひぃっ!」「………もう、わ」「分かった!分かりました!」
「ほんま?」「風呂入らんと来て、うちで入る?」
「はい」「………え?」「…………」「………あ、」
そういうこと………
…………
…………
…………え、待って
どういうこと………?
「じゃあ決まりな?」
「………あ、はい」「もう………お邪魔します、喜んで」
「ほんま?」「風呂も入らず?」
「はい………もう、その通りに」
「やった………!」
と言って小さく飛び跳ねた後、どすえちゃん先輩は私の背中にのしかかったまま全くどいてくれなかった。
「…………」「………ちょっと!」
「………うん、」
「何でなんですか」
「…………」「えっ?」
「家行くなら放してくれるって言ったじゃないですか」
「…………」「いや、言うてへんけど?そんなん………」
「…………」「………えぇ?」「ちょっともう嫌だ………」
「ええやん………」「ええ匂いすんねん、ゆづちゃん………」
「………いやだから、」
それが嫌なんだって………!
「…………」「えぇーん、もう、放してぇ………」
「もうちょい………」「もうちょいもうちょい」「もうちょいだけ………」
「えぇーん………」
「ゆづ、ゆづ」
と戦地にあって緊張感のない私達に向けてアニカさんが鋭く声をかけた。
「…………」「はい?」
「銃構えろ、何か来る」
「え、」「…………」「…………」「…………」
耳を澄ますと、確かにどど、どど、という石畳が軽く振動する音が聞こえた。
「…………」「………何これ、大きい………?」
「…………」「…………」「あっちだ、多分」
と言ってアニカさんが指差したのは私達がいる一面石畳の広場から左手に見える、壁のようにずらっと並んだ民家の方向だった。
「あの裏の、もっと向こうの方だ」
「…………」「…………」「…………」「…………」
確かに、壁のように並ぶ民家の裏側の、左方向の離れた場所が音の発生源のようだった。
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「………馬?」
が走っている音のように聞こえた。でなくとも、同等にサイズが大きく、体重も重い四足歩行の動物が走っている音のようだった。
「…………」「…………」「…………」「…………」
「………人だ。人の声」
半狂乱で騒いでいる男性複数人の声が、どど、どど、という振動に紛れて聞こえ始めていた。
足音らしき音の接近に比例してどんどん大きく、クリアになっていく。
「…………」「…………」「………ゆづ、あそこだ」
「…………」「…………」「…………」「…………」
アニカさんが指差した先は壁のようにずらっと並んだ民家の切れ目の部分だった。同じように右方向にずらっと並ぶ民家との間を、広々とした石畳の道が縦に遮っていた。
「あそこだ。」「あそこで狙え」
「………はい、」
どど、どど、という動物のものらしき足音と、半狂乱で騒ぐ男性複数人の声は、もう間近に迫っていた。
「…………」「…………」「…………」「…………」
間違いなく、半狂乱の男性達はこの足音の主に追われているようだった。
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「………何考えてんだ、お前は」
「…………」「………え?」「何?」
どすえちゃん先輩は、まだ私の肩にしがみ付いていた。
「邪魔だろうが、どう考えても」
「…………」「…………」「なあ絶倫、」「どうしよ………?」
「…………」「うん?」
「………あたしほんまに好きかも知れん」「この子のこと………」
「…………」「………知らねーよ、」
「標的補足!」
「!」
左の民家の影から出て来たのは、紺×赤の軍服に身を包んだ敵国兵士の二人組だった。
「撃ちますか!?」
「いいぞ、やれ」
「射撃!」
〝パ、パン、〟という、我ながら惚れ惚れする精度での射撃により二人の兵士が倒れた後、遅れて三人目がふらふらと道に姿を現した。
「射撃………!」
と三人目の胴体を撃ち抜こうとした時、遅れてそのすぐ後ろから登場した何かが三人目の頭をばく、と咥え込んだ。
「…………」「…………」「…………」「………あ、」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
熊だった。
二階建ての民家を叩き壊せそうなサイズの化物みたいな大熊が、どか、どか、と石畳を踏み鳴らしながら三人目の兵士の頭を咥え込み、
「………ヴォ、」「………ヴォゥフ、」
と低い唸り声を上げつつその体をブンブンと振り回していた。
「…………」「…………」「………あ」「あぁ、」「あぁあ………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
兵士はまだ生きていた。
光の加減かあるいは年齢がいっているのか所々体毛が白く見える大熊に、頭を噛まれてビュンビュンと体を振り回されてもまだ何事かを大声で喚いていた。
「あ、きっ」「き………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「…………」「…………」「…………」「…………」
「熊だァっ!!!!」
私は膝を折って頭を抱えて倒れ込み、尻を熊に向けて石畳と同化した。
「あっ、あわ、」「あわわわわ………」「アニカさんっ!」
「…………」「…………」「ん?何?」
「目を合わせて仁王立ちに構えてっ………」「………!!」「…………」
右手に握ったままだった銃が腹立たし過ぎて、石畳の上に投げ捨てた。
役に立つか、こんなもん………!
「………?」「うん?」
「お!大きな声で!何か言いながら!」
「…………」「うん?」
「ゆっくり後ずさりして!」「ぜっ!ぜっ!絶対に!」
「…………」「うん」
「背中を見せないでっ!」「い、い、今っ!」「今いまいま」
「…………」
「今のわたくしっ!」「みたいに!」
「…………」「…………」「………うん?」
「あっ!あと!」「しっ!死んだふりっ!も、」「だめっ!」
「…………」「…………」
「いっ!いっ!いっ!」「今の!」「わたくしっ!みたいに………!」
「…………」「…………」「………うん、わかった」「…………」
兵士の喚き声が消えても、熊がヴォフヴォフ言いながら同じ場所をうろつく石畳の音は聞こえ続けていた。
死を覚悟して震える私の耳元で、驚いたことにまだ背中に乗っていたどすえちゃん先輩が
「…………」「………なあ、」「あんたマジで可愛いな………?」
とガチ恋ボイスで囁いた。
【登場人物・用語】
白河ゆづ…………実は銃の名手だった人。第三皇室に着任してからシキに付き合って通い始めた射撃訓練場でめきめきと頭角を現し、たった半年でプロ顔負けの腕前に。〝標的補足!〟とか〝発砲!〟などといちいち声に出すのは訓練時の名残。この世界に来る前のゆづが銃に触れたことがないのは本当の話だが、思考を捨てて動くことで体に染み付いている知識や技術を活用できることがある。熊に恐怖の念を抱いているが、これは地元が熊害の総本山であるが故。ゆづ自体は地元にいる時に熊に出くわした経験はないが、遠い親戚が近所への外出中に追いかけ回されたとか、友人の知り合いが熊に襲われた後遺症に今も悩まされているとか、そういうエピソードは数知れない。風呂キャンすると体から洗った直後の犬みたいな匂いがする。M.E.K.A.舞子が言う通り抱きしめると独特の癒し効果があり、その効果は洗った直後の犬を抱きしめた時と大体同じ。
アニカ・サンドルート…………ゆづの射撃の腕を知っていた人。何度も帯同した任務で今回のように指示を出して標的を撃たせたりしていた。〝標的補足!〟や〝発砲!〟などとゆづがいちいち口に出して言うのを聞いたのは今回が初めて。ゆづやM.E.K.A.舞子が言う〝質の悪い銃〟の持ち主だがこれも誰かからの贈り物で、アニカはその銃を試し撃ちで数発撃ったのみで以降使用していない。ガチ恋しているM.E.K.A.舞子が目の前でゆづに絡み付いているし、親友と実質そういう仲のゆづが浮気ラインの言動を目の前で行っているが、どちらとも全く気にしていない。年間三桁と寝るだけあって恋愛は〝自由〟がモットー。ここでの発言といい前夜の車の中での扱いといい、自分がゆづに対して父親のようなスタンスをとってしまっていることには気が付いていない。
京家M.E.K.A.舞子…………ゆづにそういう感情を抱き始めている人。昨夜ゆづがトイレに置き忘れた鞄を探って身分証の類を見つけ、ゆづの名前を知った。ゆづが動き回っても背中に組み付いたまま落ちないが、これはバトルコルセットの出力補正のお陰。一般人女性並みの筋力しかないゆづがM.E.K.A.舞子を背中に乗せたまま動き回れたのも同様。ゆづに風呂に入らないまま家に来いと言ったのは〝うちで一緒に入って裸の付き合いをしよう〟という意味だが、ゆづは今晩辿ることになるこの運命をまだ知らない。アニカの目の前でゆづに絡み付き始めたのは半分はゆづへの興味からだが半分はアニカに見せつけて妬かせたかったから。手を出してきて期待を持たせておきながら付かず離れずの関係を保つアニカにイラついている女性の存在はスレイトアールにかなり多い。
粗悪な銃…………アニカが自分の研究所に一応置いていた銃。スレイトアール王国治安維持部隊のほとんど全員が携行している銃………の粗悪品。凡例的な拳銃に比べて少し小振りで、銃身が細身なのが特徴。軽くて取り回しがし易く、反動が少ないので集弾率も高く、丈夫であらゆる環境への耐性が高い非常に信頼度の高い銃………の粗悪品。装弾数は十七発でM.E.K.A.舞子が携行している銃とマガジンが同じ。銃の名手だけあってゆづにも愛用の銃があるが、その銃はシキからの贈り物。今はM.E.K.A.舞子の家に保管されているゆづの鞄の中に収まっている。エイム名人が〝弾は銃口から出て真っ直ぐ前に進むに決まってるんだからあとはちゃんと狙えばいいだけ〟とか言うのは普通に感じが悪い。
熊…………ゆづの地元を中心とした地域を昨今増々震え上がらせている恐怖生物。ゆづの地元に出没するのはヒグマでここでゆづの目の前に現れたのはグリズリーだが、両者に生物学的違いは無く、差違は生息地ぐらいのもの。どちらにしても拳銃程度では太刀打ちできず、武装したプロでも時により手にかかる。知能が高く執念深い性格をしていて、山で遭遇したが最後一定の距離を保ちながら茂みの中を何kmも追跡して来たりする。共存だけは絶対に、とにかく無理。この生物に遭遇したことはあるか、G見たことないんでしょ?、新鮮な海鮮食べ放題で羨ましい、という地元に関する三つの投げかけがゆづは嫌い。熊に根源的な恐怖心を抱いている代わりに地元で見かけなかったGが平気なゆづだったが、それも上京して最初の年まで。二年目以降は普通に怖気を催すようになり、今では過剰に熊を恐れるただの20代女子になった。熊に対して震え上がって背中を見せているが、実はバトルコルセットを装着した状態ならワンパンで倒せる。ちなみにゆづが今いる首都スレイトアール近郊に野生の熊は生息していない。
敵国兵士三人組…………射撃により鮮やかに倒された二人と、巨大熊に嬲り殺しにされた一人の三人組。前者二人の方が幸運な死に様だったのは言うまでもない。一つの戦車に同乗していた三人だが、上空からスレイトアール軍の誇る勇士比嘉蔵人一等に対戦車ミサイルを撃ち込まれ、大破した戦車を捨てて退避しようとしたところで熊に見つかり追われる羽目に。ここまで3km近い道のりを執念深く追われ、今に至る。他国を侵略してまさか熊に襲われるとは思っていなかった三人だが、死んだ後も死体を弄ばれ、それぞれが一部ずつ食われることになるとはもっと思っていない。死後はせめて安らかに………と言いたいところだが生前の行いがあまり良くなかった三人は、これから三人で連れ立って地獄への道を行く。




