2.夢の中へ
その夜、こんな夢を見た。
僕は宇宙人の一人として異星人のクラスメイトたちと宇宙の端っこにある高校に通っていた。教室に入った途端「おはよう」といまの僕なら絶対にしないしできない挨拶をすると、周囲のみんなも「おはよー」と挨拶をしてくれた。そこから仲睦まじくいろんな話をしていたようだったけれど、詳しい内容は覚えていない。
そんななか先生が教室にやってきてホームルームが始まると、例年通り、今月末から地球に行って、地球人として百年間暮らしてもらうぞとクラス全員に語りかけた。クラスメイトたちは「え〜!」「めんどくせー」「嫌だなあ」「去年これ受けた先輩、超辛いって言ってたよ〜」などと口々に言う。
僕も気だるげに先生の話をかいつまんで聞いていると、どうやらこの宇宙の端の高校は全校共通のカリキュラムとして「転生」が卒業の必修単位として設定されていて、例年(地球の百年はこの高校のある星の一年だそうだ)しっかり辺境の惑星の一つである地球人の一生を経験して、宇宙連邦の市民となるべく成長しなければならないのだそうだ。地球転生で優秀な成績をおさめると、その後の進路選択にも有利になるらしい。
しかし、どの地球人に転生するかは選べない、まったくのランダム。その発表がなされると、「うわあ、やっぱりかあ」「きついところ行きたくないよー」とクラスメイトたちから不平が噴出する。
「きつい経験をしてもらうために行ってもらうからな。お前たちが生まれたときにはすでに当たり前になっていることが、まったく当たり前でない辺境の野蛮な星だ。
戦争もある、紛争もある、差別も偏見も、殺人も虐待も、暴力も権力も、富も貧困も、名声も寿命もある。
地球人に転生したときはこの星で体験した記憶はすべて失われているが、我が宇宙連邦の誇る魂転移装置で転生後はその百年間の記憶を引き継ぐことができるから、学べることはたくさんあるぞ。先生はとある断崖絶壁の河岸に程近い小さな家に生まれてな……」
そんなふうに先生自身がこの高校の生徒だった頃に体験した百年間の記憶のダイジェストが映像付きで黒板に展開されている間、席が隣でよく話していた異星人のクラスメイトがちょいちょいと僕の肘をついて、話しかけてきた。
「ねえ、ぼくたちどこに生まれると思う?」
「どこだろうなあ。貧しいところは嫌だな、すぐ死にそうだし」
「すぐ死んじゃった場合、残りの年数分また別の魂に転移するか、死んだ場所で魂だけ残り続けるかを選べるんだって」
「そうなのか。それなら早くに死んで百年その場に残り続けるのもありだな。食うに困らなそうだ」
「やれやれ、きみはいつもそんなことを言って。きみが早くに亡くなってしまってずっとそんな状態だったら、ぼくがきみを探せなくなっちゃうじゃないか」
「地球でまでお前と一緒なのは窮屈そうだ。お前はお前で楽しんでこいよ」
「もう。向こうできみが困ってても助けてやんないからね」
そんな軽口を席隣のクラスメイトと叩き合っていると、自分の思い出話を終えていたらしい先生が僕たち二人の方をじとっと見て、転生までの手続きについて説明し始めた。
すると場面はいきなり変わり、僕たちは一人ひとり魂転移装置の中に座っていた。
クラスの席と同じように点在している繭のような装置の隙間から、先生が一人ひとりの転移設定を確かめているのが見える。視界を横に振ってみると、隣の席のあいつは「楽しみだなあ」とにやにや笑っている。
一方、他のブースからは「あー緊張するー」「うわあ、こええ〜」「どうか大富豪の家に生まれますように!」と数多くの声が発されている。そんななかだった。目の前の繭のなかにいる異星人だけ、何も喋らず手を合わせて何か祈り続けている。
「おい、大丈夫か」
「あ、ああ、はい。大丈夫です」
「……無理はするなよ。大変な人生でもそうでなくても、たかが百年だ」
「そう、ですね。たかが百年です」
たかが……、と言い残して、目の前の繭に座っていた生徒はまた沈黙してしまった。隣の席のクラスメイトが何か言いたそうにこちらをみていた気がしたけれど、僕はそれをスルーしてそのまま繭のなかにあるリクライニングに背を預けた。繭がゆっくりと廻り出して、転生への準備を始めますというアナウンスが聞こえてくる。
そのとき、先生がいきなり声を荒げた。アラームも微かだが聞こえてくる。
「おい! 待て、どこへいく!」
先生が走り去っていくのが繭の隙間から見えて、どうやらこのブースから逃げ出したやつがいたらしいぞと周りの繭のなかにいるクラスメイトたちが口々にしゃべっている声がうっすらと聞こえてきた。
「ありゃりゃ。なんで逃げるんだろうね。たかが百年なのに」
ねえ、と、隣の席のクラスメイトが呟いたかと思うと、彼女のいる繭がゆっくりと光を増し始めて、ぱしゅん、という音とともに白い繭が解けた。彼女はどこにもいなくなっていて、無事転生したようだった。僕も「その通り、たかが百年だ」と頷いて、いよいよ輝き始めた自分の周りの繭の様子を悠然と眺めていた。すると、
「たかが一年でも、百年でも、一千年でも、一億年、一兆年でも……」
そう、僕の隣で転生した彼女の言葉を引き継ぐように前の席の生徒がつぶやいた。
「転生後の仮の人生でも寿命のない不死の命でも、その命を生きている間は……、その一回きりの命を生きるのは、たったひとりの『わたし』だけ……」
そのさみしさが、せつなさが、かなしさが、つらさが、わかりますか?
そう言って、前の席のクラスメイトの繭は光り輝き、ぱしゅん、という風船が割れたような音とともに、解けた。僕の周りの繭も次々に輝き、ぱしゅん、ぱしゅん、ぱしゅん、ぱしゅん、ぱしゅん、ぱしゅん、ぱしゅん、と解けていく。
僕の眠る繭もその輝きが最高潮に達そうとしていた。
その夢から目覚める瞬間、ぱしゅん、という音が聞こえた気がした。
*
春の終わりが近づいて空気がいっそう暖かく湿り気のあるものになって夏らしくなり、朝から気だるい湿気が身体を取り巻いて軽く嫌悪感を覚えるが、その日の朝の僕はいっそうひどいことに昨晩の夢の残りかすがずっと頭のなかに渦巻いていた。
(あんなに後味の悪い転生ものは始めてだ。不知火と一緒に話したことで僕の無意識がおかしな反応というか、挙動を見せてしまっているに違いない)
その日の朝食は春名が担当で、いつも通りの厚めのトーストと、その上に塗るためのマーガレットの入ったパック、オレンジのジャムの小瓶が並び、ハム、ソーセージ、卵焼きの乗ったプレートに、ミニトマトを散らしサラダ菜を適当にちぎってオリーブオイルをかけたサラダの入ったボウルと、はちみつ入りヨーグルトの小鉢に、ホットミルクの入ったマグカップが揃っている。
いつものようにいつもの朝食を食べていたはずが、どこか上の空だったのか春名も不知火も僕を心配するような視線を送ってくる。不知火はすでにジャージから春名の私服を借りて着替えを済ませていた。スキニージーンズに羊毛の白のニットという出立ちで、少食なのかトーストをちびちびと食べながら対面に座る僕を見つめてくる。一方の春名は昨晩と同じジャージ姿で、低血圧ゆえの低いテンションで朝ご飯を作るのがやっとだったというふうにもそりもそりと食べながら隣に座っている兄を見つめてくる。
一緒にご飯を食べていることが嫌なのでもないし、むしろ多くの学校の生徒たちからすればおそらく羨ましがられるような状態であることは間違いない。その意味で心が弾んでいてもおかしくはないのだが、どうにも気が乗らない。不知火が自分のせいではないかと考えたのか、言葉をかけてきた。
「お兄さん、大丈夫ですか? どこか体調がすぐれないような……」
「ああ、いや、大丈夫。昨日変な夢を見ただけだ」
「夢?」春名がトーストを齧りながら言う。
「どんな夢だったんですか?」不知火がミルクをちびりと飲んで、尋ねる。
夢の内容を詳細に伝えると僕含め三人ともなかなかしんどい気持ちになりそうだと感じたため、こんな感じでざっくりと告げた。
「……地球人に転生する予定の異星人になった夢だった。僕は地球人への転生がカリキュラムになっている異星人たちの学校に通っていてさ。転生することを楽しみにしているやつもいれば、これから転生するぞというときに逃げ出したやつもいたんだ。ランダムで転生先が決められることになっていたし、何より、そいつは怖くなったんだと思う」
最後に付け加えた僕なりの解釈を聞いて、不知火は何かを察したように少し俯いた。
「……そうでしたか……」
まるでその夢のなかの登場人物に同情するかのように、不知火はつぶやいた。僕もどこにこのげんなりとした感情を向ければ良いのかわからず、そして不知火の感情にも影響を与えてしまった様子を見て、単純に悲しくなってしまった。
だからだろうか、普段だったら心のなかで思ったとしても口には絶対出さないような言葉を、つぶやいてしまった。
「本当、なんのために生まれてくるんだろうな、命って」
しばらくの、言葉のない間が流れていった。あまりにげんなりした気持ちだったからか、そう呟いてからため息を吐ききった僕がそんな間を作り出していたことに気づけたのは、おそらく呟いてから一〇秒ほど経った後のことだったと思う。
(……やばい! このままではドン引きされてしまう)
そうハッとしたのも束の間、
「本当に、そうですよね……。生き続けることを選ぶという選択は、産まれることを選ぶ選択とは違いますし、後者はそもそも選択できるものではないですけれど、命の意味を考えられなくなるくらい生きることが怖くなるときは、わたしにもあります」
「うん、あたしもある。むーちゃんとも昨日話してたよね、生き続ける選択のむずかしさの話。兄貴が提案してくれた生きる意味のマイナス極限の場合、生き続ける意欲が失われるかもって話の続きでさ……」
と、不知火と春名はとても当たり前に自分の言葉で、論理的に自分の考えを返してくれていた。まるでテストの難しい問題を解くことの大変さを分かち合うみたいに。
僕は自分の心のなかにあった、かつて他人から浴びせられたいろんな声が、また自分の耳の鼓膜を響かせるんじゃないかと身体をこわばらせていたと言うのに。
不意に、僕と春名が哲学をめぐって云々議論を交わしたときに告げられた言葉が、僕のなかで蘇ってきた。「哲学は自分の生きる意味を自分で考えること」だという、その声が。
「これが、そういうことか……」
議論に興じ始めた二人に聞こえるか聞こえないかという声で、僕はそう呟いてしまった。そうだ、二人とも、僕も、自分として生きている。生きているから不安だし、怖くもなる。だからいろんな声が聴きたくなる。安心させてもらいたい、問題ないと言ってもらいたい。このルートを進んでいればどんなことがあっても大丈夫だと思わせてほしい。
でも、本当に必要なのはこうした、自分として生きて考えていることを、同じように自分として生きて考えている人と言葉にできて話し合えることだったんじゃないか。
哲学なんて胡散臭いと思っていた僕にこそ、信頼できる誰かと哲学できる場所は必要だったのかもしれない。そう、この初夏の日差しの差し込む朝食のとき以来うっすらと僕は思うようになっていった。




