4.想像と論理
かくして、おやつ時間に不似合いなことこの上ないが、かねてより不知火が実践してみたいと思っていたという論理ゲームなるものを実践してみることになった。哲学の相談なのに論理のゲームをするのかと疑問を呈すると、
「哲学は大なり小なり、異なる言語の異なる文化にいる、異なる属性の人たちとも共有されそうな善悪や真偽といったとても抽象的な概念と、そうした概念をつかって作られる命題を通して自分の問いを追求していきます。
ですから、それぞれの言語で自分の立てた問いの命題から答えの命題まで推論していくときに通る論理の筋道を確かめていくことは、とても大切になるんです」
との答えが返ってきた。概念という言葉を聞いて最初に思い浮かんだのはもはやどの世界にも実在しなくなってしまったが新たな世界を支える存在となったとある魔法少女の名前で、ついその名前を出してしまった。
すると不知火にも春名にもクエスチョンマークを浮かばせてしまったので、「要するに概念ってのはあれだろう、どこにも物理的には実在しないけれど、世界を成り立たせるためには確かに実在していなくてはならないような、そういう大事なものってことだろ」とわかったふりをすると、不知火から「その通りです! 善悪も真偽も、物質のように実在しないモノですが、警察でも裁判でも、契約でも約束でも、この世界の営みを影で支えているとても大切なモノたちなんです」と喜び勇みながら請け負われた。そうだったのか。
「兄貴の与太話は置いておいて、どんなゲームなの? むーちゃん」
「あ、えっとね、やりとりはとても単純なの。
まず一緒に一つの『命題』をめぐって、その命題が偽であることを突き止める攻め側と、真であることを守ろうとする守り側に分かれます。
次に命題は議論のなかで新たに生み出しても構わないけれど、基本的には全称命題か、単称命題かに分かれます。全称命題は、簡単にいうと『すべての』という言葉がつく命題のこと。対して単称命題は、『ある(一つの)』という言葉がつく命題のこと。
たとえば《すべての人間は死ぬ》という命題は全称命題だけれど、《ある人間は死ぬ》という命題は単称命題に分類できます」
「具体例が怖い! もうちょっと易しい具体例はなかったのか」
「でもゾンビとかメカでもない限り、みんな当てはまることだしね」
こともなげにこくりと頷く不知火。お前たちは精神が鋼のようだな。二つ名につけてやろうか。
「そう! いままさにはーちゃんが『みんなに当てはまる』といってくれたように、この前者の命題も後者の命題も正しい、つまり『真』といえますね。もしこの命題を偽として棄却しようとすれば、少なくとも一人、死ぬことのない不死の人間の実例を挙げられれば良いのですけれど、それは不可能ですので」
「それはそうだな。ゾンビでもメカでもない限りってやつか」
「ええ、その通りなんです。しかも、またはーちゃんがすごいなと思うのは、『ゾンビでもメカでもない限り』と言ってくれたことが、すでにもう一つのわたしが試してみたい方法について実演してくれていて」
「? なんだそれは。論理ゲームとは違う方法ってことか?」
「ええ。ゾンビも完全な機械人間も、わたしたちはまだ出会えていません。つまり想像の範疇を超えるものではありません。ですが、想像の範疇といっても完全に非現実的で虚構に過ぎないものとしてわたしたちがいま考えていたかというとそうでもありません。
死が必然的な『すべての人間』に対して、不死であることが可能な『ある人間』を想像してみて、その不死が可能な『ある人間』のタイプが──ゾンビ、機械人間、仙人でも良いですが──存在することは『この現実』では必然的に不可能である、なぜならそのようなタイプの存在は『この現実』では実在していないからという論理的な帰結を示すために、想像していたと思うので。
つまり、わたしたちの理解している『現実的なもの』について分析するためにあえて『想像的なもの』と比較する思考実験という方法を、いまはーちゃんがまさに実演してくれていたんです」
「へえ! さすがあたし!」
「おい不知火、おだててくれるな。そのまま屋根どころか月にまで登ってしまうぞ」
兄の忠告も聞かず鼻息荒く胸を張る春名を見つめながら、にこやかに微笑む不知火という仲睦まじさの伝わる良い光景なのかもしれないが、こちらとしては何をいっても自己を肯定できる実の妹の胆力に正直呆れてしまう。
しかしその呆れの感情とは別に、僕としては想像力云々をめぐっていくつかの連想が頭のなかを取り巻いていた。
いつのことだったかは忘れたが、僕はこのとき叶から聴いた耳学問を検索していた。あの物理学者で有名なアインシュタインは若いころ、自分が光に乗ったらどんなふうに風景が見えるのかと想像したところから光の研究に興味を持ち出したらしい。
その史実を初めて聞いた時は何かの与太話かデマかと思ったが、聞いて見るとなかなか論理的であることがわかってきた。
仮に想像してみよう。
自分が光に乗ることができたら、自分より背後にあるものに反射した光と同じ速さで自分が前に進んでしまうはずだ。つまり光に乗った直後から(まだ想像の段階なのでどれくらいかかるか計算していないからわからないが)背後から風景はどんどん見えなくなる。
こんな想像は実は普段、数学や物理の文章題でしている『推論』と変わらない。
たとえば僕たちはよく、どこに実在するかは尋ねないのが暗黙のルールになっている動く点Pの「速度」を計算で導出している。
きっとかなり低い確率でしか成功しないだろうビルの屋上から落とされたボールが地面から投げたボールと衝突する前の「相対速度」を公式にあてはめて推測している。
こんなふうに学校のテストの上ですら、僕たちはなんらかの「概念」を想像上の少し具体的な場面で展開してみて、どんな結果になるか推論している。
そして、そうした推論の筋道と顛末を僕たちがテストの上に書いて、その筋道についての真偽を教諭たちが判断しているように、その証明で使った推論に基づいてその正しいところ、間違っているところを論理的に洗い出して判断していくのと同じだ。
となると。
「じゃあ、論理ゲームだの思考実験だのとややこしいタイトルがついてるが、まずは『考えたい概念で命題をつくること』、そして『想像的に推論すること』と『論理的にその真偽を判断すること』が哲学する方法だってのか? ずいぶん科学と根本の方法はかなり近い気がするが」
「おっしゃる通りです!
古代に遡ればもともと自然科学は《自然とはどのように生まれ、どのように変化していくものなのか》《自然には、それ以上遡ったり分割することのできない究極的な実体があるのか》について考えてきた『自然哲学』として培われてきた歴史があります。
たとえばニュートンもその力学を著した著作に『自然哲学』と記していますし。
現代でも哲学と科学は互いの方法論を吟味したり教え合ったりして、一緒に研究しているんですよ」
さすがですお兄さん、という視線が何やら心苦しい。こいつの願いは僕のためにも、わが家族のためにも叶えてやりたいが、そんなに持ち上げるほどの人間じゃないぞ、僕は。
「ほらほら、やっぱり兄貴は筋がいいんだよ。兄貴もいい加減自分の才能に気づいてさ、哲学相談部の部長としてその地位を築きあげなよ!」
「誰がそんな傍迷惑な建築物を築くか。しかし不知火、いまの二つの方法でお前の追求したい『命の意味』とやらに近づけるのか? 僕にはうまく想像できないんだが」
その僕の問いに、不知火もこくりと頷いた。
「わたしもその方法を知ったときには、そんなやり方があるんだ! と喜んだのですけれど、うまく自分で『命の意味』についての命題も、適切な想像もつくれなくて。ですから、その命題を作ったり、想像したりすることの得意な方と一緒にやってみたいと思っていたんです」
「なるほどな……」
それで不知火は「わたしと一緒に探してくれますか」と言ったのかと、今更ながらに理解した。つまり彼女は自分で追求したい問いはあるが、それに立ち向かうにあたって困難を感じていたわけだ。
そこで春名の悩み相談に乗ったところで、押し切られる形ではあったのだろうが、自分の問いについて一緒に考えてくれる人が現れるかもしれないという期待も抱いていたのだろう。涙ぐましい努力家だ。
「じゃあその方法を試してみるとしてだ。春名、お前だったらどんな風に考える。さっき自然に想像も論理も使ってただろう」
「ん? うーん……、そうだなあ。たぶん想像になるのかもしれないんだけど、あたし的には『命の意味』ってそもそもあるかないかを考えるものじゃないんじゃない? っていうのはあるかな。同じ一つの命でも、その命を生きる意味って新しく生まれたり、甦ったり、失ったり、喪われちゃったりするものなんじゃないかなって。
たとえば『その命を生きる意味を必然的にもつ、ある人間がいる』とか『その命を生きる意味を必然的に持たない、ある人間がいる』とか、そんな人のことを想像してみても全知全能で超人的な神の子か、もう何億回も悪逆非道のかぎりを尽くした極悪人くらいしかイメージできないし、論理的にも極論すぎてその必然性を守れなさそうって思うんだよね。
だから生きる意味は『必ずある』『必ずない』じゃなくて、『あるかもしれない』『ないかもしれない』の間を行き来するようなイメージかな」
「ああ、そうだね。必然的にって言葉を入れてみるとかなり極端な事例しか意味できなくなっちゃうのかも。ありがとう、はーちゃんの想像で視界が良くなった」
「えへへへ。えへへへへへへへ」
見るからにだらしない顔をしているわが妹の表情がもとに戻るのかどうか不安を覚えているのを知ってか知らずか、春名が僕に対してこう切り出した。
「あ、そうだそうだ。でも兄貴はあたしと違う考えを持ってるから、聞いてみたいんだよね。どんな風に兄貴だったら想像する?」
いきなりお鉢を回されて、てっきり二人のトークで展開するものと思っていた僕は多少戸惑いながらも考えてみたところを告げてみた。
「うーん……、例えばだが、お前は生きる意味を持つ人間そのものについて想像してみていたけど、『すべての人間の人生には、一つの命を生きる意味が、必然的にある』って命題から考えた方がもっと厳密に考えられるんじゃないかとは思ったな」
「ん? どういうこと?」
「たとえばお前の命題って、生きる意味が一つなのか、複数あるのかについては考えられていない気がしたんだよ」
「……ああ! 確かに。必然的に生きる意味を持つ、しか言ってなかったしね」
「そうだろう。だからお前のさっき言った命題をもうちょっと詳しく言い換えるなら、『ある人間の人生には一つの命を生きる意味が、必然的にある』『ある人間の人生には一つの命を生きる意味すら、必然的にない』と言い換えられると思うんだよ。
この命題二つをお前は極端すぎて想像も論証もできないものと退けた。
次いで、『ある人間の人生では一つの命の生きる意味が、充たされる可能性がある』『ある人間の人生からはある一つの命の生きる意味が、失われる可能性がある』とするなら、論証の可能性もあるかもしれないし、そのイメージも想像できるって考えたんだと思う」
「うん。その通り。なるほど、なるほど。より明晰になった感じするね」
「となると、一つ問題が生じる気がするんだ」
「? どんな?」
「まあ問題と言えるかわからないが……ある人間の人生に一つの命を生きる意味が少なくとも一つ以上生まれ続けて膨大になる可能性もあれば、失われ続けてその意味が一つすらなくなる、つまりゼロになるか、あるいはマイナスになる可能性すら生まれる印象がある」
「!」
「!」
ここまで僕が伝えたところで、二人とも顔を見合わせて頷き合い僕の方を再び見返した。
「な、なんだよ」
「いや、すごいよ兄貴。どうぞ先を続けて」
「ええ。お兄さんの想像と論理、もっと知りたいです」
妹の友人とはいえ異性から顔を詰められがちに告げられて緊張しないわけがない。しかし、自負心でなんとか抑えて続けた。
「あんまり想像の方は膨らませられていないんだが、少なくともこのゼロかマイナスの可能性について想像してさっきの命題をいくらか修正するなら、『ある人間の人生での生きる意味の総量は、プラスであるか、ゼロであるか、マイナスであるかのいずれかである』という命題になる気がするんだよ。
ただ、個人的には生きる意味みたいな抽象的なことをこんなふうに『量的なもの』として考えていいのか? っていう不安がある」
「いえ、大丈夫だと思います。たとえば快と不快を『量的なもの』として考えて、その総量がプラスに働くような行動を勧める『功利主義』という考え方で行われていますし、何より興味深い論点です」
「ゼロとマイナスかあ……。さすが普段から損得で物事を考える兄貴。観点が違うといろんな側面から考えられるから楽しいね!」
「それは褒めてるのか貶してるのかどっちだ」
「両方かな?」
「おい」
「冗談だよ」
そんなやりとりにもにこにことする不知火。僕はやや呆れて春名の用意してくれたクッキーを口の中に入れて咀嚼し始めた。クッキーはさっきからみんなで食べているので減る一方だ、好きなチョコレチップを確保しようと僕は内心少し躍起になっていた。
そんな僕の心のせかせかしたところを見ていたからか、春名が急に思いついたと語り始めた。
「考えてみたら、この生きる意味がゼロになったりマイナスになったりする可能性ってさ、押し進めると結構大変なことにならない?」
「? どういうことだ?」
「だって、生きる意味がマイナスになりうるんだったら、極限まで行くなら無限大まで行ってしまいそうじゃない?
そんな絶望的なことになるんだったら、初めからそうした生きる意味の増減をそもそもカウントしない、つまり人生の変化をプラスにもマイナスにも捉えないで、ずっと『ゼロ』のまま変わらないものとして捉えた方がむしろ生きやすいんじゃないかな」
「……!」
これには、僕自身が驚いた。
「それは……、そうかもしれない。僕自身、答えの出ないことで迷うことや悩むことをそのマイナスの結果だと思っている節がある」
その驚きが顔に出ていたのだろう、妹は再びにやりと微笑みながら続けた。
「でしょ? 実際普段の兄貴は、現実的な問題を合理的に解決するためにどちらの考えが合理的か非合理的か、どちらが快か不快かその得点の総量をスコアボードに点数をつけていくみたいに計算して、どっちがいいか選んでいくよね。
でも、《人間の人生での生きる意味の総量が過剰にマイナスになる場合、ある人間は生きる意欲を失う可能性がある》から、《人間の人生での生きる意味に限り、計量しない》っていうちょっと特殊な功利主義の『生き方』論を支持してたんじゃないかな」
「い、『生き方』論……。僕はまたそんな小っ恥ずかしいことをしてたのか」
「だから恥ずかしくもなんともないって。みんなポップスでもラップでもロックでも、ラノベでもアニメでも映画でも舞台でも、なんだかんだ《自分はこんな生き方をしてきた/こんな生き方しかできなかった》とか告白してるし、そもそも《人間にはどんな生き方が可能なのか/不可能なのか》について、たくさん表現してるじゃない」
「う、ううむ……」
と、僕の隣に座っている春名の指摘に腕組みしながら考え込んでしまった。ふと不知火はどう考えているのだろうとちゃぶ台を挟んで対面にいる不知火の方を見てみると、なんということか、不知火がぽろぽろと涙をこぼしている。
「な、な、なんで泣いてるんだ不知火⁉︎」
「ちょ、むーちゃんどうしたの⁉︎」
慌てふためく兄妹の声に我を取り戻した不知火が、僕たちとシンクロするように慌てふためきながら手のひらをこちらに向けて振りながら、
「ああっ、あの、ごめんなさい、あまりに、あまりに……」
と告げつつもまた涙をこぼし始める不知火に、妹は自分の部屋の引き出しにしまってあったハンカチを取り出して渡した。それを手に取って目尻や目頭に溜まった涙、頬に流れた涙を拭った不知火は、こんなふうに続けた。
「いまの時間が、短いものでしたけれどあまりに楽しくって、嬉しくって。もうずっと、わたしだけじゃなくて、こんなふうに誰かが誰かと一緒に考えている場所にいたかったんだなあって……、そう、思って。そう思ったら、なんだか自然と涙が出てきてしまったんです。驚かせてしまって、ごめんなさい」
その、これまでの寂しさと対照的ないまの悦びを語る切々とした言葉に、僕は何も言えずもらい泣きをしてしまいそうになった。
不知火もいろんな出来事を経験してきているらしいことは、叶からの伝聞で断片的に知ってはいるが、その耳目をひきやすい出来事の背後の思いが「誰かが誰かと一緒に考えている場所にいたかった」とは。きっといろんな紆余曲折や屈託があったろう。
僕もどこか自分と相通じる彼女の寂しさにしんみりとなって、不知火が涙を誤魔化すように眉を垂れて笑う表情を見つめてしまっていた。
一方春名は威勢よく天井を見上げ自分の眼のうえを漂う生理的な液体をもう一度涙袋に戻そうと躍起になっていた。けれどなかなかうまくいかなかったようで、ええいと江戸っ子のように手で涙を拭い、話すのに夢中で手をつけないでいたチョコレートの包装紙を次々に開けてぱくぱくと口に放り始めた。
「ほら、むーちゃんもたくさん食べて! 食べたらまた、哲学しよう!」
「ま、まだやるのか⁉︎」
「当たり前でしょう、この会はむーちゃんの『命の意味』の哲学相談なんだから」
春名がそう一息に告げると不知火は「ありがとう」と応えて、チョコチップクッキーの包装紙をゆっくりと開けて、一つ、丁寧にゆっくりと食べ始めた。




