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不知火無題のドキュメント  作者: 人見 吾空
第四章 不知火無題との関係性

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1.他人たち

 分裂しそうな家族の再生へ向けたドラマが世間で取り沙汰されるたび、幼い頃から僕はなんとはなしに違和感を感じていた。

 その違和感がなんなのかうまく言葉にできなかったのだけれど、ギルマスが人生というクエストの攻略法について教えを授けてくれているとき、「もともと違う世界に住む他人同士なんだから、無理に家族らしくしなくてもいいし、絶対に従わなきゃと思わなくていい。家族とはいえ相性の良し悪しだってある。地域や仕事先の人と同じように、適切な距離をおいて付き合えばいい」という考えを聞いて、目から鱗が何枚も落ちたものだった。

 そうだ、シナプスがつながっているわけでもなし、相手の感覚や感情が直に伝わるわけでなし、違う個体が集まっているからこそグループとしての「家族」という名前が当てられているんじゃないか。同じ個体が集まっていたら、それはコピーかクローンだ。

 しかし僕たち家族においては、他人同士という認識すら共有ができなかった。両親だけが生きたプレイヤーで、僕たちはその「夫婦」が「家族」という新しいステージに至るために必要なノン・プレイヤー・キャラクターのようなものでしかなかったためだ。

 自分で行動する範囲を決められる人間ではなく、所定の範囲しか動き回らないはずのキャラクターとして見つめられ続けることの吐き気を、どうすればいいんだろう。

 そんな鬱屈した感情を、僕は春名の出ていった朝の風景を見つめながら感じていた。


 僕は日曜の朝方、起き出した父さんに春名が家出をしたことを告げた。それほど驚くでもなく「……またかあ。まあそのうち帰ってくるでしょ」と言って朝食を作り始めた。

 春名が最初に家を出て行ったときも、似た反応だった。

 春名はここでしか暮らせない存在だと何故か全く疑っていない。

 念のためにいうが、子離れができていないというのとも違う。

 うまく言えないけれど、自分こそがそのキャラクターを管理監督する存在だから、ほかの場所に所属することなど無理だろうというイメージなのだ。

 僕は父さんに何かを頼むことを諦めていた分、それほど傷つかないつもりだった。

 虚無主義者かくあるべし。

 人間に生きる意味も価値もない、悟りを開いたものとしてモノ生を歩むのだと改めて心を固くしていた。

 そう、生きる意味の増減をカウントするな。

 それだけがまず、いま僕が僕として僕であることを保つために採ることのできる唯一の方法だった。春名、確かにこれは僕の生きる方法、生き方だったみたいだと内心呟きながら、僕は父親に朝食は外で食べてくるといい、そのまま自転車に乗って高校近くのカフェへ向かった。そこで叶と出会って、今に至る。


「だめだ、やっぱり繋がらない」

 二人でカフェの一階テラス席に移って、スマートフォンから春名のスマートフォンに電話をかけてみる。SNSからメッセージを送って見たりもしたけれど、既読すらつかない。

「舜くん、不知火さんの連絡先は知らないの?」

 そう問われて、頭を振る。叶はひとつため息をついて、

「ぼくも教員だからね、ひとつ緊急事態だということで不知火さんのご住所を確認することもできなくはないと思うんだけれど、校内に保管された個人情報だからねえ……」

 とやけに小さな声で応えながら、頭をぽりぽりと掻く。

 叶が言わんとするところはわかる。まだ可能性の段階だし、そもそも原則として生徒の個人情報を他の生徒に伝えることはできないだろう。

 打つ手はもうないのか、他に何か手はないのか。

 そう考えていた折に、さっき叶の言っていた「情報網」の言葉が不意に脳裏をよぎる。

(……いやいや、それは流石に迷惑をかける。しかもどこにいるかもわからない妹のことを探してもらうなんて……)

 そう僕が逡巡していると、叶のスマートフォンが先ほどから頻繁に明滅している。

「……着信とかメッセージが来てるんじゃないのか。いいのか、見なくて」

「うん、大丈夫。いまは舜くんの話を聴くことが大事だし、まだ決め手の情報は来ていないみたいだから」

「……決め手の情報?」

「ああ、さっきぼくの市内の友人たちで作っている困りごとオープンチャットに、春名ちゃんの画像と一緒に捜索願いを出しておいたんだ」

「なっ⁉︎ 何⁉︎」

 僕は思わずコーヒーを吹き出してしまった。そうだ、こいつはこういうやつだった。こちらの悩みを聞きつつ、打てる先手を見つけては即座に問題解決に動き出すんだ。

 テラスのテーブルが木製でよかったと思う間もなく、僕のリアクションにも全く動じないまま叶がテーブルに散ったコーヒーをナプキンで拭いている。心が鋼でできている奴はここにもいたようだ。

「大丈夫、大丈夫。そこにはこういう困りごとを裏で考えて暗躍できる、信頼に足る人たちしかいないよ。

 ざっと属性を挙げると、セクハラ等の前歴のないクリーンな市議会議員さんたち、各地区の町内会会長さんたち、駅前の居酒屋やバーの店主さんたち、駅前のスポーツクラブのマネージャーさんたち、福祉法人やNPOの代表さん、各地区の公園管理の職員さん、小中高大の校長さんか副校長さん、あるいは理事長さん、そしてぼく」

 もともとはお祭りでの山車行事の困りごと解決チャットだったんだけどねえ、いつの間にか地域のセクター横断困りごと解決チャットになってたよと告げながらかんらかんらと笑う叶に、僕は末恐ろしい人間に悩み事を伝えてしまったのではないかと震えていた。

「暗躍できる信頼に足る人ってもう言葉づらからして信頼できないぞ……。いやそれよりお前、さっき個人情報とか言っていたじゃないか!」

「舜くん、この世界は灰色でできているんだよ。そんなときに根回しだろうと世論操作だろうと暗躍する人が多く現れるのは自明の理だ。そんな世情のなかで暗躍をしっかりそれとなくできて、かつ倫理的に信頼がおけるボランタリーな人々がどれほど貴重か。

 それにこの解決策は、舜くんも考えていたことじゃないかい?」

「う、うぐ……」

「あっはっは! 素直だねえ」

 叶はそう快笑したかと思うと、自分の推測が見事に当たり、かつ僕自身が思考を見透かされて恥ずかしがっていることに愉悦しているように口角を上げて微笑んだ。

「きみたち兄妹はほんとうに昔から可愛いなあ。いつかお人形さんにして飾りたいくらいだ」

「さらっと不穏な趣味を言うのはやめろ。……それで、チャットには何人ぐらいいるんだ。そんなに報告が入ってきてるってことは結構な数なんじゃないか」

「ざっと百人超だね。いまのところ公園管理の職員さん、居酒屋の店長さん、バーのマスターさんあたりが反応してくれているかな。おっと?」

 先ほどまで静観していた叶が、自分のスマートフォンのとある通知に反応して手に取った。どんな内容の通知が来ていたのかまでは僕の目では確認できなかったが、叶は「いやはや、みなさんには頭が下がる」と言って、僕にその通知の表示を見せてくれた。

 見ると、スマートフォンの地図アプリ上に次々にタグが振り分けられている。

「これはなんだ」と尋ねると、「みんな、人海戦術してくれているんだよ。ここはもう見たぞ、という場所をタグづけして行ってくれているのさ」と叶は内心驚きを隠せない様子で告げた。

 僕も思わず「嘘だろう」と言ってしまった。

「黄金週間序盤の休日だというのに、大人たちがそんなことを?」

「大人だからだろうねえ。それに店長さんやマスターさんあたりは今日も仕事だしね、朝から仕込みをするので早起きだし、職員さんや会長さんたち、マネージャーさんあたりはぼくとランニング仲間でもあるから、ジョギングやランニングをしてリフレッシュするついでに見てくれているんだと思うよ」

 僕は目も耳も疑った。先ほどから叶が僕も自分も見られるようにとテーブルの真ん中あたりにスマートフォンをおいてくれているが、十数秒から三十秒ほどの感覚でぽこぽことタグが新しく付けられている。

 いまこの瞬間も、僕のことも春名のことも知らない大人が、仕事ついでやリフレッシュついでだとはいえ、妹のことを探してくれているという事態をうまく飲み込めない。

「……僕はこの人たちにどれほどのお礼をしなきゃいけないんだ……?」

「あっはは! 少なくともお金も贈り物もいらないと思うよ。ついで仕事のボランタリーな活動だし、まだ成果は出ていないわけだしね。

 もしこれでうまくいったら、『本当にありがとうございました。大人になったらみなさんのお店に伺ってみたいし、公園も大切にしていきます。ゴミがあったら拾います』くらいの無理のない範囲でのお礼でいいと思うよ。そしてその恩は、ぼくたちに返さなくてもいい。誰かに返すのでも全く問題ないんだよ」

「いや、それだと本当に忘恩になるじゃないか」

「きみは意外なところで人情に厚いなあ。でも人は意外とね、自分がボランタリーに行ったことについて無償に感謝されるだけでも生きがいを感じるものなんだよ。

 あのとき売ってやった恩をと思うがめつい人ももちろんいるし、お礼も感謝もしてくる割にいわゆる『やりがい搾取』みたいに恩を買っていくことしかしないせこい人もいるけれど、お礼のバランス感覚に優れた有徳な人も確実にいるのさ」

「それは、そうなんだろうが……」と、僕があまり納得できていなかったからか、複雑な表情になっていたようだった。叶は僕の顔を見つめて「おいおい、若者がなんて渋い顔してるんだい」と言って、こんな話をしてくれた。


「きみにとって参考になるかわからないけれど、動機付けや意欲についての心理学でよく話題に上がるこんな事例があるんだ。

 時は二次大戦中、若者たちがとある店主さんが営むパン屋の窓ガラスを割ったり、蔑称をその店の壁に落書きしたりしたそうなんだね。

 それを見てその店主さんは、なんとお金を渡したんだ。むしろ、もっとやってくれていい、もっとそういうことをしてくれたら、お金は弾むぞってね。

 若者たちは興に乗って、次々にそうした差別的な迷惑行為をし続けた。そしてその報酬として次々に増えていくお金を貰っていったのさ。

 しかしとある日、店主さんはもう渡すお金がなくなってきた、今日はすまないがこれっぽっちだと言って、だんだん渡すお金を少なくしていったんだね。

 すると若者たちは望む額のお金がもらえないならと、その迷惑行為をやめたんだ」

「……? その若い奴らは何をしたかったんだ?」

「疑問に思うよね。最初は自分の衝動から行っていたことにご褒美がついたんだから意欲は増す。そしてご褒美が減ったとしても、元は自分の衝動からやっていたんだからご褒美分増えた意欲だけ減る、つまり行為は止まらないのではと予想はできる。

 でも、この事例ではご褒美の減少がその内側の衝動すらも薄れさせたんだ。

 これまで人間の動機というものは、単に内側のやる気や怠けから、あるいは外側のご褒美や罰からしか生み出されない単純なものと思われていたけれど、むしろその相互作用で不可思議に増減するということを示した事例として、有名になったんだけどね。

 だから、今回のことでお金を渡したら、このボランタリーな活動に大人たちが感じてくれている意味、意欲も薄まってしまう可能性はある。だから今回大人たちがしてくれている『ついで仕事』のようなボランタリーな行動には、きみがお礼をしたいというボランタリーな思いで実現できそうな『行動』で返すのがちょうどいいのさ」

 そう言って、叶は残り少ないコーヒーをくいっと飲み切った。

「もちろん、絶対に対価が発生して然るべき、契約上の大変なお仕事とは別の話として受け取ってくれよ? たとえば公立校の教員は市や県に雇用されるんだけどね……、おっと、これは自分の身の上話になってきちゃうな」

 そう告げて苦笑したあと、急に「まだ何か食べたいな、ちょっと買ってくるね」と言って店内に入っていく叶の後ろ姿を見つめながら、僕は思考を巡らせ始めた。


「いざというときは家族しか助けてくれないよ」と、幼少期から僕たちは無茶をするたび諭されていた。それは確かに、一面の真理をついていたとは思う。

 でも、いま助けてくれているのは見も知らぬ「他人たち」、叶の言葉を借りるなら『倫理的に信頼がおけるボランタリーな人々』だ。

 そして家族が、いわゆる世間の冷たい他人たちが自発的に助けてくれないのに対して家族内の人間に限りボランタリーに手助けしてくれる他人なのだとすれば、「他人」って一体なんなのだろう?

 以前不知火や春名と一緒に考えたときの方法に倣うなら、《他人とは、自分以外の全ての人間である》という命題にでもなるのだろうか?

 ……「自分以外」、この言葉に引っかかる。父さんは春名になんと言っていた?

 その言葉を思い出しながらその思考の道筋を辿っていくと、するりと糸が解けるように、父親が春名に告げていた言葉の裏側に気づいてしまった。

 もし自己意識をこの世に存在させていなければ、自己意識を持つ他人もまた存在しない。

 つまり心も存在させていなければ、自分も他人もないどころか、ただ家というカテゴリー、地域というカテゴリー、社会というカテゴリー、国というカテゴリーのなかに帰属して、そのカテゴリー間の情報のやり取りや財のやり取りをする他に機能の無い身体の集まり、いわば『機械的なもの』としてしか存在しなくなる。

 じゃあもし、そのカテゴリーのなかで割り当てられたなんらかの役割、なんらかの機能を果たせなくなったら、その存在は……。

 感情も感覚もなく、「自分」という意識もなく、ただ同情と共感の連鎖反応を繰り返し、自分と同じ言葉を使う習慣を他の機械に押し付ける『機械』でしかないから、見捨てても構わないのか? その存在がたとえ自分と呼ばれる存在であっても、他人と呼ばれたり、家族と呼ばれたりする存在であっても。

 それは、自己意識を持たない空虚に過ぎない。

 そんな考えを主張したかと思えば、家や地域、社会や国という非物理的な帰属先はナイーブにこの世に存在させている。

 つまり一貫した科学主義ではないってことだ。

 こういう考え方をどう捉えればいいんだ?

 どうコミュニケーションすれば、そんな考えを持っている相手と話し合えるんだ?

 そこまで考えて、僕は春名と不知火とこの命題について一緒に考えたい衝動に駆られている自分を自覚せざるを得なかった。

 不知火すまない。ついでに春名にも謝罪を告げる。哲学は社会に不要どころか、自分の考えとは異質な他人の考えを論理的に理解するための手立てだったんだな。

 席に戻ってくる叶の持っているプレートに、自分の分のコーヒーとアイス、そしておそらく僕の分のカフェオレと種類違いのアイスが並んでいる。「糖分を持ってきたよ」ときわめて実質的なコメントともに席についた叶を横目に僕は、おそらくは観光目的でこの街を訪れたものの喧騒から離れようと観光用の街路の端まで来た人々が、観光の喧騒から距離を置いたこのカフェに入店していく姿を見つめていた。

 他人たち。どこから来たかもわからない人々。

 それでもその内側に僕とは異質な自分があり、考えがあり、その筋道があるという当たり前のことに気づいたいま、目の前の観光用の街路の端で静かに展開されている人の波は僕にとって、何か途方もない思考の流れの渦のように見えてきた。

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