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不知火無題のドキュメント  作者: 人見 吾空
第三章 不知火無題の記述

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3.幼なじみと僕

 四月最終週から五月第一週にかけての金色に輝く二週間を、これまで取得していなかった有給を重ねに重ねて一ヶ月半にして海外旅行に行ってくるねと笑顔で告げたのは、なんと春名の合格発表の翌日、三月の半ばのことだった。

 あまりに急な知らせに僕も春名も驚きを隠せなかったが、

「いやあ、だって二人の受験が連続して大変だったし、それにまた舜の大学受験もあるでしょ? この機を逃しちゃうと海外旅行ぜんぜん行けないよねって二人で話して即決したんだ。休暇っていっても向こうで多少はオンラインで仕事しなくちゃいけないけど、生活についてはひいおじいちゃんには伝えてあるから、何か困ったら頼ったらいいよ」

「あんたたちもはしゃいで誰か連れ込んだりしないでよ?」

 と両親から告げられて、僕たち兄妹は空いた口が塞がらなかった。

(受験を終えた春名のことをねぎらうという発想はないのか?)

 流石の僕も心のなかでそう呟いたのだが、その疑問を投げかける前に春名は笑って、

「そっかあ、行ってらっしゃい。こっちは大丈夫だから。お土産よろしくね」

 と、明らかに何かを諦めたような顔で告げているのだった。


 二年生となって最初の、地理総合・歴史総合・公共が合わさった探究の時間のことだった。この地域の地域史を研究しているという老教諭が勝手に話し始めた雑談から聞いた話によると、もともと富士の噴火でこの門倉市を含む平野一帯は火山灰が多く農作には適した場所じゃなかったそうだ。それを江戸時代から植樹し「平地林」(ヤマと呼んだらしい)をつくり、その落葉で土おこしを行うことでようやく開墾できたのだという。

「驚くなかれ、その開墾の規模なんと三二〇〇ヘクタールだ!」と言われても実感がちっとも湧かず教室は静まり返ったが、「ヒント、一ヘクタールは一万平方キロメートル」と付け足されたあたりでざわつき始めた。「東京ドームに換算してみると……」と言いながら、そのままネットに繋がれた電子黒板で規模の比較ができるサイトに数値を入れてみると、なんとおよそ六八四個分という表示が出てきた。これには確かに僕も驚いて、にわかに「そんな広さ、人の手で作れんの?」「無理っしょ」と言った声が広がり始めた。

 他の生徒たちからすれば単に昔の人ってすごいなで終わる雑談だったかもしれないが、僕にとっては自分の具体的な先祖の話でもある。

 だからと言っていきなり先祖を大切にしようというような感覚にはならないが、「そんなに頑張ったんだな」という感慨と、「そんなに頑張った場所でいまはこんな家族が暮らしているよ」という悲しさがゆっくりと胸を打ってきた。

 続く地域史の説明を聞くと、門倉市一帯は都心と県庁所在地双方へのアクセスの良さから人口も定常的に増えているらしく、東西南北に菱形に約百平方キロメートルに渡って広がる各地区にそれぞれ学校が林立しているという。

 僕たちの通った学校の外にざっと三十一の小学校、二十二の中学校、一つの特別支援校に、市立の普通科高校があり、六つの公立校、工業高校や七つの私立の普通科高校、三つの大学と二つの音楽大学すら擁しているらしい。

 そして僕たちの住む農地から南に五キロほど離れたところにある、門倉市の玄関口たる門倉駅は周辺に広がる城下町の名残を観光産業の売りにして久しく、僕たちが記憶しているだけでも次第に駅前の繁華街と観光用の街路の様子は互いに異なる方向に様変わりしてきた。繁華街はより現代風に、観光用の街路はより伝統風に。

 そんな様変わりからぽつんと取り残されたように昭和の風情で佇む校舎の林立する、駅から北西に位置するこの地区は、かつては一帯を統治していたお城が聳えていたようだ。

 僕と春名の通った市立門倉第一小学校と第一中学校、そして現にいま僕と春名、不知火がともに通う県立門倉高校という三つの学校の端々を、水路がぐるりと波を打つように断続的に取り囲んでいるという。

 小学校では校庭のフェンスと裏門の境にある小さな公園に、中学校では校庭の端を沿うようにのびているビオトープに、そして高校では校庭に隣接する小さなカフェとの間に。

 もちろん明治以来の土地開発で往時の水路はもうほとんど存在しないけれど、コンクリートと石積みで整備されたその水路の近くに立つと、もう暗渠に流れるほか無くなってしまった支流の流れる音が微かに聞こえてくる。

「まさに歴史の音が聞こえてくるんだ」と熱を入れて説明する老教諭の感慨は、あまりクラスメイトたちからの賛同を得られていなかったようだけれど、僕は部分的に賛同していた。

 というのも僕は学校という場所が押し並べて嫌いで苦手だったが、現代的であれ伝統的であれどこもかしこも人の匂いのするこのまちで、水音が流れてくるその水路の近くだけが僕にとっての憩いの場所になっていたからだ。

 そして黄金週間の中日にあたる四月末の祝日であり日曜日でもあったこの日、とある事件というか、出来事が起きて、僕はまた感情を揺さぶられていた。

 心身を落ち着かせて善後策を考えるべく、僕は高校に通い出してから馴染みになったその水路近くのカフェに向かった。その先で僕はありがたいことにというべきか、一人ではなかったことを思い出させられた。


「やあ、舜くん。そろそろ来る頃じゃないかと思っていたよ」

「……」

「そんな腫れ物を見るような目でみないでくれよ、ひどいなあ」

 後ろ手に閉めた木製のドアの、上に飾られた鐘が鳴り終わると同時に僕はまたため息をつきつつそう応えて、にっこりと笑いながら僕の方に手を振っているその幼なじみの方へと歩をすすめた。

 叶は学校にいるときとは違って、胸元の開けた茶褐色のアジアンなワイシャツに、ネイビーのソフトなストレートパンツを合わせたラフなスタイルだった。髪型もオールバックにしていて、一見男性かと見間違えるほどの中性的な出立ちだ。

 方や僕は黒いスウェットのオーバーサイズめのパーカーに適当なジーンズを合わせただけの、いつもの視界を塞ぐ前髪。

 おそらくは歳の離れた対極的な兄弟か、家庭教師とその生徒といった印象を持つだろう。同じ学校の先生と生徒の会合だとは思われまい。

「そろそろ来る頃じゃないかとは、どういう意味だ」と、叶のいる机の横に立つなり、僕は尋ねた。

「わかるだろう、ぼくたち田舎のご近所さんなんだ。いろんな噂の一つや二つ、入ってこない方がおかしい」

「そうは言ってもタイミングが良すぎるだろう。何か盗聴でもしているのかと疑いたくなる気分だ」

「いやだなあ。それを行う技術も知識もあるとはいえども、そんなこと行いたくないという倫理観はぼくにだってある。ぼくの情報網を甘く見てはいけないということだよ」

 さ、座りなよ、一杯コーヒーを奢ってあげようと告げて、叶は自分の座っている窓側二人席の空いている方を丁寧に手で示した。

 いくらか憮然とした態度で、僕はその席についた。

「その情報網とやらを通じて、何を知ったんだ?」

「きみたちが困っているかもなということくらいだね。おとうさん、帰ってきたんだろう?」

「帰ってきたと言っても、まあ別に問題はない。お前が勘繰るようなことは何もない」

「本当にそうかな? 実は今朝、いつもの朝ランをしていたときに春名ちゃんが自転車でどこかへ向かうのをちらりと見かけたんだけれどね」

 とてもじゃないが、休日の気ままなサイクリングという表情はしていなかったよ。

 そう、叶は一言置いて手元のコーヒーを啜った。

 そう春名の様子を告げられて、僕は今朝起きたことを思い出さずにはいられなかった。

「……情報網からじゃなくて実地に観察してるんじゃないか。探偵はアームチェアで推理してなんぼだろう」

「あはは、ぼくも憧れのホームズになれたらよかったんだけれどね。でも、春名ちゃんにいつもあるはずのものがない、そしているはずの場所にいないみたいだということは、情報網から聞いて気づいた話だよ」

「? どういうことだ」

「近隣の方々にとって春名ちゃんは……、ひどい言種だけれど気になる子の一人でね。

 数年前はよく夜中に送り迎えをするバイクの音が始終聞こえてきたりしたものだから、その動静はまあまあ話題に上るわけさ。

 でもそれ以前は、背の高い活発な子というイメージだった。大体バスケ部員が持っている大きなナイロンバッグを背中に背負って、自転車で駅まで五キロの道のりを往復するようなね。部活動からの帰りの時間であれ休日であれ、そうした重そうなバッグを背負う姿が中学になって戻ってきたものだから、周りの人も安心してきたと。

 けれど今朝、ぼくは春名ちゃんの表情に目がいっていて気づかなかったんだけども、朝の田おこしの準備を終えたばかりのおばあちゃんに言われて気付いたことには、今朝はスポーティな白のジャージ上下とはいえ、なんにも荷物を持たずに自転車を漕いでいたんだよね」

「……それがどうした。今日は休日だし、もう春名はバスケットボールをしていない。そんなときだってあるだろう」

「いや、きみは基本的に部屋にいるだろうから知らないのかもしれないけれど、この四月から春名ちゃんはお休みの日に駅前のストリートバスケのコートに来ているんだよ。中学でバスケは終わりと考えてはいたけれど、やっぱり趣味としては続けたいみたいでね。

 軽く運動がてらという感じで、大人に混じってワン・オン・ワンやスリー・オン・スリーをしているのさ。そしてぼくの馴染みの友人たちもそこに屯していてね。腕のいい女子のシューターが最近通ってきてくれて嬉しいと話していたよ」

 そうだったのか。休日の朝早くに出かけていたのは春名にとって習慣になっているらしいランニングや筋トレをするために公園にでも行っているのかと思っていた。

「それが今日は、友人たちにSNSで聞いてみて確認をとったけれど、駅前のバスケのコートにも来ていないらしいし。何も荷物も持たないでどこかへ自転車を走らせていたから、どこへ行ってるんだろうと気になったのさ」

「そこから僕たちが困っているところまで、どんな推理を働かせれば辿り着くんだ」

「まあ落ち着きなよ。ほら、コーヒーがきたよ」

 そう言われて、カウンターの奥にいたマスターがゆっくりと蝶番で閉じられていたとカウンターから店内のフロアに通じる小さな扉を開けて、コーヒーカップとミルクピッチャー、そして小さなチョコレートの置かれた小皿をトレーに乗せて運んできてくれる姿が視界に入った。

 僕は軽く礼をして、その甘めのコーヒーにさらにミルクピッチャーのなかの牛乳を注ぎ、机に備え付けの角砂糖の入った小瓶から二つほど取り出して、ぽちゃんと落として、ちょっと喫した。

 カフェの出入口に面した壁には床から天井近くまでガラス窓が嵌め込まれている分、朝の太陽の光が僕たちのいる隅の二人席にもゆったりと伸びてきていた。店内の壁際や出入口近くなど至る所に置かれた観葉植物たちも光合成ができて喜んでいる風だ。

 落ち着いたかい、と語りかける叶に、ぼくは頷く。

「まあ聞いてもらったら分かると思うけど、推理なんていうほど大仰なものじゃない。単なる心配だよ、舜くん。

 春名ちゃんが向かっていた方角が駅のある南方向だということは彼女が四車線の国道沿いを真っ直ぐ進んでいく姿からよくわかったんだけれど、怒りに任せて漕いでいるというよりは目的地に淡々と向かおうとしている印象だったんだよね。

 だからてっきり駅前のお店にでも買い物に行くのかなと思ったんだけれど、そういうときにもたいていナイロンバッグを持っていっちゃうような子だからね。表情も買い物にいくというには剣呑すぎる。

 じゃあそんな様子の子が何も持たずに自転車を真っ直ぐ漕いでいくような事態の背景には、どんな状況が控えているんだろうと心配に思ったわけさ」

「そんな心配程度で、このカフェに来て僕を待っているというのが末恐ろしいけどな」

「何をいうんだい。ぼくにとっても今日は貴重な休日。きみが来ようと来まいと、ぼくはここでリフレッシュする予定だったさ。

 そしてもし心配の種がなくなれば、今日は一層素敵な日になるだろう? もちろん、快刀乱麻を断つようなことは望んでいないよ。人の心の綾を解くのは科学的思考には難しすぎる」

「そんな休日に僕の話を聞いて大丈夫か、心配の種を増やす結果になるかもしれないぞ」

「やれやれ、きみはぼくのモットーを忘れてしまっていないかい? ぼくはひとのためになることをするために生きているようなもの、なんだからね。いわんやきみのためになることならなんでもするさ」

 その幼なじみの言葉の背後に、本当に何も後ろ暗いものがないことを確かにこの二年間ほどをかけて僕は知ってきた。田舎の情報網でこちらにきている噂を辿っても、幼い頃のマッドな実験好きの性格が影を顰めていることはすでに知っていた。

 それどころか、近隣の無農薬の田圃で害鳥が来ないようにと害鳥を認識する装置を田圃の畦道に取り付けて鳥にのみ聴こえるアラーム音を流すプログラムを組んでは農家の方に「もっと早くに会いたかった」と感激され、各地区の山車が市内を巡るお祭りの来場者数を計測する人手が足らないとなれば、その主要道路に人間が通った時だけ反応するよう学習させた装置を置いて定点観測と概数での計算をやって見せ「君こそ我が町内会のCTOだ」と報奨されたりと、叶が中高大と人のよろず困りごとを解決することに取り組んでいるらしいというのは聞いていた。

 去年に実習生として来てからも、学校のなかに新しく導入された教具を使って生徒や古株の教諭たちの細々とした困りごとを解決して回っていた姿は記憶に新しかった。

 そうした叶の姿に密かに感銘を受けた僕が、偶然叶とこのカフェで会ってから話すようになってはや半年近くが経とうとしている。

 そこでの会話が進路選択にあたっての補助線、ひいては人生の補助線の一つになってきていたし、彼女なりの「心配」で僕のなかの言葉にならない感情を吐き出させてくれているのもまた確かだった。

 ただ、間違えてはいけない。叶は僕でも知っている道徳的な立場としての、《誰かのためにのみ行動する》という純粋な「利他主義」の人間なのではない。

 あるとき、僕が「なんで人のためになることをするんだ?」と尋ねてみたとき、こんな答えが返ってきた。

「だってその方が単純に美しいし、いろんなスキルを身につけられるからいろんな人に呼んでもらえて食いっぱぐれないし、みんなと話すことが増えて楽しくなるじゃないか」

 そう。叶は自分にとってそれが美しく、生計も友人関係も築くことができて生きるのが楽しくなる実感があるから、利他的な活動をしているのだ。

 厳しい現実を見ないまま生暖かい優しさを押し付けるような利他主義より、冷たい現実のなかで自分が生き残るためにはどんな手段でも目的でも使うのが常態だと開き直る「利己主義」より、利他的な活動を『美しい』と言い切るさっぱりした叶の美学のほうが僕にはより潔くて信頼することができた。

 だからこのときも僕はその幼なじみの心配に、自分のなかにある鬱屈を吐き出してしまいたい欲求に駆られた。

 しかし解決策はわからない。

 もしかすると、解決策なんてないのかもしれない。

 僕が理想としていた軟着陸が家族のみんなにとって理想的であるかなど、少しもわからないのだから。

 そんな答えの出ない悩みに叶を陥らせるようなことは、僕自身が避けたい。

(……けれど、その思考を整理するためになら……)

 そう僕は逡巡の末に考え、叶に告げた。

「……まあ、初めてのことというわけでもないんだが」

「ふむふむ、どうしたの?」

「春名が、家を出ていったんだ」


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