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この世は勇者であふれてる  作者: 栢瀬 柚花
紛争と敵意

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ヒルスナイト


 ヒルスナイトに出発するのは、準備が完了する夜になった。

「私は軍の手配を進めます。ヒカリ様は陛下と共に準備を急いでください」

 ヘルムートはそのままラディウスの執務室に残るようだ。実質彼が国の代行となる、ということを意味する。


 

 ラディウスの部屋に一緒に行き、彼が着替えや持ち物をまとめる間、あたしの頭に田岸さんの顔がよぎった。直接伝えたほうがいいと思い、その場で風を送る。

 

 

『戦地へ?!』

 突然の事に田岸さんは大いに慌てていた。 

「はい。もう軍は送っているので、準備が整い次第、あたしもラディウスも出ます」

『今夜なんて……そんな急に……』

 

 絶句して言葉もない田岸さんに、あたしも返す言葉が見つからなかった。

 心配しないでなんて言えなかった。 

 平気ですとも、不安で仕方ないとも言えなかった。

 

「ヘルムートが王都に残ります。定期的にやり取りをする約束です。もし――田岸さんも何か……あれば……ヘルムートに力を貸してあげてください。それがあたしの助けになるかもしれないので」

『……――はい』

「実践訓練の時は田岸さんのアイディアに相当助けられましたから、ヘルムートも助かると思います」

『…………はい』

「…………――ええっと…………」

 

 自分でも何が言いたいのか、分からなかった。

 きっと田岸さんもヘルムートと同じ心境だろうと思うと、同じように細心の注意をする、言えばいいんだろうけど……。

 田岸さんにはそれだけではいけない気がした。

 

 沈黙が続く。

 風話が繋がっているのか疑いたくなる程の長い沈黙だった。

 

「あの……」

 言う言葉も見つかってないのに、あたしは沈黙に耐えかねて口を開いたが、

『ヒカリ、死なないで下さい』

 田岸さんの言葉があたしの曖昧な音を遮ってきた。

 

『ラディウスがいるのでそうなるとは思いませんが、それでも言わせてください。

 死なないで下さい。死ぬ覚悟もしないで下さい。必ず生きて帰るんだと、強く心に決めて現地入りして下さい』

「…………はい」

『俺は二人目の妹まで失いたくはない。あんな思いはもうごめんです。ラディウスと共に、一緒に帰ってくると約束して下さい』 

「…………――あたしだって死に行くつもりはありません。護身術も剣も弓も、こういう時のために訓練してきたんです」

『そのとおりです。そして上達した。魔法の指輪もありますから、併せて上手く使って下さい。いざとなれば力も発動して……生き残ることを最優先にして下さい』

「はい。ヘルムートからの報告を聞いて下さいね。必ず……戻って来ますから……ラディウスと一緒に――」

『ええ。必ず……約束ですよ?』

「……――はい。行ってきます」

『気をつけて……本当に……気をつけて』

「はい」


 そこで風話は終わり、プツリと風が途絶えた。

 耳に田岸さんの言葉がずっと残り、胸がじんじんと締め付けられる。

 

 恐怖がないわけない。

 今まで魔獣討伐には行ったが、今回は本当の戦地。魔法での攻撃がどんなものか知らないし、どういう戦闘なのかも知らない。思えば魔法攻撃も間近で見たことはほとんどなかった。

 知らないこと、分からない事が多すぎて、不安で胸が痛いくらいだった。

 

「ヒカリ、下ばかり向くな」

 急に声がしたかと思うと、後ろから抱きしめられた。

「一人で行くわけじゃないんだ……」

 顔のすぐ横でラディウスの声がする。

 前に回された腕に触れると、より顔を近づけられ、頬と頬が密着した。彼の匂いに包まれ、泣きたいくらいに心が包まれた。

「ノボルへの報告は終わったな?」

「うん……」

「ヒカリは必ずここへ帰ってくる、俺と一緒に……」

「うん……」

「ノボルのことも案ずるな。ヘルムートがいる」

「うん……」

「ヒカリのことは必ず守る……」

「知ってる……」

 そう言うと、互いにかすかな笑みが溢れた。

 城に帰ってきて初めての笑みだった。 

「ラディウスがいるなら平気。出来るだけ離れないから……」

「道中、約束事を決めよう。戦地は人がごった返す。何があるか分からない。とにかく密に連絡をとっておきたいから……」

「分かった」

「次はヒカリの家に行こう。必要な物を準備しよう」 

 

 

 次元魔法で家まで飛ぶと、すぐに必要物品を集めた。 

 ウエストポーチ、各種医療器具、ポーション、薬。

 非常食に飴、とりあえず目についたスコーン、お茶を入れた水筒を掴み、ウエストポーチに突っ込んだ。


 服は家の中にあるものでも一番動きやすそうなものを選んだ。紺色の長袖服でボタンが七色に光るものだ。夜でもこのボタンであれば、ラディウスにとっても目印になると思った。

 防寒着として防水加工をしてもらった茶色のコートを羽織り、足元はブーツにした。雪が降っているのでできるだけ暖を取れるようにしておこう。髪色を変える魔道具の髪留めも忘れないようにした。


 居間で待っていたラディウスの元へ戻ると、

「準備はいいか?」

 黒い軍服に外套を羽織ったラディウスが、引き締まった顔で待っている。

 あたしは最後にもう一度部屋の中を見回した。

 思いつく限りのものは詰め込んだ。

 あとは現地調達でもなんとかなる。


 この家に戻ってこられるのはいつになるか……。頭の隅っこでそう思ったが、弱気になりそうだったから軽く頭を振ってその考えを消した。

「準備できた。行こう」


 家の外に出ると、手袋をしたラディウスの手が伸ばされる。掴むと布越しに体温が伝わってきた。

「空から行く。夜だから目立つこともないだろう」

 ラディウスはあたしを抱えると、翼を広げて飛び立った。


            ◆



 真冬の夜の空は極寒だったが、ラディウスが防御魔法と温風を作り出してくれたから、難儀しなかった。澄みきった空は凄く綺麗で、こんな状況でなければしばらく鑑賞していたいくらいだ。

 

「ヒルスナイトは旧アザルスと隣接する領地だ。すでに3カ所の村が襲撃を受けている。本陣はその中心地に設置されているらしい」

 すでにヘルムートと何回かやり取りをしたラディウスが最新の情報を教えてくれる。

「敵の数は分かったの?」

「判然としないらしいが、恐らく100ほどだ。半分以上が兵士崩れらしい」

「……そっか」

 職を失った元軍人が多いのか……。

「これから本陣に向かう。夜になったから戦闘は終わっているが、夜の奇襲もあり得るからな。気を抜くな」

「分かった。あたしはどうすればいい?」

「ヒカリの素性は領主であるカルシスにしか伝えていない。他の者には回復魔法が使える増援、としか伝わらないはずだ。挨拶がてら戦場治療場に連れて行くが、負傷者が多ければ手伝ってくれと依頼されるかもしれん……」

「分かった」 

 早速仕事、というわけだ。

 あたしはその心積もりで気を引き締めた。

 

「ヒカリ……一つ言っておくことがある」

 嫌に重々しい声に、すぐ隣にあるラディウスの顔を見た。

「ヘルムートの手前『ヒカリから目を離さない』と言ったが……現実、戦地で俺から離れず、視界に入る距離に常に居る、というのは不可能だ」 

 あまりにも真剣に言うから、少し驚いた。

 行ったことがなくても、戦地がどんな場所かは想像に難くない。テレビで他国の戦争風景は見たことがある。状況は違うが、あたし自身も被災したことがある。有事の際の現場の雰囲気は理解しているつもりだ。

 

「分かってるよ」

 緩みのない芯のある声に、ラディウスはあたしを見た。

「本当か?ヒカリは戦の経験がないだろう?」

「なくても分かるよ。日本……というか、地球でも戦争はあるからどんな雰囲気かは知ってる。ヘルムートにはああ言ったけど、現実問題、ラディウスから離れないとか、無理って知ってる」

「……そうか」

「それを理解した上で一緒に行くの。別行動は不安だけど……傍から離れない、なんて我儘言わないよ。あたしにやれることをちゃんとして、身の安全にも気をつける」

 

 ラディウスはあたしの顔に自身の顔を擦り寄せ、「強かだな……」と笑みを零すように呟いた。

 抱きかかえる力も強くなり、より体が密着する。

「ヒカリは魔力量が無いのに……臆することなく立ち向かっていくな」

「だめ?」

「悪いとは言わんが……。もっと頼って欲しいとは思う」

 切ないくらいの表情と声に、あたしまでそれが伝染した。

「頼ってるよ?」

 軍服を掴み、

「ラディウスがいなかったらもっと怖い気持ちになってる。一緒に行けるからこの程度で済んでるの」

「……そうか」

「うん」

「……俺に魔力も魔法もあって良かった。おかげでヒカリを守れる――」

 感情の波に揺れる声で囁くと、頭に、額にキスを落とす。

 言葉がなくても、キス一つ一つが全てを語っていた。

 

 本当はあたしも返したかったけど、空中を飛んでる状況では難しい。

 代わりに強く抱きついて顔を擦り寄せた。 

 繰り返し落とされる唇がやっと離れると、気を取り直したように声も顔も引き締め、

「本陣と治療場がどれだけ離れているかわからんが、通常であれば安全な本陣近くに設置される事が多い。互いの姿が見える事もあるだろうが、基本的に風はこまめに送り合おう」

 甘い幸福感を大事に胸の奥に仕舞って、あたしも気を引き締め直した。

「ラディウスは本陣にいるの?」

「ああ。指揮をとっているからな。戦場に入るとこともあるかもしれんが、今回はヒカリがいる。極力本陣からは離れないようにする」

「仕事はちゃんとしてよ?」

「当然だ。戦闘自体が終わらないと帰城出来んからな。あと、変貌魔法で1日2回はヒカリの顔を変えるぞ」

「え?髪留めとは別に、魔法を使うの?」

 あたしは今も付けている髪留めに触れる。ヘルムートから受け取って、まだ数回も付けていない。

 

「髪留めは髪色しか変えられない。ヒカリの顔は広く国民に知られているから、顔だけでも変えたい。変貌魔法は顔を変えるだけで、体格や装飾品、服装はそのままだ。そこに注意しろ。治療中にあまり自身の事は話すなよ。顔が違うのに話している内容は同じだと気が付かれれば、不審に思われるからな」

「うーん……。なんか頭を使いそう……。でも同じ治療現場にいる魔法師たちにはなんて説明するの?毎回違う顔の人が現場にいたら、さすがに戸惑うんじゃない?」

「そこは俺が説明する。暗にヒカリと分からせれば、何も言ってはこないだろう」

「なら、あたしは一応身分を隠して現場で動くわけね?」

「そういうことだ。もし魔法師や野戦治療場に怪しいやつがいれば、すぐに教えろよ」

「了解」

「あと名前だが、『ヒカリ』以外で呼ぶ必要がある。偽名はどうする?」

「偽名?」

「何でもいい。呼びやすく、覚えやすいのがいい」

「急にそんな事言われても……」

 

 あたしは頭をひねった。

 呼びやすくて覚えやすい、ね……。

 

「マリ、は?」

「マリ?」

「昔飼ってた猫の名前」

「猫?あんな獰猛な生き物を飼ってたのか?!」

 ラディウスは驚いていたが、日本の猫はこっちと違って大人しいと説明した。

「肉食じゃないし、代表的なペットなの。気まぐれだけど可愛いよ?」

「随分と性質が違うんだな……。まぁいい。公の場ではマリで呼ぶぞ」




 会話をしているうちにだいぶ王都を離れた。

 たまに街の明かりが見えたけど、日本の夜景を見慣れていれば随分と暗く感じる。

「そろそろ着く。少し下に降りるぞ」

 ラディウスは高度を下げていくと、よりはっきりと明かりが見え出した。

 魔法による明かりとは別に、松明の篝火が点々と見える。

「夜なのによく目的地って分かるね?」

「夜目が効くようにしている。昼間ほどとはいかんが、何もしないよりはっきりと見える」

 それも魔法かぁ。やっぱり便利だな。

 

 さらに高度を落とし、一際松明が多い場所が見えた。天幕が幾つも並び、野営用具もある。他より一回り以上大きな天幕があり、あれが本陣と分かった。

 

 騎士や隊士が待ち受ける中、ラディウスはそこに降り立つ。その場にいた全員が右手を胸に当て頭を下げる中、

「状況は?」

 騎士の中でも一番鎧が豪華な獣人の騎士に尋ねた。

 ヒョウ族の彼女は引き締まった表情にブルーの瞳を持つ、精悍な顔をした女性騎士だった。

「はい。敵の襲撃は日暮れととに終わりました。今は兵士も休息を取っており、負傷した者の治療に専念しています」

 下ろされるあたしをチラッと見て、

「……――こちらの御方は……」

 変貌魔法の効果で見知らぬ人になっているから、不審な視線を送られた。

「連れだ」

 ラディウスがぐっと肩を引き寄せ、

「野営地での寝所も同じで構わん」

 その一言で彼女は目を見開いていたが、すぐに平常心を取り戻し、

「承知いたしました」

 と恭しく頭を下げた。

「負傷兵はどれくらいだ?」

「ざっと30人程。致命傷の者はありません」

「そのうち自軍の者は?」

「半数です」

「そうか」


 あたしは辺りを見回す。

 篝火と魔法でぼんやりと全体像が見渡せた。

 起きている兵士は夜番なのだろう、天幕の前に立つ者、周囲を歩いて見回っている者がいる。豪華な鎧の人以外はラディウスを横目でチラチラ見ているが、私語はない。夜とは言え、まだ緊迫した空気であることは伝わってきた。



「治療場はどこになる?」

 ラディウスがそれだけ尋ねると、「あちらです」と本陣から5メートルも離れていない天幕を指した。

 こちらは篝火が多く、中が一段と明るい。

「マリ、付いてこい」

 あたしの手を引いてズンズンと歩いていく。

 周りにいた騎士や兵は道を開けるように左右に割れ、右手を胸に当てたまま直立不動で立っていた。横を通り過ぎる時チクチク視線が刺さったけど、気にせずラディウスに続いた。



 

 治療場の天幕近くに来ると、

「責任者を連れてきてくれ」

 表に立つ騎士にそう告げる。

 程なくして壮年の男性が姿を現した。腕まくりをしてあちこちに血が付着しており、夜とは思えない程目がらんらんとして、高揚状態と分かる。

「何か?!」

 忙しかったのだろう。イライラした様子で天幕から顔を出した彼は、呼び出した相手がラディウスとは思っていなかったようで、ぎょっとして固まっていた。

「多忙なところすまんな」

「い、いえ。滅相もございません」

 ぎこちない声でなんとか言葉を絞り出したように見えた彼は、ラディウスの横に立つあたしをあからさまに凝視していた。

「この者が治療場に増援として参加する。通常とは異なる手法で動くだろうが、好きにさせてやって欲しい。必要な物の要望があった場合も、提供してやってくれ。名はマリだ」

 

 ラディウスに肩を抱かれた女性。

 治療経験があり特殊な方法を使う。

 しかもラディウスから、「好きにさせてやれ」とまで言われる特別待遇。

 

 それだけで全てを悟ったのだろう、壮年男性は一瞬顔を青くしたが、なんとか誤魔化して、

「私はミドルと申します、マリ様。この治療場の責任者をしております」

 恭しく頭を下げた。

「よろしく頼む、ミドル。少し中を案内してやってくれ」

「かしこまりました」


 ラディウスはあたしに一瞥を向けると、本陣へと行ってしまう。

「マリ様、こちらへどうぞ」

 天幕のカーテンを開けてくれたミドルに、

「あの……マリと呼び捨てて下さい。他の者から不審がります」

「あっ……いえ……しかし………」

「あたしはただの『マリ』ですから」

 強調して言うと、ミドルは相当困った顔をしていた。

「では……マリ殿とお呼びいたします」

「はい、ミドル。よろしくお願いします」



 治療場の中は真冬だというのにむんとした空気だった。換気が出来ていないせいだろう。


 ミドルは物品の場所の説明と一級回復魔法師を紹介してくれた。今回はミドルを含めて3人しかいないそうで、多忙となっていたらしい。


 その後、天幕に横たわっている人達を見せてくれたが、重症者はいないと聞いていた通り、皆入眠している。


「本日は状況が落ち着きました。明日になれば、また担ぎ込まれる者が出てきます」

「治療が終わった者はどうするのですか?」

「朝になり、体調が良さそうであれば戦闘に復活します。無理そうであれば炊事班や補給係に加わります」


 なるほど……。雑用係になるわけか。帰宅はしないんだな。


「全員が騎士や兵士ですか?」

「この天幕にいる者はそうです。一般市民は別の天幕ですね。戦闘員と非戦闘員で分けていますから。被害者と加害者を共におくと、小競り合いが起こりますので……」


 なるほど……。

 隣に寝ているのが親の仇でもおかしくないもんね。


 

 次に非戦闘員の天幕へ連れて行ってもらったが、入る前に、

「……あまり気持ちの良いものではありませんので――ご気分が優れなくなりましたら、おっしゃって下さい」

 そう忠告された。

 あたしは気持ちを引き締め、

「分かりました」

 中に入った。


 こちらの方がよほど忙しそうで、バタバタと回復魔法師達が走り回っていた。

 一級回復魔法師が少ないせいだろう。治療が追いついていないようだ。

 原因は明らか。ほぼ全員が火傷を負っており、等級3の魔法師では治療できないのだ。2級と1級の者はせっせと治療、他の者はポーションを持って走り回っている。

「あの、あたしも参加していいですか?ポーションは持っていましたから」

「ええ……。どうぞ」



 そこから治療に加わり、ポーション、鎮痛剤を多量に使用した。軽症の火傷であれば空間浄化魔法とポーション、回復魔法の併用で治療可能だったのが救いだ。

 こちらの天幕にはざっと見積もっても100人はおり、戦闘員の倍の負傷者だ。

 

 他の治療師の活躍もあり、2時間もするとうめき声が減り、かなり落ち着いた。

「痛み止めがかなり重宝しました」

 共に走り回った魔法師から感謝された。

「まだまだ沢山ありますから、必要な時は言って下さい。乱用を避けるために、患者さんに予備を渡さないようお願いします」


 現場が落ち着いたのでミドルの元に戻ると、

「そろそろお休み下さい」

 恐縮しきった顔で言われた。

「はい、ありがとうございます。でも、その前に一ついいですか?」

「なんでしょうか?何か不備がありましたか?」

 どこかドギマギしたミドルが尋ねた。

 そこまで緊張しなくてもいいんだけど……。

「治療の天幕の換気は出来ますか?」

「換気……ですか?」

「空気が淀んでいるので、定期的に換気をしたいです。不可能であれば、空間浄化魔法を使って下さい」

「…………なんですか、それは?」

 

 あたしは魔法の説明を受け行い、実践してみせた。

「効果は一時的なので、午前、午後、真夜中、朝の4回は行って下さい。流行病の発生がぐっと減るはずなので、くれぐれも怠らないようにお願いします。他の魔法師の方にも、空間浄化魔法のやり方を伝えてください」

 エヴィデンスまで説明している時間はないので、それだけしか伝えなかったが、

「分かりました」

 と素直に従ってくれた。

 


 非戦闘員の天幕を後にするとラディウスに風を送り、これから本陣に戻ることを伝えた。

 

 まだ真夜中だったが眠気はなく、冴えた頭で本陣まで帰ると、ラディウスの天幕の場所を聞いた。騎士はあっさりと教えてくれ、私用天幕の外を警備する騎士にも止められることなく、すんなりと入室出来た。あたしの外見や服装などが伝わっているのかもしれない。

 


「ただいま」

 ラディウスは軍服から軽装に着替えていたが、まだ起きて書類を見ていた。

「おかえり。ずいぶんと長かったな」

 あたしは髪留めを外していつもの髪色になると、

「非戦闘員の火傷が酷くてさ。治療してた」

 ラディウスの隣に腰掛ける。

 

 さすが国王の私用天幕だけあって、床には絨毯が敷かれ、屋外だと言うのに机もソファもベッドもある。

「怪しい者はいなかったか?」

「特には……。ミドルがあたしの扱いに困ってオドオドしてるくらい」

 力が抜けたあたしは、フーッとソファの背もたれによりかかる。

 

 夜の到着だったせいか、戦場は考えていたより静かだった。もっと緊張感と緊迫感があると思っていただけに、少し拍子抜けした気がした。

「疲れたなら少しでも寝ておけ」

 隣で脱力しているあたしに、ラディウスはアドバイスしてくれる。

「戦場では休める時に寝ておくに限るぞ」

「……ラディウスは?寝ないの?」

「後でな」

 まだ手元の書類は半分くらい残っているから、これを読み終わるまでは寝ないつもりなのかもしれない。

 

「ねぇ、そういえば主犯って考えられてる没落貴族ってどんな顔なの?あたし、見せてもらったことないんだけど」

「そうだったか?」

「ここに来るかもしれないんでしょ?見ておかなきゃ警戒のしようもないよ」

「夜が明けてからにしろ。とにかく、今は少しでも横になっていろ」

 ラディウスはあたしからコートを取ると、着替えを出してくれた。あたしは持ってきていなかったから、こちらで準備されたものらしい。

 着替えを受け取ったけど全く眠気はなく、朝までに微睡むことしか出来ない気がした。

「ほら、さっさと着替えてこい」

 天幕の端にある仕切りを指され、仕方なく更衣する。

 天幕の中は魔法で適温に保たれていたから、薄い部屋着でも寒さは感じなかった。 


 ベッドは一つしかないけど、ダブルベッド並みの大きさだから2人で寝るのも余裕そうだった。

「朝になったら起こしてやるから、気楽にしていろ」

 ベッドの中に潜り込むと、

「……寝てる間に変なことしないでね」

 一応警告しておく。

「戦場でそんなことするか。朝になったらまた忙しなくなるんだ。いいから寝ろよ」

 半分呆れて言われ、あたしは体を横にした。


 大きなベッドは城の自室にいるようで落ち着かなかった。それでも眠る事ができたのはきっとラディウスが隣にいたからだ。


 目を覚ましたら、次は争いが始まる。

 

 身分がバレないように、敵に見つからないように動いていかなきゃ……。

 

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