凶報
指輪を見に行った1週間後、あたしはヘルムートと共にヨセハイド地方に進む魔獣車に乗っていた。
今日は回復魔法師希望者達の初めての講義の日。
提案者であるあたしも一言言葉を述べるため、講義会場となる講堂に向かっている。
まずはアラール家へ赴き、挨拶をする予定だ。
時期は年の瀬。最近のソルセリルは一段と寒く、王都より南部にあるヨセハイド地方も冷え込んでいて、雪が20センチは降り積もっていた。今日も雪雲がどんよりと低くたれこめ、雪に覆われた大地と空の間にはほとんど色彩がない。
魔獣車の車窓からは銀世界の白さに目が痛いくらいで、窓越しでも伝わってくる冷気のせいで時々腕を擦った。
「寒くないですか?」
向かいに座っているヘルムートが、もう何度目かになる質問をした。
あたしは襟首のあるベルベット素材の冬服、スカートの中にも防寒のズボンを着て、さらに分厚いショールを羽織っている。頭ももへっとしたフードを被っていて、相当に暖かい格好をしていた。
「ええ。平気です」
本当に寒気はない。窓越しの冷気は魔法を使えば防げるのかもしれないが、そこまでの苦痛はない。そう思って答えたのに、
「お世継ぎを産むお体なんですから、大事にして下さい」
ヘルムートはもっと先の心配をしているようだった。
「……まだ妊娠してません」
それどころか、既成事実もない。
「それでも、いずれはそうなります」
「ラディウスとは世継ぎの話なんてしてませんよ?それに世襲にするかも分かりません」
「その結論は追々で結構です。お二人のお子が次期国主候補になるのは確実なんですから、ヒカリ様は自身のお体を大事にすべきです」
「まぁ……それはそうかもしれませんけど……」
ヘルムートは婚約が決まってから、あれこれと頭の中で今後のことを考えているらしい。
博識で頭がキレる人の思考回路は分からないが、あたしにはそんな余裕はなくて、今もこれから行う挨拶の文言で頭がいっぱいだった。これまでのように自由に発言できる立場ではなくなり、あたしの言葉はソルセリルの意向と捉えられるから、大まかな文章は事前に考えている。
「緊張しますか?」
また顔色が悪くなっていたのだろう。ヘルムートが顔を覗き込んできた。
「ちゃんと内容の確認もしていますから、堂々と挨拶してください」
「それは分かってるんですけど……。全員の視線が集まってくると、どうしても震えるんです」
結婚指輪の作成に出向いて以降、初めてとなる公の場。しかもラディウスなし。緊張するな、という方が無理だった。
今朝は朝食を抜いている。前みたいに気持ち悪くなってもコルセットを緩めてくれる人はいないからだ。それを知っているヘルムートは、
「気負い過ぎないで下さい。一番の山場だった重役たちの説得は終わったのです。いつもの伸び伸びとしたヒカリ様で大丈夫ですから」
「伸び伸びと言っても、婚約者として見られるんだからそれ相応の節度はいるんでしょ?」
「ヒカリ様は弁え《わきま》ていらっしゃいますから、そこは心配していません」
ヘルムートは信頼しきった笑顔を向けている。
あたしは、
「でも庶民ですよ、あたし。教育係は必要だと思います」
不安に顔を歪ませると、
「大丈夫です。ご自身でそう考えられるのですから、自信をお持ちください。どうしても見かねる所がありましたら遠慮なく指導いたしますので、ご安心を」
ヘルムートは楽しそうに目を輝かせていた。本当に容赦ない気がして、あたしは苦笑いした。
ヨセハイドに到着すると、ハレイドが出迎えてくれる。もう知った仲なので挨拶もそこそこに、予定時間になるまでのんびりさせてもらうことになった。
広間でお茶をしていると、母親に連れられたトレニアードが前とは違う貴族らしい出で立ちで挨拶をしてくれた。
「お久しゅうございます、ヒカリ様」
片足を後ろに引き、上半身を優雅に倒す貴族の礼をとる彼は、一端の紳士だ。
「トレニアード。お元気そうで何より」
声をかけると彼は頭を上げ、
「はい。その節は大変お世話になりました。そして、あの時は大変失礼いたしました。数々の暴言と無礼をお許しください」
まさか王妃になるとは思ってもみなかった相手に、今は恭しい態度で話をしてくるトレニアードは、背筋を伸ばした最敬礼をする。
彼より王妃予定のあたしの方が身分が上だ。貴族としての謝罪方法であり、両親からやり方を教わったのだと思った。
まだ幼いとは言え、上流階級の身分。小さな背中に大きな物を抱えているのだと分かる。それでも精神年齢は子供。固く握った拳が彼の緊張具合を物語っていて、あたしは張り詰めた心をどうほぐそうか思案した。
「あなたの非を認め、正そうとする姿勢を評価します。顔を上げてください」
あえて固い言い方をした。
トレニアードは貴族の嫡子として謝罪しているのだから、子供扱いではなく、こちらもそれ相応の態度で返すのが礼儀かと思い、そうした。
謝罪が受け入れられ、トレニアードは頭を上げると、恐る恐るあたしを見た。
目が合うと、柔らかい声になるように努め、
「あれから陛下には会えましたか?」
尋ねた。
「い、いいえ」
「あの時の幻想魔法のやり方を陛下に尋ねるつもりだ、とハレイドから聞いています。お母様に見せたいのでしょう?」
「父上から聞いたのですか?」
目を見開くトレニアードに「ええ」と頷く。
「一緒に仕事をしていますから、よくお話を聞いています」
全く知らなかったのだろう、トレニアードは呆然と父のハレイドを見ている。
「あの魔法は確かに素敵だったので、是非とも覚えてくださいね」
トレニアードは今度は母親を見上げると、気持ちを再確認したように表情を引き締め、
「はい」
あたしに向かって元気に返事した。
「陛下にお会いする機会があれば、必ず」
「ハレイドからその時の話を聞くのを楽しみにしています」
そこで、隣のヘルムートがチラッとあたしを見て合図した。
どうやら時間のようだ。
切りもいいので立ち上がり、「それでは失礼します」と去ろうとしたら、
「あの……ヒカリ様」
トレニアードから呼び止められた。
両親は何を言うつもりかと訝しんだ顔をし、呼び止められたあたしも視線を彼に向けた。
大人から注目を浴びた小学生くらいのトレニアードは、強い緊張を感じながらもはっきりと言った。
「僕、父上みたいに強くなって、このヨセハイドを守ります。いつか父上から領主の仕事を引き継いで、自分の騎士団を作って、陛下とヒカリ様のお役に立ってみせます」
こんなセリフを言うとは思わなかったのだろう、母親の狐族女性は驚いた後、目を潤ませていた。
ハレイドも少し誇らしげな目をした息子を見た後、チラッとあたしを見て微かに微笑んだ。
人間嫌いを克服し、貴族としての覚悟を定めた事が嬉しいのだろう。
「その時を楽しみにしています、トレニアード。それと――」
あたしは手招きしてトレニアードを傍まで寄せると、
「もしこっそり家を抜け出す貴族の友達がいたら、服装と高い塀には気をつけるように言うんだよ」
耳打ちした。
トレニアードは虎の丸い目をさらに丸め、
「……はい」
すぐにバツが悪そうに苦笑いした。その顔は子供らしく、あたしは思わずフワフワした頭を撫でた。
アラールの邸宅を出ると、いよいよ講義会場に移動したのだが、そこに行くまでの魔獣車での道中、ヨセハイド地方の国民の皆さんがずらりと道に並んでいた。
さすがに指輪作成の時ほどの人混みではなかったが、それでも道を埋め尽くさんばかりの人混みだった。
「あまり愛想を振り撒き過ぎないように。軽く手を振る程度で構いません」
こっそりとヘルムートが助言してくれる。
あたしは内心、「ひっー」と悲鳴を上げつつ小窓から沿道に手を振り続けた。会場入りするまで張り付けた笑顔を消すことなく、なんとかミッションをこなす。
控室に通されると、
「疲れた……」
素のあたしがやっと出せて、大きく伸びをした。
「肩が凝りましたか?」
それを見たヘルムートがクスクス笑っている。
「ええ、かなり……。まだ目的の挨拶もしてないのに……」
本来の目的を果たしていないのにこの有様。全く、身の丈に合わない振る舞いはつくづく心労が募ると痛感する。
「あと少しの辛抱です。挨拶が終わったら城へと折り返しますから、帰りの魔獣車の中では自由にして下さい」
挨拶の出番はさほど待たずにやってきた。
関係者全員が席についてから入室する予定だったから、さながら入学式の来賓ポジションだ。
あたしは誘われるまま控室を出て廊下を歩き、講義室となる部屋に入った。
100人は余裕で入る広い部屋。大学の小講義室を彷彿とさせるその部屋には、ズラッと受講者達が座っていた。
入室とともに視線があたしに集中する。
見ないでぇ……と懇願しながら言われた席に着席すると、講義前の説明が始まった。
領主であるハレイドがその役を担っており、事前の打ち合わせ通り、この講義の目的を話している。
こうして見ると軍人階級、庶民の違いはよく分かるが、固く緊張する人、不安そうに目を泳がせている人、期待に胸膨らませる人……身分や立場、年齢に関係なく、目は素直に個人の気持ちを表していると思った。
彼らはこれから1年、同じ講義を受ける。さながら專門学校の生徒のようなものだ。皆表情は真剣で、ハレイドの方を向いている。できれば全員が講義をパスして資格試験に挑めたらと思うが、それ以上に階級や立場の垣根なく学んでほしいと思った。
「それではここでヒカリ様より一言、ご挨拶を頂きます」
ハレイドの言葉で我に返り、あたしは反射的に立ち上がった。
再び視線を一身に浴びる事態となり、ぎこちなく歩いてスピーチする壇上に向かう。長いスカートで足元が見えない中、よく転びもせず、躓きもしなかったと思う。
壇上に上がると勇気を持って受講生達の目を見つめ返す。
過去一ぎこちなく固い笑顔だったと思うが、
「はじめまして。この度の講義主催をしましたイセ•ヒカリです」
なんとか震えずに言えた。
皆がこちらを緊張した顔で注目している。200以上の瞳が向けられていることを考えないようにし、出来るだけ肩の力を抜いて、口を開いた。
「積雪の中、集まっていただき感謝します。本日から始まる講義の前に、医療者として少し先輩にあたる私から、受講者の皆さんにお伝えしたいことがあります。
私は、皆さんがこの講義を受けるにあたり、延いては回復魔法師の資格を得るにあたり、高い志や崇高な理由を求めなくともよいと思っています」
目に映る中でも多くが驚いた顔をしていた。
「命を扱う回復魔法師ですから、根底には命を尊ぶ思いは持っていていただきたいです。しかし現実、皆さんがここに座っている理由は様々でしょう。純粋に救済の手を差し伸べたい方ももちろんおられるでしょうが、自分や家族の生活を支える糧とするために資格を得たい方もおられるでしょう。それで構いません。
私が皆さんに求めるのは、自分の心に恥じない行動理念を持って仕事にあたって欲しいということです。
利己的な理由であっても、結果として誰かの助けになる仕事ができれば、それは正しい行いであり、正解です」
あたし自身にも覚えがあることだ。自分自身に語りかけるように言葉を続けた。
「本日から始まる回復魔法師資格獲得のための講義は、実技を含めて約1年続きます。長い講義期間の間に、予想もしていなかったこと、思ってもいない困難の壁にぶつかることがあるでしょう。困難は自己成長の糧ですが、辛いものです。そんな時は誰でも足が止まり、下を向いてしまいます。それでも構いませんから、どうか一歩でも前に進もうとして下さい。自分がなぜこの道を進んだのか、もう一度原点回帰して考えて下さい。家族の顔が浮かぶ人、誰かからの励ましの言葉が蘇る人……何か心に感じるものが、きっとあるはずです。それを支えに1日一歩でも歩みを続けていれば、いつの間にか遠くまで進んでいるものです。苦労も努力も悔しさも、全てがあなた方の自信になるはずです。どうか、この1年を1日1日、大切に学び、歩んでみてください。努力も苦労もあなた方を裏切ることは決してありません。それを忘れず、励んで下さい。そして回復魔法師の資格を得た後には、現場で活躍する皆さんの姿を見に行きたいと思います。私自身が活動に参加することもあるでしょう。その時は志を同じくする者として、背中を預けたいと思っています。身分も立場も超えて、切磋琢磨して学んで下さい」
あたしはできるだけ笑顔を絶やさずに挨拶を伝えきった。最後に全員を見回すと自席に戻り腰を下ろす。
伝わったかは分からないが、やりきった思いだった。
事前に考えていた内容とは少し違うが、問題はないだろう。
ハレイドが残りの進行を終えると、退室の言葉に合わせて講義室を後にした。
控室に再び戻ると、力が抜けて全身が脱力した。だらしなく椅子にもたれ掛かると、今更になって変な汗が出てきた。
終わった……。胃への負担が消えた……。
無言で天井を仰ぐあたしを見たヘルムートは、
「お疲れ様でした」
笑いを禁じ得ないのか、肩を震わせていた。
「医療改革案を提唱した時よりも緊張していませんでしたか?」
全くもってその通りだった。
あんな大人数を前に話をしたことはないので、魂が半分抜け出たのではないか、と思うほどだった。
「その通りですよ……。100人以上の人の前で初めて喋りました………」
「なら、ご自分を褒めて差し上げないと。お屋敷にケークの準備をするように伝えておきましょうか?」
「……是非ともお願いします」
極度の緊張から解放されると、途端に空腹を感じた。現金な体だ。
魔獣車に乗り込んだらこっそり持ってきたスコーンでも食べようと考えていると、
「――はい、私です」
突然、ヘルムートが話を始めた。
「はい……はい……。今挨拶が終わって、ヒカリ様と控室にいる所です」
どうやら相手はラディウスらしい。
風話は一対一でしか会話が出来ない。傍にいても内容は聞こえないので、相手も会話内容も推察するしかない。スマホのスピーカーみたいな機能もあるらしいけど、今は一対一での会話だった。
「これから帰城しますが……はい………………はい」
ヘルムートは淡々と返事をしていたけど、急に沈黙した。怖い顔をして深く眉間に皺を寄せると、表情を硬直させている。空を睨みつけるような視線を初めてみた。
「はい………はい――。それで陛下はどうされるのですか?………………それは…得策とは思いません。………………とにかく急いで帰城しますから、話はその時に…………はい………………ヒカリ様には私の方からお話します」
話すにつれて緊張を孕んだヘルムートの顔に、良くない事が起こったとすぐに理解した。先ほどまでの脱力した雰囲気は霧散し、あたしも表情を強張らせる。
ラディウス本人からの連絡だから、彼の身に何か起きたわけではないと分かるが、ならばなんだろう?
想像も出来なくて余計に心臓が早鐘を打った。
「――何があったの?」
聞きたくないと思いながらも、尋ねずにはいられなかった。
ヘルムートは凝り固まった表情のまま、
「旧アザルスが国内に侵入し、戦を起こしています」
「……――え?」
「場所はソルセリル南部、ヒルスナイト地方……。ラディウス様の故郷の地です」
戦……旧アザルス…………ヒルスナイト地方……ラディウスの故郷……。
緊張の中に驚きも加わったことで固まってしまった。
戦って…………すでに戦闘が始まってるの?
ラディウスの故郷が戦地……?
旧アザルスはそうと知って、そこを戦場にしたの?
ラディウスが来るように仕向けるために?
つまり……狙いはラディウスってこと?
「ヒカリ様、急いでここを出ます」
情報をパズルのように組み立てていたあたしは、ヘルムートの声にはっとして我に返った。
「詳細は魔獣車の中で説明いたしますから。私から離れずついてきて下さい」




