最後の至福のひととき
美しい街と景色が広がる国、だった。
道の幅は広く平らにならされ、石橋には装飾の彫りがなされ、見た目にも美しい。
建物も花壇も噴水も店も、色や壁の彫りが統一されており、まとまりがある。それにどこを見ても人々が行き交って活気に溢れていた。
これぞ王都、という雰囲気だ。
男は生まれて初めてソルセリルの地を踏んでいた。
よもやこんな国に足を運ぶことになろうとは、貴族時代には考えたこともなかった。
子供の頃、突如として建国された隣国、魔族の国ソルセリル。
幼いながらに衝撃を受けたのを今でもはっきりと覚えている。
世界の人口の8割が人間というこの世界で、魔族だけの国を今さら建国するなど正気の沙汰ではないと思った。着々と人口を減らしている魔族が肩を寄せ合って暮らした所で、いずれは全ての種族が絶えて国は崩壊する。時間稼ぎにもならない悪あがきだと思っていた。
だから、まさか自国が――人口はソルセリルの3倍、国民の約7割が軍人である自国が――滅ぼされ、自身も没落貴族となって路頭に迷う日が来るなどと、夢にも思わなかった。
食う物、着る物にも困り、屋根がある寝床もない。
生まれた頃から貴族だった男にとっては地獄のような生活であった。そしてソルセリル王都に足を踏み入れたことで、男の憎しみは決定的なものになった。
この繁栄も賑わいも華やかさも、何もかもが気に食わない。自国を滅ぼしたことを踏み台にしていると思うと尚の事憎らしかった。
男はもともと異種族恐怖症でもあった。昔は人間の容姿でないというだけで、誰かの後ろに隠れるような臆病な子供であった。
それがどうだろう。
今となっては、魔族の国へ単身乗り込むまでになった。
(復讐心とは恐ろしいものだな)
その苦しみとソルセリルへの怒り、復讐心を持つ者同士が集まり、出来上がったのが今の組織だ。
寄せ集めに過ぎない集団であったため統率する者がおらず、資金集めにも苦労し、挙兵するまでにかなりの時間を要してしまった。
やっと行動を起こせるまでになった。
やっと雪辱を果たせる。
しかし相手は強大な魔力と魔法を操る魔王。しかも軍備もあり、人数も到底敵わない。
直接やり合っても焼け石に水、負け戦になることは分かっていた。
(もとより正攻法で勝とうなどとは思っていない)
徒党を組んだ没落貴族の仲間連中と違い、男だけはずっとそう思っていた。
負け戦となると分かっている戦いで、この思いが晴らせるわけがない。
(もっと確実に苦しむ方法で意趣返しをする)
そう固く決めていた。
だからわざわざ、来たくもないソルセリルの王都に足を運び、最後の至福の時となるこの日の2人を見にきた。
男は獣人、エルフ、ドワーフ、翼人ばかりの王都を闊歩する。
人間の容姿では目立つと思い、フードを目深に被ってそそくさと歩いたが、冬の季節では寒さをしのいでいるのだろうと、都合よく勘違いされるだけで、怪しまれることはなかった。
まだまだ真冬のソルセリルは日陰には雪が残り、風が吹けば身震いする寒さだったが、住民はそうではなく、誰も彼も笑顔だった。
王都は華々しいまでに花で彩られ活気に満ち、男の心情とは真逆で、暗い雰囲気など一切ない。
この日は特別な出来事があるため、揃いも揃って気分が高揚しているのだ。
店が多く立ち並ぶ大広場。
普段であれば辻車や通行人、買い物客でにぎわっていると思われる通りはこの日に限り、騎士や兵士が道を囲い厳重な警備がなされていた。
警護兵の顔は皆一様に険しく、見ているだけでもピリピリとした緊張感が伝わってきたが、国民の期待と興奮はそれを遥かに上回っているようだった。
警備兵のギリギリ前まで人が押し寄せ、すし詰めになっている。中にはこの群衆を見逃すわけにはいかないと、温かい飲み物や食べ物を売って商売をする商魂たくましい者までいる。
集まった者たちは白い息を吐きながら手を擦り合わせ、足も暖をとろうと忙しなく動かしながら、何かを持っていた。
男がわざわざソルセリルにやってきたのも、この群衆のお目当てと同じ理由だった。
男は群衆の中に飛び込むと、人垣を割って割って列の最前列に強引に顔を出した。
そろそろ時間のはずだ。
その証拠に、大通りの奥から歓声が聞こえてくる。声は波のように徐々にこちらへと近づいてきた。
やがて歩兵、騎馬隊、辻車が見えると、その先から一際豪勢な魔獣車がやってきた。
広場にゆっくりと止まると、中から灰褐色の短い髪をした男が出てきた。
その瞬間、歓声がわっと大きくなる。しかしそれに狼狽えることなく、男はキリッとした表情を変えないまま、魔獣車に向けて手を差し伸べた。すると色白な女の手がそれを掴む。
薄い青の豪勢な衣装。
着慣れていないのか、地面を引きずる長い裾を気にして慎重に車から下りている。
2人の衣装の色は揃いで、一目で恋仲と分かった。
女の方が魔獣車から下りると、笑って群衆に向けて手を振った。男も笑ってこそないが、片手をあげて挨拶をしている。
その瞬間、これ以上は無理だと思ったのに、観衆はさらに声量を上げ、歓声が割れて聞こえた。
それに驚いた表情を見せていたのは女の方で、男の表情はほとんど変わらなかった。
女の肩を男は叩き、何やら耳打ちしている。いや、そうしなければ聞こえないのだろう。体を寄せ合って話す姿は睦まじそうに見えた。
女に話しかけた時の男の表情は柔和で、女の方も嬉しそうに頬を緩ませている。
短い会話を終えると2人は体を寄せ合ったままゆっくりと歩みを進めて、やがて店内へと姿を消した。
「見えたかい?お二人の姿!」
「ヒカリ様のお衣装は見事だったわ!」
「あたしもあんな衣装を着てみたい〜!」
「ムリムリ!庶民には到底手が届かないよっ」
「揃ったお色の服だったねぇ」
「仲睦まじそうだ」
「陛下のお顔も柔らかかったなぁ……」
「どんな指輪を作られるかしら?」
「婚約式が楽しみねぇ!」
ひとしきりの興奮と感想を言い合っているが、お目当ての2人が姿を消しても、群衆は散り散りになることはなく、店から出て来るのを待つようだった。
しかし目的を果たしたこの男だけは違い、再び人垣を割って割って抜けると、大きく嘆息した。
思った以上の歓声と熱気に当てられ、気分が悪かった。
しかしそれを上回って胸糞が悪かった。
自国を滅ぼした原因の2人が微笑んでいた。
こんなにも惨めな生活に貶められた――それもこれから戦を仕掛け、2人を絶望の淵に追いやろうと企む――人間が見ているとも知らずに。
「せいぜい、残り少ない至福のひとときを楽しむといい……」
直にその時間は終わりを迎える。
そして、2人が婚姻の指輪を手にすることはない――。




