無理してくれ
お屋敷に着くとサバスが迎えくれた。
「ラディウスは帰ってますか?」
「はい、すでにお戻りでございます。今は晩餐の準備が整うのを待っているところでございますが、ヒカリ様もご一緒されますか?」
「はい。お願いします」
「かしこまりました」
婚約が決まってからというもの、あたしは毎晩のようにラディウスと晩ごはんを一緒に食べていた。その後お喋りして、家まで送ってくれるのがここ数日の日常。
お屋敷の玄関をくぐるとすぐラディウスの部屋に向かった。メイドさんや衛兵も、あたしが通るとみんなが頭を下げる。慣れなくていちいち会釈を返してしまうけど、それは止めろとラディウスから言われてる。上に立つ者としての威厳とか節度があるらしい。トップが舐められたら下に付く者まで同じと見くびられる。「他の者のためにするな」とラディウスが教えてくれたから、我慢して素通りした。
重厚な扉をノックして返事を待たずに開けると、ラディウスはいつもの椅子に座って足を組み、本を片手に寛いでいた。
「ただいま」
読んでいた本を閉じて「おかえり」と返してくれる。
この挨拶のやり取りはあたしがラディウスに教えた。
前は「おかえり」もなく「ん」だけで、顔も向けてくれなかったから、それはマナー違反だと伝えた。
あたしは庶民の日常を、ラディウスは貴族社会の礼儀作法を教え、互いが住んできた世界を溶け合わせている。これがあたしとラディウスの新しい遣り取りの一つ。
ラディウスのすぐ隣に腰掛けると、
「ノボルには会えたか?」
本を完全に机に置いてくれ、会話が始まった。
「うん。まだ新聞には婚約のこと載ってないのに、国民の間では広まってるって教えてくれた」
「そうなのか?」
「新聞社から漏洩があったらしくて。地球でも同じような事あったけどね」
「それは社内の問題にならんのか?」
「なるんじゃない?新聞の売り上げにも関わるだらうし。そこは新聞社内の問題だから知らないけど」
「行政指導でもしたほうがいいのか……?」
「いや、そこまではいいんじゃない?機密情報が漏れたわけじゃないし」
「それもそうか……」
「もう街は婚約のことで持ちきりなんだって。田岸さんもあちこちで話かけられて大変だったみたい」
「何かとばっちりがあったのか?」
「ううん。ヘルムートに相談して、隠匿魔法をペンダントに追加付与してもらって解決したらしいの。その仕事も療養中にやってたんだから!本当に全然休んでなかったんだね……。田岸さんの件は早く対応してくれて助かったけど……やっぱりショック――」
「今後はしないだろう。かなり堪えた顔をしていたしな」
「ラディウスから見てもそうだった?」
「長い付き合いだが、あんな表情は見たことがなかったな」
「ならいい薬になったね」
ちょっと満足気に言うと、
「まさか、わざと泣いたのか?」
驚かれた。
「そんなわけないじゃん!そんな計算女じゃないよ。あれは本当に悲しかったし嫌だったの。嘘つかれてたこともそうだけど、自分を全然労らわないんだもん。ラディウスのことはあんなに心配するのに……」
「昔からああいう奴だからな」
「ちゃんと休む時は休んでもらわないと……。次の療養中はイーサンに見張らせておこう」
真面目にそう言うと、
「……あいつの心労が増えるから止めてやれ」
同情する声音で言われた。
「えぇ……。だって休んでるのか報告くれないと心配じゃん。今までもずっとそうだったんでしょ?昨日は本当に休んでくれたみたいだけどさ。今後も続けてくれるか心配ではあるんだよね。大丈夫だと思う?」
尋ねたが返事が返って来なかった。
不思議に思ってラディウスを見ると感情の消えた冷ややかな目であたしを見ていた。
「随分とヘルムートを気にかけるんだな」
声まで冷ややかで、急にどうたのかと首を傾げた。さっきまで普通に話していたのに、何か変なことでも言ったかな?心当たりは全くないけど。
それにヘルムートを気にかけるのは当たり前だ。
ラディウスについていて欲しい一番の人だもの。
「ヘルムートはラディウスの一番の理解者だもの。当然だよ」
一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに優しく笑って「そうか……」とソファにもたれた。
「ならいいんだ」
力が抜けたみたいな笑顔だった。
すぐ隣に置いていたあたしの手を探って握ると、今度は嬉しそうにニヤニヤしてる。
表情がまた変化して、頭が混乱した。
こんなにも顔つきが変わる人だったっけ?
「何?なんで嬉しそうなの?」
「いや……。あまりにもヘルムートを気にかけるから嫉妬してた」
あたしは数秒固まったあと、ボンッと音が出たかと思うほど一気に赤くなった。
嫉妬?
「えっ?なんで?」
「ヒカリがヘルムート、ヘルムート言うからだ。あいつのために怒って泣いたいたし、随分と感情を揺り動かすんだなと思っていたんだ」
そんな事考えてたの?
けっこう独占欲あるんだ……。
そう思うとまた体温が2度くらい上がった気がした。
そんな事になっているとは気がつかず、ラディウスは笑ったままの顔で話を続けている。
「だが俺の事を考えて故だったんだな。確かにヘルムートは仕事をする上で欠かさない相棒だ。居ないと困ることしかない」
「うん……それは見ててわかるよ」
「ヘルムートの心配の先に俺がいた。それが知れたから、もう大丈夫だ」
何、その満足そうな顔――。可愛い。
それにしても――
「……そんな簡単に嫉妬するの?」
「俺自身も驚いてる。意外な一面だな」
本人も知らない自分がいたってこと?
隠れてた予想外のラディウスを引っ張り出せたのなら――。それは……けっこう、いや、かなり……嬉しいかもしれない。
「それにしても、経った数日しか共に過ごしていないのに、ヒカリの色んな顔が見られるのはいいな。表情がコロコロ変わって、見てて飽きない」
柔らかい笑顔のままでそんなことを言ってくれる。
「そ、そう……?自分じゃ全然分からないんだけど……」
「自然と俺の隣に座るのも、触れるくらい近い距離で話すのも、あれやこれやと考えている姿も可愛い」
「んっ!?」
とつぜんの惚気言葉に固まった。
本当に2人きりの時のラディウスは甘い。
こんな風に不意打ちの言葉を突如として投げて来るし、甘く笑う。今のところ、その全てがクリティカルヒットしていた。
あたしは自分の胸に手を当てて、速る鼓動を上から押さえつけようとした。無駄なことと分かっていても、何かしらをして誤魔化さないと、持ち堪えられなかった。
「どうした?」
無言でじっと胸を押さえて硬直しているから、顔を覗き込まれた。
「いや……ちょっと……予想外の攻撃に耐えてるところ……」
「攻撃?」
赤くなった顔を見て胸中を察したラディウスは、
「また照れてるのか?」
顔をさらに近づけて覗き込んだ。
そんな美顔を近くで見せられたらひとたまりもない。許容範囲を大幅に超えてしまい、あたしはぐるんっと首を捻って直視を避けた。
「あたしの顔ばっかり見なくていいからっ」
「2人しかいないのに、他の誰を見るんだ?」
「机の模様でも見てて」
「そんな所を見るくらいなら、ヒカリの脚でも見てる。ちょうど目の前にあるし」
「ふぐっ」
突然の発言に声がおかしな場所に入って、聞いたこも無い音を立てた。
ラディウスでもそんな事言うの?
あたしは貞操の危機を感じ、ラディウスから体一つ分距離をとると、
「……エッチ」
呟いた。
「どういう意味だ?」
通じなかった批判の言葉を言い直し、
「卑猥ってこと」
「あぁ」
意味を知っても悪びれることなく、
「健全な反応だろう?」
なんて言ってくる。
それはそうかもだけど……。
全然関係ない話をしてたのに、嫉妬したり脚を見たいって言ったり……やっぱり、
「――ラディウスも男の人だね……」
ちょっと白い目を向けてしまった。
小さな非難が伝わったのか、
「ヒカリは俺を何だと思って婚約したんだ?」
眉間にシワを寄せている。腰を浮かすとあたしが空けた体一つ分の距離を詰め直して、
「愛しているというのは、そういうことだろう?」
握った手をギュと掴んできた。
またまた体温が上がって心臓が暴走する。
なになになに?!急に意識させることを言わないで!
許容範囲オーバーの上そんな事を言われ、これ以上は下がれないのに、ソファの肘掛けにお尻を乗せる勢いで体を引いた。でもその分、ラディウスが詰めてくる。膝と膝が触れ合っていて、次は太腿がくっつきそうだった。
心の中では大絶叫してて、プチパニックを起こしそうだ。
息を止めて緊張していることに気がついたのか、
「また照れてるな」
言われてしまう。
「そ、そりゃあ……」
ぐるんと回した顔を追いかけてラディウスの顔が近づいてくる。さらに逸らせるとまた追われ、顔を覗き込まれ、また逃げる。
懸命にそちらを見ないようにて、遠くの壁の一点を見つめ続けた。
急に壁紙に興味を持ち出したあたしを見て、
「そんなに壁を凝視して……色でも変えたいのか?」
「それもよろしいんじゃないかな?」
変な言葉遣いになる。
色々と限界で、頭では晩ごはんなんだろう、帰ったらお風呂に入って、新しいタオルを使ってみようとか、現実逃避をしていた。でも直視しなきゃいけない現実は目の前にあって――掴まれている手と、触れ合わせている体と、ラディウスの射抜くような視線――これをどうにかしなきゃいけないのに、出来なかった。
ラディウスはしばらくあたしを見た後、
「俺に触れられるのは嫌か?」
諦めたように迫っていた体をすっと引いた。
明らかに声色が変わったので、あたしは違う意味でドキリとする。
あれ……。なんか……しょげてる?
首を戻すと、ラディウスは何もない空間を見ていた。
また表情が変わって、今度は夜の海を孤独に見つめる静かな目をしている。
「ヒカリはよく言葉や身を引くが……それをされると本当に心が通じているのか、分からなくなる」
引いた体の距離以上に心が下がっていると分かり、あたしの中で持ち上がっていた気分が落下する石より早く、一気にズドンと落ちた。
「顔を隠すし目も合わせない。近づけば離れるし、楽しげに話しているかと思えば急に黙り込む。婚約の返事も疑問系……」
「ご、ごめん……」
「男を見せたらふしだらと言われるし、軽蔑した目を向ける……。恥じらっている故の行動とは分かるが、せめて……何か一つは返してくれないか?」
「……うん」
「目を見る、手を握り返す、逃げない……何でもいい」
「……はい」
ラディウスは遠い目をしたまま言葉を続けた。
「真面目な話、今のような態度を取られると困る。来週ソルセリル各地の領主が城に召集されるが、その場で婚約の賛同を得なければならない。飽くまで型式的なものだから反対はされんが、今のようにヒカリが拒否的な態度をとれば疑いを待つ者もいるだろう。それがつけ入る隙になる」
思ってもいない事を言われ、スッと心が冷えた。
「……そうなの?」
「あらゆる警戒をしたほうがいい、ということだ。ソルセリルの領主や高官、幹部と俺は、一枚岩ではない。未だに俺を国主として認めてない連中もいるくらいだ。派閥もある。他に任せる連中がいないから今の顔ぶれになっているに過ぎないんだ。まだまだ敵は多い」
ラディウスは暗い顔のまま、真正面を向いて話を続ける。あたしに話していると言うよりは、自分と話しているように見えた。
「そんな世界にヒカリを引きずり込むのはどうかと思っている……。まだ一度もあの面々と顔を合わせたことがないヒカリには想像できんだろが、考えている以上に殺伐とた空気なんだ。ヒカリの考えや性格から言っても不向きな世界だと思っている。ヒカリは政治的判断を下すのが苦手だろう?今はまだ召喚者という立場だから接触してくる輩はおらんが、婚約者となれば別だ。あらゆる奴が、あらゆる手段で近づこうとしてくる。それにヒカリが耐えられるか……守りきれるか不安なんだ――」
胸に石を埋め込まれたみたいに心が冷えて重くなった。
ラディウスと両思いになってプロポーズされたことに浮かれ、そもそもラディウスには味方が少ないという現実を忘れていた。
あたしのバカ。
気鬱期が終わったからって、全ての原因が解決されたわけじゃない。彼を助けたいのに、こんなにも不安にさせてしょげさせるなんて……。
「ヒカリ……出来るだけ傍で守ってやりたいが、出来ない時もある。俺が知らない所での苦労も多いだろう。そんな思いはさせたくないが――傷つけたくないのに、同じように傷ついて傍にいてほしいと思っている自分がいる――。ヒカリを助けてやりたいと思うの同じくらい、俺のことも助けて欲しいと願っている自分がいるんだ――。情けないがな……」
自嘲気味に笑う顔には痛みしかなく、酷くあたしの心を抉った。
こんな顔をさせたかったわけじゃないのに――。
「そんなことないよ――」
「こんな気持ちとどう折り合いをつければいいのか分からん――。こんなにも難しい問題があるなんて、初めて知ったんだ……」
「ラディウス」
あたしはギュと手を握り返した。
それでも視線を向けてくれないから、視界に入る位置まで移動して、目の前に膝をついた。
ちょうどあたしが見上げる格好になると、ラディウスと視線が合う。見返してくれた目は自信なさげに陰っていた。
「たくさん悩んでくれてたんだね……。ありがと。それと、逃げちゃってごめん。拒否してるわけじゃないよ。あたしはすぐ照れちゃうから、上手く表現出来ないの……。でも絶対にラディウスの味方だし、傷ついてもいいから、傍にいたいと思ってる」
両手を握ると、同じ力で握り返してくれた。
「本当に、ヒカリが思っている以上に大変だぞ……?」
「うん。覚悟はしてる」
真っ直ぐに目を見て言うと、いつもの銀の虹彩が弱く輝きを取り戻した。
ラディウスの心が戻ってきたと分かり、小さく胸を撫で下ろして微笑む。
ラディウスも力なく微笑み返し、
「悪いな……。ちょっと無理してくれ」
気力なくこぼした。
無理しなくていい、と言われるよりずっと嬉しかった。強くあたしを求めてくれていると、ひしひし感じる。
また笑い返すと、そっとラディウスの膝の上に頭を預けた。
戸惑ったように「おい……」と声をかけられたけど、あたしは頭を上げなかった。この人のぬくもりを感じていたいと思ったからだ。
ラディウスは困ったようにあたしの頭に手を添えると、ゆっくりと撫でてくれた。顔に似合わない大きな手が狼狽えながらも、優しく動いてくれる。
不器用な体温があたしを温める。上手く感情を見せられないぎこちないあたしには、これくらい不器用な人がちょうどいいんだ。
最初はぎこちなかったラディウスの手つきも回数を重ねるにつれて、慣れてきた。頭の丸みに合わせて手のひらが優しく動いて、髪の流れに沿って移動する。長い指が櫛のように髪の間に入り、梳いてくれる。
すごく落ち着く手の動きで、あたしは瞼を閉じて手櫛の感覚をじっくりと味わった。
「あたし、ラディウスに髪を触られるの好き……」
「――そうか」
「うん……」
「俺はヒカリの『うん』が好きだな……」
「そう?」
「全てが受け入れられた気がして、安心する」
「そっか……」
そのまま夕食が運ばれてくるノックの音がするまで、お互いの好きな時間を過ごした。
さっきまでの重苦しい空気は霧散して、今は小鳥のさえずりが聞こえそうなほど暖かい。
これが幸せと言わないのなら、なんて呼ぶのか分からない。
それくらい心が落ち着く癒しの時間だった。




