プロポーズ
照れと羞恥心で貝になったあたしを布団から出すために、ラディウスはあの手この手を使い、あれやこれやと言葉をかけなくちゃいけなかった。
物で釣られ、お世辞を言われ本音を言われ、最後は情と熱意にほだされて、ようやく寝室を出た頃には昼なんてとっくに過ぎていた。
窯で焼いていたスコーンはすっかり冷めてしまって、昼食としてそれを2人で食べると、手を繋いで辻車に乗り込み、城に向かった。
予定よりかなり遅くなったが、ヘルムートに明日からの仕事を復帰を伝えるため、彼の執務室へ向かったのだ。
城に着くといつものように衛兵が出迎えてくれたけど、てっきりあたし一人だと思い込んでいた衛兵は、辻車から一緒にラディウスが出てきたものだからヒュッ、と息を呑んだ後フリーズしていた。
ラディウスはそんな衛兵の様子を気にも止めず、辻車から降りる時、当然のように手を差し伸べ、執務室へ向かう道中もずっと手を繋いでエスコートしてくれた。歩調もあたしに合わせてくれ、急に紳士になったようであたしの方がギクシャクしてしまう。
部屋の前に来ると、ラディウスは「ヘルムート入るぞ」と声だけかけ、返事を待たずに当たり前のように入室した。
「えっ?返事は?!」
驚いて言うあたしの言葉は、手を引かれて共に部屋に入ったことでうやむやにされた。
ヘルムートの部屋は8日前に訪れた時とは別の部屋になったかのようで、高々と積まれた書類の島がいくつもそびえ立っていた。
かろうじて机までの道ができていて、そこを歩かざる負えないあたしとラディウスは、身を寄せ合って事務机に足を進める。
島と山の中を前進するとヘルムートの姿が見え、彼からもあたし達が見えたようだった。
ヘルムートはあたし達の姿に驚いて目を見開くと、
「…………ラディウス様」
掠れた声で主の名を呼んだ。
わずか8日で彼はかなり老けたように見えた。それは肌がくすんでいるせいでもあり、目がしょぼしょぼしているせいでもあり、どんよりとした表情のせいでもあった。
ヘルムートの疲労の色は濃く、山積みの書類を見るまでもなく、相当な負担を強いられていると一目見ただけで分かった。
ラディウスは自分が不在となればこうなると予想がついていたのだろう、
「すまないな、ヘルムート。また心労をかけた」
一番に謝罪の言葉をかけた。
ヘルムートは突然の来訪が現実と思えないようで、
「ラディウス様……?こんなにも早く戻られたのですか?」
息を止めて硬直していた。
「ああ。全てはヒカリのおかげだ。7日もの間、付きっきりで面倒を見てくれた」
2人の視線があたしに集まる。何となしに居心地が悪かったけど、コクリと頷くと、ヘルムートは疲弊した中にも嬉しさを滲ませ、微かに微笑んだ。その目と視線がかち合うと、
(悲願を叶えて頂き、ありがとうございました)
彼の瞳はそう言った。
長きに渡る苦闘を続けていたヘルムートにとって、やっと訪れた夜明けだ。深い安堵からか、ヘルムートの肩はなで肩に見えるくらい下がって姿勢も丸くなった。いつものピシッ、とした彼らしくないふにゃりとした格好は、それだけほっとしたのだと分かる。
力が抜けたようで良かった。
あたしは微笑み返すと、ヘルムートは小さく頷いてくれた。言葉はなかったが、互いにそれだけで十分に伝わった。
やっぱりヘルムートはいい王佐で理解者だ。
彼がラディウスの隣にいてくれて本当に良かった。
「それと、一つ報告がある」
改まったその言い方に、この後何を話そうとしているのか察しがつき、あたしはラディウスを見た。目が合うと、あたしをぐいっと引き寄せて肩を抱き、
「俺はヒカリを妃とする」
宣言した。
引く腕の強さがそのまま言葉の強さを表しているようで、胸よりさらに深い場所が疼いて熱くなる。
ヘルムートは先ほどよりも大きく目を見開いて、椅子から立ち上がった。
「ヒカリ以外を娶る気はないし、側室も不要だ。細かなことは決めていないが、婚姻することだけは揺るがない」
はっきりと言い切られ、あたしはまたすぐったさに襲われるが、同時に小さな固い石を心の奥底に感じる。釈然としない、何とも言えない感覚だ。理由は分かっている。
ラディウスは結婚願望がないのだ。
前に「端から願望はないし、考えたこともない」とはっきり言っていた。
それがどうして、心変わりしたんだろう……。
「ね、ねぇ――ラディウス、ちょっと待って……」
さっきの告白を疑うわけじゃない。
でもずっと引っかかっていては、これから先が全てズレてしまいそうで嫌だった。
「あのさ……前に結婚願望ないって言ってたのに……いいの?」
恐る恐る尋ねると、
「ヒカリはしたいんだろう?」
と返される。その言い方に鋭い痛みが走り、潮が引くように気持ちが萎えた。
ヒカリはって……。
まるであたし1人が望んでいる言い方だ。
確かに結婚願望はあるって話だけど――。
気持ちが沈むのと合わせて視線も勢いも衰えてしまい、
「そっ、そうだけど…………今はまだいいの。仕事のキリが……よくないし――」
尻窄みになった。
「なら婚約でいいだろう。いづれ婚姻するなら同じことだ」
気にした風もないラディウスはそう言ってくれたけど、根本の問題が解決してない。
「そりゃそうだけど……。ラディウスは――その……本当にいいの?したくなかったんでしょ、結婚……。あたしだけの希望で婚約するのは――違う気がする……」
本望でないことを押しつけることはしたくない。しかも結婚なんて人生の大きな決断を……。
ラディウスの服の袖を掴む。彼のどこかに触れていないと不安で、倒れそうだった。
「嫌ならちゃんと話し合おうよ……。それが恋人でしょ?誤解とか小さなすれ違いが重なるのは嫌だ。ラディウスがしたくもないなら、結婚はしないよ――」
しおれて俯くと、しん……と静寂が部屋に満ちた。
一気に空気が重くなった気がして、不味いことを言ったかも――と冷や汗が出る。
ラディウスを好きなのも愛しているのも本当だけど、それまでも疑われたらどうしよう――。
「ヒカリ」
真剣に名前を呼ばれ顔を上げると突然、二の腕を両側から掴まれた。びっくりすると、酷く真面目な銀の虹彩とぶつかる。
「確かにあの時はああ言ったがな、今はヒカリだからいいと思えている」
強い眼差しに思わず「うん……」と返事を返した。
「ヒカリと一緒にいたい。ヒカリがいる場所に帰りたい。ヒカリがいる安心感――困難を分かち合って寄り添ってくれる者がいる――そう思える場所があるだけでも、十分に幸福だと思える。だから俺はヒカリと婚姻したい」
「……本当に?」
「俺は偽りは言わない」
ラディウスは黙って掌をあたしの頬に添える。
「婚姻がヒカリと一緒にいるという繋がりの形であるなら、俺はヒカリと契りを交わしたい。命尽きるその時まで、苦労も苦痛も苦難も、喜びも笑いも悲しみも……何かもを共有したい――そう思える」
もはやプロポーズの言葉で、あたしは真っ赤になった。
なんかラディウスって……結構男前だ――。
きちんと明確な想いを伝えてくれる。
2人きりだとデレるし、めっちゃ笑うし素直だし――。
無自覚にやってるところが凄いけど……。
嬉しさで弾けそうで、萎んでた気持ちが一気に膨らんだ。体が浮いてしまいそうな心地がする。
口をむずむずさせていると、
「おい、ヒカリも何か言え」
突如ラディウスに肩を揺さぶられた。目をパチクリさせ、
「い、言うって?なにを?」
「お前の意思だ。俺だけ婚姻宣言をしてどうする」
「ん?!」
なにそれ?プロポーズ返し?そんな仕来りみたいなものがあるの?2人がそれぞれ言わなきゃいけない、みたいな?
じーっとラディウスに見つめられ、プレッシャーをかけられ、変な汗が出てきた。
そもそもなんて言えばいいの?
「えっ………あの――…………えーっと……ラ、ラディウスの妻になることを望み……ます?」
手をこねながら、最後は尻窄みになってしまう。
「…………なんで疑問系なんだ……?」
不満そうにしているけど、これが精一杯だった。
さっき告白されて気持ちを確認したばかりで、キスも1回しかしてないのに………プロポーズとか!
堪らず両手で顔を覆って、
「か、勘弁してぇ……」
また貝になった。
「ヒカリはこういう時、途端に初心になるな。平然と俺を軽く扱う図太さはどこへ行った?」
図太さって……。
結構いい気分だったのに少し萎えた。そりゃ、照れて疑問系になっちゃったけど……。
だいたい、ヘルムートがいる前でする話ではない気がする。
「臣下がいる前でこんな話しないでしょ、普通!2人きりの時にするやつだよっ」
「証人になっていいじゃないか」
「それは結婚式でやるじゃん……」
「まだ先の話だから、予行演習とでも思えばいい」
いつものあたし達に戻ってしまい、甘い雰囲気は薄れた。でもいつの間にか手は繋いでて、寄り添うあたし達を見たヘルムートは、
「そうですか……」
と感慨深そうに呟く。
目を細め、くしゃりと顔を歪ませた。堪えるように固く唇を噛み締め、ゆっくりと口を開いたが、それはすぐに閉じてしまった。
自身を落ち着かせようと深く深呼吸すると、やっと言葉が出てきたようで、
「私はお二人の婚姻を心より祝福します。やっと……やっと………この姿を見るとこが出来て……本当に嬉しく思います……」
目元を手で覆うと、感極まったかのように沈黙してしまった。
すごく感慨に耽ってるな……と照れていると、急に彼の体が傾いて、
バタン!
そのまま倒れてしまった。
「えっ!?」
突然のことにあたしもラディウスも慌てて駆け寄る。
「へ、ヘルムートっ?!」
彼は顔色こそ悪いが、穏やかな顔で寝息を立てていた。
ほぅ……と安堵の溜息を漏らすと、
「ヒカリ、ポーションを今持っているか?」
「え?さすがに持ってない……」
いつもは持ち歩いているが、この日ばかりは持って来なかった。
「体力回復があればいいと思ったんだが……」
「倒れた時、頭も打っただろうから初級ポーションもあったほうがいいよ。たんこぶ出来てるかもしれないし……」
頭部に軽く触れたけど、外傷は無さそうだった。
「ねぇ、気鬱期のヘルムートっていつも倒れるの?」
「いや、今回が初めてだ」
ラディウスは倒れたヘルムートをゆっくり起こし支えると、
「イーサン、居るんだろう?」
部屋の外、廊下まで聞こえる声で呼びかけた。
イーサン?
扉の方向を見ると、
「はい陛下、ここに」
会議の中止をお知らせに来たヘルムートの側近が入ってきた。
彼、イーサンって言うんだ。
初めて知った側近くんはヘルムートと同族のエルフで、見かけはまだ青年といえる年だった。人間でいうと大学生くらい?外観年齢と実年が伴わないエルフは、判断が難しい。
「すまないがヘルムートを自室まで運んでくれ。俺はこの山を少し片付ける」
「かしこまりました」
ラディウスからヘルムートを預かると、少し動きを止めて「陛下……」気まずそうに呼びかけた。
「ヘルムート様はお二人をずっと案じておられました。その心労が大きく祟ったのだと思います。目が覚められましたら――できればひと言、労いのお言葉を賜りたく存じます」
酷く控えめな言い方だったけど、イーサンはいたくヘルムートを心配しているようだった。上司として慕われてるんだな、と分かる心配顔だった。
「ああ、分かっている」
ラディウスはイーサンに向けて、
「お前にも苦労をかけたんだろう?すまなかったな」
まさか自分にも労いの言葉をかけられるとは思ってなかったのだろう。イーサンは大きく目を見開くと、恐縮して、
「いえ……とんでもないことでございます……」
俯いてしまった。
「明日からは登城する。こっちのヒカリもな。ハレイドとマルタにもそう伝えてもらえるか?」
「はい。承りました」
イーサンはあたしにも会釈すると、ヘルムートを抱えて去っていった。
細みの体格に似合わず、かなり力があるんだ……。
彼の背中を見送っていると、
「ヒカリ、呆然としてないでお前もこい」
手を引かれた。
「書類整理を手伝ってくれ」
「え?」
キョトンとしてられたを見ると、
「この山を見ろ。助手はいるだろうが」
「…………まぁ、確かに」
仕方ない……。乗りかかった船だ。
あたしは立ち上がると、ヘルムートの机に向かうラディウスの背中に向かって、
「せめて机周りくらいは終わらせてあげようね」
と声をかけた。
ラディウスは苦虫を噛み潰したような顔をして、
「ヘルムートと同じくらい要求するな……」
呟いた。




