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この世は勇者であふれてる  作者: 栢瀬 柚花
幸多き日々

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86/96

愛してる


 お屋敷から帰宅して久々に自分の家のベッドで寝た。やっぱり夜は体を横にして眠るに限ると、しみじみ思った。

 

 お屋敷ではずっと椅子の上で上半身だけ横にして、昼間にうたた寝していたから、疲れが抜けなかった。腕を伸ばして上体を回してストレッチして体をほぐし、だましだましやっていた。

 ラディウスは急に大声を出したり、凄い力で腕を掴んできたり剣を探しだしたり……。微睡むどころか、夜の方が激しく幻覚を見て幻聴を聞いているようだった。

 なだめ続け汗を拭って、汗をかいたままじゃ体を冷やすから、着替えしたり水分を飲ませたり……とにかく夜にやることが多かった。

 

 それが減り始めたのが3日目。

 明るい時間ならまとまって1時間は眠れるようになった。

 

 4日目は昼にかなり眠れるようになって、夜中の悪夢が減ったようだった。

 

 5日目の昼には、初めて寝息をたてた穏やかな顔が見られた。体に触れてもビクリとせず、ぐっすりと寝ていた。

 夜もそれが続いていたから、あたしもラディウスの隣で一緒に寝た。寝台はキングサイズだから二人で寝ようが十分広かったしね。でも1枚の掛け布団をシェアして使うのはさすがに憚れた《はばか》から、もう1枚準備してもらった。

 横になって、手だけは握って、彼の意識が遠のくまで撫で続けた。あたしはラディウスより先に落ちないように指先に意識を引っ掛けたまま、寝息が落ち着くものに変わるのを、瞼を閉じて待った。

 5日もろくな睡眠をとっていない体は強く悲鳴をあげていて、意識が肉体を支配しきれなくなったように重く重く沈もうとしたけど、なんとかそれをやり過ごして、寝ても利発さが残るラディウスの寝顔を見た後、あたしも眠るようにした。


 6日目の昼は落ち着いていたから、家に帰ってシャワーを浴びてお菓子を焼いた。つまみ食いにしては多い量のスコーンとクッキーを口に放り込んで飲み下すと、すぐにお屋敷に戻った。

 セバスは「これもどうぞ」と胃に入りやすいパン粥や果物、さっぱりした野菜漬をくれた。

 その夜、ラディウスは朝までぐっすりと寝た。体はたまに寝返りを打つだけで、ずっと柔らかく穏やかな顔をして寝息をたてていた。

「もう大丈夫そうだな……」


 

 7日目の朝、あたしは退室する時セバスに、

「もう心配いらないと思います。今夜は自宅へ戻しますけど、また同じ事があれば夜中でも声をかけて下さい。起こしても構いませんから。あと、机に焼菓子を置いてます。日持ちはしますが、残していれば明日にでも処分して下さい」

 言い置いてお屋敷を後にした。



  

 そして今。

 帰宅と同時にゆっくりと湯船に使って全身の力を抜いて微睡んだ。

 7日間の付き添いは楽じゃなかったけど、苦痛ではかった。マルタとハレイドとの会議も全部先送りにしてもらったから仕事は滞ってるけど、仕方ない。

 

「今日だけは休暇、ってことでゆっくりさせてもらおう……」

 

 お風呂から出ると、あとはダラダラと惰眠をとったり軽食を食べて過ごした。



  

 8日目の朝。

 ヘルムートに明日から仕事復帰すると知らせを届けるため、城へ向かう準備をした。昼前なら仕事の切りもいいだろうから、邪魔にならないよねと考えていると、玄関ドアがノックされる。

 

 久々の訪問者。

 もしかすると……と期待を寄せて「はい」と返事をすると、 

「俺だ」

 聞き慣れた声が返ってきた。

 記憶にあるものと同じ、張りがあって、男性にしては少し高い落ち着いた声音。

 いつものラディウスの声だ。


 ドアを開けると、銀の虹彩を散らした瞳があたしを待っていた。目の中に輝きがあるから、もう元気になったんだと分かる。

 頬は少しコケてるけど血色は良くて、しっかり寝て食事も取れたんだと分かった。


 もう良くなったね、と言おうとしたら、

「ヒカリ」

 急に正面から抱きしめられた。

 ラディウスの勢いのあるハグの仕方に足がよろけて数歩後ろに下がってしまうと、2人そろって玄関から家の中にドタドタっとなだれ込んでしまった。

 明け放たれたドアが支えをなくして、ゆっくりと閉じていく。午前中の冬の日差しがドアの動きに合わせて陰り、やがて

 ガッチャン

 と完全に閉まると、そこは2人だけの空間に変化した。


  

 ラディウスは息が止まるほどギュッとあたしを抱きしめていた。熱い息が首筋にかかり、アッシュブラウンの髪が頬をくすぐる――。

 

「――おはよう」

 低い声が短く挨拶をする。

「おはよ――」


 あたしも挨拶を返し、ラディウスの背中に手を回した。

 お風呂に入ったと分かる爽やかな香りの中に、いつものラディウスの匂いが混ざっている。


「元気か?」

「うん……」

「7日も……辛くなかったか――?」

「平気だよ」

「ろくに寝ていないだろう?」

「……まぁね」

「俺はお前に何もしなかっただろうか……。掴みかかったり、突き飛ばしたり……酷い仕打ちをしなかったか……?」

「…………平気」

 ラディウスはわずかに遅れた返答の違和感を見過ごしてはくれなかった。

「――嘘をつかずに教えてくれ……。俺は何をした――?」


 あたしはキュッと背中の服を掴むと、

「腕を掴まれただけ――」

「…………アザは?」

「ポーションの飲んだから大丈夫」

「痛みは?」

「鎮痛剤あるから問題ないよ」

 出来るだけあっさりと言ったつもりだけど、ラディウスは痛みを堪えるように、

「……――すまない」

 呻くようにつぶやくと、あたしの肩に顔をうずめた。


 彼の鼻があたしの首筋に擦りつけられ、くすぐったい。でもそれ以上に恥ずかしい……。

 そんなに抱きしめないでよ……。

 

「――ずっと微睡みの中にいた。夢うつつにも、ヒカリの世話になったのを覚えている――」

「そっか……」

「声と温かさが降ってきた……。手をとってくれただろう?」

「……うん」

「何度も何度も何度も何度も――『声』から引き上げてくれた」

「――うん」

「見えているのは偽物だと………両手は血に染まっていないと……言ってくれた――」

「――うん」

「温かかった――。ヒカリの声も手も想いも――全てが陽の光のようで………穏やかで……救われた――」

「なら良かった」

 

 ラディウスは肩を抱いていた左手を移動させて、髪に触れた。ラディウスの顔に似合わない大きな手が、ゆっくりと髪を梳く。その感覚が気持ちよくて、あたしはうっとりと目を閉じる。

  

 ずっとこうしていたいくらい、安心する――。

 

 背中に回されたままの右手は体を抱きしめ続けていて、安心しきったあたしはこの身をラディウスに預けた。

 ラディウスを受け入れているのが伝わったのか、彼は頬をあたしにくっつけた。寄せ合った頬に体温が溶けあう。頬ずりされると肉の薄い骨ばった頬骨がコツ、と触れる。

 

 耳元で、

「ヒカリといると――和む」

 落ち着いた低い声が響く。

「――うん」

「こんなにも心穏やかになったことはないんだ――」

「――うん」

 


 ラディウスは覚悟を決めたように、あたしの頭を一際引き寄せて力を込めると、

「――ヒカリ……――好きなんだ。ずっと前から――」

 押し殺した声で告白した。

 

 言葉が耳に入って頭の中を通り過ぎるより先に、心に届いた。

 それは今抱きしめている力よりも、強くあたしを締め付ける。嬉しく切なく、体ごとぴょんと飛び上がるほどにあたしの気持ちは跳ねた。

 

「昨日目が覚めてから………ヒカリが傍にいてくれたと知って……ずっと会いたかった――。ただひたすらに会いたかった……」 

「あたしも――」

「こんなにも誰かを求めたことはない――。こんなにも愛おしく、狂おしいほどに会いたいと思ったことはない――」

「うん――」

 ラディウスはさらに力を込めて頭も体も抱きしめ、額にキスをする。芳しい花の香りを吸うように、生きている温かさを実感するように。

 そこに、一段とあたしをとろけさせる言葉をくれる。

 

「ヒカリ愛している――」

 


 外に残る雪に日光が反射して、日の光が洪水のように室内に漲り《はり》渡った。魔法がある世界だけど、この光の洪水は自然のいたずらで、ただの偶然。

 でもまるで世界が花で埋まり光に溢れたかのように、輝いて見えた。

 机に置かれたただのコップもお皿もフォークもスプーンでさえも鮮やかに見え、小鳥のさえずりは可憐な音楽のように聞こえる。今焼いてるスコーンの甘い香りが鼻をくすぐり、ラディウスを抱きしめている指先が熱をもつ。


 

 この世界にラディウスがいる。

 ここにあたしの愛する人がいて、その人もあたしを愛してくれている。それがたまらなく嬉しい。こんな奇跡的なことがあるんだと強く感動した。


「ヒカリ愛している――」

 ラディウスがもう一度はっきりと耳元で囁く。

「あたしも――ラディウスが好きだよ……愛している――」


 一瞬力が弱まると、密着していた体がわずかに離れる代わりに、自然と視線が絡まり、もつれ合った糸のように外れなくなった。そのまま引っぱられるように互いに顔を近づけ、唇を重ねた。

 少しカサつく唇。でも柔らかくて温かい感触で、気持ちいい。

 

 あたしの頭の中では映画のワンシーンのような美しいキスシーンが浮かんでいた。キスは清涼な香水を全身に巡らせているようで、華やかで甘美な匂いがした。

 ラディウスはキスしたまま、指の腹で優しくあたしの頬や頭を撫でた。大切な硝子細工に触れるように、ゆっくりと丁寧に、丁寧に………。 

 触れられた箇所がジンジンと熱を持っていく。 

 溶かされるように体が震え、子宮が疼いた。

 重ねられた唇は時間を止めたかのように、なかなか離れない。

 

 やがてそっと花が閉じるように唇が離れると、あたしは薄目を開けた。開いた目に銀の虹彩が飛び込んでくる。

 視線が合うとふわりと笑い、その顔はあたしだけに向けられていると知る。

 圧倒的な光を放って眩しく輝く笑顔は、直視するのが困難なほど煌めいて見え、でもそんなことを感じていことが照れくさく、急に居た堪れなくなって視線を逸らした。

 

 ラディウスは「顔が真っ赤だぞ?」とクスクス笑った。

 ラディウスとの初めてのキスは冷や汗が出るほど恥ずかしく、

「やだ!今見ないで!」

 自覚するほどの熱を顔に感じて、体温はさらに上がった。

 ラディウスは「なぜだ?」と覗き込んでくるから、照れにより逸らした目線の行き場がなくなる。

「やだって!」

 顔を両手で隠した。

「だからなぜだ?」

「もうっ!やだ!見ないで!」

「意味がわからん。今しがた愛してると言ったろう」

「そうだけど……それとはまた別なのっ!」

「何が別なんだ?」

「とにかく別なの!今は見ないで!無理なの!」

 頑なに両手を外さないから、

「ヒカリ、顔を見せてくれ」

「やだっ」

「ずっとそうしてるつもりか?」

「違うけど……とにかく今は嫌っ」

 ラディウスは、

「あまり嫌だの無理だの言うな……。拒否されるとさすがに傷つく……」

 途方に暮れた暗い声で言われ、

「うっ……」

 チクリと心が痛む。

 

 頭に回していた手を今度は腰に移動させると、ラディウスはクイッと体を密着させてきた。顔を覆っている手に、ラディウスの胸板が触れる。お腹とお腹がくっついて、呼吸の度に動いているのを感じた。

 

「ヒカリ……顔を見せてくれ……」 

 ラディウスは聞いたこともない吐息交じりの甘い声で頼んできた。艶っぽ過ぎる声音に思わずぞくっとする。


 この人はこんな事になるの?!

 聞いてないよ!!


 あまりの変化に緊張して顔を覆ったまま硬直していると、

「なぁヒカリ。だめか?」

 ラディウスはそっとあたしの手に触れた。

「いい加減この手を払わないと、このまま抱き上げるぞ?」


 なんでそうなるの?


「意味が分からないんだけど……」

 言い返すと、

「なら、分からせてやらうか?」

 

 突然に体が浮き上がり横抱きにされると、まるで宝物を抱えるかのようにゆっくりと歩き出される。

 

 相変わらず子供を抱えるくらいに軽々と持ち上げるな……。

 いや、それよりもっ。なんで抱き上げられたの?

 

「なっ、ななな、何?」

 驚いて指の隙間からラディウスを見上げると、視線が合った。

 ラディウスは何も言わず、ガチャとどこかのドアを開ける。家の中なんて案内したことはないのに、ラディウスは迷うことなく足を進めて目的の部屋に入ったようだった。

 

「ねぇ、何を――」

 言いかけたところで、ドサッとベッドに降ろされた。

 解いたままの髪が無造作に枕の上に広がるのが分かる。

「ん?!」

 そのまま覆いかぶさられ、さすがに慌てた。

「ち、ちょっと?!」

「なんだ?」

「平然と何してるの?」

「まだ何もしてない」

 

 …………――そうだけど……。


「こうして押し倒してみると、かなり扇情的に映るな――」

 ラディウスは熱い視線であたしの手を掴むと、いつかのように唇を押しつけて手の甲、手首、指先……と順番にキスを落とした。ゆっくりと、艶めかしく、あたしから視線を逸らさずに。

 あまりの行動に、あたしの目は釘付けになって離せなくなる。

 

 ラディウスはフッ、と笑うと、

「やっと顔を見せたな?」

 あたしを見下ろして、してやったりとニヤついた。

 でもあたしはそれどころじゃなくて、掴まれたままの手を見ながら、

「ならもういいでしょ?どいてよっ」

 と体をぐいっと押したけど、びくともなかった。

「なるほど。恥じ入った顔を見られたくなかったのか?アリウェの時より真っ赤だな」

「〜〜〜っ!」

 あたしは少し治まっていた熱感が再燃するのを感じた。

「そんな真っ赤な顔で目を潤ませて……誘っているとしか思えないぞ?いい眺めだが……――他の男には見せるなよ?」

 あたしは羞恥心で一杯一杯になり、ゴロンと体を横にして布団に顔を埋めた。

「耳まで赤いな」

「〜〜もうっ!からかわないで!」

「愛らしいから見てるだけだ」

「〜〜〜っ!!だからっ、そういうのだって!」

 

 しばらくは動けそうにないと思い、あたしは体を丸めた。ラディウスは笑って、あたしの隣に横になってくる。

 お屋敷のベッドと違ってこれはシングルベッド。当然体は密着する。ラディウスの手があたしの肩に添えると、ヒクリと魚のように体が跳ねた。

「ヒカリは案外初心うぶだな。――ヒカリ、また口づけてもいいか?今も吸い付きたくなるほど甘そうだ」

「……は?なっ……!」

 

 本当に、こんなラディウスになるとは夢にも思わなかった。もう体中が熱くて、どうしていいのか分からなくなる。

 

「あっ、甘い物は嫌いなんでしょ!?」

 精一杯言い返すが、

「ヒカリは別だろう?さっきも十分に甘かったぞ」

「……っ!もうっ!なんでそんなにも人格が変わっちゃうの?!」

「何がだ?」

「そんなにも口説き文句言うキャラじゃないじゃん!」

「ヒカリが愛らしいからだろう」


 これは何を言ってもだめだ。不自覚に殺し文句を言われる。

 冷静さを取り戻そうと、深く大きく深呼吸を繰り返した。

 幾分か気持ちが穏やかになると、はたとある決まりがあったことを思い出した。

 

「独身女性の寝室に入るのは駄目だったんじゃないの?」

「夫はいいんだ」

「……夫じゃないじゃん」

 結婚願望ないんでしょ?

「まだ、な。そのうちなるから問題ない。そうだろう?」

 さらりと言われると何も返せなかった。

 

 ラディウスは指の腹であたしの頬を撫でる。

「それに、ヒカリも俺の寝台で寝ていたじゃないか」

 あたしはガバッと体を起こすと、

「なっ?!寝てたんじゃないの?!」

 また全身が熱くなる。

「覚えていないと思ったから出来たことだったのか?」

 

 それはある。

 だって、ずっと目も開かなかったし……。

 

「なら、ヒカリが自ら俺の寝台に入るという、なかなか貴重な経験をしたことになるのか?」

「〜〜っ!知らないっ!!」


 あたしはなにもかもが限界に達して、布団をガバッと被って貝になり、そこから1時間は動かなかった。 

 

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