悪夢の終わり
気鬱期の睡眠は苦痛でしかたなかった。
微睡みもうたた寝も、全てが地獄。
思考なくぼーっとしている時でさえ、幻覚と幻聴に襲われる。
この時もそうで、いつの間にか意識は飛んで、悪夢が始まった。
昔の戦場でラディウスはヘルムートと共に立っている。
目の前は血の海で、濃い悪臭が鼻を突く。
折れた剣、欠けた槍、刺さったままの矢。大きく破損した鎧、転がる腕、足、首……。投げ出された体があちこちに見える。
遺体を回収する兵があちこちにいて、屈んで作業していた。
ラディウスはヘルムートと共に、それを眺めている。
「――今回も多くが死んだな……」
「はい……」
「どれくらいだ?」
「――2千ほどかと」
「――そうか」
ラディウスは剣を握りしめた。
血を拭うと納剣して、眼前の光景を目に焼き付ける。
「もう総じて1万は超えたな……」
毎回、ここが最後の戦場だと思って挑み、一度安堵して、また新たな反対勢力が声をあげる――。
その繰り返し。
「そろそろほとぼりが冷めると思うのですが……」
「――だといいがな」
場面は飛んで、また違う戦場。
目の前には川が流れているが、水は赤く染まり、体がぷかぷかと浮いている。血に染まった河では魚さえ死んでいて、岸辺に打ち寄せられ悪臭を放っていた。
人も魚も、死体は見るに堪えないほどの数だ。
ラディウスは1人でその光景を見ている。
隣にいたはずのヘルムートは、いつの間にか居ない。
風に乗って死体の悪臭がラディウスの体にまとわりつく。しばらくは服にも身体にも染み付いて取れないだろう。
『それがお前には似合いだ』
声がして振り返ると、別の場所にいた。
今度は荒野だ。
遺体の山が目の前にある。鎧を着た騎士、初陣だったのか、まだ年若い兵。
累々と重ねられた吐き気を催すほどの死肉の腐臭。
その一番上にヒカリがいた。
血だらけの体で、虚ろな目をラディウスに向けている。
心臓が冷えて、一気に血の気が下がる。
「ヒカリ!」
ラディウスは駆け寄ろうとしたが、なぜか沼にはまったかのように足が重く持ち上がらない。
四苦八苦して近づくが、今度は腕を掴まれて手を伸ばすことを阻まれる。
「頼むからあそこへ行かせてくれ!」
『行かせない』
『お前には触れさせない』
『苦しめ……』
いつもの声がする。冷たく言われるのはいつものこと。
声の通り、体はさらに重くなり指を動かすことも困難となる。希望を阻まれるばかりで、一向にラディウスの思うようにはならない。
「頼むから行かせてくれ……」
懇願し項垂れた時、
「大丈夫。あたしはそこに居ないから」
何やら温かな声が振ってきた。
今までの声とは全く声音が違う……。
「ヒカリはそこに居る……。一番上に――」
「それはあたしじゃないよ……」
「いや、ヒカリだ……」
「違うよ。安心して」
「だが……どう見ても――」
「本当に違うから……ね?」
酷く優しく言われ、ラディウスはその声に嘘がない気がした。
疑いながら、恐る恐る虚ろなヒカリを見る。
どう見てもヒカリだったが、言われてみれば少し顔が違う気がした。
ラディウスは泥から足を抜くのをやめ、伸ばそうとした手の力を抜いた。
――あれはヒカリじゃないのか……?
そこで意識はなくなった。
しばらくすると、今度は戦の真っ只中にいた。
ヘルムート、グスタフ、エッダがそれぞれ苦戦しているのが小さく見える。
ラディウスは1人奮闘していて、目の前の大柄の男の剣を薙ぎ払ったところだった。
こいつを片付ければ、彼奴等の元へ加勢に行ける――。
「うぐっ……!」
ヘルムートのうめき声に顔を向けると、矢が腹部に刺さっていた。背中から貫通しているように見える。
「ヘルムート!」
駆け寄ろうとすると、ガシッと足を掴まれた。大柄の男の前に倒した兵士だった。
「まだ動くのか……!」
とどめを刺そうと剣を握るが何故かそこに剣はなく、武器と呼べるものは何も持っていなかった。
戦場で丸腰などあり得ない。
しかし何度見ても剣も短剣もない。
もう一度ヘルムートを見ると、うずくまる背後に女騎士が迫ってきている。
ヘルムートは気がついていない。
「ヘルムート!後ろだ!」
叫んだが戦場では声など届かない。風を飛ばそうとしたが、今度は声が出なくなった。
さらに別の者から腕を掴まれて、その場から動けなくなる。何とか振り払おうとしたが、石のように体は動かなかった。
「やめろ!離せ!」
声にならないのに、必死に叫んだ。
『嫌だね』
また声がする。
『行かせてやるもんか』
『そこから仲間が死ぬのを見ていろ』
「やめろ!」
あがいて、全身に思いきり力を込める。
がんじがらめになっているようで、振り払いたくてもびくともしない。
「動け!」
必死にあがいていると、
「そっちにヘルムートはいないよ」
またあの温かな声がした。
「居るだろう!ヘルムートがあそこに居る……!」
「居ないよ。彼は城にいるから安全よ」
「安全……?あれが安全なはずない!」
「大丈夫、あれもヘルムートじゃないから……」
――ヘルムートじゃない?
「あんなにもそっくりだぞ……」
しかしよく見ると、いつもの弓と違っている。
もしかしたら多人の空似……なのか?
言われてみれば、ヘルムートが矢に射られるなど考えられないことだ。いつも風魔法で防御している……。
「ヘルムートじゃない……?」
そう思うと、うずくまっていたヘルムートと思っていた姿は溶けて地面に吸い込まれた。
次に意識がはっきりすると、暗闇だった。
まったくの闇で、自分の手さえも見えない。
「ここはどこだ?」
『お前は死んだぞ』
『ヘルムートに裏切られたんだ』
「そんなわけない」
『信じたくないよなぁ?』
嬉しそうに声がニタつく。
『哀れなラディウス……。一番の腹心に反旗を翻された』
『お前の味方は居なかった……』
『ヒカリもヘルムートの元へ行ってしまったぞ?』
『2人で共に暮らすそうだ……』
「あの2人が裏切るはずない……」
『信じられないだろう?』
『たけど本当よ?』
そうしていると、真っ暗な中に別の声が聞こえてきた。
どうやら泣き声らしく、幼子のように思えた。
「誰が泣いてるんだ……?」
あたりは暗闇で何も見えない。
「おい。誰かいるのか?」
「――誰だろうね……」
また温かな声が言う。
「でも直に泣き止むから、そっとしておいてあげて……」
「いいのか……?随分と泣いているが……」
「大丈夫、近くにあたしがいるから……」
そうなのか――。
この声の主がいるなら、大丈夫かもしれない……。
さらに場面が変わった。
今度はラディウス1人が、草原に立っている。
天気はいいのに、まったく陽のぬくもりを感じない。
ここはどこだろうとあたりを見ようとすると、何やら手がぬるついた。
両手を見ると、鮮血に染まっている。
ギョッとして辺りを見回すが、死体もなければ血痕も見えない。
自分の血だろうかと体を確認したが、怪我はしていなかった。
『お前の手はいつも血に染まっている……』
濁った太い声がした。
『何年経とうが、消え去ることはない……』
怒りを抑えた震える女の声が言う。
――そうだ。
俺は殺めすぎた……。
「俺の手は血の匂いがする……」
『そうさ。お前は殺しすぎた……』
『魔族を一つにすると大義名分をいい、殺しをしたかったにすぎない』
草原はいつの間にか荒地になっていた。
無音で乾いた風さえ吹いていない。
『お前の罪は永遠に消えない』
『誰もお前を許さない』
『許さない……』
『絶対に忘れない…』
「俺の手は永遠に血に染まっている……」
目の前にヒカリ、ヘルムート、グスタフ、エッダ……
味方だと思っている全員が死んでいた。
すくそばに血まみれの剣が落ちている。
「そうか………俺がやったのか…………」
だから血まみれなのか――
ラディウスは両手で顔を覆った。
俺といると死なせてしまう。
あの声が報復として殺しに来る。
俺の命ではなく、仲間の命を狩りに来る――
「そのせいで俺の手はずっと赤い……」
ぎゅっと身を縮めて頭を抱え体を震わせていると、
「ラディウスの手は血に染まってるわけじゃないよ」
あの温かな声がした。
「ほらよく見て?綺麗な大きな手だよ?」
言われて恐る恐る見ると、確かに血はなくなっていた。
「ラディウスの手は顔に似合わず大きいの。いつもあたしの手を優しく握ってくれる。言葉に反して、いつもいつも手は優しいいの――」
女の丸みのある声音は、大切なことを思い出しているかのように微笑んだ。
顔は見えないのに、笑っているのが分かったのだ。
「ラディウスが大切な人は誰も傷ついてないよ?だから安心して……」
声は春の日差しのようにラディウスを包み込む。
「本当か?」
「うん、本当」
「だが俺の傍にいると、皆がいつかあの声に殺される……」
「そんなことないよ……」
「嘘だ……。俺は殺し過ぎた――」
柔らかな声は少し迷ったように沈黙すると、
「悔いているの?ソルセリルを建国したこと――」
「………………そうじゃない」
後悔はしてない。
必要だと思ってやったことだ。
「――欲にまみれて、好き好んで奪ってたわけじゃない。そうだったんでしょう?」
「――そうだ」
「ラディウスはちゃんと犠牲になった人を忘れてない」
「ああ……。忘れてない」
だからこうして声がやってくる。
心の隙を見つけて入り込んでくる。
「生きてるあたし達が命を亡くした人に出来ることは、忘れないでいること。それしかないから、それでいいと思う」
「そうだろうか……」
「毎年の慰霊祭で思い出して、偲んであげればいい。『恥じない志で今年も1年、精一杯尽くした』って報告してあげて。あたしも一緒にそう思うからさ」
「一緒に……。ヒカリは罪を犯していないのに?」
「それでも一緒に。ラディウスのそばで一緒に報告して、一緒に背負うよ」
「いいんだろうか……」
そんな事に巻き込んでも――
「道連れになるくらい、近くにいれるとこが嬉しいの。あたしがラディウスと一緒にいたいの」
どこからか差し出された手は、薄桜色の爪が綺麗に輝いていた。ソエイラの指輪が眩しく光っている。
「その気持ちまで否定しないで………。ね?」
ラディウスはヒカリの手を取った。
「――そうだな。すまない」
ちゃんと体温のある手に安堵する。
ヒカリ
ヒカリ
ヒカリ――
よかった。
ちゃんと生きていた――。
いつもの間にかあの『声』は消えている。
また数年後にやってくるんだろうが、その時は大丈夫だ。
隙間に入られても、罵られても、うずくまったとしても、俺にはヒカリがいるから。
◆
ラディウスはいの間にか眠っていた。
体を丸め、心地良い湯の中に浸っているかのような浮遊感がした。
これまでの気鬱な時にはなかった、純粋な空白を思わせる穏やかな眠りだった。
次に意識がはっきりと目覚めた時には朝だった。
目には燦々と冬の日差しが飛び込んできて、部屋を陽陽と照らしている。
冬にしては眩しく明るい陽光で、ひどく神々しく見えた。
――太陽はここまで輝くものだったろうか……
そして、はたと気がつく。
体が軽い。
自分が新しい体に生まれ変わったかのような感覚。
目覚めは心地良く、腕や足の筋肉はしなやかで疲れを残しておらず、健全な動きを見せた。
まともに眠ったせいか、死者の声が聞こえなくなったせいか……。
ラディウスは寝台から起き出した。
傍には誰かいたのか、椅子がある。
触れたが冷たかったので、座っていた主はしばらく前に出ていったようだった。
テーブルには水とコップ、リンカ、パンが置かれている。パンが温かいので、先ほど持ってきたと分かる。
そして――
同じ盆の上に菓子があった。ヒカリがよく作る焼き菓子だ。クッキー、マフィン、小さなカップケーキ……。
甘いものは苦手と知っているから、いつも生姜や野菜を入れてくれる。今回もそうで、1つ食べてみると甘さ控えめだった。
「ヒカリが作った味だ……」
ラディウスは水を飲み、パンとリンカを食べた。ヒカリの菓子も全部食べた。
食事の合間、いつも聞こえてくるおぞましい声はなかった。常に部屋に響いて聞こえていたのに。
食事するとまた軽い眠気に襲われ、数時間ほど微睡んだ。
悪夢は見ず、繰り返し声が聞こえることも、汗だくになって目覚めることもなかった。
夕方、部屋の外に出ていった。
執事長のセバスが「お目覚めで何よりです……」と頭を下げる。
「今回はどれくらいだった?」
「8日です」
「そうか……。短かったな……」
ラディウスは夢うつつの記憶を手繰って思い起こす。
あの声。
あの手……。
ずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「――部屋に誰か入れたか?」
決して攻めた言い方ではない問いかけに、セバスは安堵した。
「はい。ヒカリ様お一人をお通ししました」
「――そうか」
椅子に座っていたのはやはりヒカリだったと、ラディウスは思わず頬が緩みそうになった。
そんなラディウスにセバスは、
「ヒカリ様は7日間、ラディウスに付き添っておいででした」
「7日……」
「はい……。うなされていたラディウス様に声をかけ、手を握り、汗をぬぐっておられました。昼夜を問わず」
「――まる7日間居たのか?」
「はい、今朝方、『もう大丈夫です』と言われご自宅へ戻られました。また同じ事があれば夜中でも声をかけてよいと、仰せつかっております」
「――そうか」
簡単に夕食を済ませ久々に体を清めると、人に戻った気がした。
夜眠るのは勇気がいったが、その日は眠気がきた。頭がぐんと重くなり、顔の筋肉が緩む。瞼が閉じてくる。
抵抗しようか悩んだが、どうにも手がつけられない眠気で、いつの間にか寝息をたてていた。
次に目を開けると、朝だった。
浅眠でもなく、夜中の音に飛び起きることもなく、『声』も聞かず、悪夢を見ることも、ただの夢を見ることもなく、安眠していた。
「ははっ……。本当にすごいな、ヒカリは――」
カーテンから覗く朝日が眩しく、しかしそれが嬉しく、ラディウスは思わず笑みが溢れる。
5年もおとずれていなかった気鬱期が、わずか7日で終わった。1ヶ月は覚悟していたのに。
「信じられないな……」
こんなことは今までなかった。
ヘルムートも医師もあんなに頭を悩ませていたのに。
最後は諦め、過ぎ去るのをただ待つという選択をせざる負えなかったのに。
ヒカリはそれを成し遂げてしまった。
ヒカリに感謝を伝えても、きっと「あたしは何もしてない」と言うだろう。
「傍にいただけだよ」と笑うだろう。
だが、ラディウスはこんなにも救われた。
本当にあいつには敵わない――
「――会いたいな」
すぐにでも、ヒカリに会いたい。
そのまま家まで会いに行ってしまおうか。
そんなことをすれば今の気持ちの勢いのまま抱きしめてしまうだろうが、絶対に笑って「おはよ」と言ってくれるだろう。
「本当に敵わない――」
ラディウスは込み上げてくる笑みを隠すことなく言った。
「厨房に言ってケークを作らせようか……」
そんな程度では到底返せないほどの感謝があるが、せめてそれくらいはしたい。
ラディウスはさっそく部屋を出て指示を出しに行った。




