ヘルムートの懇願
朝から城でハレイドとマルタと会議をしたけど、その席にヘルムートは来なかった。3人で雑談しながら待っていると会議開始直前になり、ヘルムートの側近が会議に入室してきた。
「ヘルムート様は本日ご欠席なさいます。申し訳ありません」
彼は理由を言わなかったが、あたしはすぐに得心がいった。
昨日の今日だ。分からないはずがない。
会議が終わるとそのまま、ヘルムートの執務室の扉を叩く。
事前アポとか取ってないけど、流石にいいよね?
ノック直後、
「どうぞ」
と声がしたので扉を開ける。
ヘルムートは部屋に1人で、黙々と仕事をこなしていた。事務作業をしているヘルムートは珍しい気がして、
「ヘルムート、少しいい?」
遠慮気味に声をかける。
「ええ」
ヘルムートは誰が来たのかを確認すると、
「3人の会議は終わったのですか?」
「たった今。明日も集まる事になりました。明日の参加はできそうですか?」
答えは分かっていたけど、念のため確認してみる。
「そうしたいのは山々なんですが……。いかんせん、政務が溜っていて。私が手をとめると、途端に多方面に支障が出ます」
確かに、机の上に乗り切らない書類があちこちのテーブルに置いてある。
床にも小さな束があるので、相当忙しそうだ。
ラディウスの代わりに政務をしてるってことか――。
つまり、ラディウスはいよいよ身動きできなくなったんだ……。
「ラディウス、動けませんか……」
質問ではなく確認の言い方に、ヘルムートは違和感を持ったのだろう、手を止た。
顔を上げるとあたしに視線を向け、
「理由をご存知なのですか?」
意外、というほどの顔ではないが、それでも少し驚いていた。
あたしは視線を逸らさず「はい」と答えたけど、些細は聞いていないから、
「でも、そもそもなんで『声』が聞こえるかまでは知りません」
正直に伝えた。
ヘルムートは完全に手を止めて数回目を瞬かせた。
「それはラディウス様がお答えにならなかったのですか?」
「具体的なことは教えてくれなくていいって、あたしが言ったんです。ラディウスは辛そうだったし、いざとなったらヘルムートから聞けばいいと思ったので」
「――そうですか」
「ヘルムート、教えてください。まさに今があれ時なんでしょう?」
ヘルムートは主に断りもなく話してよいか僅かに考えた後、口を開く。
「――時々こうなる事があります」
「こう、とは?」
「……後遺症のようなものです」
「――後遺症。それは精神的な……?」
「ええ……。ソルセリル建国を成し遂げたあとから、数年から、長くければ5年周期でやってくる気鬱期です」
ソルセリル建国後……。
気鬱期。
つまり戦のPTSDってこと?
「私も身に覚えがありますが……。あれは安々と治まるものではありません。今回は5年ぶりにやってきたので、特に深いと思います。しばらくは仕事が手につかないでしょう」
特に深い、か……。
「深いって、なぜそう思うんですか?」
「気鬱期の間隔が空けば空くほど、次に発症した時の症状がひどいのです。5年も間隔が空いたのは久々で、これが2回目です。前回は1ヶ月ほど部屋から出てこられませんでした。仕事に復帰したのはさらに半月後です」
完全復活まで1ヶ月半――。
あのラディウスから考えると、かなり長い。
「相当に長いですね……」
「ええ。ですから、少しでも進めておかないと国が回らなくなります」
ヘルムートはまた手を動かし始め、次々と書類に目を通し最終確認の印を押すだけの状態にして積み上げている。
機械的に動く彼の手を見ながら、
「いつもはどうしてるんですか?」
「何も」
冷淡とも言える短い返事を返され、驚いて数秒声が出なかった。
いつものヘルムートらしくない突き放したような冷たい態度だ。
「何も……、とは?」
「ラディウス様ご本人が何も希望されません。声をかけても、食事を出すことも拒否されます」
「食事もですか?」
あたしはじっとヘルムートを見た。
さすがに1ヶ月も飲食なしではないだろうが、普段あんなにも主を気にかけるヘルムートが、本当に関与しないんだろうか?
目に懸念の色を読み取ったのだろう、ヘルムートは再び手を止めると、あたしをしかと見た。
「薄情とお思いですか?言われた通りのことしかせず、淡々と仕事をこなしている私を軽蔑なさいますか?」
滅多なことで感情を揺らさないヘルムートが、苛立たしげにそう言った。眉頭を寄せて口も不満そうに歪めた顔は初めて見る。余裕が無いようにも見えた。
手を差し伸ばしても何もできないと知っているから、歯がゆいんだろうな……。
「責めているわけじゃないですよ?ヘルムートが最善と思ってその手段をとっているなら、それが正解なんでしょう。長年ラディウスを見てきたのはあなたですから、その結論を疑うことはしません」
素直にそう言うと、ヘルムートの顔から霧が散るように険しい相が消えた。
「――ありがとうございます」
そう言うとふぅーっ……と嘆息し、脱力したようにペンから手を離して頭を抱えた。
書類にインクの染みが広がってく。重要書類なんだろうが、彼は全く頓着していなかった。
というより、気づいていない。
背中を丸めて俯き、まるで魂が抜けたようだった。
「申し訳ありません……」
そう言うと、頭を抱えていた両手をゆっくりと顔に下ろし、覆ってしまった。
「一瞬でもヒカリ様に苛立ちをぶつけたことをお許しください……」
懺悔するように呟いた。
「いえ……。それだけラディウスを心配してくれてるんでしょう?」
ヘルムートは心配するなどおこがましい、とでも言うように静かに、小さく首を振った。
「私は諦めてしまったのです……。投げ出して傍観するしかないこんな私が、今更心配するなど、出来るはずがない――」
堪えられるように言う様は、ヘルムートがこれまでいかに努力してきたかを物語っていた。
何度も何度も挑戦し、その度に砕かれてきたと分かる落胆ぶりは、見ているだけでも苦労が偲ばれた。
「何もしない、が一番の治療と分かったのです……」
顔から手を取り払ったヘルムートは唇を噛んでいた。
「私もなんとかできないかと、あらゆる手を尽くしました……。王都を離れ、国を離れ、一冬を全く違う環境にしたこともあります。医師に診て頂き、あえて戦場となった場所を訪れたり、遺族と対面したこともありました。
しかしどこへ連れ出そうが、何を提案しようが同じなのです――。
私も同様の症状で苦しんだ時期がありましたので、共に治療を受けましたが……。ラディウス様は20年たった今でも治癒していません」
「ヘルムートは?良くなったんですか?」
彼は小さく頷くと、
「悪夢は見なくなりました……」
これまでにないくらい、薄紫の瞳が陰っている。
「極たまに幻聴がしますが……半日ほどでなくなります」
「そうですか……。改善しているなら良かった」
あたしはヘルムートが投げたペンを取ると、ペン立てに戻した。
書類に出来たインク染みはかなり大きく広がっていた。これはもう、何を書かれてるのか分からないな……。
「あたし、様子を見に行ってもいいでしょうか?」
「……分かりますよ。ヒカリ様の目はただラディウス様を案じているだけと理解できます。しかし――」
ヘルムートは言葉を一度呑み込んだ。
あたしが躊躇すると思う何かを告げようとしているようだった。
「――なんですか?教えてください。動揺したりしませんから」
ヘルムートは憂色を浮かべる。
「――あのラディウス様は人を寄せつけません。些細な刺激に驚くこともあれば、言葉をなくした虚ろな顔をされることもある。かと思えば暴力的にもなります。昨日のことを思い返せばお分かりでしょう?昨晩は肩の傷程度で済みましたが、本気の殺気であれば首を落とされていたと思います――」
ヘルムートは身震いすると、怯えるように背中を丸くした。
「考えるだけでも恐ろしいことですが……。自分の意識が薄れている間に、ヒカリ様が命を落とすような事態になれば………。自分が手を下してヒカリ様が落命したと知ったら――きっとあの方はもう二度と立ち直れなくなる――。最悪、自害なさるでしょう――」
ヘルムートは白刃を首元に突き通されたかのように顔を歪めていた。
それが彼にとってどれほどの恐怖と絶望なのか、青白い顔色をみれば容易に分かった。
「昨夜の一件以降、私はそんな想像をしてしまうのです………。お二人が倒れているのが目に浮かぶ……。頭から離れない――。敬愛すべきお二人が一度に消えてしまうなど――そんな恐ろしいことはない…………」
小刻みに指が震えている。吐く息が長く、過呼吸にも似た息の仕方をしていた。
よく見ると、昨日は寝付けなかったのか目が落ちくぼんでいる。もしかすると、ヘルムートにも今、『声』が聞こえているのかもしれない。
あたしはそっとその彼に手を添えると、震える背中を擦る。
「ヘルムート、落ち着いて……。あたしは死んでないし、ラディウスも無事だから……」
「昨日は本当に――思い返しただけでも恐ろしい……。ヒカリ様が怪我を負ったと知った時のラディウス様の顔………。あんなにも絶望と恐怖を浮かべたことなど、一度もなかった――」
戦く《わななく》彼をなだめようと、あたしはゆっくりと手を動かし続けた。
「訪れてもいない恐怖に支配されないで下さい……。たっぷりと息を吸って――吐いて――吸って――吐いて――」
ヘルムートはあたしに促されるまま呼吸を数回繰り返す。小刻みな体、唇、手の震えは治まり、顔からもシワがとれて、徐々に落ち着きを取り戻したと分かった。
平静を取り戻すと、いつもの薄紫色の瞳があたしを見返す。まだ顔色は悪いけど、目にはいつもの光が見える。
「大丈夫ですよ。ラディウスのところへ行ったら、力を発動させて薄くまとわせておくので。魔法攻撃なら回避出来ます」
ヘルムートは、
「お願いですから、身の安全だけは確保してください。ヒカリ様が傷つけば、ラディウス様も私も傷つきます。一蓮托生です。くれぐれも用心してください――」
切願するように顔を歪めた。
「そして、これは私からのお願いです――。どうか、あの方を救って下さい。私では駄目だったのです――。もう頼りの綱はヒカリ様しかいません……。どうか――どうか――ご自身の命を重んじながら、ラディウス様の救済を………」
ヘルムートは隠す事なく、あたしにすがりつくように袖を掴んでいた。しかし袖先をわずかに指先でつまんでいるに過ぎず、そんな所に彼らしい遠慮と配慮、敬意が見て取れた。
「こんな時くらい、思い切り腕にしがみついてもいいんですよ?」
あたしがふっと笑うと、ヘルムートはわずかに表情を緩めて、
「主の奥方となる女性に触れるなど、できるはずがありません……」
苦そうな顔で言った。
あたしはさらに笑う。本当にヘルムートらしい返事だ。
「なら、将来の夫の忠実な臣下の懇願を叶えるために、しっかりと役目を果たしてきます」




