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この世は勇者であふれてる  作者: 栢瀬 柚花
戦の残響

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ラディウスの悪夢



 ヒカリと2人で遠出をしている。

 何時ものように手を繋いぎ、景色を見ていた。

 

 来たことのない場所だ。でも小高い丘からは雄大な景色が見渡せる。

 雪景色になったソルセリルの冬。

 ヒカリはまさにその光景を楽しんでいた。

 

 いつからそうしていたのだろ。気がつけば夕方で、冬の早い日暮れを感じる。寒くなる前にそろそろ帰ろう、と言おうとした時だった。

 

 

 いつの間にか賊がいた。 

 繋いでいたはずの手はいつの間にか離れていて、賊はヒカリを捕らえてしまう。わずか3人しか相手はいないのに、なぜヒカリを奪われたのか分からなかった。

 

 ラディウスは必死に魔法を駆使しようとするが、いつの間にか足元におびただしい数の人がラディウスの足を引っ張っている。

 よく見ると、その者達はかつて戦で殺めた顔達だった。

 

 彼らのせいで魔法が使えない……。

 

 なんとか手を伸ばして足を動かしヒカリに寄ろうとするが、一向に前に進まない――。


 

 賊はヒカリの髪を鷲掴みにし笑い、ヒカリは苦痛に顔を歪めている。勇ましくも立ち向かおうと言うのか、短剣を取り出して賊の体目掛けて振り下ろしているが、虚しく空を切るばかり。

 それが愉快なのだろう、高笑いしながらヒカリの髪を引っ張っている。そのまま引きずられさらに遠くなるヒカリの姿を、ラディウスはただ見ていた。

 

 夕陽を背景にすると、賊は無理やりヒカリを跪かせる。何やら話して、ヒカリは反論しているようだ。荒げた声が微かに聞こえる。気に食わないことを言われたのか、賊は平手でヒカリの頬を打つ。

 パァン!と音が響くと、男の強い力にヒカリは地面に転がった。脳震盪でも起こしたのか、ピクリともしなくなる。

 

「ヒカリ!」

 

 叫ぶが、体は変わらずびくともしない。

 助けないと。

 早る気持ちとは裏腹に、強く願えば願うほどラディウスの体は動かず、声も出さなくなる。

 地面に転がるヒカリから視線を逸らさない賊は、グリップに手をかけると剣を抜いた。

 キィィン……と硬質な金属の音がし、剣に赤い夕日が反射して一瞬光った。

 

「……だめだ――やめろ!」

 

 剣を構えると、大きく振りかぶってズバッと切りつけた。致命傷にならない位置を、あえて斬ったようだった。ヒカリの身体から鮮血が飛び散る。

 

 ラディウスは出ない声で叫んで、なんとか猛者の腕を引き剥がして前に進む。だけど遅延魔法をかけられたかのように、足はゆっくりとしか動かない。

 

 ヒカリから目を逸らさずにいると、別の賊がまだ微かに息をしているヒカリの髪を掴んで無理やり膝立ちにさせた。ぐいっと喉を仰け反らせると、ラディウスをひたと見据える。


『よく見ておけ』

 遠くて聞こえないはずなのに、賊は確かにそう言った。

 

 ラディウスは更に冷や汗が出る。

 痛いほどに心臓が早鐘を打ち、絶望的な気持ちが広がる。

 

「やめろ……やめてくれ……!」

 声は届いても、賊は笑うだけで手を止めない。


 賊は剣をヒカリの喉元にあてがう。

 そしてラディウスに見せつけるように、ゆっくりと剣を動かして喉を切り裂いた。

 ヒカリは声を出すことも出来ず、血飛沫を散らす。四肢から力が抜けダラン…と垂れ下がると、賊は手を離した。

 血溜まりの中に崩れていくヒカリをただ見ることしか出来ず、ラディウスは心も体も凍りついた。


  

 ヒカリの名を呼びたいのに声が出ない。


 

 絶望で両膝を突くと、次の瞬間にはなぜかヒカリのそばに移動していて、ガラス玉のような空虚な目をしたヒカリが倒れていた。

 濃い血の匂いが鼻を突く。

 

 ラディウスは事切れたヒカリを見下ろしていた。

 

 賊の姿はいつの間にか消えていたが、そんなことはどうでもよかった。

 

「――ヒカリ……」

 

 全く動かず、力無く横たわるヒカリの体を掻き抱いて、ラディウスは叫ぶ。


 今までこんなにも声を上げたことはない。

 泣いたこともない。

 心が張り裂けそうになったことはない。

 全てを否定したかったことはない。

 自分が無力だと思ったことはない。

 

 

 ヒカリの体は冷たく、もうラディウスを呼ぶことも見つめることもなかった。


 

「――なら、あたしはラディウスが来るのを信じて待つよ」


 そう言っていた言葉だけがラディウスの頭を埋め尽くした。


 何もできなかった。

 してやれなかった。

 こんなにも魔力も魔法もあるのに――。


 

 俺にはなんの意味もない。

 一番力が欲しい時に、使えなかった――。

 


「……ヒカリ…………ヒカリ…………ヒカリ……」



 

 こんなことなら言えばよかった。

 ずっとお互いに気がついていたのに、言わなかった。

 恥ずかしがって、照れて、他人の前では素知らぬフリをして、避けてきた。


 

 お前は待っていたのに。

 ヒカリが俺の言葉を待っていると気がついていたのに……。


「ヒカリ……好きなんだ…………――愛している」



 もう聞こえないヒカリの耳に、言葉を落とす。


 何度も何度も何度も。


 

 しかしヒカリが答えることはない。

 はにかんで、でもやっと聞けた言葉に嬉しそうに笑うことはない。

「あたしもだよ」と返すことはない――。



「すまない……ヒカリ………………」



             ◆



 ラディウスははっと目を開けた。


 いつの間にか微睡みから本格的な睡眠をとっていたらしく、体は寝台の上にあった。

 

 布団の中で大汗をかいて、息を弾ませている。目尻には涙も感じた。


 周りを見渡すと、そこはいつもの邸宅の自分の寝室。


 いつの間に城から邸宅に戻ってきたのか。

 全く記憶がなかった。


  

 時間は夜中で、まだ月が高い位置にいる。

 静かで平穏な冬の部屋は、冷やされて凍てついた空気をまとっている。窓も冷たく凍り、風にガタガタと揺らされていた。



 しかしラディウスの動揺ほどではなかった。

 今し方見たものは夢と分かっていたが、それでも心は冷えて凍てつき、裂けて粉々になったかのようだった。

 ざわめく感覚ははっきりと残っており、瞼を閉じるのが怖いほど、鮮明にヒカリの死に顔が焼きついている。

 それを思い出すと涙さえも出ない悲しみと絶望に支配された。


「――なんでよりによってヒカリなんだ……」


 

  

 今まで戦の夢は何度も見てきた。

 繰り返し繰り返し、救えなかった者のが登場し、命を奪った者が怒ってラディウスを罵っていた。

 

 それだけならまだ耐えられていたのに……。


 俺の命ではなく、ヒカリの命を持っていくのか?

 お前たちの大切な者の命を奪ったから、俺にも同じ仕打ちをしようとしているのか?

 絶望と薄れることのない悲しみと後悔を背負って生きていけと……。


 

「ヒカリは関係ない……。あいつは何もしていない………」


 

『だからだろう?』 

『罪を犯して手を血に染めたお前ではなく、真っ白なヒカリを代わりにするんだ――』 

『そのほうがお前にはよほど堪える……』


 

 もう何度も聞いてきた声がそう言って嘲笑う――。



  

 数年に一度、この声はラディウスの元へやってくる。

 

 普段ならどうとも思わないが、極たまに、しおっと萎えた心根の隙に入り込んでくる時があった。

 一度入り込むと、声は土に染み込む水のように、奥へ奥へと侵入し悔恨を根付かせてしまう。

 一度根を張ってしまえば取り払うのが難儀で、ラディウスはひどく心折れやすくなった。


 まさに今がそのタイミングであった。



「だめだ……。ヒカリだけは――」



『ならお前がヒカリの目の前で死ね』

『同じ絶望をお前が代わりにヒカリに与えろ』


「そんなことできるはずがない……」



 ヒカリが自分のことを想っている。

 そうとはっきり分かるから、絶望を見せたくない、味わわせたくない。


『お前だけが幸福を味わうのか?』

『あたし達から奪ったお前が?』

『そんなこと許さない!』



「――知っている。分かっている……」


  

 ラディウスは幼子のように膝を抱えてぎゅっと身を縮め、頭を抱え体を震わせ、見えない声の罵倒に耐えようとした。


『あたし達は決して忘れない!』

『お前が何をしたか、何を言ったか!』

『お前は誰も救ってない』

『穢らわしい鬼人め!!』

『俺の息子を返せ!!』

『あたしの娘を返せ!!』

『お前の手は血まみれだ!』


 命を亡くした者達への償いはどうすることもできず、ただただ声が止むのを待つしかない。


  

 ラディウスは寝台の上で朝が来るのを待つ。

 声は朝日とともに消え、日が暮れるとともに現れる。

 

 これを何度も何度も繰り返す。

 

 どれくらい続くのかはラディウス自身にも分からない。

 声のほとぼりが冷めるのを待つしかないと知っているから、耐えるしかなかった。

 


            ◆



 いつもの時間になっても主が執務室にやって来ない。


 城に入ったとの知らせもなく、邸宅を立ったとの報告もない。

 多少の遅刻はあっても、ここまで姿を見せないのはあまりにも不自然だ。

 ヘルムートは胸騒ぎを覚える。5年近く感じなかった暗雲だ。

 昨日の出来事を目の当たりにしたので不安は相当高まっていた。覚悟はしていたが、それでも胸が詰まった。

 

 

 ヒカリの声にも気がついていなかった。

 声をかけたのが誰かも確認せず攻撃魔法を放ち、怪我を負わせた。ヒカリ自身が張っていた防御魔法が功を制したが、危うく大怪我をさせることろだった。

 

(肩をかすめさす程度には思考が残っていたようだが……)

 

 ラディウスが本気であれば防御魔法などいとも簡単に破られ、間違いなくヒカリの首は飛んでいた。

 そんな事態になれば、ラディウス自身も絶望のうちに自害していたかもしれない。

 ラディウスがヒカリへの想いを自覚した今なら尚の事。

  


 ロドルガッツの視察後から、ヒカリとラディウスの仲は明らかに進展した。会える回数も時間も少ないが、その短い時間で出来るだけ近くにいようとしている。

 2人の立つ距離、自然な笑顔、優しい眼差し、頻回に絡む視線……。

  

 誰がどう見ても、2人は恋仲だった。


 

 

 城内では周知の事実と言ってもよかったが、それを暗黙の了解としないために『ヒカリ様』と呼称を改めた。

 

 ヘルムートが高い敬意を示すのはラディウスとその伴侶となるであろうヒカリだけ。

 

 ヘルムートが『ヒカリ様』と呼ぶだけで、それが誰にでも伝わる。 

 現にハレイドとマルタは気がついた。

 そして気がついた者は『ヒカリ様』と呼ぶようになる。

 それが広がっていけば城内だけでなく、各領地でも認識が変わる。ロドルガッツではすでにヒカリは妃としての扱いに変わっている。叔父のエーナンテイトが真っ先に領内へ伝達し、指示が通ったのだ。

「反対する者は流石におらんだろうが、外堀を埋めておくのは悪手ではない」

 ヘルムートと2人きりの折り、エーナンテイトはそう言った。ヘルムートも全面的に賛同だったので、計画を立てた。

 ヘルムートの『ヒカリ様』呼び、ヒカリが全員の家臣を呼び捨てる、並んで歩く時もヒカリの一歩後ろをゆく、ラディウスとヒカリが共にいる時は距離をとって見守る……。

 そうやった細々な動作で徐々に拡散することを目論んでいた。

 

 その矢先に、今回の事態。

 


  

 ヘルムートは邸宅に風を飛ばし、執事長に連絡を入れる。

 執事長からは、

『本日はお姿を見ておりません。自室に入っていかれるのを見かけたのが最後でございます』

 との風が返ってきた。


 体調が悪いことなど滅多にない主だが、優れない時は必ず執事長に伝える。仕事に関しても余程のことがない限り、無断欠勤などしない。事情があればヘルムートに必ず言付けを残す。

 今回はその両方ともがない。

 ヘルムートは胸騒ぎが強まり、不安な予感が確定に変わった。


 双方が無い時は、決まって()()の時だ。


  

「またあの時期が来てしまったのですね……」

 ここ5年は落ち着いていたから油断していた。きっとアザルスとの戦争があり気が張り詰めていて、心弱くなることがなかったからだろう。

 今は旧アザルスとのいざこざはあるものの、国外との目立った争いはなく、戦を前にするような緊迫感はない。

 だからだろうか……。

 

「5年近く来なかった反動で、大きな気鬱期とならなければいいが――」


 ヘルムートは姿を見せない主を思って顔を歪ませた。 

 

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