本当の恋の瞬間
あたしと田岸さんはヘルムートの部屋で防御魔法についてレクチャーを受けた。やり方事態は難しくなかったけど、外出中は常時発動、というのはかなりの集中力がいる。あたしは人様の魔力を使ってるからそこは問題ないけど、精神的には疲労がたまりそうだった。
「2人共、外出中は常に意識して防御魔法を展開させてください。貴族や要人なら大人子供問わず、皆さん常にやっていることですから、難易度は低いはずです」
サラリと言われたが、あたしも田岸さんも苦笑いするしかなかった。
……これは鍛錬がいるな。
レクチャーは外が暗くなり始めた頃に終わった。
田岸さんと共に城の玄関へ向かおうとしたら、
「ヒカリはそのままラディウス様の所へ。魔力の補給をして頂いて下さい」
確かに指輪はだんだんと黄色に近い色になっていた。生活魔法を使っているから毎日少しずつ消費してるんだよね。
最近は補給していないから、そろそろ頼もうかとは思ってた。本当は昨晩のご飯の時でも良かったけど、3人の話が弾んでしまって機会を失った。
田岸さんのことはヘルムートが玄関まで送ると言うので、その場で別れた。
あたしは1日の最後にラディウスに会えると思い、弾むような嬉しいような気分で踵を返すと、先ほどまでいた執務室に戻る。
ノックして入ると、ラディウス1人だった。てっきりグスタフやエッダもまだいると思ったから、嬉しさに緊張が加わる。
「なんだ?」
「あの……指に魔力を入れて欲しくて………」
おずおずと言うと「入れ」と仕事机から立ち上がりソファへと移動してくれた。
「かなり減ったのか?」
「もう少しで黄色になりそう」
正直に伝えるとちょっと怖い顔で、
「なんでもっと早く言わない?」
睨まれた。
「昨日も機会はあったろう?」
「お喋りに夢中で忘れてた……」
「グラータから戻って一度も補給していなかったから、そろそろかとは思っていたが……。いざという時、『魔力がない』なんて間抜けな理由で死ぬつもりか?」
ラディウスはあたしの手をとると、ソレイユの指輪の色を確認した。
「直に尽きるじゃないか……。特に風魔法の消耗が激しいな」
魔力提供者であるラディウスは、指輪に触れると魔力残留が正確に分かるらしい。
「まったく……」
文句を言いつつも、そのまま魔力提供を始めてくれる。
ラディウスの指を伝ってあたしに魔力が流れ込んで、指輪に吸い込まれていくのがわかる。
もう何度も繰り返しているから、ラディウスの魔力が分かるようになった。
風と水で少し感覚が違って、適性がある水の方が流れ込む時気持ちいい。
なにより、補給中は石の色が虹色になってキラキラ輝く。この瞬間しか見られない貴重な光景があたしは好きで、いつも魅入ってしまう。
「この虹色、綺麗だよね。あたし好き」
「――そうか」
水魔力の補給が終わると、次は風魔力の補給。
もう一つの石が虹色に輝くのを見ながら、魔力提供のために繋いでいる彼の手を感じる。こんな時でしか触れ合う機会はないから、優しい温もりを求めて一定の強さで握り続けた。
自分から大胆にラディウスの手を取ったのはつい昨日のことなのに、今はもうあの勇気がない。
こうやって言い分がないと、手さえ繋ぐ勇気がでない。
いつか自然に手を取ったり、腕を組めたらいいいのにな――。
ヘルムートはラディウスがあたしを選ぶと言っていたけど、まだまだそんな日は遠いと思ってしまう。
ラディウスがあたしにまったく関心がないとは言わない。時々向けられる視線、触れても振り払ったしない程度には好意を持ってくれているとは感じる。
でも近いだけで、お互いに背を向けているように、まだ他人行儀だ。背中でもぬくもりを感じたいけど、預けられるほどの勇気がお互いにない。
「終わったぞ」
指輪2本への補給はあっという間で、手を繋げる口実の時間は終わってしまう。
残念……。
「ありがと」
あたしは手を引っ込めようとしたけど、ラディウスは力を緩めなかった。しげしげと繋がった手を見つめ続けている。
その目は名残惜しさを感じているようで、あたしの鼓動はドキリと速くなる。
なんでそんなに寂しそうにしてるの?
そんな顔はずるいって……。
「前から思っていたが、お前の手は細いくせに柔らかいな。俺と違って綺麗な手だ」
急にそんなことを言われた。
ラディウスは右の手のひらにあたしの手をのせると、繊細なガラス細工に触れるように、左の手であたしの指先をつつーっとなぞる。
「剣や武器を知らない手だ」
手荒く扱うと壊れてしまうと言いたげな触れ方だった。
「あたしも訓練始めて、剣ダコはできたよ?」
特に利き手の右はだいぶ手の皮が厚くなったし。
「そうだが、少なくとも俺のように血に染まった手じゃない」
それには何も返せなかった。
ラディウスは穢れた自分が清いあたしに触れるのを躊躇っているように、指先で薄桜色の爪先を撫でる。
「さっきも間者の粛清の話しをしたら顔を歪めていたな。ノボルもだったが……。お前達のいた世界は争いがないんだろう?だから心を痛める。俺には疾うに《と》失われた感覚だ」
疾うに失われた感覚、か……。
表情を見ていればそんなことはないと分かるけど、ラディウスに自覚はないんだろうな……。
それに地球に戦争がないわけじゃない。
日本は参加しないってだけだし。
「……少なくとも日本では戦争はないよ。――今はね」
そう言うとラディウスは眉間にシワを寄せ、真剣な目であたしを凝視する。
「そんな世界で生きてきたお前は、危機に瀕した時、本当に刃を振るえるか?攻撃魔法を人に放てるか?」
いざ直面した時の事を案じてくれたであろう発言に、「出来る」とは答えられなかった。
田岸さんともそんな話をしたけど、未だに覚悟は出来ていない。
「田岸さんとも似たような話しをしたよ。『いざという時は剣でも魔法でもぶつけるべきだ、ヒカリが死んでしまっては元も子もない』って言われたけど………。重傷は負わせられても、きっと助かるように急所は外してしまう気がする――」
「その判断がヒカリの運命を分けるぞ?拷問や殺しをする連中とは考え方が根本的に違うからな」
そこは何度も何度も考えた。
死にたくないし、みんなに心配もかけたくない。痛い思いもしたくない。
でも命を奪ってまで逃げることは、どうしてもできない気がした。
その時がきても、必ず直前に動きが鈍ってしまう。そして、相手はその隙を見逃さないだろう。
「――分かってるけど……そんな覚悟、多分できない」
暗い声で返事をすると、
「ヒカリはそれでいい」
ラディウスはあたしの指を上から握り込んだ。先ほどと変わらない繊細でやさしい包み方だった。
「ヒカリの手は俺のように血に染まる必要はない。誰かに救いを差し伸ばす手であり続けろ。殺そうとする相手から逃げおおせるのは容易でないが、とにかく命が助かる最大の努力をしてくれ。出来るだけ早く駆けつけるから、それまでは生き延びろ」
真っ直ぐ見つめる曇ない眼に、強く強く心が震えた。
あたしはラディウスの手をしっかりと握り返すと、揺るぎがないほどに力を込めて、
「ラディウスが来るって信じて待ってて良いの?」
期待を込めてラディウスを見あげる。
彼は思いがけない確かな強さで指に力を込め直すと、
「ああ。必ず行こう」
はっきり言った。
あたしも指にまた力を込め、ラディウスの温かさにすがるように感触を確かめる。
自分の耳が、手が、足が、恍惚さに揺れた。
おののくような甘美な喜びが、あたしの全身を電流のように駆け抜ける。言い知れぬ強い勇気が、心の奥底から次々に湧いて溢れて、身体を駆け巡り、外に溢れ出た。
「なら、あたしは信じて待つよ。ラディウスが来るのを待つ」
「ああ」
「ラディウスも怪我して危ない時はあたしに言って。ポーションと薬でなんとか加勢するから」
ラディウスはフッと笑うと、
「それは頼もしいな」
目を細めた。
ここまできて、あたしもラディウスも互いの気持ちに正直になれないでいる。どちらかが踏み出せば、何か変わる気はするけれど、小さな一歩が出ない。
でも2人の間に、確かに繋がるものを感じる。
今はそれを感じていられればいい。
「あとね、ラディウスの手は血に染まってるわけじゃないよ」
まるで世界の業を1人で背負っているかのような言い方がどうにも引っかかったから、それだけは訂正したかった。
「確かに建国に至るまでに血は流れた。でもラディウスの剣や魔法のおかげで、誰かが救われたのは本当でしょう?ソルセリルができたことで、これから先に産まれてくる者たちの未来が変わった。それって凄いことよ?」
ラディウスはじっとあたしを見つめる。
真っ直ぐで野望に溢れながらも、目には罪悪感の影が見えた。
「誰かの大切なものや人を奪って得たものだぞ?」
「そうしないと得られなかったんでしょう?」
僅かに眉を動かすと、ラディウスは小さく頷いた。
「欲にまみれて、好き好んで奪ってたわけじゃない。犠牲が出ないに越したことはないけど、全く無くすことはできないって、戦争を知らないあたしでも分かる。少なければ少ないほど名君って言われるだけだよ」
あたしは言葉に力を込めてそう言った。
「ラディウスはちゃんと犠牲になった人を忘れてない。だからそんな目をするんでしょ?」
あたしはそっと彼の頬に手を添える。思ったよりも肉が薄い頬は、彼の苦労を表しているようだった。
「忘れないこと。生きてるあたし達が命を亡くした人に出来ることはそれしかないから、それでいいと思う。毎年の慰霊祭で思い出して、偲んであげればいい。『恥じない志で今年も1年、精一杯尽くした』って報告してあげて」
あたしも一緒にそう思うからさ……。
「親切気に富んだ奴だな……」
ラディウスは頬に添えたあたしの手の上に、さらに自分の手を重ねた。
「ヒカリの気遣いは乾いた地面に降り注いだ雨のようだ……。どんどんと奥へ奥へと染み入ってくる」
臆病そうな、だけど善良そうな銀の虹彩の目がキラキラ光る。
あたしはその瞳に釘付けになり、離せなくなった。
ラディウスも虜になったように、瞬きもしない。
N極とS極の磁石みたいに、2人の視線が交差し絡み合う。
あたしたちの呼吸はピッタリと同調したかのように奇妙に、しかし確かに一体になった。
あたし達は同じことを考えている。
あなたが好きで、深く愛していると。
言葉にしなくても本当の恋にはこういう瞬間があるだと、誰から聞いたわけでもないのに、あたしはそう思った。
表現し難いほどの愛おしさを感じながら、あたしはラディウスに微笑む。
「城で仕事があった日、たまにここへ寄っていい……?」
愛染をどうしても拭いきれなくて、そう尋ねた。
「ああ……」
ラディウスはあたしの手を取ると、甲にそっと唇を落とす。そのまま手首にもキスをすると、
「待っている」
囁いた。
あたしはくすぐったいよなもどかしいような気持ちでいたけど、目だけは逸らさず、
「また風を送るね」
とだけ返事した。
「分かった」
あたしたちはどちが言い出すわけでもなく手を繋ぐ。指を絡ませて、しっかりと握り込んだ。
「家まで送ろう」
ラディウスは床に魔法陣を発動させると、次元魔法で一瞬で敷地の近くまで送ってくれる。
これまで城の貴族たちが帰宅する時やっていたのを見ていたけど、実際に体験するのは始めてだった。
日が暮れた初冬の外は寒く、寒風に震えた。夜空には星々が輝き、空から2人を見下ろしている。
「本当に一瞬で着くんだ。魔法ってやっぱり凄い」
先ほどまでの甘い空気はなかったかのように驚いて言うと、
「これからはこうやって送ろうか?」
笑われた。始めて魔法を見た子供みたいな顔をしてたのかな?
手を繋いだまま敷地に入り、家のドアまで送ってくれると、
「また城でな」
無事に家の中に入るのを見届けて、ラディウスはするりと手を離した。
「うん」
あたしは手に名残を感じながら頷く。
「おやすみ」




