震える言葉
ヒカリの家で夕飯を食べたあと、田岸は先に帰宅した。夜陰に紛れての奇襲を警戒し、辻車を使うよう勧めてもなかなか同意しなかったが、最終的にはヒカリに懇願されて折れていた。
「良かったよ。何とか徒歩で帰るのを阻止できて……」
田岸を見送ったあとの別れ際、ラディウスにそう言って安堵していたヒカリに疲労の色は見えなかった。
会議に料理にと忙しかったはずだが、こういうところは頑丈だとラディウスは思っていた。
「明日からはまたヘルムートとの打ち合わせか?」
「明日は休み。でもヨセハイド地方について少し調べたいから、結局城には行くかな。人口とか街の規模を知っておきたいし。回復魔法師の認定試験を受けたい人達をどこに集めて講義をするのか、考えなくちゃいけないもんね。識字率も知っとかなきゃ……。書くことが出来ないなら試験方法も考え直さないとだし……」
すでにブツブツと独り言を言い始めたので、
「おい、とりあえず今はごちゃごちゃと考えるのはよせ。頭が冴えて寝付けなくなるぞ」
「お風呂に入ればリラックスできるから平気。やっぱり浴槽あるといいよね。1日が終わったぁ、って思える。そこで切り替えできるから心配いらないよ」
「別に心配はしてない」
「なら何?部下への心遣い?」
部下、という表現に違和感があって、
「ヒカリは部下ではないだろう?」
「そうなの?じゃあ何?臣下でもないし配下?家来?」
「少なくとも家来は違うだろう……」
「なら、なんなのさ」
問われてもしっくりくるものがなかった。
ヒカリの行いは慈善活動と言うには規模が大きく、政治的影響力をもつ公務、という表現が一番そぐう気がした。
「公務だろう。それがしっくりくる」
「国家公務員ってこと?」
「…………それが何か分からんが、そういうことでいい」
他国の王と交渉して外交にも参加し、ヒカリ本来の仕事である医療分野だけでなく、食品•福祉•教育にも幅を広げようとしているのは、立派な国の要人であると思えた。何らかの役職名がないのがおかしいほどの活躍だ。王や妃のような幅を利かせた公務内容だ。
(妃、か)
そう考えると形容しがたいむず痒さで、身のうちが竦すくむようだった。この場を早く引きあげたいような、この感覚を味わっていたような、妙な気分になる。
気持ちを切り替えるため軽く咳払いすると、
「じゃあな。唐揚げのことは屋敷で広めておく」
「よろしく」
軽く手を振ってその場を離れた。
屋敷に歩を進めながら、妃の表現が出てきたことに驚いたと、客観的な自分が言っていた。
(ノボルと柄にもなくあんな話をしたせいかも知れない……)
恋愛話など、ソルセリル創国前から考えても、もっとも縁遠いものだった。王となって以降もヘルムートからそういった類の話を持ちかけられたことは一度もない。だから恋も結婚も自分の人生には関係ないと思い込んでいた。
そんな自分が『妃』なんてものを連想したのだ。
――有り体に言えば片思いです。
(ノボルはそう言っていたが、こんな発想になることも、それを表しているのか?)
自分の心なのに、どうにも分からない。
こんなにも自身の感情と向き合ったことはなかった。
「存外、自分のことは自分が一番知らないらしい……」
邸宅に帰るため林を抜けながら珍しく不思議な気分になっていると、はたと違和感を感じた。
闇に覆われ静まり返った林の中、自分の足音の他にもう一つ、土と草を踏む軽い湿ったような音を聞いた気がした。しかしその姿は確認できない。
眉根を寄せるとラディウスは感知魔法を発動させ、土、風、夜の木々の匂いに溶け込んだ何者かの気配を探ろうとした。皮膚にピリッとしたわずかな刺激でも届かないかと、自身も息を殺して感覚を研ぎ澄ませたが、魔力がある者の気配はない。
(気のせいか……)
そう思いはしたが、何かがラディウスを引き止める。それは指先に小さく残ったトゲのような、長袖の裾がわずかに濡れて不愉快に思うような、そんな無視するには難しい不快感だった。
この些細な違和感を見過ごしてはいけない。
長年戦場に立っていた自分がそう言っている。
ラディウスは感知魔法を解除すると、もう一度、家の敷地内全体の魔法防御の状態を確認し、邸宅へ戻った。
先ほどまでの酔い心地はすっかりと冷め、頭と気持ちも、いつものラディウスに切り替わってしまった。
まだ夜分となってほどない時間だが、邸宅の敷地内を歩く使用人の数は少ない。
階段を踏む自身の靴音がカツカツ鳴って響く中、玄関を抜けると同時にヘルムートへ風を飛ばして呼び出した。
(どうにも後手に回っている――)
田岸への襲撃、実戦訓練でのキュクレスト、アラシャからの間者、つい先程の違和感――。
相手に先手を許しているようで歯がゆい。田岸への襲撃に関しては、アザルスからソルセリルへ入国した怪しい者を確認していたにも関わらず、発生してしまった。もし田岸が怪我でもしていたら、目も当てられなかった。
(主導権を握られているのが気に食わん)
敵の検討はついているのだ。元アザルスの没落貴族が大元である事は間違いない。
そこに協力している者がいる。アラシャ国王タハルカは相当に怪しいが、関与している決定的な裏付けはなかった。城に潜入した間者はすでに対処済みだが、そこを攻め立てたところで知らぬ存ぜぬを押し通すだろう。幸いにも新たな間者の気配はないため、このままこちらが口をつぐむしかなかった。
しかし用心すべきはアラシャではない。
(一番の問題は元アザルスでもアラシャでもない、他の連中だ……)
ソルセリル内にいる内通者。ここを断たなければいくら大元をあぶり出そうとも、情報が筒抜けだ。
問題はそれが誰か。
内通者が居ることは間違いない。
しかしその手がかりは今のところほぼ掴めていないのが現状だった。
(上層部にいる者か、余程優れた隠密行動が出来る玄人か……)
先ほどの違和感といい、あの防御魔法の数々を掻い潜り、ラディウスの魔力感知に引っかからないとなれば、相当の手練れといえた。
自室に入ったところでラディウスは先んじて何をすべきか熟慮した。
ヒカリの家の防御魔法はすでに相当張り巡らせている。これ以上はヒカリの自由を奪う事になり、仕事にも差し支えるので避けたかった。
魔道具の使用も検討したが、ヒカリの『魔力があるものを殺す力』のせいで、いざという時に使えない可能性がある。防御という意味ではヒカリの力を発動させた方がよほど安全だ。
(どうしたものか――)
そこまで考えたところで、部屋の扉が叩かれた。
「お呼びですか?」
「ああ。今し方気になることがあってな」
ヘルムートが部屋に入るやいなや、ラディウスはここへ帰ってくるまでの出来事を話して聞かせた。
「使われたのは魔力感知だけですか?気配探知、敵意感知、生命感知などは?」
「そこは得意じゃない。生命感知に至っては、使ったことさえない」
大概の侵入者の場合、魔力感知で事足りる。
気配探知は生き物の呼吸、熱、鼓動などがほぼ感知されるため、術者の気力をひどく消耗するやり方だ。林となれば虫も探知することになるため、相当感覚がおかしくなるだろう。
敵意感知は文字通り敵意を感知する魔法だが、気配を殺す、心を閉ざすなど訓練を積んだ隠密の者であれば、ほぼ引っかからないのが欠点だった。
「陛下の魔力感知で引っかからないとなれば、相当の手練れか生来の隠密技術に優れているか……。あるいはその両方ですね」
生まれながらに持っているスキルは一番の得意魔法となる。後天的に学んだ魔法の数々よりよほど体に馴染んでおり、扱いやすい。
「あの防御魔法の数々をすり抜けるとなれば、なかなかに手強いです。人目が多いこちらのお屋敷の方が、よほど安全と言えます。――また居住場所を変えますか?」
一瞬その考えもよぎったが、先ほどのヒカリの笑顔が頭に浮かんだ。
料理をしたり田岸を呼んだり、自由に過ごしている。作ってもらった浴槽にも満足していて、かなり家の居心地を気に入っているようだった……。
「――いや。護りの固さだけで言えば、あの家の方がよほど強固だ。それに内通者が誰か不明な今は、人目の多さは関係ないだろう。1人だけとも限らないわけだしな」
「そうですが、今のところ見当もついていないのですよ?」
ずっと探りを入れているが、影の者も全く情報を掴めないでいた。相当に上手く紛れているということだ。
それか、逆に堂々と姿を現しているか……。
ラディウスやヘルムートの傍に平然といて、何食わぬ顔をして仕事をしているとしたら――。
そんな人物が――怪しい者が一人だけいる。
「――疑わしい奴なら居るだろう」
ラディウスが言うと、ヘルムートはぐっと歯を食いしばった。
確かに怪しい者はいるのだ。しかしずっと直視しないできた。したくなかったからだ。
長きに渡り苦楽を共にしてきた情が、いつまでも結論を先送りにさせていた。
「やはり疑わしいなら手をこまねくべきじゃない。敵への情報提供を絶たねば、護れるものも護れなくなる。近々、グスタフを呼び出すぞ」
断言したラディウスに、ヘルムートはいつものように返事が出来なかった。情けや友情という、人らしい感情が蓋をして、喉につかえている。
だからいつもの「分かりました」ではなく、
「よろしいんですね?」
との問いかけになった。
「……古い縁にすがっていても、なにも進まん」
ラディウスは心臓を直接絞られたような顔をした。
彼とて本意でないのだと、容易く分かる顔だった。
「グスタフが本当にヒカリを亡き者にしようとして動き、俺を裏切ろうとしているなら――その真意を直接確かめたい」
これまで迷っていた時間も心も捨てて、グスタフを問いただすという行動に収束させたその決意は、ひどく固いものだと知れた。
もし本当にグスタフが内通者であれば、その責任を果たさせる。
悲しい覚悟の眼はどこまでも真っ直ぐで、ヘルムートにも痛みとなって届いた。
「――分かりました。明日には呼び出しをかけます」
思うところはあるだろうに、ヘルムートはそれしか言わなかった。
彼はいつもそうだ。普段は口煩いくらいにアレやコレやと諫言を言いい、遠慮なく文句を吐くにも関わらず、ラディウスが重要な決意を固めた時だけは何も言わないのだ。
「お前には色々と背負わせる――」
古くからの付き合いがある者を疑うなど、ヘルムートとて身を切られる思いだろう。それでも私欲を挟まず抗議もしないヘルムートの心情を思うと、居た堪れなかった。
だからヘルムートに変わり、
「お前とグスタフはよく言い争っていたな……」
ラディウスが思いを零した。
「もともと頭脳派と武闘派だ。創国の際、さんざんに意見を戦わせていたのを知っている。折り合いが良くなかったが、エッダがお前たちの間に入って仲裁していたのは意外だった。何度も飲みに誘われて、そのうちお前達なりの距離の詰め方を見つけ、今の関係になった……」
ラディウスは懐かしむように頬を緩めた。ヘルムートは軽く目を見張り、
「……――ご存じでしたか」
「当たり前だ。グスタフをこちらに引き込んだのは俺だぞ。どう溶け込んでいくか見ていたに決まっている」
「あまりそんな素振りは感じませんしでしたが……」
「ならヘルムートが鈍かったんだ。酒場で賭けをしていたことも知っているぞ?ヘルムートの好物の激辛のつまみを、グスタフに食わせていたこともな」
「…………陛下も酒場にいらしてたんですか?」
「そこは気はするな」
誤魔化す言い方に、ヘルムートは可笑しそうに笑う。
ヘルムートとグスタフの言い合いは次第に親睦になり、やがて信頼へと変わっていった。
それを傍らで見てきたからこそ、ヘルムートの了承した返事は哀しく思える。
「ヘルムートには心労をかけてばかりだ」
本音を吐露すると、
「いいえ。ラディウス様こそ、生半可な覚悟ではないのでしょう?そんな主の決意に水を差すことなんて、できません」
ヘルムートにできるのは、主の横で事の顛末を最後まで見届けることだけだ。これまでもずっとそうしてきた。
それが叶う場所にいたくて王佐となったのだから。
ラディウスは一番の腹心に目を向けた。
隠し通せない隙のない聡明な薄紫の眼が、ラディウスを見返している。そこに信実があるとこは、言葉にしなくても分かる。単なる従順ではなく、必要とあらば抵抗し諫める彼は、ラディウスが正しい道を貫くために必要な存在だ。
「ヘルムートが側にいることが、俺の一番の誇りだ」
彼がいなければここまでこれなかった。一度たりともその言葉や忠誠心を疑ったことはない。
ヘルムートは突然の賞賛の言葉にひどく心を打たれ、体中が沸きだつような昂りに震えた。
今までそんな褒め言葉を口にしたことは無かったのに。
この人は、どこまで変わっていくのか……。
「――そんな名誉なことを、不意打ちで言わないでください……」
今の気持ちを言葉にしようとすればするほど、どれも陳腐なものに思えて消えてしまい、ただ目頭を押さえるだけになってしまった。
「そこまで感極まるな。これから先、お前が見限りたいと思う俺になるかも知れんぞ?」
そんな事、天地がひっくり返ってもあり得ない。
「私がラディウス様を裏切るなんてあろうはずがない。こんなにも揺るぎない誠心を持てる方は、あなた以外におりません」
全幅の信頼をしか感じない眼差しと言葉に、ラディウスは深い感謝を覚え笑んだ。
「その期待から外れないよう、せいぜい精進するとしよう」




