裏事情
夏のこの時期に降る雨は、乾いた土地に染み入り、地表を湿っぽく覆う。
この日も例外でなく、室内にジトジトと薄ら寒い空気を運んできた。
振りしきる雨のザーザーという音を、静かな室内から聞いているラディウスは、雨粒が窓に描く模様を見ていた。
いつもの城の執務室。
書類は山になって机に溜まっているが、朝からその数はさほど減っていない。今もペンは持っているが手は動いておらず、ぼーっと窓を流れる続ける露を眺めていた。夜から振っている雨はしばらく止みそうにないと、厚い曇天を見て思う。
(そろそろ仕事に取り掛からないと、またヘルムートから小言を喰らう……)
そう頭は考えても手を動かすことはなかった。
何故かここ数日、頭の動きが鈍い。体調が悪いわけでもなかったが、どうにもやる気を削がれる。ラディウスの脳裏に、時々血を流したヒカリの姿が映る事があるからだ。
なぜかは分からない。ただ、ふとした瞬間に思い起こしている。だからどう思うわけでもなかったが、いつも思考が停止して、気がついたら何も手に付かなくなっていた。
ここ最近、やたらとヒカリから魔力提供の要請をされた。覚えたての風魔法で「補充してほしい」と短い言付けを受けたのが3週間で3回。あまりにも多い。
「一体何をしている?」
3回目の補給の時、さすがに訝しんでヒカリに尋ねたが、
「まぁ、そのうち話すよ」
としか言われなかった。
魔力提供自体は大した負担ではないが、こうも頻度が多いと、さすがにヒカリの行動が気になる。
使えないと思っていた魔法が使えるようになったから、子供のようにはしゃいでいるのかと最初は思ったが、あのヒカリの性格を考えるとどうにもしっくりこなかった。
探りを入れても明かさないので、ヘルムートにそれとなく伝え、調べさせようとした。
それが昨日の午後のこと。
今日は定例の魔法師達との会議の日だから、きっとヘルムートはヒカリと午前中に接触したはず。
そろそろ何か報告が上がってくるかと考えていた。
程なくして扉がノックされ、いつもの「ラディウス様、入ります」との落ち着いた声が聞こえる。
「ああ」
短く返事をすると、予想通りヘルムートが入ってきた。
彼は主の机の前で来ると、午前中と変わらぬ高さの書類を目にして眉を寄せた。
「朝と変わらぬ状態ですが、少しは手をつけられたんですよね?」
ピリッと小言をいうのは、臣下の中でもヘルムートだけだ。
「もちろん。ちゃんと減っているぞ?」
悪気なくそう言うが、ヘルムートはじとっと疑いの目を向けた。
「これからこれと同様の量の書類をお届けいたしますので、きっちり今日中に目を通して下さいね?」
「…………分かった」
ここまで容赦ないのもヘルムートだけだ。
ラディウスは怠けたことを小さく後悔したが、時すでに遅い。
かなり遅くまで残る羽目になるだろう。眠気覚ましの飲み物がいるな、と考えていると、
「ラディウス様のやる気が出るお話をひとつ、いたしましょう。ヒカリから話を聞いてきました」
ピクリと心が反応したが、表情には出さず「そうか」とだけ返した。
「色々と面白い話が聞けました。ヒカリの話以外にも報告があるのですが、いい話と悪い話、難儀な話、どれから聞かれますか?」
2択ならよく聞くが、3択というのは珍しい。しかも一つは難儀な話。
「なんだ、難儀な話というのは?あいつはまた何か企んでいるのか?」
「ええ。私が考えていた以上に手間と苦労がある話でした」
そう言うヘルムートは言葉とは裏腹に、とても嬉しそうに笑っている。
ラディウスは訝しみながら、
「言葉と表情が釣り合っていないぞ?」
「そうでしょうね。ラディウス様も話を聞けば分かりますよ」
彼がそう言うからには、難儀だが良い話なのだろう。
ラディウスの心の中で興味の花が小さく咲いた。
「では、まず悪い話から致しましょう」
そう言うと、ヘルムートは顔を引き締めた。
「砂糖への毒物混入事件ですが、検出された毒は毒性が弱く、通常であれば軽い体調不良を起こす程度と分かりました」
「……通常であれば、という前置きはなんだ?」
「魔力量が平均的であれば、難なく分解できる毒です。軽い腹痛や目まい、吐き気程度ですみます。魔力量が多ければ多いほど、毒を盛られた事にも気が付かないでしょう。しかし微量な魔力量の者は違う。毒を分解しきれず、じわじわと体を蝕み、最悪、死に至らしめます」
「――つまり、明らかにヒカリを狙ったということか?」
「ええ。借りにラディウス様が口にされたとしても、何ら問題ないでしょう。当のヒカリも、あの家の敷地内にいれば死ぬことはないでしょうが」
ヒカリには伏せているが、家の防護魔法はかなり厳重にかけられていた。
そのうちの一つが状態異常防御だ。
毒と呪いから守る効果があり、毒を盛られたとしても進行はかなり遅くなる。異常が感知されれば即時にラディウス、ヘルムートに知らせが入る仕掛けなので、発見、治療が可能だ。
「……ヒカリにこの事実は?」
「もちろん、伝えてません」
「その方がいいだろうな……」
ヒカリのことだ。怯えはするだろうが、立ち向かおうともするはず。勇ましくはあるが、敵の神経を逆なでする事も考えられる。あまり動きがエスカレートしても、被害が甚大になるだけだ。
「毒の件は引き続き追う必要があるな……。敵はヒカリの力も魔力量も把握しているとなると、容疑者はかなり絞られるが……」
「ええ。各国の重役、元アザルス王国の者、そして………考えたくありませんが、我が国の内通者ですね」
「あるいはその全員かもな……」
ラディウスは口を歪めて、さらなる可能性を付け加えた。
「それぞれが手を組んでいると?」
「ない可能性ではないだろう?あれだけの力だ。ヒカリを始末するよりは精神支配で服従させるほうが、余程価値がある」
「それをやり遂げるには、一国では困難、ということですか……」
1人の人間を精神支配するには、相当の魔力がいる。しかも長期にわたって支配しようと思うなら尚の事。
精神支配魔法は高度な魔法だ。一国だけなら、すぐに魔法師が力尽きてしまう。しかし複数の国が協力すれば、不可能ではなくなる。
「……もう少し影に探らせましょう。そろそろ各国から、表立った偵察が来るはずです。その時の言動も注意が必要ですね……」
「そこは任せる。で?いい話というのは?」
すると一転して、ヘルムートの顔は明るくなる。
「ああ、ヒカリがラディウス様を褒めていましたよ?ラディウス様を『国王にした理由が分かった』と言ってました」
「………………それがいい話なのか?」
「ええ。嬉しでしょう?」
同意を求める言い方に、ラディウスは顔を顰める。
「―――なぜそう思う?」
「長い付き合いですから」
ラディウスは変わった。
ハッキリとそれと分かったのは魔獣の森の時。
あの後は殺伐とした雰囲気だった。まるで戦続きであった頃を思い出すほどの荒々しい緊張感があり、ラディウスが纏う魔力は城や屋敷内にいる使用人までをも攻撃するかのようだった。
しかしヒカリに敗北してからは一転、酷く落ち込んでいた。
いや、正確には落ち込むというより、溢れていた自信が無くなったという方が正しい。何をするにも即決で、自身の能力、価値、言動を信じ、疑うことなく突き進んできたラディウスが、何も手につかなくなったのだ。
あれほど興味を削ぐことがなかった政にも関心を示さず、その姿は輝かなくなった太陽のようにヘルムートの目に映った。
そして気がついた。ラディウスがいかに眩しくこの国を、ヘルムートの行く先を照らしていたのかを。
なんとかこれまでのラディウスに戻ってもらおうと手を尽くしたが、どれも効果は薄く、ヘルムートはほとほと困り果てたのだ。
腹心3人以外もラディウスの変化に気づき、貴族連中は浮き足立つ者、王座を狙う者に二分された。このままでは内戦にも成り兼ねないと危惧していた時、あの謝罪の謁見となった。
結局、ラディウスを自信喪失させたのはヒカリだったが、それを取り戻させたのもヒカリだった。
具体的にラディウスの心境に何が起こったのか、ヘルムートにも分からなかったが、ラディウスはまた自信を取り戻した。
しかも以前のようなギラギラ輝く真夏の太陽ではなく、初夏を思わせる燦々と眩しく照らす太陽だ。暑すぎず、日向でしっかりと光を届けてくれる陽光。
そこから表情や態度も変わった。執務中も随分と空気が穏やかになり、貴族の中には不安がる者もいたが、決して統率力が失われたわけではなかったので、喜ばしい変化とらえる貴族も多かった。
ヘルムート自身も、感情の起伏が激しくないラディウスは仕事がしやすいと感じた。
そして驚かされたのは、ラディウス本人の発言だった。
魔力提供の話を持ちかけた時、ヒカリが「恩を返す」と言った時、
「負い目を感じる必要はない。きっと俺の方が先に『もらった』からな」
そう言ったのだ。
ラディウスが何を『もらった』と感じたのかは分からない。しかし確かなのは、あれからラディウスが変わったということ。
いい方向に。
(ヒカリはラディウス様にとって必要だ)
ヘルムートはそう考えていた。
ヒカリの前で、ラディウスはよく怒るし不機嫌になる。
臣下や腹心の前では見せない感情だ。
昔からのラディウスらしい性格が垣間見える時であり、ヘルムートとしては国主の仮面を被らない貴重な時間に思えた。
素朴な一面を見せられる相手がいる。それにひどく安心したのだ。
だからヒカリの力になろうと、ラディウスの私邸の隣に家を構え、数々の防護結界を張った。
ヒカリがラディウスの事をどう思っているかは不安要素だったが、最近は随分と親しげに話すようになった。
ヒカリはいい意味で、ラディウスを王として扱わない。呼び捨てるし敬語を使わず、だから飾らないラディウスを引き出せている。
ラディウス自身も嫌がってはおらず、素を見せている。
ヘルムートには出来なかった事だ。
この関係性が上手く繋がり絡み合っていけば、またこの国は変わる。彼はそう考えていた。
「それで?最後の難儀だが良い話というのは?」
主の声に、遠くで思考していたヘルムートは我に返った。
ラディウスはじっと顔を見て臣下の報告を待っている。頭を切り替え、彼は淀みなく言葉を続けた。
「はい。ヒカリが魔力提供を頻繁に要請した理由ですが、午前中の会議で判明しました。空間浄化魔法を開発していましたよ」
「空間浄化魔法?」
聞き慣れない魔法名に、ラディウスは目を丸くした。
「風壁と浄化魔法の併用です。それまでは浄化魔法で辺り一帯を浄化するのが主流でしたが、空間浄化魔法は限られた一部の空間のみを浄化するのです。ありそうで無かった発想ですね」
「それがなんの役に立つ?」
「浄化された空間内で、医療を提供するつもりのようです。傷を清潔に保ち、その間に必要な処置をして回復させる」
「……どういう意味がある?」
「感染防止だそうです」
「感染……?」
聞き慣れない言葉にラディウスは困惑の表情をした。
「大気、水、土壌、人を含む動物などに病原体というものが存在するそうです。それが人の体内に侵入し、増殖することを『感染』と言うらしく」
「びょうげんたい……?」
首を傾げそうな程に困惑するラディウスはかなり珍しい。きっとヒカリの説明を聞いた時の自分も、同じ顔をしていたのだろう。
「『目に見えない生物が体の中に入り込んで増殖し、病気を引き起こす』という理屈らしいです。いかにも荒唐無稽で、理解し難いでしょう?細かく説明を聞いて、私もやっと頭が追いつきました。その病原体が人から人へ次々と移り、疫病が発生するのだそうです」
「つまり、病には明確な原因が存在するというわけか?」
「はい。その感染を食い止めれば、疫病の蔓延防止に繋がる。これは画期的な考えですね。建国前の戦の数々を覚えておいででしょう?各戦場で疫病が流行り、多くの者が死んだ。空間浄化魔法を始めとする公衆衛生で対策すれば、疫病は減るとヒカリは断言していましたよ?」
「――あいつ、歴史を調べたのか……」
「ええ。建国に至るまでを調べ上げていました。それを見て、ラディウス様の印象が変わったのでしょう。良かったですね、苦労して国を興した甲斐がありました」
「……そこはいい。それにヒカリに示すためにソルセリルを興したわけじゃないぞ」
ヘルムートはあえて茶化すように言った言葉に、主が反応したので静かに微笑んだ。以前のラディウスなら、こんな冗談めいた話は言えなかっただろう。
「わかっていますが、ラディウス様の反応が面白いので」
「――お前も俺を揶揄う《からかう》とは、いい性格になったな。そう言う役はヒカリ一人で十分だ」
少しむくれたラディウスもまた珍しい。それがまたおかしくて、ヘルムートは思わず小さく笑いが漏れた。
ラディウスは空気を変えるように軽く咳払いをすると、
「それで?そんな魔法を開発して、ヒカリの目的はなんなんだ?」
気を取り直したラディウスに付き合い、ヘルムートも話題を元にもどした。
「回復魔法師なしでの医療体制の確立が最終目標だそうですよ」
ラディウスは目を見開いて言葉を無くしていた。
「――あいつは本気か?」
「ええ。ひどく真面目です。わたしも一枚噛ませてもらうことにしました。かなり手応えがありそうな一件ですからね」
「―――なるほど。難儀だがいい話、か……。的確な表現だな」
「ええ」
「魔法薬師や回復魔法師連中はいい顔をしなさそうだな……。独占権が得られなくなる」
「ですが、恩恵もあります。常々問題だった人手不足が解決するかも知れません。回復魔法師の治療、原始的な外科的治療の利点・欠点はそれぞれにあります。そこを天秤にかけて話し合えば、案外賛同を得られるかもしれません」
「なんだ、すでに説得の心づもりがあるのか?」
「ここへ来るまでの間に、いつの間にか考えていましたね……。知らぬ間に熱気が高まっていたようです」
「そうか」
ラディウスは楽しそうに笑った。ヘルムートがここまで意気盛んな顔をするのは珍しい。
「なら、存分に論破してこい。古株連中の面を粉々に砕くのも見ものだ」
「粉々には致しません。原形は留めますよ」
どこか不穏な事を言うヘルムートは、やはり楽しそうに野心を覗かせた目で笑っていた。
ヘルムートを味方につけた時点でヒカリの勝利だろうとラディウスは思い、今後の行く末が楽しみになった。
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