ヒカリの野望
長めのお話です。お付き合いください。
「砂糖を購入した店に、疑わしい点はありませんでした」
ヘルムートから翌日の朝、そう報告を受けた。
朝食が終わり、眠くて重い瞼をなんとか持ち上げて、図書室に行こうとしたタイミングだった。
「店にあった砂糖からも他の商品からも、毒は一切検出されませんてした。ただ、数軒の家庭から砂糖を使った後、体調が悪くなったという報告があったので、関連を調べているところです。店主や従業員も調べていますが、あの慌てようを見る限り、関係はないでしょう」
あたしの部屋で小さな机を挟んでする会話は、嫌な真実を突きつける内容で、あたしもヘルムートもかなり重苦しい雰囲気になった。
「……つまり、あたしを狙った可能性が高いってことですね………」
もしくはラディウスを――。
そうなると、いよいよあの家が怪しくなってくる。
あたしは昨晩から悶々と1人で抱え込んでいた不安が、いよいよ的中しそうで強く緊張した。
その恐怖に耐えられず、
「ヘルムートさん……もしかしたらラディウスを狙った可能性があるかもしれません」
意を決して告白した。
彼は数秒押し黙ると、怖いくらいの顔になって、
「それはどういうことですか?」
怒気を抑えた低い声で言った。その静かさが逆に怖くて一瞬たじろいだけど、
「実は……」
クッキー作りの計画をしていたと打ち明けた。
「――つまり、それを知っていたのはラディウス様とエッダのみと……」
「はい……。エッダには帰りの辻車で話したので、既に砂糖を手にした後です。だから可能性があるなら――」
「あの家の中での会話……」
「―――はい」
ヘルムートは眉間のシワをより深くし、口元を歪めて考え込んでいた。
いつもなら考えが纏まる《まとまる》まで黙っているのだが、他にも懸念事項があったあたしは、我慢できずに声を出した。
「クッキーの話をした時、ちょうど指輪を受け取ったんです。だから……指輪のことも相手に知られているかもしれません………」
しかしヘルムートは、
「そこは正直な話、些末なことです。もっと重要な問題がありますから……」
もっと重要な事……?
指輪はかなりのレア物なんでしょう?それをあたしが持ってるって、知られてもいいの?
しかしそれ以上ヘルムートの熟考の邪魔は出来なくて、あたしは仕方なく窓の外を見た。
この日は雨で、窓に大粒の雨粒が打ち付けていた。朝なのにどんよりと曇天が垂れ込み、ずしんと心も身体も重くなる。窓の冷たい水滴を眺めつつ、あたしはしばらく考えにふけった。
もっと慎重にならなくちゃ……。
最近はこの国に慣れてきたから、随分と気が抜けていたと思う。
自分の身は自分で守れるように……せめて抵抗はできるくらいに、魔法も武器も腕を上げないと。
それに相手の目的……。あたしの力が狙いなのか、それとも脅威だから殺したいのか……。
力が欲しいなら、少なくとも殺されはしない。
力の脅威に怯えてるなら、殺しにかかってくるだろうな……。そこは仕方ないと思う。死なないとこの力は消えないから、命を狙われるのはずっと続くことだろう。
でも、狙うならあたし一人にしてほしい。
今回は関係ない国民が巻き込まれた。体調不良程度で済んだけど、もっと強い毒だったら命がなかったかも……。
国民の皆さんはもちろん、ラディウスやヘルムート、周りの人を巻き込もうとしないで欲しい……。もし巻き込まれて誰かが傷ついたら――。
あたしはソエイラの指輪を見た。既に手に馴染んだ銀色のそれは、ラディウスの魔力が詰まって緑に輝いている。
水魔法に適性があるあたしは回復魔法が使える。でも簡単な傷しか治せない……。
もしあたしのとばっちりで誰かが死にかけた時、そこに回復魔法師がいなかったら手詰まりになる。助かる命も助からないかもしれない――。
魔法を知ることも大事だが、応急処置だけじゃなくて解毒……延いては《ひいては》外科的治療ができるように考えを広めなくちゃいけない――。
やっぱり、医療が必要だ。
時間がかかっても魔法なしの医療技術を根付かせないと。
あたしはこの日、ひっそりと決心した。
魔法がなくても助かる医療を広めよう――。
「ヒカリ」
あたしはヘルムートの声に誘われ、宙に這わせていた視線を彼に向けた。
どうやら対策が決まったらしい。
「ヒカリはしばらく、ラディウス様のお屋敷に住んでください。あの家の防護魔法を強化します。それには少々時間がかかりますから、必要な物があれば後で取りに行きましょう」
「分かりました」
それからまた、お屋敷での図書室と部屋の往復の日々が始まった。
図書室ではこの国の戦闘の歴史、回復魔法師の歴史を調べ上げた。過去に魔法なしで治療する実例があるのか調べたかったのだ。
実例は見つけたけど、結構昔のことで廃れた技術のように書かれていた。
魔法があるならしかないけど……。便利な点も多いんだけどなぁ。
次に麻酔。
これが難題で、麻酔と同等の作用がある薬草や魔法を調べるが、なかなか見つからなかった。麻酔はほぼ麻薬に似ているから、もしかしたら一般的な本棚にはないのかも……。
何かの折に禁書庫の存在について聞いてみよう。
麻酔については一旦保留にして、外科的処置を可能にするため、空間浄化魔法の研究をした。
昨日田岸さんからもらったアイデアを試すべく、ヘルムートから浄化魔法と風壁魔法を教えてもらい練習した。
これは結構簡単に完成し、さほど難しくなかったので良かった。浄化する範囲を狭くすれば、魔力消費も少なくて済む。
問題は結界の維持だ。処置に長くかかれば、それだけ空間浄化魔法の維持も必要になる。いかに手早く的確に終わらせられるかが勝負だ。
あとは滅菌水、滅菌ガーゼなとが出来るかチャレンジしたが、こればかりは『たぶん成功』だった。試しにカビが生える条件で食べ物を〈結界なし〉〈あり〉の条件で観察したけど、〈結界あり〉は全くカビが発生しなかったから、滅菌は可能と判断した。
ここまで判明するだけでも2週間はかかった。
実験が終わると、定例になった会議の席でこの事を報告した。
会議ではやっとAEDと心臓マッサージの件が片付いたばかりだった。そちらに関しては雷魔法をうまく利用して、心停止直後に施すとの取り決めができたけど、どんな状況で実践出来るのか不透明で、いきなり国民の皆さんを実験台にするわけにもいかず、まずは有事の際、軍部の者に試してみる、との結論で落ち着いていた。
空間浄化魔法について、各メンバーはそれなりの興味を示したものの、
「それ以前になぜ空気を綺麗にする必要が?」
「わざわざ結界を張る必要がありますか?」
との質問であふれた。
――まずは清潔とはなんぞやの概念からか…………。
これがかなり大変で、細菌や微生物、ウイルス……そんな考えがそもそもこちらの世界にない。
だから四苦八苦して説明し、数日をかけてお屋敷で試した実験を再現までした。
彼らはカビの生え方が全然違うことに感動していたが、ここから感染とか細菌の話をするまでも苦労した。
なんとか1週間をかけて説明すると、ようやく空間浄化魔法の必要性を理解してもらえた。
ただ、この時点であたしはぐったりしていた。
――本当に魔法なしの医療体制の確立までたどり着けるのかな……。
まだ家に帰れる目処も経っていなくて、ゆっくり考える環境にもなく、見えない先行きにかなり気が遠くなっていた。
そんな時、珍しくあたしの部屋にヘルムートがやって来た。
もしかして家に帰れる目途が経ったのかな?
期待を込めてそう尋ねたが「違います」と即答された。
「あちらはもう少しかかりそうです。5日以内には整いますから、少々お待ちを」
「……はい」
その件に関してはあたしは何もできないから、文句の言いようがない。
……あれ?
ならヘルムートは何をしにここへ来たんだろう?
「家の件じゃないなら、どうしたんですか?」
ヘルムートはいつになく真剣な面持ちで椅子に腰掛けると、
「ヒカリ、あなたは今何を考えていますか?」
唐突にそう尋ねた。
意味が分からず、
「何って?どういうことですか?」
首を傾げて尋ね返す。
「ここ数週間、ずっと何をしているのですか?図書室と部屋の往復は前と同じですが、使用人からパンや皿、布に小刀、絆創膏……様々な物を要求されると聞いています。それに魔力補給の頻度が多い。ラディウス様から、既に3回は補給したと報告を受けました」
ああー……、それは実験で小物が必要だったから……。
魔力提供は連日の実験が原因。すぐに指輪の魔力が尽きちゃうんだよね……。
あたしもさすがに多いかな、とは思ってたけど、やっぱり多かったか…………。ラディウスに迷惑と負担をかけたのかもしれない。
……これからは控えよう。
「すいませんでした……。今後はもう少し加減します……」
「いえ、謝って欲しいわけではありません。ヒカリは何をしようとしているのか、その考えが知りたいのです」
ヘルムートは変わらずじっとあたしを見ていた。
確かに、光らせた目は非難めいたものではない。
「今日の会議でも空間浄化魔法の説明をして、各要人を納得させていましたね。ヒカリは随分と一生懸命でした。まだこれは序の口と言いたげに見えた……」
鋭いなぁ、ヘルムートさんは……。
ぜんぶお見通しだなんて………。
ヘルムートの知りたいという欲求と興味に溢れた目。
『ラディウスのためになるなら』と言っていた言葉を疑ったことはないが、こうも真剣な好奇の目を向けられると、やっぱり王佐はヘルムートが一番適任だと納得してしまう。
「あなたが本当にやりたい事はまだまだ先にある。そして空間浄化魔法は、その出発点に過ぎないのではありませんか?」
ズバリな指摘にあたしは観念して、自分の野望を打ち明けることにした。
いずれにしろ、一人では到底叶えられない野望なのだ。どこかのタイミングで話さなくてはいけなかった。
「――ええ。そうです。あたしは回復魔法師なしでも治療ができる、そんな医療体制を整えたいと考えています」
「回復魔法師なし……?」
「どこにいても、魔法が使えなくても、みんなが治療を受けられる。そう言う医療体制です」
「…………それは原始的な切開やポーション以外を使った治療方法のことですか?」
「はい」
ヘルムートは明らかに苦渋の顔をした。
魔法を否定するような提案だ。無理もない。
でも、ちゃんと必要な理由はある。
「あたし、この国の歴史を調べました。ソルセリルは建国してまだ20年だけど、建国に至るまで随分と長く戦争をしていたんですね……。特に大きかったのが4大戦と言われてるファラーケンの戦い、ビルバの戦い、ビルクロイトの戦い、プエガラルの戦い……。
どれも死傷者数が街や村の住人の数を超えていました……。騎士や兵士を合わせたとしても多すぎる……。疫病が流行ったからではないですか?」
「―――調べたんですか?」
「はい……。まずはこの国を知らないと、と思って、魔法なしでの治療の実例があるのか、調べたんです。その時に読みました。戦争で疫病が流行るのは地球でもよくあって、原因はどれも同じです。密集、不衛生、食料の枯渇。魔法だけに頼らず、きちんと公衆衛生をしていれば、ここまでの死傷者数は出なかったはずです。――ヘルムートさんは頭がいいから、気がついていたんじゃないですか?ラディウスに付き添って戦場を見てきたなら尚の事……」
「それは……」
全ての戦の記録に、ラディウスとヘルムートの名前があった。ずっと一緒に建国に携わってきたんだとよく分かった。だからその分、惨劇も見てきたはず。
「当時、どう思いましたか?ただでさえ騎士や兵士が倒れ、息絶える中、守りたいはずの住民までもが命を落としていく――。本意では無かったはずです」
ヘルムートは当時を思い出しているのか、硬く唇を結んで、遠い記憶に思いを馳せる目をした。
「もっと出来る事があったのではと、考えたはずです。わたしは戦の経験がないので、全部憶測でしか考えられない。でもヘルムートさんは違う。何を見て、考え、悔やんだのですか?その時のことを教えてください。今のあたし以上に、悔恨と反省があるはずです。違いますか?」
ヘルムートは先ほどとはまた違う顔であたしを凝視していた。その瞳に揺らぐものがあると、あたしには分かる。
「ヒカリの言いたい事は分かります……。あの時期の事は忘れられるものではありません……。ソルセリルを興そうと思ったことに悔いはないが、成せるまでにあまりも時間がかかってしまった……」
一度言葉を切ると重いため息を吐き、下を見た。
まるでそこに大切な物が落ちているかのような、切ない目をしていた。
「あの戦場では勿論、思うところはありました。回復魔法師だけでは手が回らなかったのは本当です。それに多くが戦死していく中、それと同じくらいの者が、怪我とは違う理由で倒れ、散っていった――。出来ることはあった……と思います――」
かなりの難問に挑む学者のように、強く眉根を寄せた顔でヘルムートは言った。
「しかし、ヒカリが思い描く道は生半可なものではないですよ?何度も壁にぶつかり、逃げ出そうと思うでしょう」
どんな障害があるのか、具体的に予想できているんだろうな……。
きっと魔法への拘りとか、原始的な医療に介入されると都合が悪い人がいるんだろう。
政治ってそういうものだもんね、たぶん。
「そうでしょでね……。ヘルムートさんの顔を見れば分かります」
「――それでも挑むのですか?」
「……ソルセリルの建国と、医療体制の確立、どちらが難解そうですか?」
「――難しいことを聞きますね、ヒカリは……」
かなりの苦い顔でそんな事を言っているが、ヘルムートの目には、誤魔かしが効かない強い力が見える。
きっと彼の中にも野望があるのだ。そしてその野望と難問を天秤にかけている……。
「原始的な医療体制の確立――。不可能とは言いませんが、霞を掴むようなものですよ?」
「でも、ヘルムートさんも手伝ってくれるでしょ?そういう目をしています」
奥底の本音を見抜かれたことに驚きつつも、決して不快そうではない困った顔を彼はした。その表情はあとひと押しで、迷いのようなものを払えると分かるものだった。
なら一つ、小さな重石を乗せよう――。
「あなたは動いてくれる。この国のため、延いては《ひいては》ラディウスのためになるのなら」
ヘルムートはストン、と何かがピッタリとはまったかのような顔をすると、あたしを見つめたまま黙ってしまう。
「――ヒカリの言葉には倫理を越えた説得力がありますね………」
迷いがなくなった晴れやかな、でも困った顔で彼は笑う。
「そうですね。きっと手を貸してしまうでしょう………」
前途多難で、一筋縄ではいかない長い道のりになる。
そう分かった上での笑顔だった。
こんなにも有能で優秀な人が、いっしょに困難な道を乗り越えるため進んでくれる。かなり心強い。
ラディウスもきっとそうだったんだろう。だから、今も王佐を任せている。いい戦友だ。
そして、そんないいバディがいる国は、きっといい国になる。
一人満足して静かに微笑んで、
「ありがとうございます」
お礼を言うと、
「ヒカリ」
名前を呼ばれた。
「私も一つ聞いていいでしょうか?腑に落ちないことがあります」
あたしはきょとんとしてヘルムートを見た。
まだ何か気になる事があるの?
「ヒカリはなぜ、そんなにもソルセリルのために動いてくれるのですか?ここはあなたの生まれた国でなければ、育った国でもない。この国どころか、この世界そのものに、あなたは縁もゆかりも無い。なのになぜ、共に苦難の道を歩もうとしてくれるのです?」
今日一番聞きたかったのはこの質問なんだと、彼の真剣な目をみて分かった。ヘルムートでさえ、理解しようとしてもできなかったのだろう。
でも、そんなのあたしにも分からなかった。
「さぁ?なんででしょうね」
「――ヒカリ自身にも分からないと?」
「完全に説明は出来ません。ただ、こうするのが一番心にしっくりくる……」
何もしないでいる事も出来る。ただ成り行きを見て、流れに身を任せていればいい。
でも、そんなことしたら、きっとすごく後悔する。
「何もせず見ていることはできますけど、それじゃあ納得できない。あたしの中で何かが壊れてしまう……。同じ後悔をするなら、小さいほうがいい……」
いつかラドヒャが言っていた。
一番後悔が少ない選択をしていきましょうって。
「あたし、ラディウスの気持ちが分かる気がしました。困難だ、難解だと言いつつも、ヘルムートさんは共に歩んでくれる。それがすごく心強い」
「――そんな事はない……。そもそもラディウス様でなければ、私は手を貸していません」
「建国を願ったのがラディウスだから、ここまで付いてきたんですか?」
「ええ。あの方でなければあり得なかった」
強い信頼と尊敬しか感じない目、顔。
ただ尊敬するだけでなく、その圧倒的な力や存在感に身が引き締まるような感情があるのだと容易に知れた。
「あたし、みんながラディウスを国王にした理由がなんとなく分かりました。ヘルムートさんがラディウスを『この国に必要だ』と言っていた意味も……」
歴史書に出てくるラディウスは本当に強かった。負けたことは一度もなくて、敵であっても才能があれば関係なく味方に引き入れ重用する。大胆な戦略、土地を活かした戦法、負けた種族に対する丁重な扱い、的確で迅速な判断……。
こういう人をカリスマって言うんだ、と思った。
「その言葉は、是非ともラディウス様本人に伝えていただきたい。ヒカリに言われれば、喜ばれるでしょう」
「まさか。『やっと分かったか』って、つけ上がるだけですよ、きっと」
あたしはその顔が簡単に想像できてしまい、思わず笑った。
「そうかもしれません……」
ヘルムートも唇を綻ばせ《ほころば》、珍しく微笑んだ。
「やっと勝ち取って型を作り、生み出した国です。
医療体制がこの国のために必要と思うなら、ヒカリの意見は無下にしません。喜んで手を貸しましょう」
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