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この世は勇者であふれてる  作者: 栢瀬 柚花
予言と裏切り

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テオドールの遠視


 ナデアは20分は泣き続けた。

 あたしは黙って彼女の肩を、背中を擦り続けた。外で降る雨よりもさめざめした涙を流し続けたナデアを見守り、涙と共に流れ出る後悔や苦悩の気持ちが尽きるのを待った。

 脱水になるのではないか、と言うくらい泣き続け、目も真っ赤に腫れ上がったナデアがやっと顔を上げると、

「本当に……ごめんなさい、ヒカリ様……。ここまでご迷惑をかけるつもりはなかったんですが………」

 枯れた声でそう言った。反して目からは鬱々とした影が消え去り、 

「おかげで随分と楽になりました」

 初めて笑った。

 その顔は綺麗で、うさぎの足跡のようなエクボが見えた。

「少しでも心が晴れたのなら良かったです」

 笑い返すと、

「ソルセリルに来た甲斐がありました……。ヒカリ様にお会いできれば何かが変わると……ずっと思っていたんです。それは間違いではなかった――」

 疲れ、泣き腫らした目には重荷が下りたような安堵が見える。

「何か飲みますか?温かい物がいいですかね」

「はい……」

 

 部屋の外にいるイリサに声をかけ、お茶を運んできてもらった。

 蜂蜜をたっぷり入れた甘いお茶を飲んだナデアはほぅ……と息をつくと、

「今夜は久々によく寝られそうです……」

 温かいカップを両手で持ち、とろんとした声を出した。

「それは良かった。ソルセリルとタヴァルタなら、手紙はすぐに届きそうですね」

「はい。数日のうちには手元に来ると思います」

「あたしが出したと分かるように、母国の言葉で『ナデア』と書きますね」

 窓際の事務机にあるメモ帳を1枚ちぎり、カタカナで『ナデア』と書いたものを見せた。

「あたしとナデアにしか分からない文字です。手紙の封筒や便箋の最後に書きますから。2人だけの内緒の約束です」

「秘密の約束……ですか?」

「はい。ナデアの名前を使っているとバレたら、まわりがやかましいでしょう?」

「確かにそうですね」

 

 クスクス澄んだ愛らしい声で笑うナデアは年齢より幼く見えた。日本で働いていた時の後輩を思い起こし、懐かしい気持ちになる。

 

「私、久しぶりに笑った気がします……」

 ナデアはあたしを見ると、

「ヒカリ様……お会いできて本当に良かった――」

 胸に染み入るような声だった。ふっと息を吐くような表情を見せると今度はキュッと手を握り、

「ヒカリ様は私を助けて下さった……。今度は私がお返しする番です」

 

 表情を引き締める。

「一つだけ知りたいことにお答えする、といった件ですが……何をお知りになりたいですか?」

 真面目に尋ねた。

「先ほども言った通り、私には凶事しか視えません。ヒカリ様がラディウス陛下とは違う男性と共にいると話したのは本当ですが……それがどんな方か、お知りになりたいですか?」

 テオドールだと見当がついたので、首を横に振った。

「なんとなく……誰かは分かるんです。出来れば、その男性がどこにいるのか知りたいです」

 ナデアは悲しそうに顔を歪めると、

「申し訳ありません、ヒカリ様……。なんでも、と言いましたが、視える範囲でしかお答えできません……。たった今いる場所を伝える、といったことはできないのです。自由に場面を変えたりもできないので……力が足りず、申し訳ありません――」

「……そう……ですか…………」

 

 ナデアの遠視でもテオドールの居場所は分からない……。なら何を聞こう……。

 内通者のこと……?でも、それはソルセリルの国内事情を話してしまうことになる……。下手をするとナデアの身が危険にさらされるかもしれない。それはあってはならない。


「でしたら、ナデアが見た光景を詳しく教えてください」

「――よろしいのですか?」

「はい。心構えはしているんです」

「何かお心当たりがあるのですね……」

 ゆっくりと頷くと、そこに確かな覚悟を読み取ったナデアは重く口を開いた。

 

「男性と共にいるヒカリ様はとても疲れているようでした……。男性の方は笑っていますが……どこか嫌な雰囲気があります。ヒカリ様と男性がいるのは一般的な家に見えます……。このような豪華な場所ではありませんし、みすぼらしい民家というわけでもありません。家の中で誰のものか分からない血が流れます……。ヒカリ様しか立っていないのが視えます………。泣いてる声がして――声の主は性別が分かりません……。それは誰かが死んだために流されている涙です。最低でも1人が亡くならないと、この事態は終わらないと視えます。そして……――この光景は鮮明に視えます。運命が近い証拠です……。その時は目前に迫っています」


 目前に迫っている……。

 それはずん、と心に大きな石を落とした。

 

「目前というのは……一カ月以内ということですか?」

「……そこまで遠くないかもしれません……あと半月――もしくはさらに近いかと」 

 そんなにも差し迫ってるなんて……。

 

 急に緊張の糸が張り、目が冴えた。

 来ると分かっているものをただ待つのは――それも誰かが死ぬほどの凶事をじっと待つのは――眼の前でじりじりと皮膚を焼かれるような恐怖があった。

 しかもあたしにできることは限られていて、それさえもテオドールが見つからないと叶わないなんて――。

 

 早急にヘルムートに話した方が良さそうだ。

 どうしてもテオドールの行方が分からないのなら、内通者捜しにもっと専念したほうがいいのかもしれない……。紛争に参加していたことは分かっているんだから、ある程度は絞り込めるはず……。

 ヘルムートがそこを失念しているはずは無かったけど、焦りから既に調査済みであろう事までグルグルと頭の中を駆け抜けた。


 今度はあたしがずっと下を向いてしまい、ナデアは当惑していた。

 

 声にもう一度力を込め、

「ヒカリ様」

 明瞭にあたしの名前を呼ぶ。

「私にできることは何もありませんが……凶事を視てお伝えした責任があります。目を逸らさず、最後まで私も見届けますから……」


 ナデアこそ何もできない。当事者でもなければ、ソルセリルの人間でさえない。だからこそ真摯に向き合おうとしてくれている。

 これまで凶事を告げ続けた者として、どうするべきか経験を積んだのだろうと分かる必死さだった。


「ありがとうございます、ナデア。あたし、迎え撃つ覚悟はしているんです。守られてばかりじゃなく、戦いたい。自分の幸せのために」

「……ヒカリ様」

「誰のためでもない、自分のためにやることですから、逃げたりはしません。ナデアの遠視のおかげで情報が得られました。ありがとう」


 心配と不安で陰気になったり塞ぎ込んだりするばかりじゃいられない。事が近づいてきてるなら、打つ手を増やさないと。


「全てが終わって無事に婚姻式を迎えた時には、ぜひソルセリルに来て下さい」

 凶事の先の未来を見据えた台詞に、ナデアは穏やかな笑みを浮かべた。

「ヒカリ様は強いですね。見習わないと」

 すっかり温かくなった手をナデアは差し伸べる。

 そっと手を包みこまれると、隠していた怯えや不安が吸い取られていくような気がした。

「押し迫った凶事に気後れする必要はありません。ヒカリ様には充分な勇気があります。逃げず投げ出さず、挑もうとする姿勢は道を切り開くでしょう」  

「遠視ができるナデアに言われると、殊の外(ことのほか)説得力がありますね」

「そうですか?」

「はい。あと、あたしのことは『ヒカリ』と呼んでください。友達ですから」

 手を握り返すと花が咲くように笑い、

「はい、ヒカリ」

 微笑みあった。

 

 話が一区切りすると、固まった空気を壊すように、

「まだ少し時間がありますから、お喋りしましょう。イリサに頼んでケークでも一緒に食べますか?」

 明るく言った。

 

 突然スイーツの話をされたナデアは目を点にして、

「ケーク……ですか?もう晩餐も終わった夜更けですよ?」

「女子同士の夜のお喋りには、甘い物としょっぱい物が必須だと知らないんですか?無限に反復してしまって、話も手も止まらなくなるんですよ?」

 至極真面目に言うと、

「ぷっ……」

 くしゃっと顔を歪ませて吹き出した。

「そうですね。極たまの夜更かしなら許されるでしょう」


 

 数種類のケークと、あたしがレシピ提供したポテチ、お茶をお供に、たくさん話をした。

 王室の愚痴からタヴァルタの市民生活のこと、日本のこと、政治を進める大変さ。とても他の人には聞かせられない内容ばかりだった。

 

 すっかり女子トークに花が咲いていると、

 トントン

 扉がノックされる。

 我に返り窓の外を見ると、外は深夜の静けさに沈み、城の窓に明かりはなく、起きている者がいないことを示していた。


 素顔をさらしているナデアを見られないように扉を開けると、そこに立っていたのはカシミだった。

「ヒカリ様……ガラテア様は……?」

 おずおずと尋ねられた。心配そうに顔を歪め、部屋の中をチラチラと伺おうとしている。

 

 ガラテアの任を下りるとまで宣言して勝ち取ったあたしとの2人きりの時間。予定を過ぎても音沙汰がないので、気が気でなかったのだろう。カシミはこの数時間で頬がコケたように見えた。

「平気ですよ。色々とお話をしていました。つい会話に花が咲いてしまって……」

「……は?」

 目を瞬かせて呆然とあたしを見ているカシミの背後から、

「もう深夜だぞ」

 声がした。

 

 さらに扉を開けるとラディウスが仁王立ちしている。カシミがおどおどしていた原因が分かり、ちょっと申し訳なくなった。

「客人と話すには夜が更け過ぎだ。そろそろガラテア陛下を解放しろ」

「解放って……。人質とってるみたいに言わないでよ」

 ラディウスが扉に手をかけるから、

「ちょっと、男性は入らないでよ。淑女がいるんだから」

「そんな事分かってる。せめてタヴァルタの使者を通してやれ」

 くいっ、とカシミを顎で示した。

「ちょっと待ってて」

 一旦扉を閉めると「お迎えが来てますよ」とナデアを振り返った。

 彼女はひどく残念そうな顔をして、

「……ええ。そろそろ『ガラテア』に戻らないといけませんね……」

 ベール付きの帽子を手に取った。

 あたしもまだ名残惜しくて、

「あの、ナデア。お泊りの誘いをしてもいいですか?」

「はい?」

「このまま部屋に泊まってください。どうせ城の客間に行くんですよね?なら、ここでお話しましょうよ」

「えっ……でも…………それはさすがに……」

「嫌ですか?」

「いえ、そうではなくて………」

「あっ、王族マナーとして違反ですかね?」

「ま、まな?」

「礼儀に欠けますか?」

「いいえ、そのようなことは無いと……思います」

 返事を聞いて意気揚々と扉に戻ると、

「ガラテア陛下はこのままあたしの部屋にお泊まりになります。ですから気遣いは無用です」

 言い切ると、ラディウスもカシミも揃って

「「は?」」

 口をあんぐりと開けていた。

 

「何か問題ですか?」

「…………ヒカリ、唐突過ぎやしないか?」

「だめ?」

「2人分の寝床の準備がいるだろう。客間に荷物も運び込んでいるし……」

「移動すればいいじゃない」

「今からか?起きている従者は少ないぞ」

「ならあたしが運ぶよ」

「……何言ってる」

 国王の婚約者として相応しくない事らしく、ラディウスは半目であたしを見て呆れていた。

「あ、あのヒカリ様……。ガラテア様はそれでご納得されているのですか?」

「はい」

 即答すると、

「…………――そうですか」

 ホッとしたように顔から緊張が抜けた。

「でしたら、私がお荷物をお待ちいたします」

「いいんですか?」

「はい。ガラテア様がお望みなのであれば」

 にこりとすると、さっさと小走りで消えてしまった。


「……随分と聞き分けのいい側近だな」

 ラディウスはまた呆れて嘆息をついている。

「ヒカリ、ガラテア陛下は大丈夫なんだな?」

 大丈夫、の意味を図りあぐねて「どういう意味?」と聞き返すと、

「切羽詰まった様子で側近を説得していたじゃないか。退位を仄めかしてまでヒカリとの対話を望んだぞ?何かあると思うのが普通だろう」

「そのことならもう平気だよ。解決したの。それより――」

 さらに事実を告げるためラディウスを手招きし、近づいた顔に向かって、

「テオドールのことは何も分からなかった。居場所を聞いてみたけど、そこまでは視えないって……」

 耳打ちした。

「……そうか」

「情報がないのは残念だけど、自分たちで何とかしろってことかもね」

 肩をすくめてみせると、

「そうだな」

 ぽん、と頭を撫でられた。

「俺はこのまま帰る。あまり長く喋るなよ。朝起きられなくなるぞ」

「分かってる」

「あと部屋に施錠魔法をかけるから、開閉には注意しろ。ソエイラの指輪はつけたまま寝るんだぞ」

「了解」


 そこでカシミが戻ってきた。

 荷物を受け取ると、

「明日の朝にまた参ります」

 笑って言った。

「寛容な対応に感謝します、カシミ」

「いいえ、とんでもない。ガラテア様が初めて言った我儘ですから、正直言うと安心しています。どうか、ガラテア様をよろしくお願いいたしますね」


 

 扉が閉じられると、早速施錠魔法が作動しガチャと鍵がかかる。

「カシミはうるさく言っていませんでしか?」

 ナデアにカバンを手渡しながら、

「快諾でしたよ。むしろ『初めて我儘を言ってくれた』と喜んでいました」

 ナデアは驚いていたが「……そうですか」すぐに弱々しい笑みに変わった。

「私はもっと我儘でいいんですね……」


 

 一つ吹っ切れたナデアを浴室へと案内すると、入浴をしている間にヘルムートに風を送った。

「明日、早急に伝えたいことがあります。田岸さんも呼んで、テオドールのことを話しましょう」

『吉報ですか?』

「……いいえ。凶報ですね」

 しばし無言になったヘルムートは、

『そうですか……』

 疲れた声でこぼした。

「詳細は明日伝えますが、事が起きるまでもう時間がないようです。早々に手を打たないといけません」

『重々承知していますが、あえて言われるということは本当に差し迫っているのですね………。分かりました。できるだけ早い時間を空けておきます』


 

 そこで終わった風話の余韻が、耳に残る。

 窓の世界の静寂(しじま)より暗く重い心を抱え、深くため息を漏らした。

 抑えておくべきやっかいな焦りという感情が、身の内で暴れ回っている。

 

 覚悟も迎え撃つ心づもりがあるのも本当だったが、あと半月も時間がないという宣告が、体も気持ちも重くしていた。

 窓に反射する顔は深淵に落ちて這い上がれなくなった人のように暗く、とてもナデアに見せられたものではない。


 手で顔を覆い、思い切り歪めた表情で本音を呟いた。

  

「ラディウスを……どうしても助けたいの……どうしても……。どうすればいい……?」

 

 誰に尋ねるでもない問いかけは、冷たい夜の部屋に溶けていく。

 

 強く勇気があると言ってもらえたが、それだけでテオドールを止められたらどんなにいいか――


 

 もうすぐナデアが浴室から出てきてしまう……。

 この短時間だけは、憂慮に声を上げることを許してほしい。

 そう思った。

 

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