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この世は勇者であふれてる  作者: 栢瀬 柚花
予言と裏切り

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ガラテア


 晩餐会場からそのままあたしの部屋へと移動した。

 ラディウスとヘルムート、側近のカシミは部屋の前まで付いてきた。険しい顔でガラテア陛下を見るラディウスにカシミはハラハラしていて、しきりに視線が彷徨っている。

 一方のガラテア陛下はテンションが上がっているのがよく分かる。あたしと話せないなら退位するなんて、どんな話をしたいのか……。


「ここです」

 私室に到着すると先に入室して、イリサに退室をお願いした。

 素直に部屋から出たイリサは廊下の端に立った。どうやらそこにいるつもりらしい。

「どうぞ、ガラテア陛下」

 部屋に入る背中を見送り、

「じゃ、また声をかけるね」

 ラディウスを振り返る。

「何か困りごとがあれば風を飛ばせ」

「分かってる」

 

 

 3人の目の前で扉を閉めると、暗くなった部屋に火魔法の明かりが灯る。

 雨はまだ降り続いていて、霧のような小雨が窓の外に見えた。この分だと、明日の朝は霧が出るかもしれない。


 ガラテア陛下は部屋を見回しテーブルまで移動すると、

「座っても?」

 鈴のような声で尋ねた。

「はい、どうぞ」

 2人してソファにかけると、

「早速ですが、面紗(めんしゃ)を外してもかまいませんか?」

「え?よろしいのですか?」

「2人しかいないのに、なんの意味があると言うのです?視界が悪くて嫌いなんです、これ」

 躊躇なくベール付きの帽子を脱ぐと、栗色の綺麗なロングヘアがこぼれた。指の間からサラサラと逃げていく髪質だ。

「凄く綺麗な髪ですね、ガラテア陛下」

 ほう……と見とれていると、

「どうかナデアと呼んで頂けませんか、ヒカリ様」

「ナデア……さん?」

「私の本来の名前です。この1年ですっかり呼ばれなくなり、『ナデア』としての私が死んでしまいそうなのです……。かつての友も親でさえも、私を『ガラテア』として扱います……。まだまだ続くこの命が、この先ずっと『ガラテア』であることが……『ガラテア』でしかないことが――辛いのです」

 ナデアはまだ25歳ほどに見えた。仮に80歳まで生きるとしても55年はある。

 年相応に見えるナデアは目が大きく鼻もすっと通っていて、普通に話せば花のような生き生きとした美しさがあるだろうと思えた。しかし荒みきった神経質な顔は、彼女を10歳は老けさせている。

「ナデア……あたしと話したいことは、それなんですか?」

「そう――ですね……。これも一つではあります……」

 

 重い話を打ち明ける前の沈んだ顔に、

「お隣に座っても?」

 頷き返されるのを待って、ナデアのすぐ隣の椅子に腰かけた。

「あたしももうすぐ27歳になります。といっても、召喚の代償で見た目は変わらないのですが……。ナデアは25歳くらいですか?」

「ええ……今年で25になります……。昨年城に入ったばかりですが……もう何年もいるような気分です……」

 塞ぎこんだナデアはじっと自分の手を見ていた。重荷を背負わされた老婆のように顔皺を寄せている。

 

「この力が目覚めたのは突然でした……。前任の『ガラテア』が亡くなって数日後だったと思います。父や母、妹の未来が見えたんです……。最初は取り留めもないものばかりでした。買い物に行った先で食パンが売り切れているとか、仲のよい友達が病欠して仕事を休むから、今日は残業になるとか……小さな範囲でした。

 でも日が経つにつれ、家族だけでなく人の凶事ばかりが見えるようになって……。馬車に轢かれるとか増水した川に落ちるとか……顔見知りであれば教えたくなるような災いばかりが見えるんです……。どうしても黙っていることができず忠告していたら、城の使者から迎えが来ました――」

 ガラテアが見るのは凶事なのか……。確かにそれは辛そうだ。身内や顔見知りともなれば余計だろう。

「城に入ってから訓練を受けて、必要以上に『視え』ないようになりました。今では請われた時にしか『遠見』を使いません。先ほどはどうしてもヒカリ様とお話がしたくて、勝手に『視て』しまったのです……。申し訳ありません……」

「いえ……。そこまで追い詰められているんでしょう?ナデアの周りには、心を打ち明けられる人はいないんですか?」

「皆、親身にはなってくれますが……飽くまで私が『ガラテア』であるからです。『ナデア』としての味方はいません」

 

 まだ24歳で自分を変えて生きるのはさぞ大変だろう。表情からも気苦労が伺える。

「ヒカリ様は召喚者でいらっしゃる……。突然別の世界に連れてこられたという点で、共感を得られるのではないかと――一方的に思っておりました。やっとソルセリルに訪問できると知って、ずっと抱えていたモヤモヤを打ち明けられると心が逸って(はや)しまったのです……。ご迷惑でしたら本当に申し訳ありません……」

「いいえ、そんなことはありませんよ。これまでとは全く違う環境におかれる気持ちは分かります」

「でもヒカリ様は素晴らしい活躍をされておいでです。それにラディウス陛下との婚約まで……。わずか1年足らずで、すっかりこちらに馴染んでいらっしゃる。私とは大違いです……」

 沈んだ声に、素直に「そんな事ありません」と言葉が出た。

「成り行きで仕事をしていたら、いつの間にか国を巻き込む事態になっていただけなんです。あたしには異世界での知識がありますから、それが目新しかっただけなんですよ」 

「ヒカリ様も元の暮らしに戻りたいとお思いですか?」

「……いえ、あたしは元の世界には戻れませんから――」

「確か召喚の道は一方通行なのでしたね……」

「はい……」

 

 でも戻れたとしても選びません、と言おうとした。

 今はこっちの世界でやる事が多い。何よりラディウスがいるから、戻れたとしてもその選択肢は選ばない。

 

 口を開きかけると、

「ヒカリ様は終わらせたいと思われますか?」

「……え?」

 ずっと下を向いていたナデアが、顔を上げる。

「私は……ずっと考えていたんです……女神に選ばれたのなら、私の声こそ女神に届いていいはずだと」

「…………女神に届く……?」

 

 どういう意味で言っているのか分からなかった。

 

 ナデアは畳み掛けるように話し続けた。早口になれば重い話も軽くなると思っているように。

 

「女神に一番近いのなら、誰よりも私の願いは聞き入れられるはず。そうですよね?私には凶事しか見えません。歴代の『ガラテア』と違い、吉兆が遠視できないのは私に縁起がないからでしょう……。福を呼び込めない国主などいない方がいい。ならば早々に女神の元にこの身をお返しした方が良いと思うのです」

 鈴が鳴るような声に反して、死んだ魚のように目に光は無かった。

 

「ヒカリ様も共にいかがですか?」


 共に……?

 

「そ……れは、つまり……?」

 

 猟奇的な顔にしか見えないナデアは、あたしの両腕を掴んだ。同い年の女性にしては強い力に、思わず息を呑む。

 

「先ほど遠視したヒカリ様の未来……。幾つもの凶事がありました……。一番近いものでは………男……ラディウス陛下とは違う男です……。ヒカリ様はその男と共にいる………虚ろな目でした……」

 

 テオドールだとすぐに分かる。彼が凶事にしかならないのはあたしがよく分かっている。聞きたくない言葉の先は、どうしても耳に入ってきてしまう。

 

「血が流れます……。誰のものかは分かりませんが――。そうしないと終わらない……。命が必要です……ヒカリ様以外の、最低でも1人の命が……」


 心臓が冷えた。

 あたし以外の命が必要……。そうしないと終わらない……。

 テオドールの四肢を落とす方法じゃ駄目ってこと?

 力を使って殺すしか術がないってこと?

 それとも――ラディウスが………死ぬってこと…?


 喉を締め付けられるような恐怖があたしを襲う。

 嫌だ。

 考えたくない……。


「ヒカリ様、怖いですか?恐ろしいですか?回避する方法はあります。事が起こる前に、共に女神の元へ行くのです……。何も見なくて済む。知らなくて済む。2人なら恐ろしくはない……」

 


 ナデアは死のうとしているのだと分かる。

 この1年がよほど辛かったのだろう。家族とも友人とも、慣れ親しんだ街とも引き離され、他人の凶事ばかりを見れば心が壊れてもおかしくない。

 彼女の手は震えていた。

 自殺を初めて打ち明けたせいか、初対面のあたしを死に誘っているからか……。


 あたしはそんな安易な解決方法は取りたくない。

 今あたしが死んだところでテオドールは止まらない。何よりラディウスを1人残していくなんて裏切り、したくない。

 

「ナデア……あたしはまだ女神の元へはいけません……。やりたいことがありますから」

 拒絶の台詞に彼女は息を呑む。

 腕に手形が残るのではないか、という程に掴まれた。

「…………なぜ?」

 硬い声は威圧感があった。

 ここで彼女の神経を逆撫でしてはいけない。なるべく穏やかに説得しないと。

 

「あたしにはやらなきゃいけないことがあるんです。ナデアが見てくれた光景には心当たりがあります。それを回避したい……」

「災いを伝えると誰もがそう言います。しかしそれは困難ですよ?」

「ええ。『ガラテア』が言うのなら、ほぼ間違いなく起こることなんでしょう。でもナデアとしては心配してくれてる……。そうですよね?」

 

 ナデアは沈黙した。口元を歪めている。

 

「ナデアが凶事しか視えない理由は分かりませんが……視えないだけで、吉兆はどこかにあるという事です。この世の中、悪い事ばかりに溢れているわけじゃありません。大きな幸せも些細な幸せも、探せばどこにでもあるのもです。人は恐れから、縁起の悪いものばかり見てしまいますが……」

「……まだ間に合うとお思いですか?手を尽くせると?」

「はい。やると決めたことを、あたしはまだやっていない。それをやり遂げてからでも遅くないと思っています」

「……あえて凶事を目にするというのですね………?」

 

 探る様な目は、『ガラテア』の中で決定づけられた未来しか見ていなかった。

 

「希望を持ちたいのですね……。希望は典型的な妄想であり、最大の強みです……。同時に、失われた時、最大の弱点になるもの――」

 

 冷静な分析を話すナデアは恐ろしいほど表情がなかった。ずっと綺麗だと思っていたものが、実は鋭い毒を持っていたと知った時のような恐怖が広がった。

 

「あえてそれに立ち向かうと言うのなら、それもいいでしょう……。繰り返し希望が打ち砕ければ心は折れます。希望を抱くことがいかに愚かで詮無いことか分かるでしょう……」

「…………ナデアは何度も砕かれてきたのですか……?」

「――無知は幸福です。美しく飾られた偽りの世界で暮らしていたほうが、苦しい事実を知るより良かった……」

 

 ナデアは涙を浮かべた。つい1年前までの自分を思い出しているような遠い目をしている。

 過ぎ去った日々に残してきた大切なもの。失って初めて気がついた事があるのだろう。

 その気持ちは分からなくはない。あたしにとっては日本での生活がそうだ。

 ナデアは深い喪失感を込めて呟いた。

 

「……――戻れるならあの頃に……戻りたい……」

 

 力なく言われた台詞は痛々しく、あたしも思わず顔を歪めてしまった。ナデアの手から力が抜け、パタリと腕がソファに落ちる。

 

「……――ナデア……退位は……できないのですか――?」

「始まりがあるものには必ず終わりがくる……。私に残された自由は『ガラテア』の終わり時を選べるだけです……。その前に『ナデア』は死にます……」


『ガラテア』としての役目が終わる時が、命が終わる時。そして『ナデア』はもっと終わるのが早い。


 ナデアは絶望の先のにある、諦めの顔をしていた。力なく垂れた腕はそのままで、希望を掴もうとはしておらず、目は未来を見ようとしていない。


 あたしは掛ける言葉が見つからず、ナデアの美しい栗色の髪を見た。整えられオイルで艶を出された輝く髪は、彼女の心と正反対に輝きを放っている。身につける衣装もきらびやかで、装飾品も高価なものばかり。

 

 それらと引き換えにナデアが失ったものはあまりにも大きく、取り返しがつかないものだった。


「ナデア……。あたしはタヴァルタに行く事はできないけど……手紙のやり取りくらいはできます。もし許すのなら……国境近くで会うこともできます……」

 

 ナデアの手を握る。ひどく冷たい手をしていた。爪の色が変わってしまいそうなほどの冷えだ。

 ナデアは大きく瞳を揺らした。

 

「……私に……希望を見せるのですか?砕かれる妄想をまた抱かせるのですか……?」

「砕かれると決まったわけじゃありません……。それに、あたしは『ナデア』と交流を持とうとしているだけです。友としては普通のことですよ?」

「……――友……」

「はい。ナデアの友として手紙を交わして会いたいと思います。あたしもこの世界に同年代の友は少ないんです。ラディウスの妻になれば、尚の事できにくくなってしまいます。『ヒカリ』である前に王妃として見られてしまいますから……。ですから、今ここでナデアと友になれれば嬉しいです」

 

 糸が切れたネックレスの玉ように、涙がポロポロと散らばった。


「……いいので……しょうか……。『ナデア』として友になっても……?」

「はい。『ヒカリ』と『ナデア』として仲良くしましょう」


 ナデアは冷たい指であたしの手を握る。お互いの細い指が不安を抱きつつも握り込まれ、しかと掴んだ。

 ナデアは憚ることなく泣いた。震える同年代の友の背中を擦りながら、ナデアが捨てざるを得なかったものについて考える。

 拾いたくても拾えなかったものは、今も道に残されているのだろうか?あたしも王妃になったら、ナデアのように泣くことがあるんだろうか……。


 でもその前に、テオドールだ……。王妃になれても、ラディウスの命が握られたままでは意味がない。実質裏で力を握るのはテオドールになってしまう。


 

 ――どのみち誰かが泣きます……そして死ぬ…………。そうしないと終わらない……。命が必要です……最低でも1人の命が……


 

 ナデアの言葉が壊れたテレビの音声のように繰り返し頭の中を流れた。


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