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この世は勇者であふれてる  作者: 栢瀬 柚花
予言と裏切り

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123/130

それぞれの決心


 ナデアとともに朝食をとりガラテアに戻った彼女を城門で見送った。

「手紙を楽しみにしていてください」

 こくん、と頷くガラテアに手を振り、あたし達は別れた。

 

 初めて送る便箋にはなんて綴ろうか……。できるだけ心配させたくないから、取り留めもない内容になるだろうな、と考えていると、

「ガラテアとの淑女会はどうだった?」

 隣に立つラディウスが顔を覗き込む。

「楽しかったよ。公には言えないことばっかり話してた」

「……どんな内容だ」

「だから、言えない内容だよ」

「要するに悪口や愚痴か?」

「想像にお任せする」

 明言しないあたしをじっと見ていたけど、ラディウスは追究を諦めた。問いただすほどのことも無いと思ったんだろう。

 

「ヒカリはこのまま仕事か?」

「そう。田岸さんとヘルムートと救済処置について話すの」

「根を詰めすぎるなよ。昼は一緒に部屋でとろう」

「分かった」 


 

 約束した場所、ヘルムートの執務室に着くまで、手を繋いで移動した。こんなささやかな時間もテオドールによって奪われるかもしれないと思うと、自然と手に力が入った。

 

「じゃあ、また後でな」

「うん」

 

 誰もいない廊下で、ラディウスは額に愛おしげに口づける。するりと手が解かれ、彼の温もりが離れる。

 遠くなる背中を見送り、最後に執務室に消える前、もう一度振り返った顔に手を振った。


 考えるよ。

 どうすればラディウスを助けられるのか。

 だから心配しないで待っててね。 




 執務室には既に田岸さんが到着していて、タヴァルタとガラテア、遠視について話を聞いていたらしい。明るいとは言えない表情をしている。

「おはようございます。早速ですが、ガラテア陛下と何のお話をされたのですか?」

 ヘルムートが聞く姿勢になって身を乗り出した。

 あたしは椅子に座ると、昨晩のことを2人に話して聞かせた。


            ◆

 

「一般家屋でテオドールと共にヒカリ様がいる、という状況がよく分かりませんが……そこで誰かが死ぬ……」

「しかもそこには泣いている誰かがいる……。つまりヒカリ、テオドール、死んでいる者、泣いている者の4人がいるという事ですね。立っているのはヒカリだけで、ヒカリは死なない……」

「最低でも1人が亡くならないと、この事態は終わらない――。不吉しか感じない予言ですね……。おまけに時間は少なく、あと半月――もしくはさらに近いうちに事が起こる、と……」

 

 2人は苦しげに顔を歪めた。昨夜のあたしも同じ顔をしていたんだろう。

「この情報で何か策を打てると思いますか?」

 腕組みした田岸さんは、

「何か手を打つ、というのは難しいと思います。テオドールとヒカリ以外の人物が分かりませんし、場所もよく分からない。血が流れるのは分かりますが、死因がはっきりしません。例えばナイフが刺さる、毒殺などはっきり視えていれば対策もできますが……」

「私もノボルと同意見です。状況が曖昧過ぎてどうすることもできない……。せめてガラテア陛下が視た光景を我々も見られれば、家の雰囲気が分かりますが」

「ですよね……」

 

 一晩考えたあたしも同意見だった。

 テオドールとあたしが一緒にいるのは分からなくもないが、他の事柄に心当たりがなさすぎる。


「しかし時期が分かったのは大きいですね。より急ぐべきとはっきりしました」

 田岸さんの言葉に頷くと、ヘルムートは数枚の手紙を机に差し出した。

「アザレイン家について、スプランド陛下から返事がきたのです。歴代当主、その家族のそれぞれの死因、性格、家族背景などが分かりました」

 

 田岸さんと2人で手紙を覗き込む。

 かなり細かな字でびっしりと書き込まれた手紙は安々と読めそうではなかった。

「アザレイン家は代々短命です。それも当主だけが」

「……どういうことですか?」

「ヒカリ様がうさぎの親子の家でテオドールと話した時、彼はこう言っていました。『魔力量が少なかったが、代々の当主が使える“あの術”が使えたので廃嫡にならずに済んだ』と」

 2人してあっ、と声が出た。

 ヘルムートはゆっくりと頷く。

「『心臓縛り』が使えることが当主の条件なのです。そしてその当主は短命……。つまり、指と寿命を引き換えに術を使えている可能性が高い」

「他人の命を奪う『心臓縛り』と代償となる“寿命”……。確かに等価交換になりますね」

「はい。寿命という大きな代償を支払っていますから、魔力量は関係なく術を使えるのでしょう」

 

 寿命が代価……。

 ということは、歴代当主の死因はなんなんだろう?

 

「あの……テオドールのお父さんはなぜ亡くなったんですか?」

 あたしの質問にヘルムートは手紙の一部を指でなぞりながら答えた。

「もともと旧王族への不正資金援助が確認されていたので処刑される予定でしたが、それを待たずして独房で死亡したようです。もともと体調が良くなさそうだったとあります。病気というより衰弱したような弱々しさだったらしいです」

「衰弱……」 

「ちなみに、年齢は?」

「46です」

「その歳で衰弱というのは確かに不自然ですね……」

 頷くと、

「仮に人一人を呪うと10年寿命を奪われると仮定します。彼の足の指は3本が潰れていましたから、30年は縮んだことになります。人間の平均寿命がだいたい80歳ですから、計算は合います」

 

 46+30で76歳……。おおよその平均寿命になるわけだ。

 

「妻の方は予定通り刑が執行されました。妹の所在は不明ですが、アザレイン家の墓石には妹の名前があるらしいので、他界しているのでしょう。命日が終戦後……今から約半年前です。死因は不明です」

「つまり、テオドール以外の家族は全員が亡くなった……」

「はい」


 だからテオドールは復讐に燃えているんだろうか……。

 今から半年前というと夏。

 ちょうど砂糖への毒物混入事件があった時期と重なる。最後の家族の妹が亡くなったことをきっかけに全てが始まったのだとしたら……。 


「ヒカリ様、同情や共感は一切無用ですよ」

 考えに耽っていると、ヘルムートの刺々しい声が飛んできた。

「前にも言いましたが、アザレイン家の嫡男として、両親の不正を止められなかったテオドールに非があります。それにお家取り潰しとはなりましたが、恩赦としてテオドールも妹も罪に問われませんでした。わずかですが金銭も渡されています。つまり、なんとか這い上がろうと思えば出来る状況だったのです。それを踏み潰し、復讐という手段を取ったのはテオドールの意思です。そこに同情の余地はありません」

 

 鋭い目は出会ったばかりの頃のヘルムートを思い起こさせた。今となっては向けられない強い眼差しに、思わず背筋がぞわりとする。

 

「分かっています。配慮する気持ちは一切ありません。ただ毒物混入事件と妹さんの死亡時期が一致するな、と考えていただけです」

「確かに、あれは夏頃でしたね……」

 田岸さんの言葉に頷くと、

「アザレイン家代々の当主の死亡記録によれば、手や足の指が潰れている者ばかりです。中には足の指3本、手の指3本なんて人物もいました。その人は若干15歳で死亡しています」

「15歳?!」 

「到底寿命が尽きたと言えない若さですが、死因は衰弱死です」

 

 そこまでして殺めたい人物がいるなんて……。しかも15歳で6人も……。どんな人生を歩めばそんな恨みを持てるのか分からない。

 

「しかし、これで『心臓縛り』と寿命の関連はほぼ確定しましたね」

「はい。葬儀屋の記録まで調べ上げてくれたスプランド陛下に感謝しかありません。が、問題はテオドールの止め方です。あれからもテオドールの行方や所在について、有力な情報は一切ありません」

 苦虫を噛み潰したような顔をするヘルムートは、きつく拳を握りしめていた。

「アザレイン家の屋敷周辺、不可侵の森の中、誰も住んでいない家屋、ソルセリルとアルステイン国の国境近くを入念に調べていますが、手がかりはありません」

「目撃情報もですか?さすがに食料調達は必要でしょう。町や村の店に立ち寄る事はあると思いますが……」

「無論、草に見張らせています。隠蔽魔法、隠匿魔法を使っていると仮定していますが、怪しい者はいません。3件だけテオドールに似た容姿の者が現れた事がありましたが、同じ店を使用することは二度とありませんでした」

「住処を点々としているんでしょうか……」

 唸りながら田岸さんが呟くと、

「恐らくは。スプランド陛下もかなり協力してくれており、テオドールの顔を知る者が力を貸してくれています。立ち寄りそうな場所や手助けをしそうな者を見張ってくれていますが、今のところ接触した様子はないそうです」

 アルステイン国はかなり協力的なんだ……。

 全てが終わったら、個人的なお礼をしないとな。

 

「術の発動にラディウス様を目視する必要があるので、ソルセリルに近づいてくるとは思うのです。その時、内通者の手を借りて侵入してくると踏んでいるのですが……」 

「あの……その内通者の特定はどうなってるんですか?」

 これに対してもヘルムートは眉間に皺を寄せた。

「紛争に参加していたことは確実なので、生き残った兵や騎士の行動を見張っていますが……怪しい動きの者はいません。当時本陣にいた兵や騎士に、罠魔法を仕掛けた怪しい物を見なかったか確認もしましたが、手がかりはなく……」

 内通者探しも進展なし……。

 

 他に……テオドールに繋がる人………。

 ………………あっ!

 そうだ!紛争の糸を引いていた他の貴族達!

 

 大柄の男に捕まっていた時、風話で「俺が司令塔」と言っていた。複数人の協力者がいる言い方だったけど、その人達なら何か知っているかもしれない。

  

「テオドール以外の貴族達は?似顔絵になっていた人達です。女が2人、男が3人でしたよね?」

「全員拘束済みです。しかし……」

 

 ヘルムートは言い淀んだ。そんな彼はかなり珍しく、いい結果にならなかったのだと察しがついた。

「拘束したのはいいのですが、話を聞く前に……全員が死亡しました」

「「え?」」

「5人中4人が突然の胸痛を訴えた後に絶命。しかも同じ日に次々と、です。それを目撃した残り一人は自死しました」

 あたしも田岸さんも言葉が無かった。

 突然の胸痛……。同じ日に全員が死亡……。

「それは……もしかして……?」

 その先の言葉を汲んだヘルムートは頷く。

「間違いなくテオドールの『心臓縛り』でしょう……。唯一自死した男は、震えながら言っていたそうです。『全員あいつに殺されるんだ』と……」

「協力者であった元貴族の連中を術で脅して、司令塔になったんですね……」

 

 あの廃屋で見たテオドールを思い出す。あたしの血を取るためにナイフを握っていた手……。指は10本あった。

 

「廃屋で会話した時も、うさぎの親子の家に来た時も、テオドールの手の指は10本ありました……。足は見てませんけど、歩き方もおかしくなかったから、あの後、術を発動させたんですね……」

「彼らが死亡したのは、ヒカリ様が行方不明となった13日後でした」


 13日後。あたしが救出される直前、か……。

 

「少なくともテオドールは4人を呪い、術を発動させています。40年分の寿命は縮んでいるはずです。テオドールは今年で31歳。縮んだ寿命を足すと71歳まで生きたことになります」

「なら、呪えるのはあと1人……」


 ラディウス1人分……。


 全員の頭に同じ考えが浮かんだのが分かった。

 

 テオドールが残した、最後にしてこれ以上ない堅実な方法。そこまでしてソルセリルを……ラディウスを殺したいのか……。


 テオドールは命を捨てる覚悟で挑んできている。

 死を覚悟した者は強い。なりふり構わない人間は何よりも恐ろしくなる。


 唇を噛み締めたあたしの視界にソエイラの指輪が見える。みんなが守ろうとしてくれた証が、ここに詰まっている。これから左手の薬指に加わる結婚指輪もあると思うと、揺らいでいた天秤は動きを止めた。


 いずれは打ち明けたほうがいいと、そう思っていた覚悟を口にする決心が一気に固まる。あんなにも迷っていたあたしの背中を押したのは、結局のところ勢いだった。


「あたし、決めていることがあります」

 明瞭な声に、ヘルムートも田岸さんも視線を向ける。

 芯の通った真剣な眼差しに、不穏なものを感じたのだろう、顔を顰めていた。

 

「テオドールに会ったら彼の四肢を切り落とします。それが無理なら、力を使って彼を止めます」 

 2人は目を点にした後、固い表情であたしを見続けた。

 あたしの中の家族とまさしく同じ視線だった。

 

「術が発動する前に、なんとしてもテオドールを止めたい。それしかラディウスを救う術はない」

「……確かに、それはそうですが――」 

「こればかりは譲るわけにはいかないんです」

 ヘルムートの言葉を遮って話し続けた。

「テオドールは事を起こす前に必ず現れます。そこが最大の好機です」

 言い切るあたしに田岸さんが、

「なぜそこまで明言できるんですか?」

「テオドールは他人の苦痛や絶望の顔を見るのが好きなんです。それも身体的苦痛じゃなく、精神的苦痛です」

 趣味の悪さに不快の色を浮かべる2人は、黙って半目になった。

 

「テオドールはラディウスに術をかけた時の絶望の顔を見たいはず……。だから必ず姿を見せます」

「……ヒカリの絶望を間近で見に来る、と?」

「はい」

「その時にテオドールの四肢を切り落とす……。もしくは力を使って止める……」

「はい」

「ヒカリ様」

 ヘルムートは一段と固い声で言った。

「本当にできますか?あれだけ力を使いたくないとおっしゃっていたのに、いきなり本番で力を制御できますか?」

「テオドールに向けて力を伸ばせばいいだけです。感覚は掴んでいます。魔法で四肢を切り落とす事も考えていますが……一番確実なのは力を使うことです」

「それは……そうですが――。ヒカリは命を奪う覚悟がありますか?」

 田岸さんは怖い顔でじっとこちらを見ていた。

「そうでなければ、2人に打ち明けていません。あたしは逃げないし、逃げ場もいらない。後戻りできないことも分かっています」 

  

 ここまで話してしまったら、勢いに乗せて全て言ってしまおう。最後の一歩は跳躍で越えるようなものだ。後悔と隣り合わせでも飛び込むのが覚悟だ。


「テオドールはあたしに強く執着しています。もし術を発動されたら……その後、テオドールがどんな脅しをしてくるか、想像に難くありません。ラディウスの命を握られている状態では抵抗もできない。考えるだけでも不愉快です」


 2人は固い怖い顔でじっとあたしを見続けていた。何も言ってくれず、目だけが強く何かを訴えていて、火花よりも激しく冷たい視線が向けられる。


「あたしだって何度も何度も考えました。ここ数週間、ずっと囚われていた……。悩んで葛藤して、最良の方法はこれしかないと……決心しました。あたしには『魔力のある者を殺す力』があるから『心臓縛り』が効かない。ヘルムートや田岸さんが挑むより、よほど安全です。なにより、あたしは自分の手でラディウスを助けたい。唯一結婚したいと思えた、あたしの夫です。絶対に守りたいし、奪われたくない。国王だからじゃなくて、ラディウスだからです。彼と過ごすささやかな幸せを積み重ねて年を取りたい。それだけです」

 

 二人から体を突き通すほど見つめられ、その視線を真っ正面から受け止め続けた。

 予想していた通り、彼らは賛成も否定もせず、無言だった。

 田岸さんは家族と同じ視線を向けている。前はそれが嫌だったけど、痛みを伴いながらも眼を逸らさずにいられたのは、言葉として口に出したことで内面で吹き荒れ続けていた葛藤の嵐が止んだからだ。

 天秤はもう揺れない。 

 

 

「ヒカリが苦慮して出した結論ということは分かります」

 いつも通り冷静な田岸さんに見えるが、そこに浮かぶのは非難や怒りではなく、はっきりとした自責の念だった。 

「ヒカリは優しい。ずっとそうでしたね。それでいて譲れない事がはっきりしている……。そんなヒカリに殺人を決意させてしまったことを不甲斐ないと思う自分と、そんな手段を選んだヒカリを責めて止めたい自分とが、大声で戦いあっています……。ヒカリを守りたいのに何一つできない……。今までも今回も――」

 

 田岸さんは項垂れた。彼に馴染みのない憂鬱さ、戸惑い、怯えの影があった。自分に対する失望や落胆、幻滅に似た何かに襲われているんだと分かる。

 そんなこと思う必要ないのに。

 田岸さんがいてくれてどんなに良かったか……。この世界に来て絶望も失望もしなかったのは、全部田岸さんがいてくれたからだ。


「あたしは何度も助けられてますよ。ラターナ村から始まって、前線に引きずり出された時も処刑台の上でも、一番心配してくれたのは田岸さんでした。

 ソルセリルに来てからも、力の事で不安な時、傍にいてくれた。魔獣の森に行く直前も手を取って励ましてくれた。森で生き残る方法も沢山調べてくれて、『無事に帰ってきて』と言ってくれたのが嬉しかった。普段も気を使って……本当の兄のように……何度も声をかけて気にかけてくれた……。あたしがどんなに励まされて支えられたか――日本にいた頃のように、家族がいた温かみをずっと感じてました……。こっちの世界に来て一度も絶望しなかったのは、田岸さんがいてくれたからです……。ずっとずっと――田岸さんが支えだったんです」

 

 これまでの感謝の思いがほとばしる感じであふれ出し、気がつけば声が震えていた。それは田岸さんにも伝播して、目が潤んでしぼんでいた。


「だから決意を話したくなかった――。きっとひどく傷つけるし……もう二度と田岸さんは……あたしを見てくれないんじゃないかって……思えたから――。それが辛すぎて怖いから……幻滅されたくないから………黙っていようかと……思った……。でもできなかった………。隠し続けたまま……田岸さんに会えない……。秘密にしてちゃ……笑って話せない…………」

 

 話し進めるうちに目も声もしぼんで、とうとう喋れなくなった。

 田岸さんは内臓をぐっと掴まれたような顔をすると、これまで通り、隣で背中を擦ってくれた。ゆっくりと温かいその手で。人殺しになろうとしているあたしを支えて励まそうとしてくれる。


「俺はヒカリが言うような人間じゃない……。ずっとずっと臆病で、期待に添えないちっぽけな奴なんですよ……。今も妹が苦しんでいるのに……並大抵じゃない決意をした思いを打ち明けてくれたのに……背中を擦るしかできない……。でも――こんな奴が兄でいいと言うなら、家族でいいと言うなら……ヒカリの覚悟を見届けます。その時傍にいてあげたいですが――」

 首を左右に振って否定を示す。

「駄目ですよ……テオドールに狙われます……」

 田岸さんは力なく笑う。

「肝心な時に傍にもいてやれない――。本当に役に立たない兄ですいません……。でも……これだけは約束して下さい。ちゃんと挑む前には知らせがほしい。そうすれば心だけでもヒカリの隣にいられます。万が一にも……何かあって………テオドールの思惑通りになったとしても…………教えてください。勝手に決断したり……いなくなったりだけはしないで下さい」 


 もし、しくじったら……。

 それはどうしても考えたくなくて、ずっと思考の外に追いやっている。

 そうならないための覚悟をしたんだ。だから止める。殺してでも止める。

「勝手に消えたりはしません。それだけは約束します……」 

「くれぐれもお願いしますね」

 

 そこで嘆息が聞こえ、 

「大体のことはノボルに言われてしまいましたね……」

 ヘルムートは弱々しく笑った。

 

「前例がないほどに打つ手がなく、選択肢もない。私も長く生きてきましたが、こんなにもどかしい気分になったことはない……」

 

 肩を落としたヘルムートは、声も姿勢も表情も老人のように老け込んで見えた。

 

「いえ……我々より、ラディウス様が一番、釈然としないでしょうね。何も知らされないままですから……」

 困ったように顔を歪めると、頭を抱えてしまった。

「少し前のラディウス様なら激怒したでしょうが――今の陛下は悲しむでしょう……。ヒカリ様が決意したことも、すべて終わってから知らされたことも、ヒカリ様自らが手を汚された事も……」

 痛いものを怺える(こら)ような眼をふと逸らすと、

「お願いですから、どんな事があろうと報告だけはして下さい」

 とヘルムートは言った。

 じっとあたしを見て、心の底から頼む、という声音で、

「私もヒカリ様の決意の先を見届けたい……。どこまで行っても、私もヒカリ様の味方です」

 田岸さんもヘルムートも、あたしと同じように腹を決めた。どんな結末を迎えるにしろ、あたし達はそれぞれが覚悟を持ったのだ。


 ――これが、事が起こる2日前のことだった。

 

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