48.釈然としない幸せ
カフェに入って席に着くや否や、澪はテーブルに身を乗り出してきた。
「ちょっと、扇衣! さっきの一体どういうこと!? 相果さん、完全に彼氏の顔してたじゃない!!」
「……うん。付き合うことになったの」
「えーっ!! えっ、いつから!? 週末!?」
目を輝かせて矢継ぎ早に質問してくる澪に観念して、わたしは小さく息を吐いた。あの金曜日、ホテルラウンジでの出来事をかいつまんで話すと、澪は「ひゃあ!」と小さな悲鳴を上げて、両手で口元を覆った。
「……居心地は、良かったけど」
「そんなレベルじゃなくない? めちゃくちゃ愛されてるじゃん!」
澪は自分のことのようにうっとりしている。
だが、わたしのほうは違った。話せば話すほど、心の奥でくすぶっていた違和感が頭をもたげてくる。
「でも、手回しが早いというか、わたしの予定とか先回りされていることも多くて、それはちょっと戸惑ってるのよね……」
これはわたしの偽らざる本音だ。彼のエスコートに好感を覚えたのは事実だが、自分で決めることまで丸ごと消失しているような感覚もあった。このまま委ねてしまってもいいものだろうか、という不安がある。
わたしの言葉を聞いた澪は、きょとんと目を瞬かせた後、ふふっと微笑んだ。
「もー、扇衣ってば、ほんっとに不器用なんだから!」
「そうかなあ」
「予定を覚えていてくれるなんて、愛されてる証拠みたいなもんでしょ? 扇衣は一人でなんでも抱え込んじゃうし? 自分でさっさと決めちゃうし? そういう頑張り屋さんなところは大好きだけど、心配でもあるんだよ」
いきなり「大好き」と言われて、わたしは言葉を失った。澪はことあるごとにこうやってポジティブな感情を伝えてくるが、わたしは何度食らっても慣れない。
「だからね! きっと相果さんは、そんな扇衣を休ませてあげたいんだよ」
「休ませる?」
「そう! たまには全部任せちゃえばいいじゃない。男の人に甘えてさ。今まで頑張ってきたご褒美だと思って!」
悪意や含みなど一片もない。澪の言葉は、わたしへの思いやりが詰まっている。純粋な善意で出て来た言葉だったからこそ、わたしはそれ以上の反論ができなくなる。これを否定すれば、きっと澪は傷ついてしまうだろう。
それに、第三者から見て相果さんが完璧な彼氏だというのなら、わたしの直感のほうを疑うべきではあるのだ。
――わたしがただ、愛されることに慣れていないだけ?
澪の純真な瞳を見つめながら、わたしは曖昧に微笑むしかなかった。
***
帰宅すると、リビングで螢がテレビを観ながら携帯をいじっていた。
「おかえりー。遅かったね」
「……ちょっと澪とお茶してて」
ソファにどさりと倒れ込むわたしを見て、螢は呆れたように片眉を上げた。
「ふうん。お悩み相談でもしてきたの」
「……わたし、彼氏ができたわけなんだけど」
「それはもう聞いたし。のろけたいの? それとも、なんか不満でもあるわけ?」
情緒も何もない。だが、今のわたしにはそのドライさがありがたかった。澪とは違う角度から、わたしの考えを検証してほしかったからだ。
わたしは、澪に話したのと同じ違和感を、より率直な言葉に直して螢に伝えた。
「優秀な秘書に、公私ともにスケジュールを握られてるみたいな息苦しさもあるのよね」
「はあ……?」
螢は心底理解できないというように、携帯をパタンと閉じた。
「姉ちゃん、家じゃ愚痴ってビール飲んでるか寝てるだけでしょ。ご飯だってあたしに作らせてるし。そういうのを全部先回りしてくれる高スペックな男が、タダで手に入ったってことじゃないわけ?」
「タダって……まあ。そうね」
「意味のないルールを押し付けてくるような男なら即刻捨てればいいけど、姉ちゃん、楽なんでしょ? じゃあ、便利な家電だと思ってありがたく使っとけばいいんじゃないの」
思いも寄らないことばに、目を瞬かせる。
「……家電」
「せいぜい有能な彼氏に甘やかされて、ダメ人間になっちゃえば」
螢はそれだけ言うと、テレビに視線を戻した。
わたしは、天井の照明をぼんやりと見つめた。
澪は、「愛されている」といった。螢は、「手間が省ける」といった。両極端な二人から、まったく違う角度で、彼に身を委ねる正当性を突きつけられる。それなら……。
そこまで考えた瞬間、鞄にしまってあった携帯電話が震えた。画面を開くと、メールが一通届いている。送信者は、相果さんだった。
『お疲れ様です。今週末、もしご都合がつけば、どこかへ出かけませんか。行きたい場所や、気になっているお店などがあれば教えてください』
どこまでもスマートで、こちらの意思を尊重する問いかけ。
……行きたい場所。
わたしは熱くなる頬を誤魔化すように、精一杯の実務的な理由を返信した。
『日曜日なら空いています。駅前の大型書店に行きたいんです。各美容誌の年末タイアップの平台展開と、付録のパッケージングを視察しておきたくて』
送信ボタンを押して、わたしは深く息を吐いた。




