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デフォルトネームの恋人  作者: 遠野 文弓
第3章:FALL

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33/65

33.視察のための格好

 土曜日になった。秋晴れが気持ちいい朝だった。いよいよ、(さが)()主任と特設ブースの視察へ行く日だ。

 いつもより一時間も早く目覚めた。さっさとシャワーを済ませたわたしは、化粧水を顔に馴染ませている間、クローゼットに並ぶ服を睨みつける。


『デパートでしょ? お仕事モードの地味な格好で行っちゃダメだからね!』


 脳内によみがえった(みお)の声を、頭を振って追い払う。

 仕事用の無難なスーツに手を伸ばし、ハンガーを掴んだところで――


(……待てよ)


 ふと、動きを止めた。

 視察するのは、市内のデパートで開催される競合他社の特設ブースだ。代理店の人間や、うちも世話になっている化粧品売り場のフロア長と鉢合わせる可能性だってある。名刺を出す羽目になったとき、野暮ったい格好でいるのはまずい。少なくとも、場違いに見られてはいけない。


 スーツでは、少しばかり堅苦しい。わたしだったら、「えっ? 休みなのにスーツ? 怖っ」と距離を取る。

 それならばと、清潔感のあるブルーのアンサンブルニットに、ネイビーの膝丈スカートを選んだ。アクセサリーは小粒パールのピアスだけ。休日らしい、品のある小綺麗な格好だ。


(よし。視察にふさわしい格好になったわね)


 わたしは満足して頷き、鏡の前でカーディガンのショルダーラインを整えた。



 ***


 待ち合わせの五分前、駅前にはすでに(さが)()主任の姿があった。

 彼もまた、いつものスーツ姿ではない。上質なテーラードジャケットにハイゲージのニットを合わせている。黒一色だが、のっぺりと喪服めいた重さは微塵もない。ジャケット生地には光沢があり、インナーにはマットな質感があって、メリハリを効かせていた。


 休日のスマートカジュアルという言葉がこれほど似合う男を、わたしは他に知らない。


 乙女ゲームの〈攻略対象〉が持つ美貌との組み合わせは、致死量に近い色気になる。わたしは無意識に立ち止まりそうになる足を必死に動かして、彼に近づく。仕事のスイッチを無理やり入れてから、明るい声を出した。


「……(さが)()主任、おはようございます! お待たせしてしまいましたか?」


「さっき来たところですよ。おはよう、形桐(かたぎり)さん」


 こちらに目をやった(さが)()主任が、わたしのファッションを上から下まで一瞥する。その髪型も、服装に合わせていつもよりカジュアルだ。その前髪から、理知的で柔らかい、しかし底の見えない瞳が覗いている。


「そういう格好も、似合いますね」


「視察にうってつけの格好でしょう?」


「ええ。休みなのに、来てくれてありがとう」


 わたしは「こちらこそ、勉強の機会をいただきありがとうございます!」とにこやかに返した。




 デパートのエントランスは、多くの人で賑わっていた。柱のそばで携帯片手に辺りを見渡す若者。案内板を見上げる母親と、繋いだ手をぶらぶら揺らして退屈しのぎをする子供。

 照明はやや黄みを帯びていて、行き交う紙袋や服のひとつひとつを華やかに見せる。自動ドアをくぐると、焼き菓子の温かい匂いがふわりと流れてきた。


 特設会場に近づくと、少しこもった館内放送が催事の開始を告げる。その合間を縫うように、化粧品と香水が混じったような粉っぽく甘い匂いが漂ってきた。


 会場の入口には、モデルの顔を大きく使った縦長パネルが立っていた。白く照らされた仮設什器に、新商品のコンパクトやスティックが段差をつけて並べられている。その足元には、限定色や先行発売を知らせる小ぶりなPOP。販売員は立ち止まった客にすぐ微笑みかけ、三つ折りのリーフレットを手渡していた。


 わたしは、先ほどの動揺をかき消す意味も込めて、仕事モードを全開にした。


「試供品の引き換えカウンターが、会場のいちばん奥にありますね」


「商品の見せ方も面白いね。年齢層をうちより少し下に設定しているみたいだ」


 (さが)()主任もまた、仕事のトーンで応じてくれる。休日デートなどという甘さは一ミリも介入しなかった。

 わたしたちは、宣伝部と商品開発部の人間として、プロモーションの意図や見せ方を言葉に起こし、次々と共有していった。


 立ち止まったところで、販売員がすかさず声をかけてきた。


「こちら新商品なんです。よろしければ、お色だけでもご覧になりますか」


「ええ、お願いします」


 販売員は一瞬だけ、わたしの隣に立つ(さが)()主任にも目をやった。連れにしてはあまりにも隙のない立ち姿だからかもしれない。だが、彼は口を挟まず、あくまでわたしの後ろに一歩引いた位置で売り場全体を見ていた。


 販売員はすぐに意識をこちらへ戻し、手際よく説明しながら、わたしの手の甲に色をのせて見せた。それから、三つ折りのリーフレットと小さなサンプルを渡してくれる。

 そこで、(さが)()主任が静かに言った。


「発色はやわらかめですね。実物のほうが落ち着いて見えます」


 販売員の笑顔が、わずかに柔らかくなった。


「……そうなんです。写真だと少し華やかに見えるんですが、実際につけると使いやすい色なんですよ」


 その表情から営業のトーンが外れたのを見て、わたしは内心で頷く。

 つまるところ、(さが)()主任は、ただの付き添いには見えないのだ。彼氏でも夫でもなく、仕事の関係だろうとみなされているに違いない。


(よし! 完璧だ)


 (みお)の何気ない指摘と、(さが)()主任のデートみたいな休日ファッションに動揺しっぱなしだったが、彼の目的はやっぱり純粋なインプットだったのだろう。


 一時間で会場を回り終えると、わたしは確かな手応えと充実感で息を吐いた。


「いい特設でしたね! 勉強になりました。今度のタイアップにも活かせそうです」


「そうですね。君の視点のおかげで、僕のほうも解像度が上がりました」


(ん?)


 妙に耳に残る言い方だったが、内容としてはシンプルな誉め言葉だったので、わたしは「それはよかったです」と頷いた。


 (さが)()主任はごく自然に腕時計へ視線を落とし、フラットな声で言った。


「もうお昼前ですね。視察のまとめも兼ねて、ランチに付き合ってくれるとうれしいのですが、いかがでしょうか」


 わたしは深く考えず、「ええ、もちろん!」と返した。

 何より、(さが)()主任ともっと仕事の話をしたかった。

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