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デフォルトネームの恋人  作者: 遠野 文弓
第3章:FALL

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32/66

32.仕事かデートか?

 駅前の小さな居酒屋は、週末を前にしたサラリーマンたちの熱気で満ちていた。笑い声はまったく絶えず、あちこちからジョッキのぶつかる音が聞こえる。


 わたしの目の前には、レモンサワーがある。(みお)と飲むときは、なんとなくビールを避けている。(みお)はあまりビールを飲まないし、ビールを飲むとつい気が緩んで、言わなくてもいいことまで言ってしまうからだ。

 あの、ビアガーデンのときのように。

 向かいの席に座る(みお)は、毛先まで手入れの行き届いたストレートヘアを揺らしながら、美味しそうにカシスオレンジをちびちび飲んでいた。


「お疲れさま~! で? 最近どうなの、仕事のほうは。異動して、少しは慣れた?」


「うん。最近は自分のペースで仕事が回せるようになってきて、後輩を教える余裕もできたかな」


 そう言って、わたしはレモンサワーを飲む。(みお)は「(あお)()らしいね~」と目を細めて笑った。


(あお)()が元気そうでよかったよ。週末はゆっくり休めそう?」


「あー、土曜は仕事の延長かな。市内のデパートで競合他社の特設ブースが出るから、その視察に行ってくる」


「えっ、お休みの日に視察? 一人でいくの?」


「ううん。開発の主任と。今度タイアップやるから、情報共有も兼ねて」


 嘘は言ってない。わたしの中では、すでに処理済みの報告だった。

 しかし、(みお)にとっては爆弾発言だったらしい。彼女の動きがピタリと止まった。(みお)はグラスをテーブルにドンと置き、信じられないものを見るような目でわたしを凝視した。


「な、なに?」


「主任って。もしかして、あの人? 『休日に偶然会って、なんか様子が変だった』って言ってた、(さが)()さん?」


 こういうことにかけては(みお)の記憶力は尋常ではない。忘れてくれても良かったのに、という心の声をしまってから、わたしは(うなず)いた。


「そ……そうだけど」


「えーっ!! それってさあ!」


 (みお)はぐっと身を乗り出してきた。その瞳は爛々と輝いている。面白そうなゴシップを絶対に見逃さないぞと言わんばかりだ。


「完っ全に、デートじゃん!!」


 喧騒を切り裂くような特大のツッコミに、わたしは眉をひそめた。何人かがちらりとこちらに向ける下世話な視線が刺さる。


「……違うわよ」


「無自覚なの? うそでしょ!?」


「仕事の都合よ。宣伝部の視点が欲しいからって同行を求められただけ」


(あお)()さあ、それ上手いこと言いくるめられてるよ。完全にデートの口実じゃんか」


「いやいや。口実じゃないって」


「何ならそれ、私もサークルの先輩から似たようなこと言われたよ? 普通にデートだったけど」


「……主任はね、一人で行くつもりって言ってたのよ。『もし予定が空いているなら』って、引きの姿勢だったし」


「そりゃそうでしょ! 一人で行くつもりだったなんて、女の警戒を解くための常套句じゃないの。男が本命に下心を悟らせるわけないでしょうよ!」


 (みお)の遠慮のない言葉が、刃のように飛んでくる。

 女の警戒を解くための常套句。本命に下心を悟らせるわけない。

 そのフレーズが、わたしの心にチクリと刺さった。


 ――まさか。


 急速にあのランチで交わした会話を思い出す。お店はわたしが選んだし、おすすめの料理を勧めた。話題の主導権を握っていたのもわたしで、食事が済む頃合いに結論が畳めるようにタイムキーピングもした。自分が流れを作っているつもりでいた。


 (さが)()主任は、流れに逆らわなかった。

 わたしはそれを、仕事の一環として順応した結果だと解釈し、完全に自分のペースで事を運んでいると安堵していた。


 だが、もし(みお)の言う通りだとしたら?

 彼もまた、こちらを誘導(ファシリテート)していたのだとしたらどうだろう。わたしに主導権を握らせるようにふるまう。そして、わたしが安心しきったその隙をついて、あの大義名分を用意した休日の誘いを差し出してきたのだとしたら。

 そうだとしたら、わたしはフラグをへし折ったのではなく、彼の手のひらの上で嬉々として踊らされていただけではないか。


 いや、違う。そんなはずはない。

 あの理知的な彼が、わざわざ大義名分を用意してまで休日にわたしを誘い出すような、そんな回りくどいことをするだろうか。


 ……そうだ。これは、彼自身の意図すら超えたものかもしれない。


 ゲームのシステムそのものが、強制的にわたしをイベントルートへ引きずり込もうとしている。そう考えれば、辻褄が合う。ならば、自分の意志で選んだつもりの行動すら、見えないプログラムによって〈攻略〉という結果に収束させられてしまうというのか。


「……」


 グラスの表面に浮かんだ水滴が滑り落ちていくのを、じっと見つめる。


 わたしは、やはりヒロインなのか。

 あの美しい男共々(ともども)、恋愛イベントの駒として扱われているのか。


「ほらあ、(あお)()も思い当たる節があるんでしょ? もうっ、今週末は絶対カワイイ服着ていきなよ! 気合い入れて――」


「あり得ない」


 わたしはきっぱりと否定した。自分の内側に侵食しかけた〈乙女ゲーム〉の常識を断ち切るように。


「え?」


(みお)の言うことは正しいかもしれないわ。でも、主任に関してはそうじゃない」


 (さが)()主任は、むやみに人に近づくタイプじゃない。付き合いは悪くないが、誰かと群れる人でもない。わたしが彼を見かけるときは、たいてい一人だった。

 あの穏やかな顔つきだって、誰にでも優しいからじゃない。社交の摩擦を減らすために、きちんと作っている顔に見える。


「休日の時間を割いてまで後輩を狙うような、そういう人じゃないのよ」


 もし本当に下心があるなら、もっとわかりやすい形を取るはずだ。あの人が欲しかったのは、わたし個人じゃなくて宣伝部の視点だけ。そう考えるのが自然だ。


 そうだ。わたしはシステムに操作されるヒロインではない。

 形桐(かたぎり) (あお)()という、一個人の会社員だ。

 彼の誘いは、わたしの能力を評価した上での実務的な要請だ。それをデートなどという曖昧な言葉で片づけられるのは、どうにも納得がいかなかった。


「だからね、週末の視察は完全に仕事! わたしは宣伝部の代表として、やるべきことをやるだけ!」


 わたしがキッパリと、一切の隙もなく言い切ると、(みお)はぽかんと口を開けたあと、やれやれと肩をすくめた。


「まーたそうやって、理論で固めちゃうんだから! ま、(あお)()がそう言うならそういうことにしておくけどさ~」


「そういうことなの」


「はいはい。でも、仕事でも休日なんだし、デパートでしょ? お仕事モードの地味な格好で行っちゃダメなんだからね! わかった?」


「わかったわよ」


 納得しきれていない様子の(みお)をあしらいながら、わたしは追加してもらったレモンサワーを一気飲みした。炭酸の冷たさが、思考の靄を洗い流していく。


 大丈夫だ。わたしの論理は破綻していない。

 週末の視察では、絶対に隙を見せない。完璧に仕事をこなして、これがただの視察だと彼にも、この理不尽な世界(システム)にも思い知らせてやる。


「そういうことで。じゃ、次はビールでも頼もうかな」


 わたしは、強気な笑みを浮かべてグラスをテーブルに置いた。

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