28.お中元を仕分ける
二〇〇三年 七月三十一日、木曜日
フロアの隅に、うず高く積まれた段ボールの山が出現していた。
手近のものを覗いてみれば、熨斗つきで包装された箱がみっちりと収まっている。
お中元である。
総務による受領管理は済んでいるらしく、すべて開封済みである。
高級ハム、ゼリーの詰め合わせ、缶ビール、果汁ジュース。取引先からの善意という名目で押し付けられたそれらは、フロアの導線を圧迫していた。
わたしは腕を組み、その山を冷ややかに見下ろした。
誰が、何を、どれくらい持って帰るのか。アンケートフォームでも作れば一瞬で終わりそうな仕事なのに、この会社では、手が空いた若手がなんとなく空気を読んで配るという不確実で非効率な運用がまかり通っている。
物理的な仕分けをこなす人間が必要だった。
総務……だけでは手が回らなさそうなので、事務の人たちにすべてを任せたかったが、いかんせんタイミングが悪い。八月一日は金曜日である。月初締めの業務は明日中に終わらせないと面倒ごとが増えるし、この時期は請求書の発行や夏のボーナスの計算処理でイレギュラー対応も多く、事務側は殺気立っていた。
とくに経理担当の三谷さんは、朝から膨大な伝票の山に埋もれ、泣き顔でパソコンに向かっていた。真面目で大人しい彼女のことだから、自分のキャパシティを超えていてもヘルプを言い出せないのだろう。
(まあ、ほんとは自分でヘルプを出せるほうがいいんだけど……)
それでも、自分の管轄ではないからと涼しい顔で座っているのは悪手だ。
「三谷さん。そっちの手が空くまで、お中元の仕分け、わたしがやっておいてもいいですか?」
声をかけると、三谷さんは弾かれたように顔を上げ、すがるような目を向けた。
「えっ、いいんですか……!? でも、形桐さんもお忙しいのに」
「いいのいいの。どうせ自分の担当してる代理店への御礼状も書かなきゃいけないし。六月に三谷さんが早く請求書回してくれたおかげで、わたしも助かったからね」
六月に定時で上がった際、光胡さんにチクリと嫌味を言われそうになったのを、三谷さんの手際のおかげだと躱したことがあった。光胡さんを持ち上げるためだったとはいえ、三谷さんの仕事の早さに助けられているのは事実だ。
「ほんとに、ありがとうございます……!」
三谷さんが拝むように頭を下げる。そのやり取りを、斜め向かいのデスクから光胡さんが満足そうに(しかし忙しそうに)見守っているのを、視界の端で確認する。
当然だ。雑務はパフォーマンスである。上司の前で大げさに巻き取らなければ意味がない。さもなければタダ働きとみなされ、評価に反映されないからだ。そんな無駄を踏むつもりはない。
経理の三谷さんに話しかけたのは、彼女と面識があるからという理由もあるが、彼女の席が光胡さんから近いからだ。
先日の慰安旅行の件でせっかく光胡さんと良好な関係(という名の不可侵条約)を築いたのだ。この同盟を維持するメンテナンスコストだと考えれば安いものだ。
わたしは腕まくりをして、段ボールの山へと飛び込んだ。
***
「おっ、宣伝部いいゼリーもらってんじゃん。俺、これな」
背後から突然手が伸びてきた。そして、わたしが仕分けていた山から、一番高そうな白桃ゼリーがひょいと抜き取られる。
振り返ると、名嘉城くんが、悪びれもせずにゼリーを弄んでいる。
「名嘉城くん、それは宣伝部のものよ。商品開発部には別ルートで届いてるでしょ?」
「いいじゃん、一個くらい」
「ダーメ。あんたの場当たり的な判断で苦しむのはわたしなんだから」
「あんた、こういう仕分け好きだよなー」
「呆れた。好きでやってるようにみえるわけ? ……現原くん、そのビールの箱、維木課長のデスクの横に頼める?」
「はーい!」
善意で手伝いを買って出てくれた現原くんに容赦なく指示を飛ばしつつ、お中元の山に向き合う。
瞬間、こつん、と冷たいものが置かれた。
よく冷えた無糖の缶コーヒーだった。
「なに、これ?」
「ゼリーの代金。今のあんたに必要なのは糖分じゃなくてカフェインだろ?」
名嘉城くんはそう言って、わたしの反論を待たずに「じゃあな」とひらひら手を振って開発部へ戻っていった。
コーヒー。確かに、自分が一番欲しいものだった。それをポンと置かれて、毒気を抜かれてしまう。
「……まったく、調子が狂うわ」
わたしは笑いながら、缶コーヒーを開けた。
ゼリーはまあ、いい。わたしの分から差し引くことにしよう。
コーヒーを飲み終えると、今度は横から能天気な声が降ってきた。
「おっ、形桐ちゃん。仕分けサンキューな」
振り返ると、営業部のベテラン社員である佐竹係長が、山積みの段ボールを満足げに見下ろしている。
「俺、プレモルな。後でうちの島まで運んどいてよ」
「佐竹係長! もう、困りますよ〜」
(面倒なのが来たな!)
「いいじゃん、ついでだろ? 若いんだから、運動運動!」
佐竹係長はわたしの反論を、若手女子社員への軽いイジりとして処理し、肩をポンと叩いて去っていこうとする。
――ついでという名の、雑用の丸投げだ。
心底イラついたが、絶対に笑顔は崩さない。ここで彼を詰めて「自分の分は自分で運べ」と正論で殴り合う工数と、黙って運んでしまう工数。天秤にかけるまでもなく、後者の方が圧倒的に早い。正論を権威のように掲げるなんて醜態を晒すくらいなら、へらへら取り繕うほうが百倍マシである。
(しょうがない。現原くんあたりが戻ってきたら、捕まえて……)
そう思考を切り替えた瞬間だった。
「僕が営業部に行くついでに運びますよ」
佐竹係長が指定した重いビールの箱が軽々と持ち上げられる。
相果主任だった。いつの間にかわたしの脇に立ち、穏やかな笑みを佐竹さんに向けている。
「おお、相果くん! 悪いねえ、開発のエースに力仕事させちゃって」
「気にしないでください。ちょうど営業部に確認したい資料があったもので」
相手を気持ちよくさせる理由づけを添える。佐竹係長は「そうかそうか」とご機嫌なまま、フロアを出て行った。
残されたわたしは、ビールの箱を抱えた相果主任を見上げる。
「主任。わたしが運びます。それはあなたの仕事じゃありません」
「形桐さんの仕事でもないだろう?」
相果主任は表情を崩さないまま、さらりと言った。
「君はもう宣伝部の人なんだから。営業部からの雑用に応える必要はないですよ」
わたしは少し気まずくなって視線を下げた。この雑用は戦略的に取ってきたのだ、といえば彼はどう反応するのだろう。
相果主任は、わたしが一番望んでいるものを知っている。戦力として扱ってほしいという欲求を理解したうえで、一番効果的なロジックで殴ってくる。これでは、合理性を重んじるわたしに反論の余地はない。
――それなのに、彼のバッドエンドはなぜ、よりにもよって〈監禁〉なのだろう。
たった一人に執着し、社会的地位を捨て、憎悪されるような愚行を犯す人にはとても見えない。
正直なところ、いまの相果主任からは想像もつかない奇妙な未来である。
「……すみません。助かりました」
「うん」
相果主任は短く頷き、営業部へ向けて歩き出そうとして――ふと、視線を下ろした。
彼の目線の先には、名嘉城くんが置いていった、無糖の缶コーヒーがぽつんと置いてある。
「それ、飲み終わってる?」
「え? ああ、はい」
「なら、ついでに捨てちゃうね」
言うが早いか、相果主任は空になった缶をひょいとつまみ上げた。
わたしが止める理由はなく。
彼はそのままビールの箱と空き缶を持って、颯爽と歩き去っていく。
名嘉城くんの残したカフェインの気配は完全に消え去り、代わりに、相果主任の纏っていたわずかな煙草の匂いが、ふわりと鼻をかすめた。




