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デフォルトネームの恋人  作者: 遠野 文弓
第2章:SUMMER

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24.不穏は消え去って

「聞いてよ(みお)、昨日のことなんだけど」


 ジョッキを片手に、わたしは堰を切ったように話し始めていた。

 昨日、オフで偶然会社の人と会ったこと。そのときの彼の様子がおかしかったこと。


「大変だね!」


 (みお)は、唐揚げにレモンを搾りながら、あっけらかんと笑った。


「でもそれ、扇衣の考えすぎじゃない? だってさ、その(さが)()さんだっけ? すっごい真面目な人なんでしょ? 『目の届くところにいてくれ』って、単に不器用なだけだよ」


「不器用……」


「そう! 本当は『もっと頼ってほしい』とか『君を買ってる』って言いたかったのに、照れくさくて変な言い方になっちゃったんだよ。男の人って、たまにそういうバグり方するじゃん?」


 わたしは目を瞬かせる。――確かに、その発想はなかった。


「それは、ありうるかも」


「そそ。(あお)()ってさ、頑張りすぎると周りを警戒しすぎちゃう癖、あるじゃん?」


 (みお)の声は明るく、優しく、そして断定的だ。

 彼女は(さが)()主任を知らない。会ったこともない。それなのに、どうしてこんなに自信満々に「彼はいい人だ」とプロファイリングできるのだろう?


「私にはわかるよ。だって親友だもん。(あお)()が悪い人に捕まってたら心配だけど、薬のお礼もちゃんと言える人なんでしょ? イイ人じゃん!」


 ――(みお)は知らないのだ。そういう言葉を心の底から使うのではなく、戦略や手札として用意している、冷血な人間の存在を知らない。


「……そうなのかなぁ」


「そうだよ! もしかして、その主任さんってば(あお)()に気があったりして?」


 否定できずに黙り込む。その様子をなんと誤解したのか、(みお)はにんまりと笑みを深めた。その様子を見て、わたしはぶんぶんと首を振る。


「『目の届くところにいてくれ』なんて、普通言わないでしょ」


「それは(あお)()がネガティブすぎ!」


「だって、他部署の人から飲みに誘われたときも、わたしより先に彼が断っちゃったことあるのよ? 『彼女は今、案件が立て込んでますから』って。わたし、その日は空けられたのに!」


「うわ~! それって完全にアレじゃん!」


 (みお)は枝豆を口に放り込みながら、身を乗り出した。


「独占欲! 他の男に取られたくない、自分だけを見ててほしいっていう、男心のあらわれよ。くぅ~、熱いねぇ!」


「違うと思うけど……」


「あのね、(あお)()。男の人には『守られたい』って思っちゃうのが乙女心でしょ? だからイケメンの束縛はご褒美なの」


「ご褒美? ご褒美って言った?」


「そうよ! 愛されてる証拠なんだから!」


 (みお)の瞳には一点の曇りもない。

 彼女の理屈では、ハイスペックなイケメンは無害、という式が成立してしまっている。わたしの感じている生理的な悪寒も、この世界の分岐する未来というメタ視点も、想定に入っていない。


「愛ねえ。支配欲じゃないの」


「またそうやって可愛くないこと言う~!」


 相手の行動を制限し、選択肢を奪う行為は、どう考えたってポジティブな行動ではない。だが、この世界(乙女ゲーム)の住人である(みお)の辞書では、それが「愛」という美しい項目に変換されるらしい。


 ――郷に入っては郷に従え、とは言うが。

 この世界で書き換えるべきは、わたしの辞書なのだろうか。

 具体的に何をされたというわけではない。だが、あの背筋が凍るような執着を〝ご褒美〟として受け取るのが、この世界の正解だとでもいうのだろうか。


(あお)()はさ、普段自分で全部決めちゃうから、そういう強引な優しさに慣れてないだけだって」


 (みお)の声が、迷路に入り込んだ思考を遮った。


「たまにはハンドル預けちゃえばいいのにって思うよ」


 ドキリとした。

 ハンドルを預ける。――操縦桿コントローラーを渡す。悪夢の後で怒りと共に湧いた言葉と、親友の無邪気なアドバイスが、奇妙にリンクする。


「もう、(あお)()はいつも考えすぎ! 困ってるわけじゃないんでしょ?」


「ま、まあ、そうね」


「とりあえず飲も飲も!」


 ジョッキが合わさる軽快な音。店内の喧騒。(みお)の笑顔。

 そのすべてが、わたしの論理的な違和感を、あやふやな感情論で塗りつぶしていく。

 客観的視点をもつであろう外部の人間に相談したのに、彼女までもが異常なしと判定したのだ。なら、おかしいのはやっぱり、わたしのほうなのかもしれない。




 店を出る頃には、昨日の疑惑が、遠い夢のように薄れていた。夜風が酔った頬に心地いい。


 (さが)()主任は正常だった。(みお)との会話も楽しかった。

 すべては丸く収まったのだ。


 ――それで、いいはずなのに。


 なぜだろう。奇妙な胸騒ぎがあった。脅威は去っていないのに、警報アラートだけを止めてしまったみたいだった。


 これまで、(みお)の「大丈夫だよ!」という軽い言葉は、世界の優しさや()さに目を向ける余裕をくれた。ふわふわとした綿菓子のように甘くて軽い。食べれば一瞬で溶けて、何も残らないが、明日を生き抜く活力をくれた。


 対して、(さが)()主任の、「目の届くところにいてくれ」という言葉はどうだ。

 あれは鉛だ。蜂蜜を纏わせて表面上は甘ったるくしているが、胃に落としたら異常と気がつく。口にするべきではないものだと。

 扇衣(ヒロイン)を〈管理〉したいという昏い欲望。重苦しいほどの責任。

 だが、この浮ついた世界では、その重さが確かな手触りであるような気がしてしまう。

 あの目は、わたしが感じているのと同じ世界の歪みを捉えていたのではないか、と信じたくなってしまう。


 たとえ出口のない檻への誘いだったとしても、確かな壁で守られたら、どんなに救われるだろう。何もない空虚な光の中に放り出されるよりもマシなのではないか。無責任な安心よりも、責任ある束縛に。優しい嘘よりも、狂った真実に。沈まない藁よりも、底へ引きずり込もうとする鉛の塊に、救いを感じてしまいそうになる。


 たとえその相手が、バッドエンドの元凶だとしても。

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