首枷 3
白藤は口許から笑みを消し去り、深い溜め息をひとつ吐いた。そして、消え入りそうな声で謝ってくる。
「―――……ほんと、ごめん」
別に、そんなことが聞きたかった訳じゃない。
俺は居た堪れない気分になり、いっそう首に充てた手に力を込めて頭を振った。
「……別に、お前のせいじゃないだろ」
「俺のせいだよ」
「だからっ、そんな気になるなら隠してきてやるって言ってんだろ」
「俺は見なきゃダメなんだよ。自分がどんだけ汚ない存在か忘れない為にも」
卑屈に食い下がる白藤に、俺はクシャリと髪を掻きあげ、大きな溜め息を吐きだした。
「―――……っはぁーっ、卑屈になるのもいい加減にしろ。別に……汚くはないだろ」
なんの足しにもならない下手な擁護。咄嗟だったせいもあり、そんな言葉しか出てこなかった。
何故なら俺自身、本心では白藤の事を然程綺麗な奴とは思っていなかったからだ。
当然、そんな薄っぺらいフォローが白藤に届く筈がなく、白藤は開き直ったように腕を組むと、行儀悪く卓の上にドサリと座った。
そして冷めた眼差しで虚空を見つめながら、淡々と告白を始めた。
「―――ぶっちゃけさ、さっきの件で黒耀の好きにさせたことだって、純粋にあの黒虎に同情して言ったわけじゃない。……ただ黒耀は、人間に虐げられ続けたにも拘らず、自由を手にしてもその爪を人間に向けようとしない獣人だった。そして俺はそういう存在を手元に置いておきたいと思っていたから」
先ほどの感動などぶち壊す暴言だが、その気持ちと理由は俺にも理解できた。
白藤の中ではこの忌々しい印を消滅させることは確定事項として、その後の対策を考えてるのだ。
印がこの帝国から消えれば獣人による内乱が起こり、今度は人間達が蹂躙されることになるだろう。だが黒耀の身の上を開示し、それを保護していたとなれば、その内乱に介入する為のひとつの大義が出来上がる訳だ。
そいつらを納得させる理由付けの為には、このたった1つの前例が、今後なにより重要になってくる。
と、虚空を見つめていた白藤の視線が、不意に俺の方を向いた。
「丁度よかったんだよ。条件さえ合えば誰でもよかった。黒耀はただそれだけだ。代えの利かない豹牙とは違ってさ」
と、突然恥ずかしげもなくサラリとそう言い放つ白藤に、不意を突かれた俺は思わず息を飲み言葉を詰まらせた。
そして無意識に首筋の印を覆っていた手を外し、耳の後ろを掻く。
―――まぁ、そりゃ俺と黒耀じゃ立場が違うのは当然だろう。事実、まだ数ヵ月とはいえ俺は白藤の右腕として“代えが利かない”と言われるくらいの仕事を俺はしてきてるし。……だから立ち直って改心したとは言え、廃人同然だった刺客と改めて比較されても別に……。
「口先では“自由に生きればいい”なんて言ってても、結局黒耀を利用することばっか考えてる汚い奴なんだよ、俺は」
俺は小さく息を吐いて深く頷いた。
これまで白藤の傍に仕えてきて、こいつがただの底抜けに優しい姫じゃないってことは知ってた。というか、それだけのつまらない奴なら多分、俺はここまで本気で仕えようとは思わなかった。
なのに白藤が印の無い黒耀をちょっと讃えたからといって“なら自分は見苦しいんだろ”とか何とか言って……これじゃあ本当に俺一人が不貞腐れてるだけみたいじゃねぇかよ。
俺はコホンと小さな咳払いをすると、自嘲気味に嗤う白藤に今度こそ同情を込めて言葉を掛けた。
「気にするな。お前が何を考えてようが、黒耀もこの結果に納得してる筈だ。それに今回黒耀の希望がすんなり通ったのは、ひとえにシロの後押しがあったからでもある。……唱鶏殿はシロの言葉以外まるで聞かない人だから、あれがなきゃ、あの流れであっても空気を読まず普通に拒否してたと思うぞ?」
「ははっ、そんなこと……いや、有り得るな」
一瞬笑い飛ばそうとした白藤だが、ふと顎に指をあて真剣な面持ちで考え込む。
それからクスッと小さく破顔したその様子に、俺はホット胸を撫で下ろした。
「持ちつ持たれつだよ。お前が黒耀を利用する様に、黒耀もお前を利用してる。だからお前は、これからも使えるものは全て使っていけばいい」
白藤は綺麗な笑顔を作ってコクリと頷いた。
それから舞うように軽やかな足取りで卓から飛び降りると、俺の背中をポンと叩いてきた。
「な、豹牙。部屋にこもりっぱなしもよくないし、息抜きがてらちょっと散歩行こうぜ」
「は? こっちは朝の遅れを取り戻そうと今必死こいてるところなんだが」
「まーまー、俺も後で手伝うから」
「元々お前から指示された仕事だっつの」
俺は口を尖らせながらも、白藤に促されるまま執務室を後にし、随分と涼しくなった庭園に出た。
日が傾きかけたとはいえまだ明るい庭園には、気の早い秋の虫達の歌声がキィキィと木霊している。
白藤は途中長屋に立ち寄って、香炉と籠一杯の食い物を受け取ると、湖の真ん中に立つ石碑へと向かった。
何処か夏の終わりを感じさせるもの寂しい庭園を進み、俺達が石碑の前に着くと、白藤は籠を石碑の前に丁寧に置き、香炉に火をつけ両手を合わせた。
手を合わせる白藤は、まるで石碑に何か語り掛けているようだ。
やがてその語らいも終わったのか、白藤は目を綴じ、祈るように長い長い黙祷をしていた。
「……何やってたんだ? 何かの儀式か?」
「ま、そんなもんだ。さ、帰ろうぜ。豹牙」
それから、漸く顔を上げ合わせた手を解た白藤に俺はそう訊ねてみたが、白藤はそれ以上何も語らず石碑に背を向けた。
俺もその後ろに続きながら、一度だけその石碑を振り返る。
以前ここを訪れた時から、また石碑に刻まれた名前が増えていた。
俺はその名を眺めながらふと考える。
―――もし俺が死んだら、俺も白藤から星の名を与えられて、ここに刻まれるんだろうか?
その瞬間、不意に怒りが沸いてきた。……否、それはぜってぇに嫌だな。あんな有象無象と俺が同列に並べられるなんぞ真っ平ゴメンだ。
俺はキッと前を向き、白藤を呼び止めた。
「おい、シロ!」
「ん?」
「もし俺が死んでも、あそこに俺の名は刻むなよな」
「なっ……」
一瞬白藤の表情が強張る。が、知ったこっちゃねぇ。
「さっきお前が儀式とやらであの石碑に何を祈ったのかは知らねぇ。だが俺はそんな祈りも儀式も要らない。っつか、んなことされるくらいなら俺はお前より長生きしてやる。俺は死なねぇ。そこに名を刻まれてる奴らみたいに死ぬ気を起こしたり、あと神獣共みたいに命を懸けたりなんか絶対にしないからな! いいか!」
そうだ。俺は他の奴らと違う。
誰しもが死を意識し、命を投げ出すことを美徳とするこの世の中で、俺だけは絶対に生き残る覚悟を決めてやる。
意地汚くても卑怯でも、例え泥のなかを這いずり回っても、最後まで白藤の役に立ち続けてやる。
きっとそれが、何処にでもいるただの未熟な聖獣でしかない俺が唯一、白藤にとっての“特別な人財”になる為の方法なんだろう。
……と、白藤がコテンと首を倒し俺の顔をしげしげと見詰めてきた。そして真顔で呟く。
「―――……あのさ、豹牙。やっぱお前、俺の事好き過ぎるだろ」
「って、なんでだよ?!」
「いやだって、俺が石碑に手を合わせたから怒ってるんだろ?」
「いや怒ってねぇよ。耳おかしいんじゃね?」
「それにさりげなく“神獣より俺の方がすげぇ”アピールしてくるし」
「してねぇし! 頭おかしいだろっ」
「えー、でもぉ……」
白藤は口を尖らせまだ何か言いたげにしていたが、すぐに諦めたようで小さく息を吐いた。
そして優雅な仕草で両手をそっと胸元に添えたかと思うと、ハッとするような笑顔を浮かべる。
長い睫が強調されるやや伏し目がちのうるんだ瞳。喜色を含んだ頬はほんのりと上気し紅が差し、かつてない可憐な微笑みを浮かべた唇で、白藤は歌うように俺の名を口にした。
「豹牙……、―――妾もそなたが大好きでございますよ」
「っっ……?!」
……って、ここでそれは狡いだろ。
―――ここ数ヵ月、あまりに近くで仕事をしすぎて、素のアホな部分を見すぎて忘れていた。この白藤が……“帝国一の美姫”と呼ばれていることを。
「豹牙の言葉に、働きに、そして存在に、妾は一体何度救われてきたことでしょう……。他でもない豹牙がこうして共にいてくれるという事が、妾にとって何よりの幸運なのです。これからもどうぞ、末永く御頼み申しますね」
最近白藤の外面を主に背後からしか見てなかった俺は、久々の白藤の本気を真正面から受けて膝から崩れ落ちた。
まぁ寸での所で何とか片膝を突く体勢で踏みとどまったが、不本意にも赤面してしまった顔は上げることも出来ない。
俺は抗議も忘れ、震える声で何とか“是”の返事だけを返したのだった。
「……ハッ。何処までも、白藤様に御供させて戴きますっ」
―――っつかこんな形で言いたくはなかったのに! クソがぁ!!




