首枷 2
こうして白藤が黒耀の処遇を取り決めた後、そこにいた各々はまたいつもの業務へと戻っていった。
蒼狼は白藤宮の本殿へ大琴を習う為に出ていき、唱鶏殿は黒耀を連れ訓練場へ。そして俺は白藤と共に戻ってきた白姫の塔の執務室で、手付かずだった木簡を拡げていた。
作業に更ける俺と白藤の間に言葉はなく、木管を解いては巻く乾いた音だけが執務室にカラカラと響く。
俺は午前の遅れを取り戻すべく、首筋に手を充てながら、一心に木簡に記された文字に目を滑らせていった。
そんな無言の時間が一刻程続いた頃。ふと白藤がその沈黙を破り、特に誰の目を憚る訳でもないのに何故か声を潜め、俺に話し掛けてきた。
「―――豹牙。あの、さっきから何というか……機嫌が悪くはありませんか?」
「いえ別に。午前中の遅れを取り戻そうと集中しているだけですが」
俺は木簡に視線を落としたままそう即答した。
何故なら俺は機嫌が悪くなどない。全く以て意味不明。いつも通り全然普通なのだから。
……だというのに、白藤は尚もよそよそしく俺の顔をチラチラと伺いつつ、落とした声で何処か言い訳がましく訊ねてくる。
「そ、そうですか? 本当に? 妾はてっきり、黒耀に何の役目も与えず唱鶏に渡したことを怒っているのかと……」
俺は顔を上げ、じとりと白藤を見据えた。
まぁそれに関しては若干思うところがないわけではない。――――だが、別に怒ってなどはいないのである。
俺は白藤に向けた視線を、またフイと木簡に戻した。
「はぁ、なる程。人出が足りていないことはご存知でしたか。―――しかし白藤様の御決定の理由は分かります。これまで黒耀が奪われてきた物を思えば、解放を掲げる私達が利己の為に、あの不運な子供を使う事は出来ませんからね。正しき采配であったと思いますよ」
「そう……正しかったと申してくれますか……」
そして白藤は黙り込み、再び沈黙が暫く続いた。
木簡を巻く音が何故か先程より部屋によく響く。
だがそれから数分後、その煩い沈黙に耐えられなくなったのか、白藤がわざとらしく伸びをして、嫌に明るい声を上げた。
「所で豹牙。さっきから首を押さえておりますが痛いのですか? まさか肩凝り? その若さで?」
「違います」
俺は即答したが、首筋に充てた手を退ける事はしなかった。
「なら何故?」
白藤が小首をコテンと傾げながら、こっちを覗き込むように聞き返してくる。
一体何なんだ? しつこくないか?
俺は苛立ちを隠すこともなく、白藤の方には顔すら向けず早口に答えた。
「別に大した理由はありません。ただ、私に刻まれた“印”が白藤様にとっては穿たれた鋼鉄の牙より醜い様でしたので? お目汚しにならないようにしようと思ったまで」
「はぇ?」
と、白藤が気の抜けた声を出し、呆けたような表情になる。
忘れたふりのつもりか? さっき自分自身の口でほざいたことだろうに。
「……先ほど白藤様は黒耀の首筋に見惚れなから、夢見心地で『美しい』と呟いてらしたではないですか」
「ブフォッ!」
と、何故か突然白藤が噎せたように吹き出した。
屈辱的な雫が俺の左頬に降り注ぐ。
「ちょ、何なんですかっ、さっきから本当に!」
「え、あの、……機嫌が悪い原因はまさかそっち? 先程黒耀に言った“ソナタは美しい”という言葉の方を……気にしていたのですか?」
「ですから機嫌悪くなんてありませんし! ってか気になさってるのは白藤様でしょう?! 明日は首に晒でも巻いてきますよっ。それでもういいでしょう!」
俺は別に怒ってはいない。だからこれは怒って語気が荒くなったわけでは決してないのだ。
俺はただ仕事に集中したかっただけで、その為にこの白藤のウザ絡みを何とかしたかっただけなのである。
なのに白藤は話を終わらせるどころか、改まった様な顔付きで、素に戻って話しし出した。
「……こほん。あのさ豹牙。前から何となく思ってはいたんだが今言っちゃっていいか?」
「な・ん・だ・よっ?!」
「―――……お前さ、ちょっと俺のこと好きすぎないか?」
「っっって、何でそうなるっっ!?」
俺は思わず木簡を机に叩き付け、素で怒鳴り返した。
いや、まぁ白藤が素の時は敬語は要らないとは言われてたんだが……―――それにしても、こいつは素に戻った瞬間、なんでこんなにも阿呆になるんだ?
しかも白藤は俺の怒声混じりの突っ込みに対し、律儀にも解説を入れて突っ込み返してくる。
「何でって、だって俺が黒耀に“美しいね”って言ったから、フテ腐れてるってことだろ?」
「妙な要約をすんな。違うから」
間髪入れず否定したが白藤は人の話を聞こうとしない。
にまにまと笑顔を浮かべて席を立つと、俺の方にすろすろと近付いてきた。
「まーまー。あ、念のため言っておくけど、俺は豹牙を凄いかっこいいやつだと思ってるんだぞ? うんうん。具体的には仲間思いで照れ屋で、賢くてちょっとヤンチャでさ。もう皆に自慢して回りたい程俺もお前が好きだし、ここに居てくれる事にも本当にいつも感謝してる」
「なっ、何を……っ」
突然俺の肩を揉み出してはおだてあげてくる白藤を、俺はテンパりながらも振り払おうと威嚇してみせる。
だがこの白藤は怯むことなく、まるで子供の機嫌でも取ろうとするかのようにしつこく俺を褒め上げ、更に撫でようとまでしてきた。
「―――強くて頼りがいがあって、兎に角さぁ、豹牙は比類なく格好いいやつなんだよなぁ」
「るせっ……もういいっつってんだろ! 触んなっ」
そして慌てふためきながらも、俺は漸く白藤の細い手を傷つけないよう慎重にはたき落とすことに成功すると、席を飛び退いて白藤から距離を取った。ついでに白藤を睨みつけながら、本気で毛を逆立てて見せウザ絡みを徹底的に拒絶する。
……ガキ扱いされるのは嫌いだった。
俺に限らず護衛獣は皆そうだ。大抵父親は戦で早死する。
そんな世を生き抜くため、物心つく頃には甘やかされることを恥と思い、幼子は皆“早く大人になりたい”と願い始めるのだった。
俺は断固として撫でさせるまいと、身を低くして白藤の一挙一動に目を見張っていたが、俺のそんな態度にも、白藤は気を悪くするどころか楽しそうに笑った。
「それに、誰にも懐かない気難しい猫みたいでクールだ。……ま、たまに超デレてるけど」
「デレてねえし猫言うんじゃねぇよ!」
「いやマジで最高よ。―――……だからさ、その刻印は驚くほどお前に似合ってない。ホント、不愉快極まりねーわ」
「なっ……」
俺は言い返そうとしたが、ふと言葉を詰まらせる。
これまで通りのからかうような軽い口調で放たれた言葉に、白藤の己に向けた侮蔑が込められていることを感じ取ってしまったからだった。




