首枷 ◇豹牙視点◇
前話にて、唱鶏が「少し話し、つつがなく面会は終わった」と言ってとばした内容のお話し(豹牙視点)になります。
《豹牙視点》
―――この白藤宮に黒虎の子供がやってきて丁度一月が過ぎた。
その日、黒虎の子供が檻から出され、再び白藤の前に連れてこられる事となっていた。
俺はほぼ毎日顔を合わせていた黒虎の子供だが、白藤にとっては一月ぶりの再会となり、前日から随分ソワソワと落ち着かない様子であった。
そして当日、早めの朝食と身支度を終えた白藤は、登城して間もない俺と蒼狼に言った。
「……いよいよ今日、あの時の子と対面ですね。―――少し早いですが行って待ってましょうか」
「お待ち下さい」
俺は思わず白藤に声を掛けて止めた。
「約束の時間は10時。今はまだ6時半を少し回ったところです」
まだ予定の時刻迄3時間半もある。それに午前に予定していた仕事も当然手つかずだし、会合の場所は塔の一階だから移動に5分もかからないのだ。―――俺は間違ったことは言ってない。
なのに白藤は、まるで俺が非情極まりない奴であるかのように、物悲しげに笑った。
「ええ、ええ。勿論妾一人で行きます故、心配ならさないで。それに蒼狼も手習いがありましたでしょう? 二人は用を済ませたその後に……」
「休みますっ」
蒼狼が即答した。
「本当にございますか!? 流石に蒼狼、頼りになります」
「いえ、それ程でも。豹牙と違い、私はいつでも白藤様の御意志を最優先にさせていただきます」
「……おい」
俺の仕事とは、そもそも全て白藤に振られたものだ。
まぁその後、俺も結局午前の仕事を後回しにし、3時間と少し前から白藤達と黒虎の子供の待ち惚けに付き合ったのであった。
◇
その間、俺達は普段の黒虎の子供の様子について話をしていた。
初めは獣のようだったが、最近では食事も匙を使って綺麗に食べている事や、言葉をハッキリと喋れるようになって、以前と随分様子が変わっているというような内容だ。
だが三時間後、身なりを整えて現れたその子供の姿には、見慣れていた筈の俺も目を丸くして驚いてしまった。
―――黒い装束に身を包んだ黄色い瞳の子供。
化粧の施された目元は精悍で、知らなければとても毒に侵されていたようには見えない。
まっすぐと伸びた背には品格すら伺え、落ち着きある優雅な佇まいは、黒布で覆われた鋼鉄の牙を穿たれている口許や、晒の巻かれた指に残る三本の爪の異形を気にさせない程だった。
そんな黒虎子供を見て白藤が開口一番に放った「見違えた」という言葉は、俺達の心中を的確に表していた。
それからその後のやり取りで黒虎の子供には黒耀という名を与えられ、まるで雛鳥のように唱鶏殿に懐きだし、あの能面の男を“父”とまで呼び始めた。
それだけでも十分耳を疑う案件だったのだが、その後白藤の上げ足取りがあったとはいえ、唱鶏殿が普通にそれを受入れた事に関しては衝撃の一言に尽きた。
あまり感情を表にしない二人の淡々としていて穏やかなやり取りを、俺は不思議な気分で見ていた。
―――やがて、嬉しそうに顔をほころばせながら二人の様子を見ていた白藤が、ふと唱鶏殿に尋ねた。
「唱鶏、今後この黒耀に何かさせたいことなどはありますか?」
「いえ。白藤様の都合のいいように使われれば宜しいかと。私は黒耀に何の期待も望みもしてはおりませんので」
自分を父と慕う相手に対して随分な言い草だ。
案の定、そんな投げ槍な唱鶏殿を白藤が口を尖らせ嗜めた。
「まったく。いつもの事ですが唱鶏は言葉足らずでいけませんね。―――黒耀。つまり唱鶏は“そなたのしたい事を成せば良い”と申しているのです。そなたは何を望みますか?」
……いや、待て。
多分唱鶏殿はそんな思いやりのある言葉は、絶対に言ってない……ぞ?
ぎょっとして唱鶏殿にチラリと目をやったが、信じられない事に唱鶏殿は訂正することなく沈黙していた。……嘘だろ?
啞然と俺が様子を見守る中、白藤は真剣な眼差しで黒耀に提案をする。
「今のそなたならば、きっと何だって成せる事でしょう。そして、妾はその為の助力を惜しみはしません」
―――次期皇帝が直々に出資を買って出る。
それはつまり、黒耀が望みさえすればこの帝国で最も高度な訓練をなんだって受けられるという事。
そしてかつては“草”として育てられた黒耀は、既に獣人の中でもかなり高位の戦闘能力を身に付けていて、武芸の才といえば申し分無い。
更にこの一月言葉を教えて分かったことだが、黒耀はおそろしく記憶力がいい。
まるで海綿が水を吸うように知識を吸収していくのだ。
何よりも無口ながらもこの真面目さ。
―――本当に、何をさせても黒耀ならこなせてしまうだろう。
俺はこの黒耀の将来を思い描き、その展望に胸が弾んだ。
だが次の瞬間、黒耀はそれらの可能性を否定した。
「ありがとうと御座います。ならば私はこれからも爸爸のお側に居たいと思います。そして無力ながらも、いつか爸爸のお役に立てる日が来ればいいと希っております」
「左様ですか。―――唱鶏、黒耀がこんな可愛らしいことを申しておりますよ。唱鶏は何をして貰えば助かりますか?」
「さぁ……、何も困ってなどおりませんので」
起伏のない声で、唱鶏殿は心底興味なさそうに言い切った。
すると白藤は細い指を顎に充てがい、小首を傾げて黒耀に振る。
「困っていないのですか……これは困りましたね。ねぇ、黒耀?」
「いいえ。困ったことがない事は良い事だと私は思います」
黒耀の答えは淡々としたものだった。
「確かにその通りです。しかしそれでは黒耀のする事が何もないままですよ?」
「はい構いません。私はいつか爸爸に望まれるやもしれない日を、ただ静かに待ちます」
―――俺は黒耀のその答えに、ふと苛立ちを覚えた。
溢れんばかりの才能をその身に宿した黒耀。
何だって成せると言われているのに何もしないなんて、勿体無いだろう。
こっちはその才能ってヤツがなくて四苦八苦しているというのに……。
俺は頭を下げたままの黒耀を冷ややかな視線で眺めていたが、白藤はその袖を掴もうとすることなく頷いた。
「そうですね。そなたを試すような事を申してすみませんでした。―――勿論、そなたの希望を妾は応援致しますよ。願う通りに生きる事程、今の世で尊いことはないのですから。そなたが満足するまで唱鶏と共に居てください」
「ありがとうございます」
自分の価値を全く分かっていない黒耀は、悪怯れることもなく淡々と頷いた。
白藤もまた返すように頷くと、膝を突く黒耀の前に歩み出て、自分も間近にしゃがみ込み言った。
「黒耀。最後に一つだけ、妾の頼みを聞いてもらえませんか?」
「はい。何でしょうか?」
「そのお顔に巻いた布を取った姿を妾に見せて欲しいのです」
一瞬、黒耀の眉が寄る。
そして今迄静かに沈黙していた蒼狼が、静かに構えの姿勢を取った。
黒耀は口元の布を押さえ、強張った声で言う。
「……此の下はとても醜いです。―――御気分を害されると思います」
続いて蒼狼と唱鶏殿も口々に声を上げる。
「お言葉ですが、その下には今も尚鋼鉄の牙があります。敵意がないとしても危険です」
「黒耀と蒼狼の申す通りです。やめられた方がよいかと」
だが何を思ってか、白藤も頑なに引こうとはしなかった。
「気分を害するなど、そのような失礼な事は断じて致しません。だから、どうかお願い申し上げます」
黒耀は一度チラリと唱鶏殿に目配せを送ったが、やがてコクリと頷くと黒い布を取り外した。
現れたのは頬肉の上から顎骨に穿たれた凶悪な鋼鉄の牙。それを長年付けていたせいで、唇の肉は擦れて破れ失せ、その周囲の皮膚も壊死して黒とも茶とも呼べぬ色に染まっている。
唇のない口は閉じられることがなく、隙間からは毒の影響で歯の抜け落ちた口内がしっかりと見えてしまっていた。
……何度見ても、痛々しく悍けの走る様相だ。
だが白藤はそんな黒耀を見て、眉を顰めるどころか頬を染めて笑った。
「―――そなたは本当に美しいですね」
……白藤は何を言ってるんだろう?
気遣って後援するにも、もっと別の言い方があるだろう。―――そう思った。
だが今にも泣きそうな程に嬉しそうな顔で笑う白藤の視線が、その醜悪な口許ではなく、シミ一つない白い首筋に注がれていることにふと気付く。
そしてそれに気付いた瞬間、俺の中で燻っていた黒耀への苛立ちが、強い嫉妬心へと姿を変えた。
―――この不憫で憐れな子供が、どうしようもなく羨ましくて仕方がなかった。




