天の星と地上の屑石 十
「グッ、ブフゥッ……」
「ゴふぉッ!? ッゴホ……」
と突然、今迄静かに佇んでいた蒼狼が唾を飛ばし、豹牙が変な咳をして噎せ始めた。
……黙っていれば多少マシになったと思ったが、やはり口を開けば台無しだ。あいつ等はもう息をしない方がいい。
そんなことを考えつつ、俺も眉を顰めながら妙な事を口走った黒耀を問い質した。
「……なぜそう呼びたいと思った?」
「はい。私は豹牙殿より様々な言葉とその意味を教えて頂きました。その中の爸爸と言う言葉が、私には最も相応しいように思えたからです」
その言葉に俺は視線を上げて豹牙を見る。
豹牙は咳を収めようと、手で口元を隠しながら壁の方に顔を向けていた。……というか、あからさまに俺から顔を背けている。
「……」
「ゴホッ………コホッ……けほケホ……」
目を細めて暫し豹牙を見ていたが、咳はなかなか止まらないようだ。
するとそんな中、白藤様がまた鈴のような心地よい笑い声をたてて俺に言う。
「ふふ、唱鶏自身が“好きに呼んでいい”と申したのですから、よいではないですか」
白藤様のからかうようでいて、悪意のないその提案に俺は一も二もなく頷いた。
「……然り。―――黒耀、それでいい」
「はい。それでは爸爸。私に名を下さり、改めてありがとう申し上げます」
「たまたま思い付いただけだ。改まった言葉など要らない」
ありがたがる必要などない。黒耀とは大した使い道もない屑石と同じ名前なのだから。
……もっと良い名もあっただろうに、俺の思い付きなんかで決まってしまい不運な奴だと密かに思った。
だが黒耀は嬉しそうに目を細め俺に言う。
「はい。それでも大切にいたします」
大切にするようなものではない。
黒耀とは俺の居た郷では、そこらの道端に落ちているような珍しくもない屑石だった。
煌びやかな帝都では、黒く地味な小石になど誰も目を向けないし、向けてもすぐに忘れる。在ろうが失せようが、誰も歯牙にもかけないのだ。
そしてそれは俺も同じ。―――目を向ければそこにあったのに、屑石だと言って蹴り飛ばして叢に棄て、そのまま忘れていた。
今更必死で探しても、きっとあれはもう見つからないだろう。
俺は黒耀に一言だけ告げた。
「そうか。なら大切にしろ」
「はい」
そしてまた俺は前を向いたのだが、その時、不思議な事に視界に映る景色が何故か明るくなっていたのだ。
託すように言ったその一言。それが俺の中にずっとあった重石のような物を、綺麗に溶かし消していたのだった。
◇◇◇
―――あれから黒耀は白藤様と少し話をし、面会はつつがなく終わった。
また今後の黒耀の立ち回りについてだが、黒耀の希望により今後も俺と共に行動することになった。
だが俺といえば特に何をするでもなく、今まで通り地下訓練場で蒼狼や豹牙の訓練を見ながら、新たに捉えてきた他の草を眺めるだけ。
つまり、今迄と何も変わることはなかったのだ。
とはいえ僅かな変化ならあるにはある。
その夜、俺は初めて黒耀を庭園へと連れ出したのだった。
涼しい風が通り抜ける夜の庭園。
黒曜はそこで緊張に毛を逆立て、辺りの様子を窺いながら俺の後を付いて歩いていた。
自分が人目に触れてはいけないことを理解しているのだ。
俺は辺りに誰も居ないこと告げることなく、その警戒心を保たせたまま歩みを進めた。
夜も更け、月すら沈んだ空は雲ひとつない満天の星空。
静かな夜だった。
昔住んでいた山奥では、夜になれば喧しいほどに虫が鳴いていたものだが、手入れの行き届いた庭の虫は、随分上品に囁き合うように鳴く。
敷石の小道を進み、小川に掛かる橋を渡り、柳の樹の下の跳び石を進む。
やがて天の星々を映す大きな池が見えた時、ふと風に乗って香の香りが漂ってきた。
俺は立ち止まり黒耀に声を掛ける。
「あれだ」
それは庭園一美しいと称される絶景の一つ。
凪いだ水面に天の星々を映す池。その中程にある小島には、一本の大きな藤の樹と、青白く浮かび上がる石碑が立っていた。
黒耀はその景色を目に焼き付けようとするかのように、瞬き一つせず、その幻想的な池を見詰めている。
「あそこにお前の兄の名が刻まれている。行くぞ」
俺は黒耀に声を掛けて、また歩き出した。
紫水晶の砂利が敷き詰められた石庭を抜け、白く塗られた橋を渡る。
小島に建つ石碑の前に来ると、石碑の前に積み上げられた鋼鉄の牙と爪の隣に、花が供えられていることに気付いた。
花だけではない。干し肉や饅頭、それに瑞々しい果実、そしてそれ等の脇には先程嗅いだ香りを放つ、香の燃え残りが置かれていた。
おそらく先に白藤様がここを訪れられていたのだろう。
黒耀は長い間じっと沢山の供え物を置かれた石碑を見詰めていたが、やがて進み出ると石碑の前に置かれた鋼鉄の牙の一つを持ち上げた。
「にいに……。ここに居たのですか」
そして丁寧にその牙を両手に包み、黒耀は俺に話しかけてくる。
「父上、ここは穏やかで良いところですね」
「そうだな。夏には蒼い睡蓮が咲き誇り、秋には紅葉が木々を染め上げる。冬には静寂の中で雪化粧を纏い白銀に輝き、春には新緑の中で白い藤の華が見事に咲く。いつも穏やかで、とても美しい場所だ」
「そうですか」
黒耀は頷くと、またそっと元の場所に牙を戻した。
「―――またお逢いしましょう。それまではどうか、安らかにお休み下さい」
そう言った黒耀は泣いてもいなければ憂いてもいない。
兄の死を受け入れながらも、黒耀は非情な程に落ち着いていた。―――だが決して忘れたわけではない。
黒耀の内側には、言葉では語り尽くせぬ程の怒りが煮え滾っている事を俺は知っている。
黒耀はそれから随分長い間、石碑の前で目を瞑り立ち尽くしていた。
それを待つ間、俺は石碑に連なる星々の名を目でなぞり、ふと空を見上げた。
空には輝く満天の星。
……白藤様は死んでいった者達に名を付ける時、必ず“星”の字をお入れになられる。
何故なのだろうと不思議だった。
星といえば幾ら伸ばそうと手は届かないし、どれほど切望しても手に入れる事が敵わない。
だが手を伸ばそうとせず、こうしてただ見上げ思いを馳せたなら、案外近くから絶えず囁きかけてきているものなのだ。
―――……成程。そんな所は確かによく似ているのかもしれない。
そんな事をふと思った。
唱鶏視点の“天の星と地上の屑石”はこの十で終わりになります(_ _)
そして新たな仲間が加わりました(≡゜♀゜≡)!




