天の星と地上の屑石 九 ◇唱鶏視点◇
《唱鶏視点》
―――草がここに来て31日目。
俺はその日、朝から草に真新しい一式の衣服を着せ付けていた。
この衣服は以前蒼狼が、白藤様の指示で蒼神楼へ遣いに行った帰りに市井で手に入れてきた物だ。
その時蒼狼からは土産だと言って渡されたのだが、何となく癪に障り、手間賃も含めて衣服代の倍の金子を突き返しておいた。
蒼狼が選んできたそれは、灰色の内衣に黒い中衣。それに深緑の裏生地が充てられた、袖のない黒い短衣と短袴といった物だった。
髪色が黒なので頭から爪先まで黒。……重苦しいと思ったが、着せてみれば統一感はあった。
だがこれまで小童の着せられるような短衣一枚で過ごしていたせいか、草は初めて着る衣装に落ち着かないようで、中衣の長い袖の布をそわそわと引っ張っている。
その所作が見苦しかった為、垂れる袖を巻き付けて紐で止めてやると、草は漸く衣服をいじるのをやめた。
それから俺は草の伸びた髪に香油を付け、引っ張り上げるように後ろで括る。
黒に白い毛束の混じった黒虎らしい髪は、薬が抜けたことと食事をきちんと取らせていたおかげで、ここに来た当初に比べて幾分か艶が戻っていた。
以前は落ち窪んでいた目やコケた頬も膨らみを取り戻し、肌には瑞々しい張りが出てきてもいる。
そしてかつては恐怖と怒りに染まっていた黄色い瞳は、今や穏やかに澄み、縦長の瞳孔が揺らぐ事なくじっと前を見据えていた。
「目を閉じていろ」
俺はそう言って草の顔に粉を叩く。
更に眉を整え、血色を出す為に目の周りに朱と橙の色を差し、そして最後は鋼鉄の牙が打ち込まれたごまかしようのない醜い口元を、大きな黒い布を巻き付けて覆い隠してやった。
―――これでまぁ、多少は見れるようになったか。
この間、何も聞かずに無言でされるがままになっていた草に俺は言った。
「本日、お前は今一度白藤様にお目通りをし、今後の身の振り方を再び決めていただく。付いてこい」
草は無言で頷くと、音を立てない歩みで俺の後をピタリと付いて歩き出した。
一月前、白藤様はこの草の生死を含めた全権を俺に委ねられた。
これまで死んだ草達に関しても咎められた事はない。
そんな俺が白藤様より言われていた事はたった2つ。
三日を生延びた草に食事を与える事と、一月を生き延び体内の毒が排出された草を、再び白藤様の前に連れてくる事。
一月を生き延びた草のその後の処遇については聞いていない。
つまり白藤様の采配次第で、俺は今日限りでこの草の顔を見ることもなくなるのかも知れない。―――となれば、さっきの一言が、俺がこの草に掛ける最後の言葉だったのやも知れない……。
俺はふと足を止め、首だけを回して後ろを振り返った。
すると草も歩みを止め、何も言わず黄色い瞳でじっと俺を見上げてくる。
「……」
俺を見つめる草は、特に俺の言葉を待っている訳ではない。ただ俺が止まったから自分も止まり、見上げているだけだ。
―――結局俺は無言のまま、また前を向くと階段を登りはじめた。
◇◇◇
訓練場を出て階段を登れば、そこはすぐ白姫の塔の一階の本堂である。
そしてその日その本堂には、神獣である蒼狼と画策の右腕を担う聖獣の豹牙を従えた白藤様が、嫋やかな笑顔を浮かべながら既にお待ちになっていた。
黄金の簪を髪に刺し、黄色味を帯びた薄衣の華服を纏う白藤様は、まるで陽だまりのような暖かみのある美しさを漂わせている。
控える蒼狼と豹牙も無表情ながらも己の役目をしっかりと理解した締りある表情で、言葉を発することなく静かに控えていた。
―――……こいつらも随分見れるようにはなってきたな。まぁ口を開けば全てが台無しにはなるが。
俺は白藤様の御前に進み出て膝を突くと、最敬礼の姿勢を取ってご挨拶を述べた。
「お待たせして申し訳ありません。仰せの通り、黒虎の草をお連れいたしました」
「御苦労でありましたね、唱鶏。妾が待ちたかっただけですので気にしないで下さいね」
白藤様はそう言うと、視線を滑らせ俺の隣で俺と同じように跪く草に目を向けた。
黒虎の草はまるで時を止めたように微動だにせず、口を開こうともしない。―――俺が教えた事を忠実に守っていた。
そんな草に白藤様は嬉しそうに微笑むと、そっと御声を掛けられた。
「見違えましたね。面をあげてください」
草は無言で顔を上げる。
白藤様は口元を覆い隠した草の目を覗き込むと、一層嬉しそうに微笑まれた。
「そなたと逢うたのは、これで二度目にございますね。今、そなたはなんと呼ばれておるのか妾に教えてくれますか?」
「何とも呼ばれてはおりません。私に名はございません」
白藤様は驚いたように目を丸めると、俺に顔を向けて言った。
「まぁなんと……。唱鶏、是迄この子を呼んでやることはなかったのですか?」
「はい。必要がありませんでした。それに一月を生き残れぬ者に名を与えるのは無駄だと思い、敢えて呼び名を付ける事もありませんでした」
そんな粗雑な扱いをしていた事をお怒りになるかもしれないと思いつつ、俺は正直に答えた。
白藤様は呆れたように小さく息を吐かれたものの、その後は予想外にも笑顔を向けて下さった。
「そうでしたか。唱鶏に全てを任せておりましたからね。様々な事を考え抜き、よくこの子をこうしてここまで連れてきてくださいました」
特に深く考えていたわけではない。……だがその労いの言葉は胸の奥にじわりと染み込み、一つの役目を果たせたのだと誇らしい気分になった。
白藤様は続けて俺に尋ねてくる。
「しかし、いつ迄も名がないのは不便ではありますし……。唱鶏、何かこの子に似合いのよい名はありませんか?」
「さぁ、分かりかねます。……名付けは白藤様がなさるのでは?」
是迄草には白藤様が名付けてきた。だからこの草も、いずれそうなるのだろうと何となく考えていた。……だが白藤様は言う。
「確かに先んじて旅立つ者達には、是迄妾が名付けてきました。しかしその子は残った。そなたがひと月もの時をかけて引き止めたのです。……今を入れ、たった2度の顔合わせしかしたことのない妾より、唱鶏の方がその子の事を存じおるでしょう。そなたが名を考えてやりなさい」
白藤様の言葉に俺は押し黙り、首を傾げて草を見る。
こいつも俺などより白藤様に名付けられた方が喜ぶだろうに……。
そんな事を思いつつ、隣でよそ見一つすることなく静かに前を向く黒虎の獣人を、俺はじっと見つめた。
そして、ふと思いついた名を口にする。
「―――私なら、この者に“黒耀”と名付けます」
途端、白藤様のお顔がぱっと花開くように綻んだ。
「黒耀……確か黒く硬く美しい、そしてよく斬れる石刀にも使われる石の名でしたね。黒い髪と強い心を持つその子に、ピッタリのよい名ではありませんか」
何となく思い付いた名に仰々しい意味を見出されて、俺は思わず一言訂正を入れた。
「火を吹く山に行けば、いくらでも転がっている屑石です。……しかし白藤様が良いと仰られるのであれば、今後はこの者を黒耀と呼ぶことに致します」
白藤様は笑顔で頷き、また黒耀の方に視線を戻した。
「これより妾等はそなたを黒耀と呼ぼうと思います。よいですか?」
「はい。―――……っあ、あのっ……」
白藤様の言葉に黒耀は何故か俺を振り返り、珍しくも何か言いたげに言葉を詰まらせていた。
そんな黒耀に白藤様が不思議そうに尋ねかける。
「どうかされましたか? 何かあるなら気にせず言うてみて下さい」
「はい。名を頂き大変嬉しく思います。―――つきましては感謝を申し上げたかったのですが、彼の方の名は知れど、名乗っていただいた事がなく……その……何とお呼びして良いのか思い至らず言葉を詰ませてしまいました」
黒耀の話に白藤様は目を丸め、今度こそ頬を膨らませて俺を睨んできた。
「―――……まったく唱鶏は……。名付けを渋ったのはぎりぎり分かるとして、自身を名乗ってすらいなかったとは、流石に物草が過ぎるのではありませんか?」
「この一月、不都合がなかった為忘れておりました」
「なら改めて名乗りなさいっ。今すぐですよっ」
お叱りを受けた俺は肩を竦めて黒耀に向き直る。
そして一月越しに改めて名を名乗った。
「白藤様の神獣・唱鶏だ。……何とでも好きに呼べばいい」
黒耀は蒼狼や豹牙と違い表舞台に出ることがない。
一応、白藤様のお目汚しにならないよう作法は多少教えたものの、黒耀にこの帝国の地位や役職等は関係がないのだ。
だから俺への敬称なども不要だと思っての言葉だった。
黒耀は俺をじっと見上げて、思考するかのように沈黙する。
それから小さく頷いたかと思うと、ゆっくりと丁寧な口調で俺に言った。
「―――ならば、爸爸とお呼びしても宜しいでしょうか」
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