天の星と地上の屑石 八
「執刀だと?」
俺が思わず問い返すと、豹牙は檻の中の蹲る草に目を向けながら淡々と話し始めた。
「はい。ぐらついている爪ですが、外した方が良さそうですね。右手全てと左手の親指と人差指は骨が砕け、撃ち込まれた鋼が外れてるので、指骨の癒着を阻害してしています。というか既に擦れて化膿が始まりかけてますし、放置すれば何れ肩から切り落とす他無くなるでしょう」
俺はじっと豹牙を見る。
まだ幼さすら残す若いその獣の目には、今までなかった意志の光が宿っていた。
理想という夢を見ながら流されるだけではなく、己の望むように未来を変えようと足掻く者の目だ。
俺は立ち上がり、豹牙の隣りに立つと同じ様に檻の中に目を向けながら尋ねた。
「爪は外せるのか?」
「骨と分離してる今なら、少し肉を切ればいける筈です」
「お前がやるのか?」
「はい。白藤宮の医師とはいえ、流石に皇帝陛下の遣わした宮廷医には頼めないでしょう。……とはいえ、技術等皆無の書で読んだだけの素人に違いありませんので、上手くできる保証などありませんが」
「当たり前だ」
出来るわけがない。だが、豹牙はなんとしてもこいつを生かす心づもりなのだという事は読み取れた。
どうせ俺が何もしなくてもこいつはまもなく死ぬ。
だから豹牙に預けるつもりで俺はいたのだが、俺の沈黙に豹牙は何を勘違いしたのか、言い訳でもするように言葉を重ねてきた。
「あ、あの……未熟な私に預けるご不安は分かります。白藤様に任され以来、唱鶏殿が心血を注ぎ生き延びさせてこられた者なのですから。しかし私もいずれ時が来れば、重い鋼鉄からあの者を解放してやりたいと思い、以前よりかの石碑に通い鋼鉄の爪と牙の仕組みを星達の遺品で調べていて……」
「黙れ」
「はいっ」
余計な言葉を連ねる豹牙を一括すると、豹牙は肩を跳ねさせ黙り込んだ。
一つ言えば、俺は草に心血など注いだことはない。
どちらかと言えば、白藤様に任される仕事の合間を縫ってまで石碑に通ったという豹牙の方が、こいつらを念頭に置いているのではないだろうか。
―――……だが意外ではあった。
俺は豹牙ならば、真っ先に「無駄だから」とこいつらを処分したがると思っていたからだ。
「豹牙。そいつの爪を外してやれ。ただし麻酔や眠り薬は使うな。また禁断症状がぶり返す。眠らせるだけなら俺が絞め落としてやる」
「は……はい!」
「それに例え死んでも元々死ぬ運命にあった奴だ。気負う必要はない」
俺が腕を組み、そう豹牙に言うと、豹牙は不思議そうに俺を見上げてきた。
「獣人は生命力が強いですから、この程度では死にませんよ」
「……」
俺は思わず絶句する。
そしてふと気づいた。
この草が死ぬことを気負っているのが、俺だけだった事に。
豹牙も蒼狼も気にはすれど、草の事を元より然程心配などしていない。
口を突いて出た“気負う必要がない”等という言葉も、それは俺が自分に言い聞かせていただけなのであった。
◇
こうしてその日、草に打ち込まれていた鋼鉄の爪七本が外される事となった。
骨の砕けていない左手の中指、薬指、小指の爪については今回は見送る事に決めた。
そして顎骨に打ち込まれた鋼鉄の牙も、それは取り外すには更に骨を裂かねばならないと言う事で、現状そのままにしておく事にした。
麻酔もない状況での素人による施術。しかも、その後の処置にも薬品に過剰反応をしてしまう草には、酒による消毒程度の処置しか施せない。
術後の傷口が放つ熱は草の全身に回り、その晩、草は高熱を発しながら目覚める事なく眠り続けた。
翌日の明け方、俺は尚も眠り続ける草を置いて、そっと地下訓練場を出ると庭園へと向かった。
◇◇◇
外に出るのは久しぶりだった。季節はすっかり秋を迎えていて、朝の風はひんやりと湿っている。
俺は足の赴くままに庭園を歩き、池の小島にそびえ立つ石碑を眺め、また歩いた。
暫く行くと庭園に置かれた巨岩の下に青い実を付けた宿根草の茂みが目に映り、俺は足を止めた。
そして近くの生垣に向かって声を掛ける。
「おい庭師」
「はっ!」
直後、完全に庭と同化していた庭師が生垣の裏から出てきて膝を突いた。
緊張しているのか、この涼しい空気の中で汗をかいている。
俺は震える庭師に尋ねた。
「これはヒオウギだな」
「はいっ、仰る通りにございます。冬に向けぬば玉を実らせようと花後の実を残していたのですが、お見苦しかったでしょうか? あっ、その! “ぬば玉”というのはこのヒオウギの実の通称で……」
人を無知だと思って余計な説明をくれてくる庭師を俺は睨んだ。
「知っている」
「はっ、さようで! 申し訳ございません!」
震えて地に額を擦り付ける庭師を、俺は鬱陶しく思い見下ろしながら用件だけを言った。
「その花の茎を、何本か貰っていいか」
「え? は、はい勿論。直ぐにお取りしましょう」
庭師は驚いたように頷くと、すぐに鋏を手に茂みに近づいて行った。
そして鋏を入れる前にふとこちらを振り返り、おそるおそると尋ねてくる。
「あの、……ところで何にご入用で?」
「鎮痛薬を煎じるのだ。気休め程度の効果しかないだろうがな」
「あぁ、なる程。……このヒオウギの効能をよくご存知ですね。では長めに切っておきましょう」
庭師はそう言うと、手際よく二十本ほどの青い実のついた茎を根本から切り取り、俺に渡してきた。
瑞々しく太い、しっかりしたその茎を受け取り俺は頷く。
「立派な物だ。流石だな」
「……あ、ありがとう……ございます」
どもりながら答えた庭師をふと見れば、庭師は何故か鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「……何だその顔は」
俺が眉を顰めて問い質せば、庭師は慌ててそれに答えた。
「え? あ、申し訳ありません。ただ意外で……。唱鶏殿に草木の心得があられたとは……」
「そんな心得などない」
「え? しかし今……」
俺は庭師の言葉をそれ以上聞くことなく、踵を返して歩き出した。
そしてヒオウギの茎の束を抱え歩きながらふと思う。……そう言えば一体何故、俺がこの草の効能なんかを知ってるのだろう?
俺がそんな事を考えながら空を見上げた時、たまたま目に入った明けの明星が瞬いた。
同時に、すっかりと忘れ去っていた声が脳裏に響いた気がした。
“―――唱鳳”
それは遠い昔、深い山陰の小路を歩いていた俺に、よく斜め上方から掛けられた小五月蝿い声。
“―――唱鳳。秋のヒオウギの茎には鎮痛と解熱の効果があるんだよ。止血にはチドメグサにガマの花粉。それから咳には桔梗の根っこ。スギナは解熱でヨモギは万能、睡蓮の種は……って、唱鳳。ねぇ、聞いてる? 疲れたのなら手を繋ごうか……”
地に立つ俺は草の束を抱えたまま、遥か遠くの空の星を見上げ、ポツリと呟いた。
「……あぁ。あれか」
かつては、まるでつまらない経文のようだと思っていたその声。
鬱陶しいと振り払ったあの手。
懐かしいとは思わない。
帰りたいとも思わない。
―――ただもう少しあの話を真面目に聞き、一度くらいあの手を取ればよかったと、今更になって少し後悔をした。
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