天の星と地上の屑石 七 ◇唱鶏視点◇
唱鶏と草の続きです。
《唱鶏視点》
―――草をここに連れてきて16日目。
その日の日暮れ前、護衛獣郡に行っていた蒼狼と豹牙が戻ってきた。
俺はいつもの夕刻の報告を済ませ、二人には業務的な挨拶だけを交わすとまた地下に戻る。―――草の状態は芳しくなかった。
体中の打撲傷は黒く染まり、外れかけてグラついた鋼の爪の付け根は膿が溜まって腫れ上がっている。
包帯は巻いてあるが、日に三度交換しなければ滲み出す膿が包帯の下から異臭を放った。
やった俺が言うのもなんだが、随分痛々しい姿だった。
……それにしても傷の治りが遅い。
それは毒抜きの為の断食で体力が落ちていた事に加え、手当しようにも白藤宮に常備されている薬を使うことはできないせいだろう。
この白藤宮に上げられる調薬の全ては朱蘭が抱える薬師・貂亮という女が行っており、それ以外の薬を入手することはできないようになっている。
そして貂亮の調薬した薬には、尽く鎮痛効果のある芥子が僅かに含まれていた。
実際芥子は調薬次第で万能な良薬となる。
しかし無理やり過剰摂取をさせられ、毒漬けにされていた草にとっては、例え僅かでもあの禁断症状の引き金となってしまうのだった。
出来ることと言えば、腫れた患部に泉の冷水を充て冷やしてやるか、食事を取らせて体力を回復させるくらいだった。
“―――生きたい”
こいつはそう言った。
今だって傷だらけの体で、懸命に俺が差し出す匙に食らいつき、苦しげな表情を浮かべながら粥を飲み込んでいる。
生きる意思はある。……だが、意思だけで生き延びられるなど幻想だと俺は知っていた。
―――誰しもが生きたいと願うのに、死は容赦なくその願いを刈り取っていくのだった。
途中えづきながらも、なんとか一皿の粥を食い切った草に俺は言った。
「寝ていろ」
「……ぁい」
草は消えそうな小声で返事をすると、檻の隅に丸まり眉間にシワを寄せて目を閉じた。
俺は空になった器を乗せた盆を手に檻を出る。
それから泉の水で食器を洗っていたが、ふと自分の眉間にも深いシワが寄っていることに気付いた。
……気分が重い。
あの時俺は、確かにあいつが死んでもいいと思って打ち付けた。なのに今になってどうにも歯痒いのだ。
確かこの憂鬱さには呼び名があった。なんと言ったか……
そう。―――……“後悔”だった。
◇
洗い終えた器は、次の食事を取りに行く時に返すことになっている。
泉の側に器を並べ干した俺は、檻の前の椅子に座った。
草は俺が言った通り眠ったようだ。
だが相変わらず眉間にはシワを寄せたままで、熱でも上がってきたのか、額にかかる髪が汗でペタリと貼り付いている。
俺がまたいつものように木片を削りながら、時たま寝返りを打つ草を眺めていると、白姫の塔へと続く階段の方から喧しい足音が響いてきた。
……更に気分が滅入る。
だがそんな俺の気など知らず、現れた人影は無駄に元気で耳障りな声を上げた。
「お疲れさまです唱鶏殿! 長らく休みを貰いましたが、また訓練をよろしくおねがいします!!」
蒼狼だった。
俺は首だけ回し視線を向けると、手にしていた小刀を蒼狼に投げつける。
蒼狼は一瞬驚いたように固まるが、刹那得物である三節棍を抜き放つと眼前に迫っていた小刀を弾き落とし、そして叫んだ。
「あ、あぶっ……急に何をなさるんですか!? それに普通投げるにしても木片の方でしょう!?」
「喧しかった」
「答えになってません!」
「黙れ」
キャンキャンと吠える仔犬に、後からやって来た豹牙が呆れたような視線を送っている。
そして肩を竦めながら落ちた小刀を拾い上げると、それを手に俺の方に歩み寄ってきた。
「唱鶏殿。白藤様より言い使った役目を終え帰城致しました。本日より、また手解きの程をよろしくお願いいたします」
以前教えた足音を立てない歩み方。それに起伏のない、感情を読ませない口調の報告。
内容は蒼狼と大して変わらないが、それは似て非なるものであった。
俺は差し出された小刀を受け取りながら豹牙に言う。
「フン。仔犬の物言いを聞くに遊んできたのかと思ったぞ」
「いえ、その様な事は決して……」
豹牙の目が泳ぐ。
駄犬程でないにしろ、豹牙もまだ未熟もいいところであった。
だが、どうにも気の乗らない俺は、それを口にする事なく、端的に指示を出した。
「まぁいい。だが今日の訓練は外の訓練場で勝手にやってこい。草が寝ているから洞内で喧しく騒ぎ立てたくない」
俺の言葉に豹牙と蒼狼が当時に檻へ目を向ける。
直後、蒼狼が檻に駆け寄るとまた慌ただしく騒ぎ始めた。
「え!? ちょっと見ない内に、この子凄い傷だらけになってるんですが……! まさか唱鶏殿がやったんですか!?」
見れば分かるだろう。それにいちいち癪に障る奴だ。
次いで隣で豹牙も大きく目を見開き、驚愕に身を震えさせながら言う。
「包帯が巻かれてる……? 手当てなんて一体誰が……まさか唱鶏殿がやったんですか……!?」
俺でなければ誰がやる? どいつもこいつも一体俺を何だと思っているんだ。
奴等が喧しく騒ぐ中、草はとうとう目を覚ましたのか耳だけを忙しなく動かし始めた。
だが俺の言った「眠れ」という言葉を頑なに守っているのか、草は決して目を開こうとはしない。
そんな草に免じ、俺は駄犬と臆病猫を蹴り飛ばしたい衝動を抑えて奴らを睨むに留めておいた。
とはいえ以前ならそれでも蒼狼は黙り込み、豹牙に至っては我関せずと目を背けていた筈だった。
だがその日、豹牙は怯えながらも俺に更に声を掛けてきた。
「……あの、唱鶏殿。もし良かったらですが、私にもその者の傷を診させてもらえませんか?」
「医者でもないくせに診れるのか?」
突き放すようにそう返したが、豹牙は緊張した面持ちではあるものの俺をまっすぐ見据え、深く頷き答えた。
「はい。唱鶏殿が学んでおけと申されたでしょう」
……言ったか? いや、そういえば確かに以前言ったな。一度白藤様より御指示を受け、豹牙にそう伝えた事がある。
だがそれはまだ一月も経っていない少し前の話だ。
大した期待もなかったが、俺は豹牙に鍵を投げ渡して言った。
「診たいなら診ればいい。好きにしろ」
だが鍵を受け取った豹牙の表情は何故か優れない。
「はい。……あ、あのただコイツ、暴れたりはしませんか?」
……成程。
確かに豹牙の地力では、この弱りきった草にも及ばない。
それに手負いの獣の方が厄介だという事も常識であった。
万が一草がその気になれば、豹牙は檻に入った途端、どこかしらの部位を失う事になるだろう。
そして世話を任されている俺は、白藤様よりお咎めを下される事になる。
だが俺は即答し、断言した。
「しないな」
「ほ、本当ですか?」
「今そいつは眠っている」
「いやしかし……っ、―――いえ。私が言い出したことでした。それでは鍵をお借りします」
そう言った豹牙の顔は恐怖に引き攣り、鍵を開けようとする手は震えていた。……まぁ、分からなくはない。
草の耳は相変わらずこちらを窺うようにピクピクと動き続けていて、起きている事は明白だったのたから。
……だがこの草なら、きっと俺が「起きろ」と言わない限り何をされても、死ぬまで寝た振りを続ける。―――そんな気がしたのだった。
◇
診察の間、草はやはり豹牙に襲い掛かることはなかった。
膿の滲む鋼の爪の付け根を動かされた時も、折れた肋骨の上を触診された時も、痛みに耐えるよう眉間を震わせながら草は眠りつづけていたのだった。
そして、程なくして檻から指一つ欠けさせることなく出てきた豹牙だが、意外なことを口にした。
「唱鶏殿。今から私に、この子の執刀をさせて貰えませんか?」
先日、産まれて初めてファンアートなるものを頂きました。貧血になりそうなほど感動いたしました……!
また、頂いた絵は活動報告にて掲載させていただいております。
心よりありがとうございました!




