狼と獅子 下
そしてふと思う。
……本当に、この人は白藤様の様子をただ見に来ただけだったのかな。
オレには未だ駆け引きなどがいまいち良く分からないから、何も分かっていないだけなのかもしれないけど。
それから白藤様は、そんな獅王様と親しげに話を始めた。
「相変わらずですね獅王は。そなたは昔から、上帝様のご機嫌が悪い時も、こっそりと妾を気遣ってくれておりましたね」
「そうでしたか?」
「そうでしたよ。―――蹲る妾を抱き上げては泣かないようにと言いきかせ、そして懸命にあやしながら甘い菓子を差し出してきた時など、思わず笑ってしまったのを覚えています。帝国最強の武人が、かような幼な子に慌てふためいていたのですから」
「いえ……。それにあの頃は、白藤様は間違いなく幼児でしたでしょう」
「それでも、あの頃にそう扱ってくれたのは獅王だけでした」
昔話を懐かしそうに語る白藤様に、獅王様は少し照れながら笑っていた。
そしてその様子からは、やはり白藤様に対する敵意は欠片も感じ取れない。いや寧ろ……―――。
「それでは、白藤様のお元気そうなお顔も見れたことですし、私はこれで失礼致します」
「そうですか。唱鶏には妾より重々言い聞かせておきます故、また折を見て茶でも飲みに来てくださいね」
「光栄です。では」
獅王様はそう言うと、白藤様に一礼をして踵を返した。
そして、そのまま何も言わず去っていく。
―――自分が本当は何者であるのかも、白藤様を本当はどう大切に思っているのかも、獅王様は何一つ言わずに……。
オレは去っていく獅王様の背に、大きな声で声を掛けた。
「獅王様! 先程の件についてですが、しかと頼まれました!」
何も語らない。そして秘密を守る為にこんなオレみたいなガキに“頼む”と頭を下げる。―――その理由は、白藤様を不幸にさせない為に……。
その不幸と言うのが具体的にどんなものなのか、未熟なオレには未だ分からない。
だけど、白藤様が望まれない限り、オレが敢えてこの事を話す必要はない筈だ。白藤様を不幸にはさせたくないと願うのはオレだって同じだ。
オレの言葉に獅王様は振り返り、白藤様に向けていたのと同じ、優しい笑顔を浮かべながら頷いた。
「頼まれてくれるか。恩に着る。貸し一つだな」
「いえ。こんな事を貸しにすれば、私の生涯の恥となるので結構です」
これが白藤様の為なら、貸しなどになる筈がない。……そう思っての言葉だったのだが、獅王様は何故か驚いたように数拍程オレを見上げていた。
「そうか。余計なことを言った。……ではまたな」
「はい。またいずれ」
オレもまた頷き踵を返すと、白藤様と共に白藤宮へと向かって歩き出した。
石段を登っていると、ふと白藤様がこちらを振り向き、好奇心に目を輝かせながらオレに訊いてきた。
「蒼狼、さっきの話、獅王に一体何を頼まれたのですか?」
「それは神獣同士の秘密です」
オレは具体的に“自分の父親は何者だろう?”と問いかけられない限り、この内容について答えるつもりはなかった。
だがそんなオレの回答に、白藤様はプクリと頬を膨らまし、睨んでるつもりなのか上目遣いでオレを問い詰めてきた。
「妾にも内緒なのですか?」
「ゔ……な、内緒です」
オレは今にも心を折られそうになり、視線を逸らせながらそう答えた。
白藤様は諦めたのか小さく肩を竦め、この話はこれ以上訊こようとはしなかったが、代わりに聞き慣れない言葉を呟いていた。
「しかし上帝様と妾、それから円母にしか心を許そうとしなかったあの獅王が……。蒼狼のコミュ力は相変わらずチートですねぇ」
「コミュ力?」
「い、いえ、それより……」
オレは聞き返したが、白藤様はそれに答えることなく、もう目の前まできていた白藤宮の正門へ小走りに駆け込んだ。
そして振り返り、まだ一歩敷居を跨いでいないオレに向かって嬉しそうに言う。
「おかえりなさい、蒼狼」
その言葉に、オレはふと初めてこの門をくぐった日のことを思い出した。
まだ何も識らなかった頃、オレは自信もなく、分不相応な執り成しへの不安を隠そうと必死で虚勢を張っていた。
内心ではいつ追い出されるのかとずっとビクついてた癖に、それでも無様にしがみつき続けた。
……うん。しがみつき続けて、ホント良かった。
だってこうして、白藤様の側にオレの居場所がちゃんと出来たんだから。
オレはもう、卑屈になる事もなくその権利を当然のものとして受け止め頷いた。
「はい。只今帰りました」
そしてオレは白塗りの門をくぐり抜けると、白藤様と共に傾き始めた日に照らされた白藤宮に向かって歩き出した。




