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狼と獅子 中

 石段の上からオレが獅王様を見下ろしていると、獅王様は一拍後にはその表情を収め、朱蘭様の側に控えている時のようないつもの無表情になった。

 そして、金色の目だけでオレを睨みつけて訊いてくる。


「何を言ってる? そんな馬鹿な妄想、どうやって思いついた?」

「別に思いついた訳ではありません。寧ろ気付いた時には私自身、信じられずに何度も確認したほどですし」


 獅王様は踵を返しこちらに向き直ると、警戒を顕にオレに言った。


「何に気付いた? 何を確認した!? ―――答えろ蒼狼」

「匂いですよ。白藤様と同じ匂いがしました」

「そんな訳があるか。そもそもお前の鼻には俺の臭いなど感じ取れていないはずだ。適当なことを言うな」

「適当ではありません。確かにその着物に染み付いた()の臭いのせいで、獅王様の表皮の匂いは分かりません。……しかし、こうして言葉を交わす時の吐息には、隠しようのない臓腑の匂いが混じってくるのですよ」

「……っ」


 獅王様は言葉を詰まらせた。……いや、オレと言葉をかわすことを拒絶したんだろう。今更だけどな。


「だけど心配しないでください。オレのように白藤様御本人の匂いを細胞レベルまで覚え込まなければ、まず分かりません。―――そして今後は白藤様の匂いをかごうとする様な変態は、オレと唱鶏がこの命に替えても輩出させませんので」


 オレが決意を見せるように拳を握りそう宣言すると、獅王様は口元を手で隠しながら尋ねてきた。


「白藤様には言ったのか?」

「いえ。気付いたのが今ですし」

「絶対に言うなっ!!」

「っ」


 ここにきて獅王様は初めて牙を剥き、まるで射殺さんばかりにオレを睨んできた。

 オレは怯みそうになる気持ちを唾とともに飲み下し、睨み返す。


「し、獅王様の命令はきけません。私が唯一従い、私に命じる事ができるのは白藤様だけですから」

「その白藤様が不幸になるのだっ! だから余計な事は言うな!!」

「……っ」


 オレの懸命のイキリなどまるで意に介さず、獅王様は捻じ伏せる様にオレを怒鳴りつけた。


 ―――だが確かに、この事実が世に出たとして、獅王様の言う通りそれは白藤様にとって不利でしかない事は明白。

 帝国の法で、人と獣人の間に生まれた鬼子は親子諸共に斬首刑とされているのだから。

 だけど、なら何故朱蘭様はそんな法を侵すようなことをしたのだろう? 一体何故……?


「何故……?」


 オレが獅王様に問い掛けようとしたその時だった。


 ふとオレの背後の石段上から、澄んだ美しい声が響いてきた。


「蒼狼ーっ」


 オレがハッとして振り返ると、何故か石段を駆け下りてくる妖精が目に映った。


 ―――柔らかな純白の華服を纏い、透き通った黄色い長衣と羽衣を翻し、頬を上気させながら眩しい笑顔で手を振りながらオレを呼ぶ白藤様……―――何故ここに?


「蒼狼―――っ」


 オレは思わずその場に蹲るように膝を突いた。


 っっ4日ぶりの白藤様は、オレにはまだ刺激が強過ぎましたぁッッ!!


 そしてかつてオレが初めて入宮した日、初めて白藤様と対面した時に感じたような胸の高鳴りに悶えていると、ふと背後から、獅王様の低い声が聞こえた。


「―――頼む」


 そしてその直後、オレの頭がふわりと白藤様の腕に包まれた。


「蒼狼っ! ようやっと帰ってきてくださいましたね! 妾はこの4日、そなたに会いたくて会いたくて気が狂ってしまいそうにございましたっ」


 オレもたった今気が狂いそうですっ。

 細い腕に頭を抱き締められ撫で回されながら、オレは倒れてしまいそうになる自分を必死で奮い立たせていた。


「先に戻った豹牙から、まだ紫晶門の石段に蒼狼がいると聞き、いても立ってもおられず来てしまいましたっ。あぁ、本物の蒼狼……はぁー……」


 硬直するオレを、白藤様はまるで補給とばかりに暫く撫で回し続けた後、白藤様は今更ながらオレの背後で膝を突く獅王様に声を掛けた。


「獅王、久しいですね。上帝様はお変わりないですか?」

「はい。一月ぶりにございます。朱蘭様はお元気ですよ。相変わらず寝る間も惜しみ執務にあたられておりますが」

「まぁ……。この時期は新たな雛達の配属や大名達との決算と忙しい時期ですからね」


 そう言って心配げに眉をひそめる白藤様。

 そんな白藤様の顔色をうかがうように、獅王様はポツリと付け加えた。


「それでも、白藤様に会いたがっておられました」

「そう……。妾もお会いしたい。だけどこんな妾の気持ちがはやって、お忙しい上帝様のお仕事を煩わせてしまわない為にも、今は我慢しなければならないですね。―――一月後、皇族による秋の定例会がございますでしょう? その時お会いできる事を、心より楽しみにしているとお伝え下さい」

「御意に」


 一見なんてことのない会話。

 だが、ここに来て女官達との会話で、言葉尻を察する訓練を積んだオレにはこう聞こえた。


 “そろそろ本宮に顔を出せ” “あと一月は、会うつもりはない”と。


 しかしその会話の様子は始終穏やかで、本当は敵対などしていないのかとすら感じてしまう。

 その時、白藤様はその話は終わりとばかりに話題を変えた。


「しかし、獅王が何故ここに?」

「やはりご存知ありませんでしたか。白藤様が御息災であられるかとご挨拶に来たのです。……しかし唱鶏に門前払いをくらい、今引き返そうとしていた所で」

「まぁ、唱鶏が? それは難儀な事をしてしまいましたね。知っての通り、あの者は命じたこと以外は物ぐさなところがありまして」


 ……流石唱鶏殿だな。白藤様にご報告すらしてい

なかったとは……。

 オレが呆れすら通り越しただ感心していると、口を尖らせる白藤様に獅王様がふっと優しげに笑いかけた。


「お気になさらずに。こうして白藤様の健康な御姿が見れて十分ですから」


 そう言った獅王様の顔が本当に嬉しそうで、オレは思わずその表情に見入ってしまった。


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