狼と獅子 上 ◇蒼狼視点◇
《蒼狼視点》
その日、朱ノ三を後にしたオレと豹牙は、正午過ぎには市井に戻ってきていた。
そこでオレ達は簡単な昼食を取り、道中で売られていた小鳥を一羽購入した。
これは白藤様からお使いとして頼まれていたもので、小鳥といっても雉鳩程の大きさがあり、南国から海を渡ってきたという珍しいモモイロインコとかいう鳥だった。―――なんでも、白藤様が今後ペットとして飼うらしい。
四日前、鳥を一羽買ってくるようにと言われ、信じられない程の大金を渡された時は相当驚いたが、実際その鳥の値段を見て溜息が出た。
……ホントにこんな高かったのか、と。
それからついでに唱鶏殿への土産物やらを買い、着物を着替えてオレ達は城壁へと向かった。
数日ぶりに着る神獣の衣は、浮き足だった気分を落ち着かせてくれる。
幸い手にした鳥籠の小鳥は静かにしてくれていたので、オレと豹牙は特に注意を受けることもなく第2城壁を抜け、文官府の大通りに向かった。
背を伸ばし、静かに道の真ん中を通り抜けていると、文官達は足を止め、ひそひそと口汚い囁きをこぼしながらじろじろと見てくる。
オレはその視線にふと不安を覚え、気の短い豹牙をちらりと見たが、豹牙は意外にも気にした素振りを見せず、涼しい顔をしていた。
そうして何事も無く行政府も通り抜け、紫晶門をまで来たオレ達だったが、長い石階段の途中にふと見慣れぬ者が立っていることに気づき、オレと豹牙は同時に歩みを止めた。
すると向こうもこちらに気付いたようで、ゆっくりと階段を降りて来る。
それは腰に血の匂いの染み込んだ大刀を携えた金の髪の男。―――朱蘭様の神獣、獅王だった。
その存在に気づいた瞬間、文官達の悪態にも動じなかった豹牙が、突然毛を逆立てて臨戦態勢に入る。
獅王はそんな豹牙をあえて挑発するように、帯刀した剣の柄に手を掛けながら、ゆっくりとした足取りで石段を下りてきた。
そして軽い口調でオレ達に声をかけてきたのだった。
「お前達、護るべき主の傍らを離れどこに行っていた?」
その瞬間、オレはふとある匂いに気付き目を見開いた。
それは予想だにしていなかった匂い。……あまりに予想外過ぎ、信じられずに身を強張らせていると、隣りにいた豹牙が闘争心を顕に怒鳴り返した。
「答える義務などないっ! お前こそ、ここで何をしていた!?」
毛を逆立てる豹牙に、獅王はチラリと目を向け、低く唸るように言った。
「……あの時の子猫か。聖獣ごときが偉そうに。口の利き方に気をつけろよ」
大した威嚇もされていないのに、獅王の放つ威圧で肌がピリピリと震える。
そして、またその声とともに漂ってきた匂いに、オレは先程気付いた事に確信を持ったのだった。
オレは獅王の……いや、獅王様の匂いを更に確かめる為にスンスンと鼻をひくつかせながら、そっと豹牙と獅王様の間に身体を滑り込ませた。
何故ここに獅王様が居るのかは分からないが、ここで因縁を付けられでもしてやり合いになれば、とてもじゃないが勝てる相手ではない。
なんとしても打ち合うことなく、穏便にここをやり過ごさなければならなかった。
とはいえ、神獣のオレが下手に出れば、白藤様の沽券に関わることにもなる。―――どんな窮地に陥っても、神獣であるオレが白藤様以外に下ることがあってはならないという事は、唱鶏殿から何度も言われていた“腹心としての心得”の一つであった。
オレは豹牙を手で制しながら、獅王様をまっすぐ見上げて言った。
「こちらの聖獣が無礼を働きました。普段は落ち着いたものなのですが、先日私の主ではない不審な者に絡まれたようで少し気が立っているのです。……もしやその不審な者をご存知ではありませんか?」
……白藤様は豹牙に“命令”を下したのは、おそらく朱蘭様の手の内の者だと言っていた。だとすれば、その神獣である獅王様が知らない筈がない。
―――シラを切らせてやるから、剣を納めろ。そう言ったつもりだった。
そしてそれが通じたのか、獅王様は刀から手を離し首を傾げた。
「知らんな。成程、そういう事なら確かに警戒しても仕方ない。災難であったな」
白々しい……と、ボソリ毒付く豹牙に、オレは手にしていた鳥籠を押し付けて小声で言った。
「豹牙。これを持って先に戻っていてくれ。どうやら朱蘭様はご一緒ではないようだから安心して行っていいぞ」
「お前は?」
「少しお話をしてからいく。―――心配しなくても、白藤様の許可無く勝手に入宮させたりはしないから」
「……分かった」
豹牙は頷くと、獅王様を睨みながらも軽く一礼をし、白藤宮へと続く石段を駆け上がっていった。
そんな豹牙を視線だけで送りながら、獅王様がオレに言う。
「友人を逃したつもりか?」
「友人じゃありませんし、逃げる必要などないでしょう。ただ白藤様様より言い使っていた品に“ナマモノ”がありまして、先に届けさせようと思ったまで」
「生物?」
「ええ。……それから私達が今迄なにをしていたか、ですか? 間もなくそちらの耳にも入るかと思いますが、“白藤様のお気に入りの獣”に祝事の席があり、そちらに参列してきたのです」
別に隠す必要のない事だったので、オレは獅王様の質問に淡々と答えていった。
「呑気なものだな」
「そうですね。―――それで獅王様は、ここにどの様な要件で?」
こちらは話したのだからそちらも話すべきだ。
そんな意味を暗に込めて尋ね返すと、獅王様は溜息混じりに話しだした。
「白藤様のお顔を見に来ただけだ。……以前来た時は“正門から来い”と唱鶏に言われてな。今日出直してみれば“公式の神獣が留守にしているから会わせられん”などどのたまってきた。……公式ではなくとも奴とて正式な神獣だろうに……」
……流石唱鶏殿だな。いつもは無駄に神獣を強調してくる癖に、こんな時だけ非公式を笠に着る……。
オレは尊敬の念すら感じながら、そのふてぶてしさに呆れた。そして、ふと思い立って獅王様に念を押しする。
「それはそれは……。ですがさっきも話した通り、私は宮を離れいていた為、これから白藤様にご報告せねばならぬ事が沢山あります。ですので、私がこうして帰ってきたからと言って、本日押し入るのは止めてくださいね。すみませんが、唱鶏の言った通り今日も出直して下さい」
「……お前も相当だな」
四日ぶりに白藤様に会えるのだ。邪魔などされたくはない。……そんな本心が透けて見えてしまったのか、獅王様は深い溜息を吐いて、オレの横を通り抜けようと歩き出した。
だがその時だった。突然獅王様から漂ってきていた“血の匂い”が濃くなった。
腰に携えられていた剣が抜き放たれたのだ。
オレは反射的に三節棍を構え、躊躇なく振り下ろされた剣戟を受け流した。
うまく軌道を逸らせられたから、オレ自身に剣がかすることはなかったが、逸れた剣の切っ先は石畳に深い溝を刻み込んでいる。
……本気かよ。唱鶏殿に反応と瞬発力を叩き上げられてなきゃ死んでたぞ。
背筋に冷たい汗が流れた。
「……何のつもりですか獅王様っ」
「別に。口ばかりデカい、遊び呆けている仔犬に少し不安を覚えてな。この程度も受け流せないなら、その神獣の枠が空席であったほうがマシだと思っただけだ」
欠片も悪びれずそう言い放った獅王様に、オレは苛立ちを覚え、吐き捨てるように言い返した。
「はっ! ではこうして受けられたからには、獅王様の不安を拭える程の実力はあるって事ですよね」
「へらず口が。この程度で思い上がるな」
「思い上がってなどおりません。もとより、あなたの認可などなくとも私は白藤様の神獣であるわけですからね。だって白藤様の神獣を承認出来るのは、白藤様だけなんですからっっ」
そこまで言い返してオレはふと我に返り、同時に少し恥ずかしくなった。
オレはコホンと小さく咳をすると、気を取り直して獅王様に言った。
「とにかく……今日はもうお帰りください。私は獅王様と剣を交えたくはないのです」
オレがそう、あくまで手合わせする気がないことを伝えると、獅王様はまた小さな溜息を吐いて今度こそ踵を返した。
そして、オレに背を向けたままポツリと言ってきた。
「……一つだけ、神獣の先達として教えておいてやる。神獣であるお前が、俺や他の神獣に“敬称”を付ける必要はない。お前がここで尊ぶべきは白藤様だけでいいのだ」
……本気で斬りかかってきたかと思えば親切にする。飴と鞭のつもりか? よく分からない人だ。
オレは肩を竦めながら、そんな獅王様の忠言に誤解のないように言い返しておいた。
「そうですか。教授ありがとございます。しかし獅王様をそう呼ぶのは、あなたが朱蘭様の神獣だからと言う訳ではありませんから」
オレの言葉に獅王様の歩みが止まる。
オレは声を潜め、獅王様にだけ聞こえる程の小声で囁いた。
「私があなたを敬称でお呼びするのは、獅王様が白藤様の御父上だからです」
その瞬間、勢いよく振り返った獅王様の表情からは、これ迄見せていた余裕は消え失せ、驚愕と焦りに歪んでいたのだった。




