第三話
更衣室で冬用の制服に着替えたあと、エマは狙撃訓練の教官の元を訪ねた。狙撃訓練用のフィールドのすぐそばにある訓練準備室のまわりは、舗装されていないから歩きにくい。日が当たって溶けた霜の水分で、足元がぬかるんでいた。
訓練準備室のチャイムを鳴らすと、しばらくしてスライド式の扉が開いた。
「……エマ・リーデルか。今日の狙撃訓練は見事だったぞ」
教官はエマを見ると、そう言って訓練準備室に迎え入れた。訓練準備室に入るのは初めてだ。教官のデスクの上にはタブレット端末の他に、何冊かの古い本が置いてある。昔の戦術指南書なのかもしれない。ホログラム表示された地形図を消して、教官はエマに座るように勧めた。
「ありがとうございます。……あの、クイニー・グレイが本科に進めないっていうのは、本当なんですか?」
エマの予想外の質問に、教官はコーヒーを飲む手を止め、あごに手を当てた。
「どこから聞いた?」
「本人からです。ルームメイトなので」
「そうか。噂にもなっているようだな。……クイニー・グレイの能力の高さは、我々も理解している」
エマは教官をじっと見つめるが、その表情には変化がない。まるでナイラのような冷静さだ。ナイラよりは言葉数が多いから、意思疎通が取りやすそうだけれど。
「しかし我々が戦うことになる敵とは、相性が悪い。クイニー・グレイにも話したがね。管制科ならと転科も勧めたが、断られてしまったよ」
相性? と、エマはわずかに眉を寄せた。
教官は残念そうに肩をすくめると「君に話せるのはここまでだ。あとは、本人から聞きなさい」とつづけた。
「……失礼しました」
訓練準備室から出たエマは、納得がいかないまま、空を見上げた。空にはさんさんと輝く太陽がある。
先ほどまであんなに寒かったのにと、エマは日差しに目を細めた。イカロスの翼の蝋も、溶けてしまいそうだった。
***
自室に戻ると、クイニーはまだ布団の中で丸まっていた。ごそごそと動くところを見ると、起きてはいるらしい。
「クイニー、お腹空かないの?」
「エマが学校で授業受けてる間に食べてる」
「……そっか」
エマの目がそっとベッド脇に置かれたゴミ箱に向かう。菓子パンの袋や、飲み終えたゼリー飲料などが中に入っている。クイニーが食べたのだろう。エマはほっと胸をなでおろしたが、同時にクイニーの栄養状態が気になった。
布団の中からクイニーの手が伸びて、ベッドに置いてあった携帯型端末を引っ張り込む。布団がぼんやりと明るくなっている。中で画面を見ているのだろう。
「クイニー、晩ご飯は? 食堂から何か持ってこようか」
「じゃあ、ハンバーガー」
「わかった」
「……でも、ハンバーガーなら、ナッティーズ・バーガーの方が好きだな」
ナッティーズ・バーガーは街にあるファーストフード店だ。学生寮を出て少し歩いたところにあって、いつも人でにぎわっている。
クイニーからぽつりと出た言葉を、エマは聞き逃さなかった。
「……行く?」
布団から勢いよく、クイニーが顔を出す。多少むくれてはいたが、以前のように泣いていたわけではなさそうだった。
「エマってさ、そういうとこ、ちょっと空気読めないよね」
「……ごめん」
「いいよ。行こう。ちょっと待ってて」
クイニーの機嫌を損ねてしまったかと一瞬考えたが、悪くない提案だったらしい。クイニーはごそごそと起き出して、私服に袖を通した。
携帯型端末で外出申請をすると、すぐに許可が出た。外食の欄にチェックを入れた。まるでクイニーが動き出すのを待っていたかのような反応の早さにエマは驚いたが、よく外出していたクイニーによると「こんなもん」らしい。
普段士官学校と学生寮を行き来するのが大半で、散歩と買い物以外にあまり外出しないエマは、「そうなんだ……」とうつむいた。士官学校の予科に入って二年、忙しく過ごしていたら、近くの街をうろつくタイミングを見失ってしまった。
大きな鉄門を抜けて、学生寮の敷地から出る。夕日で街がオレンジ色に染まっていた。エマとクイニーは、並んで街にくり出した。
「メリッサが心配してたよ」
「さっきメッセージ送った」
「ナイラもお大事にって」
「え、うそ。あのナイラが?」
クイニーは落ち着きなく、くるくると目を回して、照れくさそうにはにかんだ。
ナッティーズ・バーガーのある通りには、いい匂いが漂っている。学生の好きそうな飲食店が多いのだ。エマはお腹が鳴るのを隠しながら、ナッティーズ・バーガーへと急いだ。
自動扉が開くと、ポテトが揚がったことを知らせる音が店内に響いていた。夕食にはまだ早い時間帯だからか、座席はそこまで混んでいない。士官学校の生徒も少ないようだ。タッチパネルで注文すると、座席が自動的に確保された。
カウンターで商品を受け取って席に着く。バーガーの包み紙を開けると、クイニーは大きな口でかぶりついた。
「クイニー、ソースついてる」
「ん」
エマが紙ナプキンを渡すと、クイニーはバーガーを持ったまま、片手で口元をぬぐった。
「……あのね、教官に聞いちゃった。なんでクイニーが本科に進めないんですかって。……ごめんね、勝手に聞いちゃって」
バーガーショップの陽気なBGMが、やけに大きく聞こえる。テンションの高いDJが店名を連呼していた。
クイニーは無言でジュースを飲んだ。紙カップの中の氷がじゃらじゃらと鳴る。指についた水滴を紙ナプキンでぬぐって、クイニーはゆっくりと口を開いた。
「敵と相性がよくないからって言われたでしょ」
「……うん。管制科に転科する話、断ったんだってね」
「あー……管制科がイヤってわけじゃないんだよ。でもさ、これだけ訓練したのに、なんか悔しいじゃん」
戦闘科と管制科は、カリキュラムがずいぶん違う。前線で戦う戦闘科と、それを後方支援する管制科──役割も、求められる能力も別のものだ。二年間学んできたことがほとんどまっさらになることを考えると、クイニーが二の足を踏むのも当然だった。
「じゃあ、本科には……」
「……うん。行かない。まあ、たまにそういう生徒もいるらしいじゃん。進学先とか就職先も紹介してくれるらしいし、悪くない話だよ」
「クイニー」
クイニーの口元から、ぽろりとバーガーの欠片が落ちる。唇がわなないている。
「……ごめん。無神経な話して」
「エマは……エマは悪くない。でも、そんなすぐに、気持ちの折り合いなんて、つけらんないじゃん……。なんだよ、相性って……」
ときどきしゃくりあげ、あふれそうになる涙をこらえながら、クイニーはバーガーにかぶりついた。




