第四話
街に出かけてから十日ばかり経った頃、クイニーはようやく授業に復帰した。久しぶりに教室に顔を出したクイニーの周りには、さまざまな人があふれている。エマは彼女たちからほんの少し距離をとって、その様子をながめた。
「やー。ごめんごめん。ちょっと考え込んじゃってさ!」
友達と軽口をたたいているクイニーは、以前のクイニーと同じように見えた。寮の自室に戻ると、まだ布団の中で丸まっているくせに、無理しなくてもいいのに、とエマは目を伏せた。勝気で友達思いのクイニーのことだから、心配をかけまいとしているのだろう。
窓からさわやかな風が吹き、カーテンがふくらんではしぼむ。寒さが幾分かやわらいでいる。春はもうすぐだ。
春になれば、王立魔法士官学校予科二年の面々は卒業して本科へと進学する。けれどもそこに、クイニー・グレイはいない。
「あなたはクイニーのところに行かないの?」
凛とした声がして、感傷にひたっていたエマは顔を上げた。ナイラ・サイードが黒目がちの大きな瞳でエマを見つめていた。
「あ、えっと……私はルームメイトだから、クイニーとはたくさん話してて……だから、いいかなって」
ナイラに話しかけられてどぎまぎしながら、エマはうつむく。
「……やっと、敬語じゃなくなった」
ナイラのつぶやきに、エマは再び顔を上げる。褐色の肌の中で、ほんのり桜色をしたナイラの唇が、うっすらと微笑んでいた。
──ナイラが、笑ってる。
精巧な作り物のように美しいナイラの微笑を見た瞬間、エマは気恥ずかしくなってあわてて目をそらす。これまでナイラに敬語で話しかけていたことなど、まるで気付いていなかった。
教室の向こうにいたクイニーと目が合う。クイニーは見たよとでも言うようににやにやして、エマにウインクした。
王立魔法士官学校予科二年の三月は、あっという間に過ぎていった。これまでのおさらいをするように、発進訓練をし、拠点作成訓練をし、狙撃訓練をした。座学のテストがあり、基礎体力を鍛える運動をした。
「よっしゃ! 二番!」
運動場を走り終えたクイニーがはしゃいでいる。エマはまだ終わらないランニングをつづけながら、以前のクイニーならナイラに勝とうとしてたのにな、と苦しい息を飲み下した。
「エーマー! 本科に進むあんたが、あたしより遅くてどうすんのー!?」
クイニーの声に、走り終えた同級生たちの笑い声がもれる。エマはきゅっと唇を結んで、速度を上げた。足がもつれそうだ。
──クイニーの方が、私より優秀なのに。
なぜクイニーが本科に進めないのか、何度考えてもエマには納得できない。敵との相性というのは、どういうことなのだろう。
***
チャイムが鳴って、廊下を歩く教官の律動的な足音が近づいてくる。王立魔法士官学校予科、最後の授業の日、座学担当の教官は神妙な面持ちで口を開いた。
「皆さんは、これまでさまざまな訓練や学習をしてきました。今日は、あなた方がいずれ戦うことになる敵について、お話しします。くわしくは本科で習うけれど、その予習としてね」
いつもの座学なら、タブレット端末にデータが送られてくる。教官は初めてプリントを生徒たちに配布した。
「クイニー・グレイが本科に進学しないことは、聞いていますね? その理由が、敵との相性だということも。……あなたたちの何人かが、私のところにも来たわ。なんで彼女が進学できないんですかって。納得いかないわよね。……ですから今日は、私たちが戦うことになる敵性生物についての特別授業を行います。クイニー本人からも、許可はとっています」
「先生、すみません」
「いいのよ。私からの卒業祝い」
プリントには、敵のイラストが描いてある。その横には人間の絵が添えられていて、大体の大きさが比較できるようになっていた。敵は二本足で立つ獣のような姿をしていて、人間の倍ほどの背丈があるようだ。
「我々が戦う敵というのは、未確認生物の一種です。プリントに絵は描いてあるけれど、彼らは姿を変えるから、油断しないでね」
「えっ、じゃあ人間に姿を変えることもあるんですか?」
「人間への擬態は今のところ確認されていないけれど、もし擬態されたとしても、大きさで区別がつくわ」
スーツを着た教官は、ずり落ちてきたメガネを直すと、一息ついた。エマの前の席に座っている同級生たちが、ひそひそと話をしている。
「ね、ペン持ってる?」
「ごめーん、タブレット用のペンしかない」
「メモしなくてよろしい。頭の隅でもいいから、記憶しておきなさい。……戦闘時の敵の特徴として、我々人間の能力を模倣する──ということが挙げられます。コピーして自分の能力のように使うのね。そうしてコピーされた能力は、蓄積される」
教官は机の角を両手で押さえて、授業をつづける。エマは普段のようにタブレットにメモができない分、一言一句聞き漏らさないように真剣に向き直る。手書き用のペンを持っている生徒は、教室にはほとんどいなかった。
「私たちは、敵性生物の模倣精度を低くする技術を使って対応しています。直接敵性生物の体内に撃ち込む、化学兵器のようなものです」
「クイニーとの相性が悪いっていうのは?」
同級生の声に、教官はゆっくりとうなずいた。エマはそっとクイニーの様子をうかがう。食い入るように、教官を見ている。
「クイニー・グレイは、とても研究熱心な生徒です。……私たちの自慢の生徒よ。でも彼女の技術は、お手本を定めてそれを模倣する形で成り立っている。……ナイラ・サイードの動きを真似しているでしょう?」
教官の声に、クイニーがうなずく。クイニーたちとの勉強会の様子が、エマの頭をよぎった。学生寮のリクリエーションルームを借りて、モニターに映したナイラの動きを研究したことが、懐かしかった。
「クイニーの再現精度は、高すぎるのよ。もしも、クイニーの能力が敵性生物にコピーされたら? ……せっかく模倣精度を下げたのに、意味がなくなってしまう。そうして、ナイラ・サイードのように優秀な能力がコピーされたら? だから相性が悪いというのが、学校側の判断です」
斜め前の座席にいるクイニーの肩が震えるのが、エマにはわかった。プリントの上で握りしめた手に、力がこもっている。
「これで、私の授業はおしまい。二年間ありがとう。楽しかったわ。……さて、明日の卒業式典だけれど……」
教官の言葉が頭に入ってこない。エマは今すぐクイニーに駆け寄りたい気持ちをおさえて、タブレット端末に届いた明日のスケジュールをぼんやりとながめた。まだ教官の話はつづいている。




