第一話
管制科との戦闘訓練を終えて学生寮の自室に戻ったエマは、そっとナイラの様子をうかがった。味方チームが勝ったというのに、いまいち喜ぶ気にはなれない。
戦闘訓練で、ナイラが一瞬手を止めたように見えた。直後の通信でも、呼吸が乱れていたような気がした。
今、ナイラは落ち着いている。憂いに満ちた顔をしているが、呼吸の乱れなどはない。
「ナイラ、さっきの……」
「わかってる。私も驚いてる」
ナイラは早口にそう言うと、いらだちを隠さず、ポッド型ベッドに雑に腰を下ろした。傾きはじめた日差しが窓から差し込んで、ナイラの横顔に影を落としていた。
「久しぶりで、訓練が怖かった?」
「……わからない。でも、近接戦闘のときに起きた。機関銃なら平気だった」
ナイラが長い銀髪をかきまわして頭を抱えるのを、エマは不安を覚えながら見守った。表情は影になっていて見えない。
「しばらく、近接戦闘は避けた方がいいかもしれない」
洗面所から、ぽたりと水滴の落ちた音がした。エマは立ち上がって、栓を閉めにいく。使ったあとにきっちり閉めているのに、たまに水滴が落ちることがある。
エマが部屋に戻ったとき、まだナイラは頭を抱えていた。ナイラの机の上に、写真立てがある。写真立ての画像が切り替わったのを見て、エマはふとひらめいた。
「ねぇ、ナイラ。ナイラは、いろんな人から才能供与を受けてて、その記憶や経験もあるんだよね? だったら、その不調についても何か──」
ナイラは眉を寄せて複雑そうな表情をしてから、ため息をついた。
「今回は逆効果かも」
「どういうこと?」
「ケガが原因で退官した人の記憶や経験があるってことは、トラウマになる記憶や経験も、同じようにあるってことよ」
エマの頭の中を、PTSDという言葉がよぎる。以前、戦場に出た兵士のトラウマ治療の資料を読んだことがあった。それと同じことが、ナイラの身に起きているのかもしれない。
「近接戦闘に影響が出ただけ。……大丈夫。大丈夫よ」
室内に響く空調の音が、ナイラの言葉をにじませる。まるでナイラが自分自身に言い聞かせているように聞こえて、エマはイカロスの翼の話を思い出した。
蝋で鳥の羽根を固めて飛んだイカロスが、太陽に近づきすぎて、墜落してしまう話だ。
ナイラは、クイニーや発進訓練に苦戦する同級生たちを見て、飛びたいけれど飛べないイカロスだと言った。
けれどもナイラこそ、高く飛びすぎて墜落したイカロスなのではないかと、エマは拳を握りしめた。
そこから数日間、エマは自室に帰ると、PTSDについての資料を読みふけった。苦い経験がトラウマとなって、似た環境でフラッシュバックを起こすことがあるという。ナイラの状態は似ているような気がした。スポーツ選手にも、近い症状が出ることがあるらしい。
おそらくナイラは、敵性生物との戦闘がトラウマになっているのだろう。負傷がトリガーとなって、才能の供与元になった人々のトラウマの記憶が蘇っていても、おかしくはない。
日が暮れて、いつの間にか部屋の中に伸びる影が大きくなっていた。薄暗い部屋で、エマの表情がタブレット端末の淡い光に照らし出されていた。
──才能供与って、いいことだけではないんだな……。
トラウマにまつわる経験や記憶まで引き継がれるとしたら、それを何人分も抱えなくてはいけないナイラの苦痛はどれほどのものだろう。経験や記憶のデータベースにアクセスするためのきっかけがなければ、掘り起こされることもなかったのだろうが、ナイラが負傷してしまった以上、そうも言っていられない。
心療内科の治療を受けた方がよさそうだが、医師でないエマには断言することができない。不調について診察を勧めるのが関の山だ。
急に部屋の灯りがついて、エマの集中が途切れた。
「エマ?」
ナイラに話しかけられていたことに気付いて、エマはタブレット端末を閉じた。
「ねぇナイラ、近接戦闘の不調についてなんだけど……」
「またその話?」
ナイラの眉が跳ね上がる。エマはつづく言葉を飲み込みそうになった。
「……診察、受けた方がいいんじゃない?」
「受診したところで変わらないわ。なにより……」
ナイラが言い淀む。エマは首をかしげてつづきを待つが、ナイラは首を横に振って「いい」とだけ言った。ナイラが机の上の写真立てをじっとながめている。
「……使いにくい道具じゃ、ダメなのよ」
ぽつりとつぶやいたナイラの声に、エマは食ってかかった。
「道具だなんて、本気で思ってるの? ナイラも私も、クイニーだって……人間なんだよ」
「それでも、戦場に出れば、歯車よ。……もうこの話はやめて」
「でも……!」
「私とあなたは違う。……噛み合わないわ」
エマはまだ言い足りないのをこらえて、口をつぐむ。話が噛み合わないのは、ナイラの言う通りだ。窓の外から差し込む光の色が、群青色に変わっていた。




