第五話
エマの歩いて来た廊下に、点々と水滴が落ちている。エマは学生寮の自室の扉を開けると、カバンから取り出したタブレット端末を拭いた。防水加工はされているが、雨の雫がついたままになっているのも落ち着かない。
カバンを洗面台に放り投げて、シャワーに直行する。雨に濡れたままでは風邪をひくし、ところどころに泥がついた制服を洗いたかった。洗濯ネットに入れた制服を洗濯機に放り込むと、自動的に洗濯がはじまった。
エマがシャワーを浴びると、足元がざらついた。シャンプーやボディーソープの泡と一緒に、次第に流れていく。エマはようやく、ゆっくりと息を吸い込んだ。肩に入っていた力が抜けて、張り詰めていた気持ちが落ち着いていく。
──言い過ぎたかもしれない。
ナイラの焦りやいらだちが、病室に通っていたエマには想像できる。正確かどうかはわからないが、おそらくは、予科の発進訓練のときにエマが感じていたもどかしさ──何をやってもうまくいくナイラに対する劣等感と、同じ種類のものではないだろうか。
ナイラの技術が才能供与によるものだと知って、それでも複雑な思いを抱えたまま、尊敬していた。敵性生物の襲撃があったとき、どこかにナイラを頼るような気持ちがあった。そのナイラが撃墜されて、今やリハビリに苦心している。
そんなナイラが挫けそうになっていることが、どうしても許せなかった。
──クイニーの努力や試行錯誤を、供与されたくせに。
クイニーが今のナイラの立場なら、どうしただろう。きっと地団駄を踏みながらも、あきらめなかった気がする。
エマはシャワーの栓をひねって、お湯を止める。いつも冷静で、凛としたナイラの姿が頭をよぎる。
エマは身体を拭いたあと、バスタオルで髪を拭きながら、ほんの少し苦い笑みを浮かべた。理想の押し付けなのは、わかっていた。
じきにナイラも病室を出て、この部屋に戻ってくるだろう。そのとき、エマは自分が以前のようにナイラに接する自信がなかった。
洗面台のカバンを洗おうとして、エマの手が止まる。ナイラからもらったおそろいのマスコット人形に泥がついていることに気付く。エマは小さなぬいぐるみを外すと、洗面器にお湯を張って、ぬいぐるみを入れた。ぬいぐるみは相変わらず愛嬌のある顔で、小さなお風呂に浸かっていた。
エマの金色の髪から、雫がぽとりと床に落ちた。
***
数日後、夕食を終えてタブレット端末で自習していたエマの耳に、扉が開く音が聞こえた。顔を上げると、ナイラが部屋に入ってくるところだった。
「退院したんだ。おめでとう」
エマの言葉に、ナイラは一瞬躊躇してからうなずく。ナイラはカバンから写真立てを出して机に置いた。つづけて洗面所へと行き、衣類を洗濯機に入れたようだった。洗濯機の稼働音を聞きながら、エマはそっとナイラの様子をうかがう。以前のようなきびきびとした動きではないが、ふらついてはいないようだった。
机の上に置かれたナイラのカバンに、マスコット人形がついている。小さなぬいぐるみには、乾いた泥汚れがついていた。
「それ、洗う?」
エマがマスコット人形を指さすと、ナイラが無言で首を傾げた。
「ぬいぐるみ」
「……洗えるの?」
「お湯に浸けて、柔軟剤で洗うとふわふわになるよ」
「そうなの。……やってみる」
「うん」
ナイラが洗面所に戻っていく。水音が聞こえて、ナイラの声が聞こえた。自分が話しかけられているのかと、エマは洗面所に顔を出す。
「あなたもお風呂ね。ごめんね、泥だらけにしてしまって。でもいいお湯でしょう」
ナイラがぬいぐるみに話しかけながら、お湯をかけている。エマが目を丸くして笑うと、ナイラは驚いて振り返り、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「ナイラ、おかえり」
「……ただいま」




